あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

イモ3種

2020-05-24 | 
イモと聞いてまず思い浮かべるのはじゃがいもであろう。
煮て良し焼いて良し、蒸かしても油で揚げても旨い。
主食にもおかずにもおやつにもなる野菜。
イモの王様、イモの中のイモというぐらいの存在感がじゃがいも。
ただ我が家ではじゃがいもはそれほど一生懸命やってるわけではなく、コンポストの中から出てきたのを畑の空いている場所で育てるぐらい。
それでも取りたての新じゃがというものは旨いものである。
じゃがいもの次に来るのはサツマイモ。
これまた美味いのだが暖かい所でしか育たないのか、周りでもサツマイモをやっているという話を聞いたことが無い。
たぶんクライストチャーチの気候は寒すぎるんだろう。
この二つが芋世界のメジャーどころだろうが、マイナーな芋もある。
サトイモ、山芋、タロイモ、キクイモ、コンニャクイモなどである。
我が家では変わり芋3種ということで、コンニャクイモ、山芋、菊芋を作っている。

まずはコンニャクイモのお話。
我が家では数年前からこんにゃくの栽培を始めた。
今では毎年、ある程度の量が収穫できてクライストチャーチに住む友人宅の食卓にもおすそ分けができるぐらいになった。
こんにゃくというのは生では食べられない
この野菜を何とか食べようと、先人が色々な知恵を振り絞り試行錯誤を繰り返し、食べられるようになった。
そんな先人の苦労も、今はインターネットで一瞬で出てくる。
文明の利器とはありがたいものだ。
簡単に言うと、熱し、すり潰し、水を加え、炭酸ナトリウムを加え、固めて、茹でてアクを抜く。
これだけのことで、とりたて難しくは無い。
ただまとまった量を作るとなると、作業にも時間がかかる。
時間も手間もかかるが、旨いものを食う為に労力を惜しまないことは、自分に埋め込まれたDNAだと思っている。
そうやってできたこんにゃくはやっぱり旨い。
旨いのだが、コンニャクイモ自体は無味無臭である。
あのこんにゃくの味とは炭酸ナトリウムが芋のアクと合わさった味なのだ。
そしてまた、こんにゃくを何の味付けもせず食っても旨くは無い。
何かしらの味付けをして、初めて一皿の料理となる。
しかもこんにゃくには栄養価もほとんど無い。
作ってみりゃ分かるが、ほとんどは水分なのだ。
哀れこんにゃくよ、決して主役になれない悲しい定めか。
だが脇役という物もこの世に存在する。
脇役の演じ方で劇が引き締まる、なんて事があるのだろう。
そんな名脇役のようなものが家のこんにゃくだ。
栄養価は無くとも食物繊維はたっぷり、こんにゃくはお腹の砂払い、などと言われている。
昔から栄養を取る為でなく毒を排出するための食、今で言うデトックスの本家本元がこんにゃくなのである。
体に良い、という理由で食べる物を選ぶ人がいるが、僕は体に良くとも不味い物は食いたくない。
旨くて、まずこれがありき、なおかつ体に良かったらさらに良し。
我が家では刺身こんにゃく、酢味噌の上に、頂き物の柚子の皮を少しばかり削り載せる。
これが絶品である。
プルプルとした弾力はゼラチンとも違うし、柔らかいからといって豆腐とも違う。
だがやはりこんにゃくの旨さを文で表現するのは難しい。
生を食ってくれという他にないだろう。









