あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

エネルギー

2012-07-31 | 日記
エネルギーと一口に言ってもいろいろある。
電力もエネルギーだ、石油だってそうだ。
お金もエネルギーだし、重力エネルギーというものもある。
食べ物もエネルギーであれば、水だってそうだ。
そもそも人間だってエネルギーの塊なのだし、動物、植物、虫、魚など全ての生き物はエネルギー体なのだ。
このように目に見えるエネルギーや物質化されたエネルギーもあるが、目に見えないエネルギーもある。
人の目には見えなくとも感じられるエネルギーはある。
ボクは山歩きが好きで、よく山へ行くのだが、原生林が持つ自然のエネルギーを感じる。森の『気』である。
これは森林浴という言葉がある通り、人間も感じられる。
「すがすがしい」「さわやか」という言葉で表されるが、何てことは無い、人間が森の気を受け取っている証拠だ。
ちなみに『気』という言葉は全て宇宙に繋がる。
天気、空気、大気、水蒸気、気体、気圧、元気、やる気、覇気、精気、気力。
ポジティブなものだけではない。
病気、邪気、怒気、鬼気、悪気、浮気、短気、損気などなど、全て宇宙につながっているのだ。
人間も気を持っている。気が高まると元気になる。人生はバラ色で全てが上手くいく。
食べ物は美味しく、身体は健康。表情はやる気にあふれ、常に笑顔が絶えない。いい事尽くめですな。
気が低くなると、イライラして病気がちになり、やる事なす事全てが裏目に出て、お先真っ暗。
マイナスのスパイラルに入るとはこういうことだ。

人のエネルギーが低くなると、なんとかエネルギーを取り入れようとする。
本来はエネルギーは自然からいくらでもいただけるのだが、自然との繋がりが途切れていると他人からエネルギーを奪うようになる。
エネルギーを人から奪うと奪われた方は疲れる。
「何故か分からないけどあの人と一緒にいると疲れる」
そういう時はエネルギーを奪われているのだ。
奪われる方はそれに対して相手から奪おうとする。
お互いにエネルギーを奪い合うと、その場の雰囲気はギスギスしたものになり、口論、ケンカ、争いになることもよくある。
人間同士の諍いは全てエネルギーの奪い合いなのだ。
エネルギーを奪った方は貪欲にエネルギーを求める。
どんなに奪っても満足することはない。相手の持っているエネルギーを全て奪おうとする。
本来エネルギーは人から人へ流れていくものだが、奪うというやり方でエネルギーを得るとそれを全て独占しようとする。
人にはそれは回さない。自分の所で溜め込む。
だがどんなに貯めても満足することはない。
この人からエネルギーを奪えないと分かるとターゲットを変えて別の人からエネルギーを奪おうとする。
お金もエネルギーだということが分かるでしょ?
ただしエネルギーを奪う人は無意識のうちにやっているので本人は気が付かない。
対処法としては、はっきりと「あなたはそうやってエネルギーを奪っています」と教えてあげることなのだが、連鎖関係がある場合はなかなかそうもいかない。
ヤクザにそんなことを言っても「なんだ、この野郎」と殴られてしまうのがおちだ。
そういう場合は物理的な距離をあける。近寄らないに越した事は無い。
仕事場や家庭、その他でエネルギーを奪う人と接しなくてはならない時もある。
マッサージをする人は、悪い気をもらってしまうなどという話を聞く。
そういう時は心に殻を張るイメージを作る。
自分を守らなくてはならないし、一方的にエネルギーを奪われるのはエネルギーの無駄遣いだ。
そのエネルギーは独占されてどこにも行かないのだから。ムダだ。
そして自分は宇宙や自然と繋がりそこからエネルギーをいただく。
具体的には、瞑想、ヨーガ、気功、散歩、森林浴、昼寝など。
そして常に自分を高めるイメージを持つ。

