種
2012-04-29 | 日記
ある日友達のリエコが家に遊びに来て言った。
「聖さん、植物の種でF1種って知っていますか?」
「うーん、聞いた事はあるけど知らない。それって何?」
そして彼女はボクが知らない種の話について、とうとうと話してくれた。
F1種とは人間が交配させた種のことで、一世代限りの種のことである。
F1の特長としては大きさや風味が均一の野菜ができる。大量生産や大量輸送、周年供給を可能にする。
まあ平たく言えば野菜を工場で作る工業製品のようにできるというわけだ。
今市場で出回っている野菜の95%以上がF1種らしい。
味の良い野菜と病害虫に強い野菜をかけ合わせれば、味が良く病害虫に強い野菜ができる。
これだけ聞けば夢のような野菜ではないかと思う。
だがF1種は別名『自殺する種子』。この種でできた植物からは種がとれない。
もしくは種がとれたとしてもそれはF2と呼ばれF1でできたものと同じものができない。
これに対し種が普通に取れ、親と同じ野菜ができるものを固定種と呼ぶ。
こちらは植物がその土地や気候に合わせて自然に変化してきたもので、多少人間の力を借りているかもしれないが、植物自身の力で交配し、次の世代から又次の世代へと受け継がれて来たものである。
絶えず選抜、淘汰を繰り返してきて遺伝的にも安定している。
ただ生育時期や大きさが揃わないこともある。スーパーで売るにはちょっと・・・というわけだ。
これを聞いて思い当たる節がある。
庭ではいろいろな野菜を育てていて、そのうちのいくつかは勝手に花が咲き種を撒き散らし雑草状態で育っている。
そのうちの白菜や水菜などは売っているような美味いものが育たない。
水菜は最近こちらでも人気でサラダで食べるのだが、家の水菜は葉が硬くアクがあり生食に向かない。
白菜も同じで売られている白菜は葉の付け根が広くはも柔らかだが、家の白菜は葉が広がって育ち玉にならず、葉はくせがありあまり美味しくない。
大根も根っこは筋っぽく、あまり美味くない。店で売っているようなものができない。
これは先祖返りという減少で、交配してきた植物が元の姿に戻っているのだそうな。
たぶんこれらの野菜は元がF1だったに違いない。
それに対しシルバービートは雑草状態でもぐんぐん育ち、店で売っているものかそれ以上に美味い物が育つ。
シソも同じでシソはコンクリートの隙間からも育ち、今年はシソベーゼを堪能した。今は種がそれこそ鈴生りで出来ている。
カボチャなぞ、コンポストの中から芽を出して、大きな実がいくつも取れた。
その他、ニラ、ネギ、パセリなども順調だ。
きっとこれらは固定種なのだろう。
「なーるほどね。そういうことだったんだ」
「そうなんですよ。で、まだ続きがありますよ」
「何?」
「最近ではこのFI種以外の作物の販売を禁止する法律がアメリカで決まったそうなんです」
「あーあ、やっちゃったか、アメリカ・・・。馬鹿な国だと思っていたけど、そこまでおバカさんだとはねえ・・・」
「そうなんです。それで食糧危機には種の値段を釣り上げて、種のメーカーが大儲けするという仕組みなんですね」
「利権と欲が渦巻いてるねえ。きっと遺伝子組み換えとかも絡んでいるんだろうね」
「ええ。この話を聞いた時に真っ先に聖さんに伝えなきゃ、と思ったんですよ」
「それはそれは、貴重な話をありがとう。まあ今日は安全で美味しい、うちの固定種の野菜を持っていってくださいな」
大地からの恵みは分け合うものだ。
物事は分けあえば余る。奪い合えば足りなくなる。
全く馬鹿げた話だがこれが現実なのだろう。
ここで言っておきたいのはF1種が悪いという短絡的な考えは危険だということである。
それではオーガニックを宗教のように崇めている人となんら変わらない。
オーガニックは確かに正しいかもしれないし、自分がやっている野菜作りもオーガニックだが、こうでなければいけないという考えはボクは嫌いだ。