お次は山芋。
山芋は地中深く育っていくので、育てるより掘る方が大変だ。
引っ張ったらすぐに折れてしまうので、周りからじっくり掘って行かねばならない。
我が家では塩ビのパイプの中で育てている。
芋が育って葉っぱが枯れたら、パイプを引っこ抜いて、バンバンと叩くとパイプの中の土が落ちて芋が無傷で収穫できる。
山芋も大きくなるまで数年かかる。
何年か前に種芋をもらってきて、温室の隅とかコンポストの傍とかに埋めておいたのが増えていった。
今年は食べられるぐらいの大きさに育ったので、とろろ汁。
すり鉢とすりこ木が何故か我が家にはある。
ニュージーランドでこれがある家庭は、あまり多くないだろう。
普段はゴマをする時ぐらいしか使わないが、今回はすり鉢が大活躍。
芋をすり、そこに卵の黄身を入れ混ぜ合わせる。
卵は言わずと知れた我が家の卵。
そこに具の無い味噌汁を少しづつ混ぜ合わせる。
味噌汁もちゃんとダシを取って味噌も本物の味噌汁である。
そうやってできたとろろ汁を炊きたてのご飯にかけ、上からきざみ海苔をパラパラと振って出来上がり。
まさに絶品である。
これぞ故郷の味。
全てを本物で作るとシンプルでいて最高のご馳走となる。
和食という食文化はニュージーランドで生きている。







こんにゃく、山芋ときて最後はキクイモである。
これは日本では食べたことが無かったのだ。
こちらではエルサレム・アーティチョークという名前で、花のアーティチョークとは別物だ。
これも株を分けてもらったものをコンポストに植えておいたら勝手に増えていった。
味は独特の香りがあり、キンピラにすると旨い。
この他にサトイモがネルソンの方で育っているらしい。
いずれこっちの方へまわってくることだろう。
そうやって味わったイモ3種。
地味だがこれも我が家の秋の味覚であろう。
イモは田舎者の代名詞だが馬鹿にすること無かれ、きちんと作れば味も健康にも良い。
こういうものを食べていれば、そうそう病気にもならないような気もするなあ。





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なすがままにしなさい

2020-05-17 | 日記
そろそろ真面目に今回の話をしよう。
いろいろな情報が飛び交っているが真相は分からないと思う。
流れてくる情報にはウソも多いがその中に多少本当のことを入れることにより、人々が信じやすくなる。
そういうものだろう。
そして人というものは、数ある情報の中から自分が信じるものだけを選ぶものだ。
自分が信じないもの、信じたくないものに関しては陰謀論や都市伝説やデマという言葉で片付けてしまう。
例えばテレビのニュースをはじめマスコミを100%信じている人とは、話をしていても話が深くなればどこかでずれる所が出てくるはずだ。
そうなったらそれ以上の深い話はできない。
自分が信じているものを否定されたら良い気分にならないだろう。
まあそこそこのお付き合い、ということでお茶を濁すのである。
今の高齢者の世代だとテレビというものが絶対であり、いまだにテレビで言ってたからと言う人はいるのだろう。
老い先短い人にわざわざ「テレビは洗脳の道具です」などと教えるのもなんだしなあ。
テレビ以外の情報源と言えばネットだろう。
これだって結局はどこかの誰かが言ったことをたいして調べもせずに、自分なりの解釈で書き連ねるのだ。
ひどいものだとそのまま横流しにする。
その中には真実もあるし、うまく隠されたウソもある。
結局のところ、人間というものは何かしらの情報をよりどころにしたい生き物なんだろうな。自分も含めて。

さて今回の騒ぎでは世界中の全ての人が影響を受けた。
例にもれなく僕も受けた。
ただ騒ぎが始まったのが、繁忙期を越えた辺りだったので、まあ暇になる頃でよかったな、という感じである。
今回の一連の事では病気云々よりも社会的な騒動の方が大きい。
これは医療だけでなく政治 経済 社会 その他もろもろ全てが絡んでいる。
なので医療にだけ焦点を合わせても解決策は見えてこない。
ニュージーランドではロックダウンは解除されて普段の暮らしに戻ろうとしている。
だがそれはあくまでこの国の話であって、世界で見れば混乱は未だ続いている。
元通りになるには時間がかかる、なんて話を聞くが僕の考えでは元通りにはならないと思う。
いや、それどころかなるべきではない。
何度も言っているが、今ある社会のシステムの延長線上に明るい未来は見えない。
それならシステムごとぶっとばせばいい、とも思っている。
その変化の一環が今回の騒ぎではなかろうか。
あとはどこで人類が気がつくか、という話だろうな。