さてエネルギーは人から人へ移るものだが、奪うのとは別に流れるという事もある。
この場合は奪われるわけではないので誰も疲れない。
場にはほのぼのした雰囲気が流れ、争いごとは生まれない。
人に優しくできる、いわゆる愛の世界がこれだ。
自然であれ人であれエネルギーをいただいたら、それを溜め込むことなく他人に回す。
関わる人が全てハッピーであり、他人の幸せは自分の幸せで、自分の幸せは他人の不幸の上に立たない。
よって勝ちとか負けという概念はない。
競争は互いを高めるための競争であり、足を引っ張り合うような競い方もない。
ワンネス、全ては一つ。上も下も無く、右も左もない。
自然と繋がっていればエネルギーはそこからいくらでもいただけるので、他人から奪う必要がない。
これがエネルギーが理想的に流れるということである。

だが現実を見れば、金と権力に踊らされている人はまだまだいるし、人々はエネルギーを奪い合っている。
ではどうやって人は他人からエネルギーを奪うのか、それは次回のお楽しみ。

続く
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7月28日 Broken River

2012-07-29 | 最新雪情報
6月の記録的な大雪の後、降雪は数えるほどしかなく、7月半ばには大雨が降った。
どのスキー場も下部は雪が少なく、上部を中心に滑る状況である。
ブロークンリバーは26日に2cmの降雪があった。
固いバーンの上にうっすらと雪が積もった状態だ。
アクセストー付近はガチガチに凍ったアイスバーン。ボード初級者にはお勧めできない。
上部には雪はあり、アランズベイスンもオープン。ただし雪はかなり固いので上級者のみ、といったところだ。


パーマーロッジに朝の光が差し込む。赤ん坊が這い回り、大人はそれをみて微笑む。ここはとことん平和だ。


クラブフィールドも進化をする。今年はパーマーロッジのトイレにハンドドライヤーがついた。


メインベイスンには雪は充分にある、ただし固い。


アランズの奥に行くのにはスキーを脱いでハイクが必要。


アランズベイスンを滑る。予報では次の降雪は月曜日だ。


7月も終わりに差し掛かると、パーマーロッジに日が当たる時間も長くなる。


アランズからの帰り道はかろうじて雪があり、スキーを脱がなくても戻ってこれる。


午後になりゲレンデは影になり、怪我人も出た。こうなるとパトロールも忙しい。
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自分の責任

2012-07-26 | 日記
数日のツアーから帰ってくると庭が荒れていた。
いつものことだがボクが仕事で出ると、犬のココがさびしくなるのか、いろいろといたずらをする。
ラブラドールの1歳というのはまだ子供なのだそうで、とにかくいたずらをする。
「ここ掘れワンワン」の言葉どおり、あちこちを掘り返す。
芝生に穴もあけるし、畑も掘る。せっかく植えた野菜も掘り返してしまう。
「ここは掘るなって言ってるだろ!」と叱っても、その時はクゥーンと申し訳なさそうな顔をするが、又やる。
小さな苗をプランターに入れて育てようものなら、すぐにココの餌食だ。
いたずらは一人というか1匹で家に居る時にする。さびしんだろうな、きっと。
そして大きなことは、たいていボクが家を留守にする時にやる。
以前ツアーの最中に、ニワトリエリアに侵入してニワトリを殺してしまったこともあった。
そして今回もやってくれた。
かなり大きな植木鉢でブナの木を育てていたのだが、それがやられた。
夏の間、ボクは家を留守にすることが多かったのだがブナは無事だったので、これは大丈夫だろうと思っていたが、犬が成長して力をつけたのか、植木鉢はひっくり返され木は根っこをむきだしにされて庭に転がっていた。
この木は去年から育て始め、1mほどの高さになり、「さてどこに植えようか」などと考えていたところだった。
ボクは嘆き悲しんだ。
愛していた植物は動物のペットと同じだ。
そこに命というものがあるだけで、ボクには動物も植物も同じである。
そして怒りが湧き上がった。
「このバカ犬~」
こぶしを握り締めた。
だがそこで犬を叩いても犬は何故叩かれるのか理解できない。
犬にとっては、そんなことは遠い過去の話だ。
だが怒りは収まらない。やり場の無い怒りにボクはこぶしを握り、歯をくいしばった。
怒りは犬も感じたのか、頭を下げ申し訳なさそうにクゥーンと鳴いた。

