あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

死についてあれこれ

2012-03-31 | 日記
人は誰でも死ぬ。
これは人だけではなく、生きとし生けるものは全て死ぬ。
自然の摂理である。
そして人は死を恐れる。
何故なら未知のものは不安であり、それは恐怖からきているものだ。
恐れがあるので死から目を背ける。
死を正面からとらえることなく、できるだけ先延ばしにして、なるたけ考えないようにする。
だがそれでも死はやってくる。
誰のところにも。
どうせそこから逃れられないのならば、受け入れてはどうか。

よく人からニュージーランドの平均寿命はいくつかと聞かれる。
ボクは人の寿命とはそれぞれこの人生でやるべきことをやり終わった時に迎えるもので、その平均を出すことに意味はないと思っている。
なのでこの国の平均寿命を知らない。日本の平均寿命も知らない。
第一平均寿命が長いことは良いことなのか疑問である。
延命医療というものもある。
極端な話、延命医療が進み、誰もがそれを受ける世の中になれば平均寿命は高くなるだろう。
だが聞こう、そこまでして死から逃れたいか?
ボクの考えでは延命医療はやめるべきだ。
長く生きてきた人に「ご苦労様でした」とねぎらいの言葉をかけ、あの世に行ってもらう。
延命医療に使っているお金や人が働くエネルギー、薬や施設など、これらを子供の医療のために使うべきだ。
みんな分かっているがそれができない。
戦争をやめて、そのエネルギーを平和のために使いましょう。
言うのは簡単だ。
一番簡単なことは一番難しいことでもある。

以前の話でも書いたが、母親は山歩きの途中でボクの目の前で滑落して死んだ。
ほんの数分前までは今晩のおかずは何にしようかと話していて、いきなり死んだ。
ボクも含め周りはいろいろと大変だったが、母にとっては苦しむことなく幸せな死に方だったと思う。
人が死ねばどんな死に方にせよ周りは大変なのだ。
それならば苦しみながら死ぬよりポックリと逝ったほうがいい。
ある日寝たらそのまま死んでいた、なんてのは最高の死に方ではないか。
自分ならばそうやって死にたい。
なので自分の父親にも「ポックリと死んでくれ」と頼んである。
勝気な父は「このバカヤロー、俺だってそうしたいわ」と言った。
父親が死ねばボクは泣くだろう。
だがきっと父親の話もいずれブログのネタにすると思う。
その時が楽しみでもある。

死に方は人それぞれあるが、一つだけ許されないのは自殺である。
これは今の世の中の話であり、昔の武士が切腹をするのとか、特攻と称して若い命が散った戦争中のことではない。
それらと自殺を一緒にしてはいけない。
自殺をする人にはそれぞれ理由があるだろう。
「あなたには分からない」
そう言われてしまえば身もふたもない。
だがそれでも自殺というものは、愛の法則において許されないことなのだ。
なぜなら自殺とは現世からの逃げ、だからだ。
つらいこと、悲しいことはあるだろう。
だがそれらは自分が生まれてくる時に自分で選んだ道なのだ。
それを忘れて自ら自分の命を断ち切っても、同じ事を繰り返さなくてはいけない。
それならば今世でそれをクリアーにしてしまった方がいい。
言うのは容易く、行うのは難しい。
なぜなら人生において、死んだ方がマシだ、と思うことはいくらでもあるからだ。
その通り。生きることは辛いことで苦しいことなのだ。
そして死の世界とは愛と光の世界なのだ。

日本の震災の後で、友達のカナちゃんがあるビジョンを見た。
それは東北弁で何人もの人が会話をしているというものだった。
「あいつも可哀そうなヤツだな。津波で家族を全部失くして」
「家も財産も全部失くしてな。あの時に死んじまったほうがヤツには幸せだったな」
「んだんだ。全くだ」
とまあ、そんなような話が頭の中で聞こえたという。
ボクにはおおいに頷ける。
あのような状況では生きるより死んだ方が楽なのだ。
生きることは辛く悲しいことだ。
こういう震災の後でよく聞く言葉だが、死者の冥福を祈ります、と。
ボクは死者の冥福は祈らない。
なぜなら死んだ人の魂は全て天国へ行き愛の光に包まれ、ある者は再び地上に降りてきているだろうし、ある者はそこで幸せに暮らしている。
祈らなくてもそういうふうになっているからだ。
ボクは生きている人のために祈る。
生きることは辛く苦しく悲しいことだ。
その苦しみが和らぐように、悲しみが薄れるように、ボクは祈る。
悲しみ苦しみの先の小さな光がその人に届くように祈る。
そして誰のところにもやってくる死というものが、安らかなものであるように祈る。

死があるから生がある。
闇があるから光がある。
マイナスがあるからプラスがある。
悲しみは共有すれば薄まる。
光は共有すれば明るさを増す。
我が祖国で今もなお起こっている数々の悲劇を他人事として片付けず。
その上で自分が今ある幸せという光を明るく輝かせる。
その光は闇を照らし、愛の世界へ人々を導く。
それが生きるということだ。
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忙しいということ

2012-03-24 | 日記
久しぶりのブログ更新である。
気が付けば3月も終わりにさしかかっている。
一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、とはよく言ったもので、この時期の時間の経つのはあっという間だ。
ボクのブログの読者なら察してくれるだろうが、ツアーからツアーへという毎日で新しい話を書く時間がない。
ネタはいくらでもあるのだが、それを一つの文として仕上げる時間がなかった。
まあ一言で言えば忙しかったのである。
「忙しいことは良いことじゃないか」という人は多い。
ここであえて疑問を投げかける。
本当に忙しいことはいいことなのか?

忙しいということは仕事がたくさんあることだ。
仕事があることは良いことである。
仕事がなければお金が入ってこない。
日々の生活にも困ってしまう。
仕事はある方がいい。
だが忙しいという字は心を亡くすと書く。
心を亡くすことは良いことか?
ボクが疑問に思うのは忙しいと言えばなんでも許される風潮のことだ。
「忙しいんだからしょうがない」
と伝家の宝刀のように全てをそれで片付けてしまう。
これを書いていてはっきりと分かった。
忙しいことがありがたいのではなく、仕事があることがありがたいのだ。
似ているようだがこれは違う。

だが、とどのつまりはバランスであろう。
どんなに忙しくとも心を亡くさない人もいる。
ならば自分がそうなればいい。
ただそれだけの話なのだ。
こんなことをうだうだ書くのは自分が心を亡くしている証拠だ。
そのことに気が付いた時に迷いは消える。
実際問題としては、仕事がたくさんあって元気に毎日働いている状態を、『忙しい』という言葉を使わずにどう現したらいいのか。
悩むところである。
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Japan Day

2012-03-14 | 日記
3月11日、日本の震災から1年。
この日はクライストチャーチでJapanDayという日本のお祭りがあった。
クライストチャーチに住む日本人がニュージーランドで日本の文化を紹介する目的で起こしたお祭りである。
さらにクライストチャーチ、そして日本という二つの場所で起きた地震による災害から復興する意味をも含んでいる。
オークランドでは何年も前からこういう催しがあるそうだが、クライストチャーチでは今回が初めてである。
みんなの気合の入れ方には並々ならぬものがあった。
祭りではとにかく日本らしいものを。
書道の体験、生け花の実演、着物のファッションショーといったもの。
ステージでは太鼓クラブの実演、子供達の日本舞踊、日本人コーラス隊の唄、若手バンドなどなど。
出店は食べ物各種、ヨーヨーすくい、くじ引きなど縁日らしい出店も出た。
とにかく日本色満載、盛りだくさんの日である。
その祭りにボクも出店を出すことにした。
ボクのブースではネルソンに住む友人ゴーティーと一緒にヤツが作る味噌、そしてボクが作る石鹸、女房が作る羊の人形などである。



段取り八分現場二分、という言葉どおり、こういった催しでは段取りが大切である。
祭りの実行委員達ははたから見ても大変そうだった。
なんといっても前例がない。
「去年はこうだったね、今年もそうやろう」というものがない。
そして自分達がその前例となるのである。
これはプレッシャーもかかるだろう。
そして人間が集まるのだから、色々な思惑があり人間関係特有のどろどろしたものもあるだろう。
だが、そういったネガティブな面をはねのけ、それこそみんなが一つとなりこの祭りを開いた。
大変なのは大人だけではない。子供だって大変なのだ。
家の娘は日本舞踊をやることになり、毎週日本語補習校の後、他の子供と一緒に踊りの練習をした。
子供だけではなくお母さん方も付き添い練習である。
衣装だって浴衣を着るのだが、髪飾りのリボンは女房が全員分手作りで用意した。
『自分ができること』をみんながやり、祭りの準備が仕上がっていく。