以前、東北の震災の時に、僕は大きな流れが少し変わった気がした。
原発がとんでもないことになって、日本中の原発が止まり、原発なしでもやっていけることに気がついた。
電気のありがたさを知り、電気の無駄遣いをやめ、電気に依存しない社会になっていくのかと思った。
その後、福島で被害を受けた人達の教訓は生かされず、再び原発が再稼動されている。
必要以上に夜は明るく照らされ、必要以上にコンビニが開いており、必要以上の自動販売機が動いている。
社会が複雑化するスピードは留まることを知らず、相も変わらず人々は利権をむさぼっている。
世界の流れは破滅に向かって進んでいる。
みんな何か違うぞと思いながら、大きな流れに流されている。
今回の件もその流れを変える糧になればいいと思うが、未だこの先どうなるか分からない。
病気そのもので亡くなった人より、今そしてこれからの暮らしが成り立たなくなる人が多い。
僕も観光業に携わっているが、この先はどうなるか分からない。
そもそも観光業なんてものは、出発する元と行く先が安定していて成り立つ稼業である。
そして今回のような騒ぎがあった時に、最初に影響を受けるのは観光業はじめサービス業だ。
クライストチャーチの地震、そして日本の震災と続き、あの時もツアー関連の仕事は全く無くなった。
何か事があった時、人間はまず衣食住の心配をして、旅行その他諸々は後回しになる。
そのような脆い地盤の上で働いているんだ、という意識をガイドをはじめ観光に携わるものは忘れてはいけないと思う。
決しておごり高ぶってはいけないが、かといって必要以上に碑下してもいけない。
ただ観光の仕事があるということは平和でありがたいことなんだという、当たり前のことに感謝をわすれてはいけない。
そしてこれからの世界では観光の業界も変わっていくだろう。
以前と全く同じには戻れないのだ。
まずこの先、誰が豪華客船に乗るというのだ?
自分は豪華客船とは縁もゆかりも無いが、だから関係ないから良いという話ではない。
旅行業界でも残るところは残るだろうし、廃れるものは廃れていく。
これは旅行業に限ったことではないだろう。
全ての業界で、物事の本質に沿っていないものは廃れていくのではないか、と漠然と思うのだ。
そうなったらなったで仕方がないな。
逆に言えば自分の心を見つめて本質に沿った生き方をしているか、お天道様に顔向けできないようなことをしていないか。
そこを見つめていれば恐れるものはなにもない。
恐れが無ければ不安は無く、不安が無ければストレスも無い、ストレスが無ければ病気にもならず。
食い物が旨ければ、自分で造ったビールも旨い。
毎日を明るく楽しく正しく生きることができて、ああ幸せだ コリャコリャ、なのである。

話はぶっとぶが、このシーズン僕はクィーンズタウンでバンドを組んだ。
仲の良い飲み友達が集まってあれこれやったわけだが、日本人会の夏祭りで僕が何曲か歌った。
オリジナルの曲を1曲とビートルズの曲を日本語に直訳して2曲。
洋楽を日本語に直訳して歌うアーティストに『王様』という人がいる。
ビートルズとかストーンズとかクィーンとかの歌を日本語で歌うのだ。
その人の曲をコピーして自分なりにアレンジして歌った。
その時にはなんとなくだったのだが、今となって考えてみれば意味深だったなあと思う。
そして今だからこそ、この詩が生きるのだとも思う。
その詩をここに記してこの話を終わろう。


なすがままにしなさい

私がとても困っている時に 聖母マリア様がやってきて
賢い言葉をささやいた  なすがままにしときなさい
暗い時間をすごしている時も 聖母マリア様がやってきて
賢い言葉をささやいた なすがままにしときなさい

なすがままにしなさい なすがままにしなさい 
なすがままにしなさい なすがままにしなさい
賢い言葉をささやいた なすがままにしなさい

心が傷だらけの人々 世界に住んでて集まれば
答えはいつもそこにある なすがままにしときなさい
みんなは離れ離れになっちゃうかもしれないけど また会うチャンスはありますよ
答えはいつもそこにある なすがままにしときなさい