こういう時は頭を冷やすに限る。時間が必要だ。
しばらく家の仕事をやっているうちに冷静さを取り戻した。
再び庭へ出ると相変わらず木はそこに転がっていた。
心は痛んだが、まだ死んだと決まったわけではない。
だがこのまま放っておいたらこの木は間違いなく死んでしまう。
自分にできることをしよう。
堆肥を作って掘り起こした手ごろな穴があった。
サイズといい場所といい、おあつらえ向きだ。
穴に土を入れ、木を植え、水をあげた。
ココに掘り起こされないよう、その上に厚く落ち葉をしきつめた。
作業の横でウロウロしているココの首根っこをつかまえて目を見て言った。
「いいか、この木は掘るなよ。分かったか」
そして木に向って手を合わせ拝んだ。
自分がやることはやった。
あとは生きるも死ぬも木が決めることだ。
どちらの結果が来ても、ありのままの現実を受け入れよう。
今までは漠然と、今飼っているニワトリが死んだら穴を掘って埋めてその上にこの木を植えよう、と思っていたが、こういうことが起こったのでニワトリはまだしばらく死なないのだろう。
怒り、悲しみといった感情はすでにない。
それよりも新たな思いが浮かんだ。
これも自分の責任である。

目に見える現実だけ見れば、犬がいたずらをした。悪いのは犬だ。
そこで善悪というもので決め付けてしまうことに問題があるのではないか。
現実は現れ実るものである。
全ての結果には要因がある。
要因は見えることもあれば見えないこともある。
だが常にその一部は自分の責任である。
自分の心の現れが現実となって起こる。
例えば今問題となっている原発。
表面だけ見れば悪いのは電力会社であり、メディアであり、政府である。
だがその政府を作った政治家を選んだのは自分達だし、こういうメディアを見てきたのも自分達であり、電力会社に依存する社会にしたのも自分達だ。
ついでに言えば今、世界で起こっている戦争だって自分達に責任はある。
「自分はこの政治家に投票をしていない」
「自分は原発に反対をしてきた」
「自分はメディアを信用せず、テレビを見なかった」
「自分は反戦運動をしてきた」
それはそれで立派だが、だからといってそれで責任が全くなくなるわけではない。
全ては自分を含む全人類の責任なのだから。
自分一人だけ『良い子』でいるわけにはいかないのだ。
極論が好きな人はこう言う。「じゃあ俺が悪いって言うのか?」
そうは言っていない。
誰が悪く誰が善いという問題ではないのだ。
ワンネス、全ては一つという概念の中で、各個人に責任があることに気が付くべきだ。
気をつけなければならないのは、責任があるからと言って罪悪感を持たないこと。
罪悪感は人間が持つ感情で一番エネルギーが低いものだ。
ボクは悪くない、あなたも悪くない、犬も悪くない、政府もメディアも電力会社も悪くない。
善悪という観念ではなく、愛の法則に気が付いているかどうか。
愛の法則に気が付いていない人は悪ではない。
そういった人もいずれは気が付くはずだ。
ただし罪が大きければ大きいほど、気が付くために痛い目に会うだろう。
そして今世では気づかないでそのまま死んでいく人もいる。
バカは死ななきゃ治らない、というヤツだ。
そういう人は来世ではそのカルマを背負って再び同じことをやりなおさなくてはならない。
いや、ここで罪をつくればその分カルマは大きくなる。
可哀そうに。ボクは同情するが、それは自分で選んだ道だから仕方ない。

原発に反対するデモで17万人が集まったと聞く。
多分ボクも日本にいたら参加すると思う。
ただ集まる人の意識が「政府、メディア、東電=悪」では敵を作り続ける今までの意識の構造となんら変わらない。
純粋に自分の、家族の、全人類の生活を守るために、意思表明をする。
『○○が悪い』というのでなく『自分はクリーンなエネルギーを求める』という思いが根底にあるべきだ。
印象に残った写真では、雨の日にデモに参加した女性が、バリケードを張る警察官に傘をさしてあげている絵だった。
欧米のデモでは考えられないことだろう。
これだけの人が集まれば暴動になることもありうる。
いや、心の根底に対立があれば間違いなく暴動となり、多くの人が傷つくだろう。
だが日本のデモはあくまで平和的であり、日本人の精神性の高さを示している。
本当の侍は武器を持っていながら、それを無闇に使わずできるだけ争いを避ける道を探す。
この精神性の高さこそ日本が誇るものである。