いろいろなやり方があり、その一つを自分が選択するというのがボクの流儀である。
人間という生き物は美味しいものを食べたいという気持ちが常にある。
なので色々な品種改良をしてきた。
ボクもその恩恵を受けている。
その上に今の食生活がある。
そして品種改良の最終段階がF1なのだろう。
F1の植物には罪はない。
問題なのはそれを利用している人間だ。
すでに市場に出回っている野菜の95%はF1だというので、農家は種子メーカーに依存していると言ってよいだろう。
お金が無くなったら農家は種を買えない。そしてF1主体の農業では種を自家採取できない。
農家が自立できない。お金が無かったら借金してでも種を買わないと成り立たない。
こんな馬鹿げたことをさらに後押しして、固定種の作物の売買を禁止したアメリカ。
さすがアメリカ、やってくれるぜ。バカさ加減もここまで来たら大したものだ。
植物を使って人類をコントロールしようというのが見え見えだ。
でも人間はそれほどバカでもない。
固定種の種を守っていこうという動きもある。
ボクもこの話を聞いた後では、種を買うときもF1種ではなく固定種を買うことだろう。
ボクの庭では固定種の野菜が雑草状態で育つ。
この辺に生えてほしいなあ、と思う所に種をバラバラと蒔く。
雑草状態の良いところは種が勝手に芽を出す。
そのタイミングは種が決める。
出るヤツは出るし、出ないヤツは出ない。種まかせだ。
芽が出たら液肥を蒔き水をあげて周りの雑草を取る。
植物はすくすく育ち、店で売っているのと変わらない野菜ができるというわけだ。
家では1年で20種類ぐらいの野菜を育てているので全ての種を自家採取はできないが、どんどん固定種を増やしていき、全て雑草状態で野菜を育てるのが今の目標である。
全てをやるというのは難しいかもしれないが、目標を高く持ちそこに向かって進む姿勢が大切なのだ。
このへんはヨーガと同じだろう。
庭の野菜達は今日も元気に育っている。
「聖さん、植物の種でF1種って知っていますか?」
「うーん、聞いた事はあるけど知らない。それって何?」
そして彼女はボクが知らない種の話について、とうとうと話してくれた。
F1種とは人間が交配させた種のことで、一世代限りの種のことである。
F1の特長としては大きさや風味が均一の野菜ができる。大量生産や大量輸送、周年供給を可能にする。
まあ平たく言えば野菜を工場で作る工業製品のようにできるというわけだ。
今市場で出回っている野菜の95%以上がF1種らしい。
味の良い野菜と病害虫に強い野菜をかけ合わせれば、味が良く病害虫に強い野菜ができる。
これだけ聞けば夢のような野菜ではないかと思う。
だがF1種は別名『自殺する種子』。この種でできた植物からは種がとれない。
もしくは種がとれたとしてもそれはF2と呼ばれF1でできたものと同じものができない。
これに対し種が普通に取れ、親と同じ野菜ができるものを固定種と呼ぶ。
こちらは植物がその土地や気候に合わせて自然に変化してきたもので、多少人間の力を借りているかもしれないが、植物自身の力で交配し、次の世代から又次の世代へと受け継がれて来たものである。
絶えず選抜、淘汰を繰り返してきて遺伝的にも安定している。
ただ生育時期や大きさが揃わないこともある。スーパーで売るにはちょっと・・・というわけだ。
これを聞いて思い当たる節がある。
庭ではいろいろな野菜を育てていて、そのうちのいくつかは勝手に花が咲き種を撒き散らし雑草状態で育っている。
そのうちの白菜や水菜などは売っているような美味いものが育たない。
水菜は最近こちらでも人気でサラダで食べるのだが、家の水菜は葉が硬くアクがあり生食に向かない。
白菜も同じで売られている白菜は葉の付け根が広くはも柔らかだが、家の白菜は葉が広がって育ち玉にならず、葉はくせがありあまり美味しくない。
大根も根っこは筋っぽく、あまり美味くない。店で売っているようなものができない。
これは先祖返りという減少で、交配してきた植物が元の姿に戻っているのだそうな。
たぶんこれらの野菜は元がF1だったに違いない。
それに対しシルバービートは雑草状態でもぐんぐん育ち、店で売っているものかそれ以上に美味い物が育つ。
シソも同じでシソはコンクリートの隙間からも育ち、今年はシソベーゼを堪能した。今は種がそれこそ鈴生りで出来ている。
カボチャなぞ、コンポストの中から芽を出して、大きな実がいくつも取れた。
その他、ニラ、ネギ、パセリなども順調だ。
きっとこれらは固定種なのだろう。
「なーるほどね。そういうことだったんだ」
「そうなんですよ。で、まだ続きがありますよ」
「何?」
「最近ではこのFI種以外の作物の販売を禁止する法律がアメリカで決まったそうなんです」
「あーあ、やっちゃったか、アメリカ・・・。馬鹿な国だと思っていたけど、そこまでおバカさんだとはねえ・・・」
「そうなんです。それで食糧危機には種の値段を釣り上げて、種のメーカーが大儲けするという仕組みなんですね」
「利権と欲が渦巻いてるねえ。きっと遺伝子組み換えとかも絡んでいるんだろうね」
「ええ。この話を聞いた時に真っ先に聖さんに伝えなきゃ、と思ったんですよ」
「それはそれは、貴重な話をありがとう。まあ今日は安全で美味しい、うちの固定種の野菜を持っていってくださいな」
大地からの恵みは分け合うものだ。
物事は分けあえば余る。奪い合えば足りなくなる。
全く馬鹿げた話だがこれが現実なのだろう。
ここで言っておきたいのはF1種が悪いという短絡的な考えは危険だということである。
それではオーガニックを宗教のように崇めている人となんら変わらない。
オーガニックは確かに正しいかもしれないし、自分がやっている野菜作りもオーガニックだが、こうでなければいけないという考えはボクは嫌いだ。
いろいろなやり方があり、その一つを自分が選択するというのがボクの流儀である。
人間という生き物は美味しいものを食べたいという気持ちが常にある。
なので色々な品種改良をしてきた。
ボクもその恩恵を受けている。
その上に今の食生活がある。
そして品種改良の最終段階がF1なのだろう。
F1の植物には罪はない。
問題なのはそれを利用している人間だ。
すでに市場に出回っている野菜の95%はF1だというので、農家は種子メーカーに依存していると言ってよいだろう。
お金が無くなったら農家は種を買えない。そしてF1主体の農業では種を自家採取できない。
農家が自立できない。お金が無かったら借金してでも種を買わないと成り立たない。
こんな馬鹿げたことをさらに後押しして、固定種の作物の売買を禁止したアメリカ。
さすがアメリカ、やってくれるぜ。バカさ加減もここまで来たら大したものだ。
植物を使って人類をコントロールしようというのが見え見えだ。
でも人間はそれほどバカでもない。
固定種の種を守っていこうという動きもある。
ボクもこの話を聞いた後では、種を買うときもF1種ではなく固定種を買うことだろう。
ボクの庭では固定種の野菜が雑草状態で育つ。
この辺に生えてほしいなあ、と思う所に種をバラバラと蒔く。
雑草状態の良いところは種が勝手に芽を出す。
そのタイミングは種が決める。
出るヤツは出るし、出ないヤツは出ない。種まかせだ。
芽が出たら液肥を蒔き水をあげて周りの雑草を取る。
植物はすくすく育ち、店で売っているのと変わらない野菜ができるというわけだ。
家では1年で20種類ぐらいの野菜を育てているので全ての種を自家採取はできないが、どんどん固定種を増やしていき、全て雑草状態で野菜を育てるのが今の目標である。
全てをやるというのは難しいかもしれないが、目標を高く持ちそこに向かって進む姿勢が大切なのだ。
このへんはヨーガと同じだろう。
庭の野菜達は今日も元気に育っている。