祭り当日、ボクは朝6時過ぎに会場へ行きテント設営を手伝った。
ボクは段取りは苦手だがこういった現場仕事は得意である。
暗い中の作業になるのでヘッドライトも持参。
小雨の降る中、会場作りをしたのだがこの雨は止むだろうと思っていた。
ボクは自分で言うのもなんだが強烈な晴れ男である。
ガイドをしていても行くとこ行くとこ晴れる。
山歩きの仕事の時など、大雨の予報だが歩いている時はカッパを着ないで歩き、歩き終わったとたんに大雨になるということがよくある。
予報が曇りの時には晴れてしまう。
それぐらいの晴れ男だ。
イメージの持ち方でも書いたがこういう時は「雨が降らないといいな」ではなく「晴れるといいな」とイメージを持つのだ。
案の定、テントを張り終え、人が集まり始めた頃には雨は上がった。
そして自分の出店の準備である。
ゴーティーも味噌をどっさり持ってやってきた。
同僚のMが習字が得意なので半紙に何枚か書いてもらったものを貼る。
そして持参ののぼりも立てる。
『船橋隠密忍者組織』誰も訳が分からないだろうが、お祭りなのだからこれでよし。
そして石鹸や羊を並べて準備OK。
あとは女房に任せ、僕は一度抜けて空港へ仕事に行った。



空港出迎えの仕事は1時間ほどで終わり、ボクは祭りの現場に戻った。
今日はとにかく日本らしくというのがテーマなので、ボクも作務衣を着た。
浴衣や法被を着た人は結構いたが作務衣を着ている人はボクぐらいだ。
これはなかなか好評で「陶芸家みたいだ」とか「ワイルドっぽくて良い」など数々のお褒めの言葉をいただいた。
ありがたやありがたや。
作務衣というものを広辞苑で調べると『禅寺で禅僧が行う農作業・掃除などの労働着』とある。
坊主頭で自称『生臭坊主』のボクにはピッタリである。
ついでに生臭坊主も調べてみた。
肉食をする僧。戒律を守らない僧。不品行な僧。とある。
やはりこれもピッタリだな。



さて屋台である。
どの出店も食べ物の店は長蛇の列。お店の人は忙しそうだ。
ボクの店のお隣さんはタイヤキ屋さんなのだが、ここも行列が並び忙しい。
その行列はボクの店の前へ続き、時折り列に並ぶ人が石鹸の匂いを嗅ぐ。
石鹸の売れ行きはパラパラ程度で、正直ヒマである。
なので店をゴーティーに任せてフラフラと祭りの催しを見に行く。
数メートルごとに知り合いに声をかけられなかなか進まない。
普段良く会う友達から、とんとご無沙汰になっている人まで、まとめてこの機会に挨拶をしておく。
そうしているうちに娘の出番になった。
娘は他のちびっ子達と一緒に日本舞踊をやる。
この日のために毎週練習をしてきた。晴れ舞台である。
練習の甲斐あって子供達全員動きも揃った。
親の欲目を抜きにしても良い出来である。



午後も深まり、祭りも終盤。
ボクの出店の前にはタイヤキ屋の行列が相変わらず並び、ボクはボクで相変わらずあまりやる気がない。
ボクは娘とその友達達に言った。
「お前達、その辺を歩き回って石鹸を売って来い。売れたらそれを小遣いにあげるぞ」
石鹸を子供達に押し付け、親父は再びフラフラと会場を歩き、知り合いと無駄話をする。
そうしているうちに祭りもお開き。
ボクの石鹸も子供達のおかげで完売。約束どおり小遣いをあげた。
ゴーティーの味噌もなかなかの売れ行きでなにより良い宣伝になったことだろう。
自分にできること。これをいつも考えながら生きているのだが、この日も自分なりに満足のいく一日だった。
祭りが終わるのを待っていたかのように夕方に雨が降り始めた。
天の神も味方してくれた。ありがたやありがたや。
そしてボクは祭りに参加した全ての人にエールを送りたい。
お疲れ様でした。
押忍。
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イメージの持ち方