政治家、メディア、官僚、原子力村、といった人達は悪ではない。
悪ではないが腐りきっていることは確かだ。
腐った膿は出してしまわなければ、治らない。
ただこういった表面に出ている膿の奥には、それを操っている人達もいる。
そういった人達は表には出てこない。当然ながらマスコミにだって出ない。
なぜならそれはボクも含めた全ての人の心の奥に潜んでいるのだから。
それはエゴという固い殻で護られている。
その殻を崩すのは自分だ。
自分の心の中心に灯る火を明るく燃やしていけば、闇はなくなる。
全ての世界で起こっている出来事を他人事としてとらえず、自分にもその責任の一環はあると自覚すること。
全ての物事を感情に振り回されることなく、肯定的に受け止め、その瞬間ごとに自分ができることをやる。
それがこれからの世界を救う道なのだ。

ボクはブナの木を見ながら漠然とそんな事を考えた。
そして近くにいたココに言った。
「さっきは怒ってごめんな。おかげで大切なことに気が付いたよ。ありがとう。でも大切な野菜を掘り起こすのはやめておくれよ」
犬は、そんな事知らん、という顔でボクを見た。





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一人暮らし

2012-07-17 | 日記
ここ2週間ほどボクは一人暮らしだった。
娘の冬休みに合わせ女房と娘は日本へ里帰りをした。
久々の一人暮らし、たまには街へ飲みに行こうか、とか考えたが蓋を開けてみればほとんど外に出なかった。
外食もするかなとも思っていたが、友達宅に夕食に招かれたのが1回。
この前の木曜は友達の小僧がホテルカリフォルニアを弾き語りでステージで演奏するのを見に行き、帰りに一人でラーメンを食べた。
ラーメンは不味かったが、ライブは素晴らしかった。
わずか7歳でギターソロをやる小僧。ボクは感動で涙があふれた。
その時の様子がyoutubeで見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=EotgmRqju68
今度はこの親子とセッションをしたいな。
あとは中華のテイクアウェイを1回。
外食はその3回だけだ。
友達を家に招いて飲んだのが3回。
とまあ、かなり規則正しい生活を送っていた。

女房と娘が旅立った後、彼女達の物を全て仕舞った。
あとは自分の物だけ。
自由に空間を使えるというのは気持ちがいい。
一人というのは自由である。
自由の裏には責任もある。
服を脱ぎ散らかしても、部屋が汚くても、誰も何も言わない。
それを片付けるのも自分だし、散らかすのも自分だ。
山での単独行のように、全てを自分の責任でやるというのはある種の緊張感もある。
こうしてボクは一人暮らしを楽しんだ。

娘と女房が日本へ帰るのは3年ぶり。
娘は2週間、日本の女房が通っていた小学校へ体験入学をした。
最初は慣れなくて落ち込んでいたが、帰るころには学校が楽しいと言っていた。
週末にはボクの実家に行き、従兄弟達とも会って楽しい時を過ごしたようだ。
ボク自身は6年前にスキーの関係で日本に帰ったきりである。
子は親の鏡なので、深雪の立ち振る舞いを見れば、ボクがどういう信条でどういう生活をしているか分かるだろう。
なのでボクは帰らなくてもいいかな、などと思った。
その間、毎日のように仕事もあったし。
元気な顔を見せるのも親孝行だろうが、自分がこの地で毎日を明るく楽しく正しく生きるのも親孝行だ。
自分の生き様は子供に伝わり、子供の人格の一部となる。
親バカだが、娘は人間として大切な事を分かっていると思う。
人から奪うのではなく、人と分け合うということが自然にできる。
人の喜ぶ顔が自分の幸せと感じられる人だ。
こういう孫を見れば、親も安心することだろう。

そして昨日、家族が帰ってきた。
家も綺麗に掃除をして、僕は家族を受け入れた。
久しぶりにみんなで食べるご飯は美味しいし、日本のお土産話にも花が咲く。
家族がそろうということはこれまた幸せなことだ。
「家族が戻るという前提があるから一人暮らしがいいんでしょう?」
という声がどこからともなく聞こえる。
確かにそれも道理だが、それを全て受け入れると依存にならないか。
ボクがこの2週間、家族に望んだことは、久しぶりの日本滞在を楽しんで欲しい。純粋にただそれだけだ。
娘にも電話で言った。
「お父さんがお前に望むことは、短い日本の生活を楽しんで欲しい。オマエが楽しむということが一番大切なんだよ」
そしてボクはボクで一人暮らしを楽しんだ。
「もし家族がいなくなって一人になっても楽しめるか?」
という問いをする人がいるが、それにはこう答えよう。
今は家族が元気にいる。それが一番大切なことであり、いなくなることを前提にボクは考えない。
もしそういう事が起こったら、その時はそれを自分の責任として受け止め、前向きに生きるだろう。
いなくなる、という恐怖を持つよりも、今ここにある幸せを僕は感じていたい。
いずれ娘も家を出ることだろう。
その時は、自分の近くにいようが遠い外国に住もうが、毎日を明るく楽しく正しく生きることを望むだろう。
自分は子供に依存しないで自立した老人になり、ある日ポックリと死ぬ。これが僕の目標だ。
そしてこうなればいいな、という想いは実現することをボクは知っている。

娘は今日から学校へ行き、女房は仕事へ行く。
当たり前の日常がまた始まるのだが、その当たり前の事がしあわせなのだ。
故に全ての物事に感謝。
ありがたやありがたや、なのである。



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キウィスピリッツ

2012-07-12 | ガイドの現場
「キオラ」
ボクは元気よく挨拶をした。
「そうか、ここはキオラだったよな」
50代半ばのおじさんが、はにかみながら握手をしてきた。
こうやってボクの冬の仕事が始まった。
今回のお客さんはニュージーランド人の家族。
お父さんは北島ハミルトン、お母さんは南島ゴアの出身。
そしてティーンエイジャーの娘が二人。
彼らは香港に住んでおり、その前はインドにも数年間いたそうな。
両親は生まれも育ちもニュージーランドだが、娘達は香港とかインドで過ごした時間の方が長いという。
お父さんが何の仕事をしているか知らないが、だいぶお金持ちのようだ。
というのは、家族全員に専属インストラクターをつけてプライベートレッスン、それが滞在の期間、今回は10日間ずーっとである。
家族はクライストチャーチに滞在して毎日ポーターズへ通う。ボクは専属のドライバーだ。
お昼はインストラクター達や僕もカフェで、毎日好きなものを食べさせてくれる。
初日、スキー場に行く途中でスキーショップに立ち寄り娘のスキーウェアー上下を定価で買う、といった具合である。
娘には新品のウェアーをポンと買うのだが、親父は20年ぐらい前のセーターを平気で着ている。
しかも背中は大きくカギ形に破れている。
そこだけ見ればキウィのローカルファーマーだ。
ボクはそのセーターを見て、いっぺんでこの親父が好きになってしまった。
家族は毎年この時期、ここへ滑りに来る。
クィーンズタウンにもマウントハットにも行ったが、ポーターズが一番気に入り、毎年ポーターズへ来る。
スキー場にとっても上得意さんというわけだ。



ボクの仕事はドライバー。なのでスキー場に着いたらフリーである。
家族にはそれぞれインストラクターが付くのでボクがやる事は何も無い。
パウダーの時は当然滑るし、山頂でまったりしたり、ハイクアップをして奥を滑ったり、といった具合だ。
カフェで好きな時に好きなものは食べられるし。最高に美味しい仕事である。
天気は雪が降って1日クローズになったが、それ以上はこれでもかというぐらいに晴れが続いた。
朝一番で山に上がり朝日に向って拝む。今日1日良い1日でありますように、家族が怪我などしないでスキーを楽しめますように。
そして景色を見てぼんやり。時には山頂に本を持ってくることもある。
Tバーを降りて数分歩き山の裏側へ行けばさらにパノラマが広がる。
わずか数分でこんな景色のところへ来れるのがこの山のいいところだ。
遠くにはクライストチャーチも見える。
こちらから向こうが見えるということは、向こうからこちらが見えるという事である。
6月の頭に、犬を連れて近所の公園からこの山を見て「あと1ヶ月もすればあそこにいるんだな」と思った。
そしてボクはこの山に立つ。
裏側の方へ少し下れば、スキー場の音は全く聞こえず、静寂という最高のシチュエーションに身を置く事ができる。
こんな所での読書はたまらない。
ゲレンデの方へ戻ると顔見知りのパトロールが朝の仕事を終えて一息ついていた。
こういうタイミングでおしゃべりをするのも好きだ。
そうしていると家族が上がってきたので写真を撮ってあげる。
ぼくにとってはどうってことないサービスだが、家族は皆喜んでくれた。
自分に無理なく相手の喜ぶことをしてあげる、というのが本来のサービスの姿だ。
その根底は愛だ。
この根底が一歩ずれると同じ事をしても、媚を売る、となってしまう。



家族の朝は早い。朝型のボクにはおあつらえ向きだ。
7時ごろまだ暗いうちにクライストチャーチを出る。
車を走らせるうちに明るくなってきて、朝日を受けてピンク色に染まる山に向って行く。
隣に座った親父が言った。
「いいなあ、素晴らしい朝じゃないか」
親父がワクワクしている気持ちが伝わってくる。
親父は昔、ケービング(洞窟の中を歩くこと)などもやっていたという。
奥さんと一緒にルートバーンを歩いてみたい、などという話もでる。
当然ながら車内でも話は盛り上がる。
価値観が同じような人とは話が早くて良い。
スキー場に着き1日滑り、午後の早い時間に山を下る。
モーテルへ彼らを送り届けて終了。4時過ぎに終わる。
家へ帰ってすぐに犬の散歩だ。マウンテンバイクで近くの公園へ行く。
さっきまであの山の山頂にいたんだな、と思い山を見る。
こういう景色の見方は楽しい。
地球の上で生きているんだな、と強く感じる。
西の山に日が沈むのを見ながらボクは手を合わせる。
今日という素晴らしい日に感謝。



以前クィーンズタウンでのスキーツアーで働いていた時の話である。
アメリカの典型的な金持ちのお客さんで、ボクの仕事は空港からホテルへの送迎だった。
4人のグループにでっかいスーツケース10個以上。
「一体あんたたちゃ、何を持ってきたの?」というぐらいの荷物の量だった。
ホテルへ着くと、『それを誰かが運ぶのが当然』という態度で中へ入っていった。
こういう人達と心は繋がらない。
金持ちが全てそうではない、と分かっていても、自分の中の金持ちに対する偏見は消えなかった。
今回の家族はそういう意味で、ボクの心の殻を一つはがしてくれた。
奥さんが、荷物が多くて大変そうなので手伝うと言っても、「いつもこんなのは自分でやってるから大丈夫」と自分で運んでしまう。
スキー場のカフェでも、混んでいて人手が足りなくテーブルに食器が残っているような時に、奥さんがそれを片付けているのをよく見た。自分達のだけでなく、誰か他のお客さんの所の片付けもするのだ。VIPなのに・・・。
家族が泊まるのはどこにでもある郊外のモーテル。
聞くと自炊をしていると、そして娘の一人はベジタリアンなのだと。
それなら家の野菜をたべてもらわなきゃ。
次の日にボクはシルバービート、メキャベツ、ネギ、カボチャをプレゼントした。
自分に無理なくできることで、喜んでもらう事をするのが愛だ。その見返りは一切期待しない。
純粋な気持ちでこの人達に、美味しいものを食べて欲しい。そこが芯だ。
案の定、野菜は大変喜ばれた。
お客さんハッピー、ボクハッピー、野菜ハッピー。幸せのバイブレーションである。



