あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

娘の寝顔

2014-01-29 | 日記
娘が日本から帰って来た。
自分のルーツとはいえニュージーランドで生まれ育った娘には日本は異国である。
そんな異国で親から離れ1ヶ月。
自分なりにいろいろと見たことだろう。
志賀高原でスキーをした時はリフト下を滑ろうとしてパトロールに注意されたらしい。
まあ、こっちの感覚でいれば何故リフトの下を滑ってはいけないのか分からないのもうなづける。

娘がニュージーランドに帰ってきて、まだ1週間ほど夏休みが残っていた。
僕の仕事もそれほど忙しくなく、ちょうど空の車でクィーンズタウンに戻るところだったので一緒にクィーンズタウンにやってきた。
僕が仕事の時は友達のカナちゃんに面倒をみてもらう。
カナちゃんの娘のウタは娘と同じ年で、3年前の地震の時にクィーンズタウンの小学校に一時転校した時も同じクラスだったのだ。
帰りは一人で飛行機に乗って帰る。
飛行機なぞは途中下車しようがないのだから、子供でも自分の事を自分でやるならばできる。
ただこういう事は自分でやろうと思わなければダメだ。
うちもだいぶ前から、オマエ自分で飛行機に乗って来い、と言い続けてやっと今回そういう流れとなった。
日本に一人で(厳密には完全な一人旅ではないけど)行った事で自信がついたのだろう。
荷造りも一人でてきぱきとやって、女房が「ずいぶん旅なれた感じがする」と感心していた。
同感である。

夕暮れ時の湖沿いを観光客に混ざり散歩をしてホットチョコレートを一緒に飲んだり、アロータウンにドライブしてアイスクリームを買ってあげたりと甘い親になっている自分がいる。
普段は仕事をしていて生活の場なので無駄な出費はしないが、娘が一緒だと観光客気分になり財布の紐が緩む。
まあ、たまにはこういうのもよかろう。
一昨日は僕が仕事なので、カナちゃんファミリーとサーカスにも行ってイベント盛り沢山の毎日である。
昨日は僕の仕事は休み。夏休み気分で娘と過ごす。
午前中は夏休みの宿題。
お昼に名物ファーグバーガー。
このハンバーガー屋は今や行列ができるほどの人気で、昔を知っている僕なぞはちょっとバカにしていたのだが、数年ぶりに食べてみたらこれが旨い。
以前食べた時は質が落ちてがっかりしたのだが、パンも自分のところで焼くようになって、これなら人にも勧められるな。
湖のほとりで一緒にハンバーガーをかじる。
幸せである。幸せは常にそこにある。
午後はリマーカブルズへハイキング。
見慣れた風景だが娘には初めてである。
娘をガイドする、というのもなかなか良い。
そして晩御飯は友達を招いて寿司パーティー。
文句なし、娘ご満悦の1日であった。

クィーンズタウンにいる間は友達の家にフラットメイトとして間借りをしているのだが、その友達も日本に一時帰国中で僕1人。
気ままな1人暮らしのところに娘と数日間の同居である。
ダブルベッドに娘と二人で寝る。
最近はちょっと生意気なところもあるが、すやすやと眠る娘の寝顔は可愛い。
そのうちに一緒に寝ることなどなくなるだろうが、故に今という瞬間が大切なのである。
今のうちに親バカぶりを楽しんでおこう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然の変化

2014-01-19 | 日記
地球が変わりつつある。
今シーズンから僕は古巣タンケンツアーズに戻り、山歩きの仕事も多くなった。
一度は離れた森に戻り、楽しく仕事をさせてもらっている。
この森と付き合い始めて10年を越えるだろうか。
その経験で言って「今までにこんなの見たことないぐらいの自然の変わりぐあい」である。
世界のあちこちで異常な事が起こっており、今までにないとか観測史上初なんて言葉を毎日聞くような世界で僕達は生きている。
寒波や熱波はとんでもないものになってるし、生き物の異変も然り。
自然の中に住む人々は、地軸のずれによる気象の変化に何年も前から気づいていたらしく、「星の上がる位置が違う。太陽の位置も違う」とあちこちの先住民が言っている話を以前聞いた。
僕も薄々は感じていたが、ここへ来てその変化も加速している。

まず、今年は花が多い。
今までも、今年は○○がよく咲く、というようにある種類の当たり年のようなものはあった。
だが今年は何から何までよく咲く。
ルートバーンでも普段はない場所で蘭が咲いているし、普段は地味で目立たないランタンベリーも沢山咲いていると可愛い。
森以外でもフラックス亜麻など毎年咲かない木が一斉に花を咲かしている。庭のフラックスも咲いた。
そう言えば、マウントクックリリーも今シーズンはよく咲いていた。
あの時は単純に、たくさん咲いてきれいだなと思ったが、今の僕はちょっと見方が違う。
「何?花が咲いたって? そりゃよかったじゃねえの。
え、おまえさん、それの何がいけねえんで? 
花が咲くってのはおめでたいことだろうに。
めでたしめでたし、一件落着でいいじゃねえか。
おい、おまえさん、また異変だ何だのって話になるんじゃねえだろうな?」
そう、その通り。
全ては繋がっている。
花が咲いてめでたい、で終わらない世界なのだ。
花が咲くのは何のため?
種をつくるため。
なぜ種をつくる?
子孫を残すため。
植物たちが一斉に種を保存しようとしている。
来るべき時に備えて。
こういう統計がある。
第一次世界大戦、第二次世界大戦の前には子供の出生率が上がったと。
地球規模の大きな出来事の時には人間もそうなるらしい。
鳥や動物の大量死はニュースになるが、花がたくさん咲いた、ではニュースにならない。
人間の目を喜ばせる為だけに花が咲くのではない。
子孫を残すための行動を、植物が一気に始めた意味は何か?
それは世界各地で起こっている出来事と繋がっている。