なすがままにしなさい なすがままにしなさい
なすがままにしなさい なすがままにしなさい
答えはいつもそこにある なすがままにしなさい

夜空が曇っている時でも 私を照らす明かりはあるよ
明日まで照らしてくれる なすがままにしなさい

音楽の音色で目を覚ました時に 聖母マリア様がやってきて
賢い言葉をささやいた なすがままにしときなさい

なすがままにしなさい あるがままにしなさい 
そのままにしときなさい ほうっておきなさい
答えはいつもそこにある なすがままにしなさい
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気がつけば五月になってしまったなあ。

2020-05-04 | 日記
ロックダウンがあろうとなかろうと時は流れるものである。
毎日、散歩やら庭仕事やらをやり、ロックダウン川柳だのオンライン飲み会などやってるうちにもどんどん時間は経っていく。
本人だけがそれに気づかないのである。
なんといっても仕事が無い。
庭仕事や家事仕事という労働はあるが、普通に働きに出てお金を貰うという仕事が無い。
仕事があればカレンダーに、この日はどんな予定があるなどと書き込みもするのだが、そういったことも一切無い。
なのでこの一ヶ月、カレンダーというものを全く見なかった。
かろうじて社会の暦と自分の生活を結び付けているものは、1週間に一度のゴミ出しぐらいであろう。
僕がのんべんだらりんとそんな生活をしている間にも、ニュージーランドではロックダウンがレベル4からレベル3になった。
諸々の規制が多少緩み、ゆっくりと元の生活に戻していこうということだ。
かと言って今の僕の生活に劇的な変化があるわけでなし、買い物が多少しやすくなったという程度だ。
うれしい事にホームセンターで買い物ができるようになった。
買い方はオンラインで商品を選びカードで決算をして、日にちと時間を店を選び、こちらが取りに行くというものだ。
ペンキや薄め液が足りなくなったので買い、翌日に取りに行った。
時間を見ながらそれに合わせて行動する、という行為自体がかれこれ一ヶ月ぶりのことなので時計を見ながらソワソワしてしまった。
普通に社会の中で生きていくということは、時計と共に生きることでもあるのだなあ、などと思ったりもした。



僕の今の生活は時計というより太陽の動きに合わせて生きている。
夜明け前、家族が寝ている時間にこうやってブログなぞを書く。
周りも静かだし、一人だと集中できるということもある。
たとえ一人の時でも、太陽が出ている時には机に向かう気にならない。
お日様が出ている時は、自然と庭であれやこれや過ごしてしまう。
朝日が昇るころに犬のココを連れて散歩に行く。
クライストチャーチで好きなことの一つは日照時間の長さだ。
平野にある町なので、太陽はかなり低い角度から上がる。
天気予報で出てくる日の出の時間がそのまま当てはまる。
これがクィーンズタウンのような山合いの場所だと、日の出の時間が来て空は充分に明るいのだがお日様は山の向こう側という具合だ。
以前ちょっとだけ住んだ家では、お昼まで全く日は当たらず真夏でもけっこう寒かった記憶がある。
朝日というものは神々しいもので、僕は手を合わせて拝むことが多い。
お日様という言葉があるが、ぼくにとって太陽は神様である。
お天道様という美しい日本語も好きだ。
朝日を見ていると厳粛な気分になり、なおかつ力が涌いてくるような気になるのである。
そして祈る。
道行くトラックを運転している人が1日気持ちよく仕事ができるように。
病で苦しんでいる人の痛みが和らぐように。
生活に困難している人が上手くいくように。
子供たちが笑って暮らせるような社会になるように。
その他諸々のことを、神々しいお日様に手を合わせて拝み祈る。
まあそんなところが朝の散歩の日課だ。
日中は天気が良ければ何かしら庭のことをやっている。
天気が悪い時には気分が乗らないので、家の中でビールを造ったりあれやこれや作る。
かといって常に忙しく働き続けるわけでもなく、昼寝もするし漫画を読んでゴロゴロする時もある。
基本的に日の光を浴びて何かしらやっているのだ。
太陽の光を浴びると体の中でビタミンDという物質ができ、これが免疫力をあげるのだそうな。
何よりも気持ちいいじゃないか。
気持ち良いって感覚、それって科学の話あーだこーだ よりも大切。
アウトドアってのは雑誌で取り上げられるようなおしゃれでかっこいいものだと思いがちだが、外での全ての行動がアウトドアなんだ。
そしてアウトドアと太陽は切っても切れない関係だと思う。
まあ日の光が強すぎると皮膚がん云々という話になるのでほどほどに。
何事もほどほどという事もこれまた大切。
そして夕方になれば、再び犬を連れて散歩。
太陽は遠く離れた山の向こうに沈む。
朝日とは違うおもむきがある。
この時間の太陽も僕は好きだ。
何かしらはかなげで、哀愁漂い物悲しく、次の日の再開を誓いながら終える。
そんな夕日に向かってまた手を合わせるのだ。
空が広いと朝日から夕日までがドラマなのである。



太陽崇拝教信者 みたいな話になってしまった。
ロックダウンのレベル4から3になって、簡単なハイキングができるようになった。
早速女房と犬のココで近くの丘へ歩きに出かけた。
散歩は毎日していたものの平らな公園である、起伏のある山歩きにココは大喜びで大興奮である。
クライストチャーチは平野の町なので、ちょっと登っただけで景色がドカンと広がる。
平野の向こうには雪を載せた山並みが横たわり、遠くには真っ青な太平洋。
市街地を見下ろしてみると、先月自転車で走った潟も見えた。
なんてことない山歩きなのだが、平野での散歩と景色を眺めながらの歩きは違う。
やはり変化というものは大切なんだな。
山道は牧場の中を行くので、途中に羊や牛もいるのもこの国らしくて良いな。
牧場には羊の糞だの牛の糞だのが当然ある。
時には乾燥した糞を踏んだりもするが、そんなのいちいち気にしていたらこの国ではやっていけない。
ある程度の汚さ、というものも必要であろう。
消毒消毒 果ては無菌室、という環境がどれだけ弱い人間を作るのか分かるだろう。
子供には泥んこ遊びをさせよ ということだ。





ロックダウンで常に家にいるので楽しみは飲み食いだ。
時間はたっぷりあるので、手を抜かずにきちんと美味しい物を食らう。
クックパッドというレシピのサイトがあるが、そこにすごく出てくるキーワードが 簡単 美味しい である。
僕も時々そのサイトを見るのだが、しょうもない情報が多く欲しい情報が埋もれてしまっている。
手抜きというものを簡単という言葉の中に隠していることに気がつかない。
出来合いの物を使ったレシピを、よくもまあ恥ずかしげも無く載せるもんじゃわい、まあ昨今の風潮じゃろう。
文句があるなら見なけりゃいいだけの話なのだが、最近思考がどんどん爺臭くなっている。
山歩きの晩は炭火焼。
焼き物は庭で取れたナスとししとう、焼き鳥、サンマ。
炭をおこすのだって一手間なのだが、ビールを飲みながらじっくりやる作業は嫌いではない。
ちなみにビールはラガー、ロックダウン中に仕込んだので名前はストレートに『ロックダウンラガー』
頭文字を取ってLDLと王冠(という言葉も死語だなあ)に書いた。
出来は上出来、あまりホップは利かさずすっきりさっぱり系のビールである。
炭火で焼けば何でも美味くなる。
簡単 おいしい のである。
秋ナスの旨いこと。焼き鳥のタレは女房が作ったものだし、極めつけはサンマの塩焼き。
そこに自分のビール。こりゃたまらんぜよ。
自分で作ったものを旨い旨いと言いながら飲み食いするのだから我ながら幸せ者だと思う。
幸せとは他人の価値観の中にあるのではなく自分の心の中にある、と思いつつ5月になってしまった。




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