ある時、ボクは親父に言った。
「そのセーターいいね。ベリー・キウィだ」
親父は側にいた娘に言った。
「ほら見ろ。こういうのが好きな人だっているんだぞ」
きっと普段は娘達に「お父さん、そんな破けたの捨てて新しい服を買えばあ」などと言われているんだろうな。
このことに関しては親父と車の中で話をした。
ニュージーランド人の良い点で、使えるものを直していつまでも使う、というものがある。
たぶん開拓の地なのでそういう流れは自然にできたのだと思う。
25年前、初めてこの国へきた時にボロボロの車が多い事に驚いた。
昔は車が高かったというのもあるが、塗装がはげているのなんて当たり前。穴があいている車も普通に走っていた。
車を道具として考えたら、走って曲がって止まればいいのである。
ちょっとぐらいへこんでいたって、機能に差支えがなかったら何の問題もない。
服だって街を歩いている人が破けた服とか穴が開いているのを平気で着ていた。
貧乏とかそういうのではない、着れるから着る、使えるものは使うという、いたってシンプルな考えだ。
日本から来たボクにはカルチャーショックだった。
物は質素だが、何かほのぼのとした居心地の良さを感じた。
時代は流れ、この国の人達の意識も変わりつつある。
最近は中国製の安い物も大量に出回り、この国も大量消費の波に呑まれようとしている。
街を走る車を見ればピカピカだし、洗車カフェ(人に車を洗ってもらい、その間はカフェでお茶をする)なんてこの国では流行らないだろうと思っていたが、結構人気がある。
ディスカウントストアへ行けば、物を直すより安い値段で新品が買える。
だがそんな中でも、昔からの機械を大切に使い続ける人達もいる。
クィーンズタウンの看板でもあるアーンスローという蒸気船は今年百歳を向かえた。
百年前の機械を丁寧にメンテナンスをして現役で使い続ける。
根底にあるのは愛だ。愛が無ければこんな事はやっていられない。
ボクが行くクラブフィールドも昔の機械をそのまま使い続けている。やはり芯は愛だ。
物があふれている世の中で、使えるものは使い続ける精神。
これこそ精神性の高さの証ではなかろうか。
ボクはこれをキウィスピリッツと呼ぶ。



全ての仕事が終わった後にチップをいただいた。
封筒には簡単なメモが添えてあった。
その最後にローマ字でアリガトウゴザイマスと記されていた。
親父と車の中で言語の話になった時に、彼が言った
「ありがとう、という言葉は全ての言語に共通して、一番大切な言葉なんだよ」
その言葉が心に残る。
ボクは家に帰り、ビールを開けた。
お客さんが喜んでくれて、自分が納得のいく仕事の後のビールが一番旨い。
「ありがとうございます」
ボクは家族に、太陽に、大地に、世界に向ってつぶやいた。
こういう仕事もいいものだ。




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7月10日 Porters

2012-07-11 | 最新雪情報
晴れた日が続く。
この日はポーターズのスタッフバスのドライバーをした。
朝のオープン前から、クローズ後の片付けまでつきあった。たまには違う視点でスキー場を見るのもいい。


トモの無線を受けた山頂パトロールがコースの状況をホワイトボードに書き込む。


そしてコース整備。パトロールの大切な仕事である。


地元の小僧達がビッグママへ向う。彼方にポートヒルが見える。


山は晴れても街は曇りだったが、今日は街も晴れた。


山頂に特設そりコースができていた。


パトロールがこういうことをやっていると、日本では「遊んでいる、不真面目だ、けしからん」と言われる。
ここでは皆が笑顔で「よくやった、良い仕事をした」と誉めてくれる。


ローカルの親父が、長いマットをわざわざ下から持ってきて二人乗りリュージュになった。
そのうち親父も一緒に乗って3人乗りとなった。


夕方になって高層雲がでてきた。天気はゆっくり下り坂だ。
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7月8日 Brokn River-Craigieburn

2012-07-08 | 最新雪情報
ホームでの初滑りである。
はてさて今年はどんな年になるのだろう。
雪は固く締まっているが無風快晴だ。
古い友達のマリリンに出会い、クレーギーバーンへ誘われ、半日バックカントリーツアーへ出かけた。


リンドンロッジの名前の由来のレイクリンドンも今年は凍った。


パーマーロッジに朝の光が差し込む。


ボクが世界で一番好きな山小屋はここだ。


この時期は日が低く、お昼すぎにパーマーロッジは影の中に入ってしまう。


あまりに絵になるので黙ってモデルになってもらった。


おばちゃん2人と登り始める。


マリリンが岩場を歩く。60を越えてまだまだ元気。


山頂が見えてきた。


ハミルトンピークの山頂は久しぶりに来た。今年は風車ができていた。


ハミルトンフェイスを上から滑る。この場所からだと駐車場も見える。車の入りはBRと同じくらいか。


マリリン滑る。まだまだ元気。


他では見た事が無い、曲がったリフトも健在。


クレーギーバーンの主、ニックも年を重ねた。その分、子供が育つ。


BRに戻り、帰りはグッズリフトで。


グッズリフトが通り過ぎる時、歩いて下った老メンバーが笑いながら手を振った。
ここの老人達からはいつもエネルギーをもらう。
自分も年を取ったらこういう人になりたい。
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7月3日 Porters

2012-07-03 | 最新雪情報
この日は天気予報では崩れるはずだったが、何とかもった。
だが昨日までの高気圧が東にそれて、この時期には珍しく東側から風が入ってきた。
山頂付近は風が強く、その場でゆっくりする気にはとてもならない。
昨日までの書斎はクローズ。他を探さねば。
コンディションがよければハイクアップをしようと思っていたが、アリソンピークはモロに風を受けて雪が飛ばされているのが見える。
パトロール見習いのトモが、ビッグママへのキャットトラックの石拾いをする、というのでついていった。
トモはパトロールになりたくてここにやってきた。ボランティアパトロールで只今修行中。
ボクの感想は「おっ、久々に生きのいいのが入ってきたぞ」というものだ。
キャットトラックには小石が散らばって落ちている。とてもじゃないが全部拾うなんて無理、というくらい落ちている。
なので普通に通れる所はとばして行く。ここは石があって当たり前なのだ。皆が当たり前だと思っていればクレームはない。
おしゃべりをしながらボクも一緒に石を拾う。拾うそばから、上から小石が落ちてくる。
でもなぜか楽しい。全然苦痛ではない。こういう仕事は楽しいのだ。ポカポカ陽気で。風も無く。
そこで気が付いた。
風が止んでる。
今でもアリソンピークは風が強いのが見えるが、こちら側はどういうわけか無風快晴である。
たまにはここもいいだろう。というか、ここだ。
連日の快晴でビッグママは雪が固いのがみんな分かっているので、人はほとんど入ってこない。
雲と山を見ながらボケっとするのには今日のポーターズでは最高の場所だ。
向かいのアリソンピークには昨日キヨミちゃんとストーニーと登った。
山頂で写真を撮ろうとしたら、メモリーカードがないことに気が付いた。
昔に比べたら軽くなったとはいえ、ちゃんとしたカメラも使えなければ単なる重石だ。いい教訓だ。
なので昨日の写真はない。
その前日は一人で登った。
こういう所にいると時間の密度が濃すぎて、二三日前の出来事が遠い昔のような気になる。
お腹一杯景色をいただいた後は、固いビッグママを滑り降りた。
昼食後に読書でもしようと本を持って戻ってきたが、その時は風向きが変わって『今日の場所』もクローズだった。
読まない本も重石になることに気が付いた。次は文庫本にしよう。


この場所は太陽の加減で、雲に影が映るブロッケン現象が出やすい。


湖も雲の下に隠れた。


ここはこんな日でもクライストチャーチは雨だ。


生きのいいヤツが仕事をする。


『今日の場所』雲海を見ながら、というのが又良し。


『今日の場所』からアリソンピークを正面に見る。
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7月1日 Porters

2012-07-01 | 最新雪情報
晴れが続く。
ありがたいことだがそろそろ一降り欲しい頃だ。
人間とは欲張りなものだな。
12年ぶりに新品のスキーブーツを買ったので、足慣らしにアリソンピークまでハイクアップをする。
インバウンド・バックカントリーツアーだ。
パウダーの時なら「それ、急げ」というハイクアップだが、今回はひたすらのんびりダラダラ登る。
アリソンピークは1998m。
ポーターズの境界がここだ。今のところは。
というのはこのスキー場には大きな開発のプランがあり、スキー場の規模は倍以上になりゴンドラとか6人乗りのリフトを架けると言う。
麓にはホテルやお店などビレッジをつくる、いわゆるリゾートのプランがある。
ボクは新潟のアライというリゾートで、いかに人間というものが素晴らしい山を台無しにしたか知っている。
これを読んでいる人は勘がいいと思うので、ボクが何を考えているかだいたい分かるだろう。
なのでこれ以上書かない。


どれ、あの山にでも登ろうか。


山の向こうはクリスタルバレー、広大なパウダーバーン。ここにゴンドラやリフトがかかるそうだ。


パトロールがピットを掘ってデータを取っていた。


そしてシャベルテスト


プチバックカントリーツアーの締めはシュートを下る。結構な斜度だ。


結構な斜度である。





パトロールが雪崩犬を連れてTバーに乗っていった。
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