2012-03-02 | ガイドの現場
僕の仕事はドライバーガイドである。
車の運転をしながらガイドをする。
1日に何時間も運転をするわけだが、怖いのは事故である。
ニュージーランドの国道は時速百キロで対面通行なので、事故が起きた時には大事故になる。
そして自分は悪くなくても事故に巻き込まれる事もある。
観光地などはレンタカーも多く、車の運転に不慣れな人もいるし、とんでもない大バカ者もいるからだ。
以前ミルフォードサウンドへ行った帰り道のことである。
前の車が道路の右側を走るのだ。これは怖かった。
時間柄交通量は少なく対向車はほとんどいないが、数キロもの間コーナーも含めそいつは右側を走り続けた。
僕は事故があっても巻き込まれないよう、充分な車間距離をとって走った。
幸いその間は対向車もなかったが、そういうヤツもいるのだ。
別の日には同じミルフォードロードで見通しの悪いコーナーで片方の車が反対車線を走り正面衝突をした現場に出くわした。
クィーンズタウン辺りのラウンダバウト(小さいロータリー)で逆走するレンタカーを時々見るが、まあこれくらいなら車はぶつかっても人は死なないが、ハイウェイでは事故は死につながる。
いくら自分は気をつけていても巻き込まれる可能性もあるのだ。

ある日、知り合いがこう言った。
「事故に会わないことを祈って運転します」
僕はピンと来てこう言った。
「それは違うぞ。事故に会わないように、ではなく無事に帰ってくることをイメージするのだよ」
一見同じに見えるがこれは違う。
事故に会わないようにだと、事故があることが前提となりそれを打ち消す。
人間は思ったことを現実化する力を持っている。
それも最初に思ったことをである。
なのでこの考えは事故を引き寄せてしまう。
たとえその後に『ない』をつけようが最初のイメージが現実となってしまうのだ。
なのでボクはいつも、その日の仕事を無事に終えて家に帰ってきてから美味しいビールを飲む自分をイメージする。

この考えは反戦運動と平和運動にも繋がる。
反戦運動は戦争というものに意識を当て、それに反対する。
そこに意識をあてている以上、それを望もうが望まなかろうが現実となってしまう。
なので戦争はなくならない。
それをするならば、皆が平和で仲良く暮らす世界をイメージするのだ。

病気も同じこと。
ボクの古い友達はアトピーで皮膚がボロボロになっていた時期があった。
彼女はビールが大好きなのだが、そのせいでビールも飲めない状態だった。
その彼女にボクは言った。
「アトピーが治ることを想像するのではないよ。その先のアトピーも何もなくなり健康で美味しいビールを飲んでいる自分をイメージするのさ」
今では彼女の肌はツヤツヤになり美味しくビールを飲んでいる。

さてこういう良いイメージを持っていても何かが起きてしまったらどうするか。
その時は100%の力でその場で対処をする。
自分がその場にいてできることをやるのだ。
「何かあったらどうするの?」とはボクが一番嫌いな言葉である。
何も無いことを心配して逆に『何か』を引き寄せてしまう。
何かあったら?それはその時に考えることで今考えることではない。
ボクは物事を良いことと悪いことで分けて決め付けてしまうことが好きではないのだが、悪いイメージが浮かんだらそれをその場で打ち消し、その先の良いイメージを持つよう心がけている。
それでも繰り返し悪いイメージが浮かんできたら、それは正面からそのメッセージを受け止め最悪の事態にならないよう心がける。
以前書いた、車の鍵が水に落ちる話がそれだ。
全ての物事には因果関係がある。
病気、怪我、事故、争い、諍い。
こういった一見悪い出来事も何かしらの意味がある。
故に健康、安全、平和、調和というものがありがたく感じられる。
ありがたく感じるということは感謝である。
感謝とは強制されるものではなく、自分の心から生まれるものである。
悪い出来事にさえも感謝をするべきなのだが、ボクもそこまで人間ができていない。
ただ今、目の前にある幸せを感じつつ毎日を暮らすのみである。

「それは難しい」と思えば物事は難しくなる。
「それはできない」と思えば出来なくなる。
そして「それはできる」と思えばできるのだ。
人間は物事を現実化する力を持っている。
それを望もうが望まなかろうが現実となる。
なればこそ全てを受け入れる。
自分の身に起こることは全て自分の責任であり、自分の思考が今ある現実を作り上げていることに気づくのだ。

ちなみにボクの将来のイメージとは。
ブロークンリバーで孫にパウダーの滑り方を教えることである。
ハイ、もうイメージしちゃったからね。
あとはそこに向かって進むだけなのだ。
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