花がたくさん咲いた、そして早い。
いつもに比べ3週間から、ものによっては2ヶ月近くも早い。
季節が前倒しになっている。
秋の訪れも早いことだろう。
その証拠に柳は早々と黄葉になり始めているし、ななかまどの実も赤くなっている。
この分だと紅葉の見頃は三月半ばぐらいか。
そのあとに来る冬も早くなりそうな気がする。
去年は6月、まだシーズン前に大雪が降りスキー場関係者はてんやわんやだった。
今年は5月あたりにそれが来そうな気がする。
これはあくまで勘なので根拠はない。
根拠はないが、今までの経験では僕の勘は八割がた当たる。
そして肝心の7月や8月にはどうなるか?
これは何も分からない。
使えない勘だ。

今年、いつもと違うところは周りが暗くなる早さである。
クィーンズタウンの夏は日が長く、日が落ちても西の空はいつまでも明るいのだが、今年は暗くなるのが早い。
まるで秋のつるべ落としのような、そんな暗くなり方だ。
自然界の時の進みかたと人間界の時間がずれてきている。
そもそも時間というものは空間と密接な関係があり、今の世の時間だけが独立して動いている事がおかしいのだ。
今まではそれでもなんとかやってきた。今までは。
これからは今までの常識が通用しない世界である。
全ての物事に変化があるだろう。
それに対して、人間の都合のよい価値観を押し付け、思い通りにならずに神を呪うのか。
もしくはこれから起こる全ての出来事を、自分の死さえも前向きに受け止めるのか。
選択の時はすぐそこに来ている。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の立ち位置

2014-01-10 | 日記
クリスマスが終わり、ニュージーランドは夏本番。
一年で一番忙しい時期がやってきた。
この時期というのは海外に住む日本人もホリデーにやってくる。
そういう人達は、日本の常識は世界の常識ではないということを知っているので、一歩深い所で話が出来る。
先日ルートバーンを案内した人はシンガポール在住で涼しい気候を求めてニュージーランドに来たそうだ。
シンガポールの前はフィリピンに住んでいて、ニュージーランド移住も心の片隅にあるようなことを言っていた。
シンガポールのような都市国家から見れば、ニュージーランドはかなり遠い、対極と言ってもいいような国だろうな。
ルートバーンの谷間を流れる風はこれ以上なくさわやかで、常夏の国から来た旅人には最高のご馳走だった。
同じ日に、オークランドで働いている娘さんとご両親もいた。
彼女はダニーデンに7年いたそうな。
オタゴ大学を卒業したもののダニーデンでは仕事がなく、オークランドに住んで2年になるという。
彼女とこの国の交通事情の話をしたのだが、オークランドの中心部では交通マナーが悪くてクラクションをバンバン鳴らされるのだそうな。
ぼくがお客さんによく言う話で、この国では車のクラクションがほとんど聞こえない、というようなこともオークランドでは通用しないのか。
僕自身オークランドには何年も行っていないのでそんなことになっているなんて知らなかった。
僕が話をするのは自分の経験であり、それは南島に住む日本人から見たニュージーランドであり、北島へ行けばまた違う話になる。
それを「ニュージーランドとは・・・・・」と偉そうにひとくくりにまとめていいのか、などと考えてしまった。
断片的な情報で全体を把握しようとするのは人間の悪い癖である。
ツアーで来る人が、牧場を見て「この国では野菜を作っていないの?」と聞いたり、観光地を巡った人が「この国はどこへ行っても日本人だらけね」と言うのを聞いてきた。
「この国は・・・・」というのは自分の物差しで判断したことで立ち位置が変われば中身も変わる。
ある日本人はこう言ったそうな「クライストチャーチの人は金儲けしか考えていない汚ない奴ばかりだ」
他人は自分を映す鏡なのである。

バケツというものを逆さから見れば、底がなく蓋が開かない入れ物である。
同じ物が見方一つで全く違う物になる。
クィーンズタウンへ来た人が「素晴らしい場所」ととるか「何もない場所」ととるか。
どちらも正しい。
そしてありがたいことに最近は後者の人に出会わない。
自分が見るものとは自分の心が映し出すもので、天国も地獄もあの世ではなく今の世の中に存在する。
そして自分の立ち位置を抜きにして物事は語れない。
立ち位置とは是、自分の心なり。
全てはそこへたどり着く。

ちなみに昨日は仕事が早く終わったので、友達のえーちゃんと男の意地と名誉とビールを賭けてフリスビーゴルフをやった。
結果は僕の圧勝で、僕は勝利の甘いビールを、えーちゃんは敗北の涙味のビールを飲んだ。
同じビールでも味が違うのである。
しばらく僕とえーちゃんの立ち位置は変わりそうにない。
勝負の世界は厳しいのだ。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする