あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ケチがつく日

2014-04-30 | 日記
こんなブログを書いていると、自分はいつもポジティブで明るく迷いなど一切なくいい事ばかりの人生などと思われるようだが、そんなことはない。
たまには、面白くない事、つまらない事、イヤな事、腹が立つ事、ネガティブな事、暗い事、そんな日もある。
そんなうらみつらみなどは書かないだけだ。
今回はネガティブな話で毒を吐かせてもらう、イヤな人はこの先読まない方がいい。

昨日は朝から大雨で庭も水びたしで庭仕事もできず犬の散歩にも行けなかった。
ケチの付け始めはマヨネーズの失敗から。
僕は自分の所の卵でマヨネーズを作るのだが、今回は見事に失敗、分離してしまった。
お酢も油も塩もコショウもちゃんとした物を使っているので不味いわけではないが、味としてはドレッシングのそれだ。
マヨネーズという物は油と水分という本来混ざらない物を混ぜる事によって独特の味になる。
これを乳化というのだが、これがうまくいかない時がよくある。
分離した段階で対処の仕方もあるのだが、それも失敗。
ポテトサラダなんかにはこのままでもけっこういけるし、ドレッシングとしては美味いが、作りたかったのはマヨネーズだ。
2回失敗が続くと3回目もうまく行かないのではという気になる。
なので頭を冷ますのも兼ねて放置。
対処は後から考えることにした。

買い物に行けばお目当ての品物は売り切れか置いていない。
5つお店を回ってイヤになった。
長靴を履いて庭に出れば、穴が開いていて足が濡れる。
極めつけは犬のココがやってくれた。
大雨の中、買い物から帰ってくると鶏コーナーの扉が開いている。
普段なら人が行くと餌をもらえると思ってニワトリ達が寄って来るのだが、その姿が見えないぞ。
中に入ると巣箱の中でガタガタ震えている鳥達を発見。
ひいふうみいよお、あれ、一羽足りないぞ。
庭の片隅で無残な死体発見。
あーあ、やってくれたか。
これで何回目か。
ニワトリ6羽のうち、最近は卵を3つぐらいしか産まなくなってきたので、産まなくなったやつを締めようとは思っていたが・・・。
こうやって犬に襲われるとショックで産んでいた鳥も産まなくなってしまう。
いつも鶏が襲われるのは雨の時だ。
ココの頭に拳骨を落とすと、済まなそうな顔をして犬小屋の中に入っていった。
鳥を自分できれいに絞める場合と、かみ殺された場合では気持ちの持ち方が違う。
死体は首の周りだけかじられたようなので、雨が上がったらきれいにして、食べてあげよう。
これも宿命、きれいごとだけではないのだ。

友達と電話で話せば、知り合いのイヤな話になってしまう。
今回は大雨で街の一部は浸水もしてニュースにもなった。我が家の周りは全く被害は無かったが。
気持ちがささくれ立っている時に友達から『大丈夫?』などとメールが来ると、『心配してくれてありがとう』ではなく『またニュースという一部の情報で町全体がそうなる印象を人は持つのか』などと考えてしまうし、あげくの果てには『心配するふりをしているが、あなたの深層心理では野次馬根性で人が困るのを望んでいるのではないか』などと思ってしまう自分がいる。
ああ、イヤな俺だ。
なのでこれを読んでいる皆さん、この先、何が起ころうがこんなイヤな男のことを心配しないで下さい。
地震が来ようが、洪水が来ようが、隕石が家を直撃しようが、僕は大丈夫です。

さて昨日の事は過去の事。
雨が洗い流してくれた。
今日は天気も良くなりそうだ。
今、自分がやるべきことをやるのみ。
今日はココが殺したニワトリの処理。
肉を綺麗にして親子丼にでもしようかな。
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キャンプ

2014-04-29 | 日記
♪キャンプだホーイ、キャンプだホーイ、キャンプだホイホイホイ。
というわけでキャンプの話である。
今ニュージーランドの学校は2週間の秋休み。
友達に誘われて娘と一緒に(奥さんは仕事があるので)2泊3日のキャンプに行ってきた。
友達のマサトはアウトドア繋がりで、ヤツの嫁さんの親が湖のほとりに小さな別荘を持っているのでそこでキャンプをしようという話になった。
マサトとは家族ぐるみの付き合いで子供が3人、上から5歳、3歳の娘達と長男は生まれたばかりで3ヶ月。
そしてこれまた仲の良い友達のマサ。彼のところは長男が9歳と3歳の娘。
そして我が家の12歳の娘は一番のお姉ちゃん、馬が合う仲間で合同キャンプである。
場所はテカポのそばにあるレイク・アレキサンドリナ。
テカポは観光地なのだがこの湖は訪れる人も少なく、ローカルの隠れ家のような雰囲気だ。



土曜日の午後に現地集合。
クライストチャーチから3時間弱という距離は手ごろで、何かあってもすぐに帰ってこれるという安心感がある。
僕はこの湖に12年前に来たことがある。
ちょうど娘が生まれたばかりの時に家族でキャンプに来た。
目の前を魚がウヨウヨ泳いでいるのが見えるのによっぽどヘタクソだったのか全く釣れず、頭にきてそれ以来釣りをやめてしまった思い出の場所だ。
今回の目的は釣りではなくただの遊び、天気が良ければ足を伸ばしてマウントクックまで子供達を連れてハイキングなどと考えてのキャンプだ。
マサト曰く、小屋には薪ストーブのオーブンがあるのでそこで調理もできるし食器類は揃っているので食い物と酒と調味料だけもっていけばよいとのこと。
足りないものがあっても10分も走ればテカポなのでそこで買い物はできる。
行ってみて感じたのだが距離的にはテカポのすぐ近くなのだが、感覚的には人里からはるかに離れた場所。
モーターボートの乗り入れも禁止なのでうるさいエンジン音もない。
一般道からちょっと離れて、窪みになっている地形なので車の音も全く聞こえない。
静かさというのは今の世の中では贅沢なものなのかもしれないな。
外界から隔離された空間というのが僕の印象だ。



小屋に着いたらまず寝床の確保、テントを貼る。
我が家のテントはマックパックの15年ぐらい前のテントだ。
丈夫で使い勝手が良く、とても気に入っている。
マサトはマックパックのスタッフでもあり製品にも詳しい。
タグをチェックして彼が言った。
「ああ、これはメイド・イン・ニュージーランドのタイプで物が良いんだよね」
マックパックはニュージーランドのブランドだが、最近ではメイド・イン・チャイナだ。
質実剛健のこの国のブランドも時代の波には逆らえない。



テントを張り終え、マットを敷いて寝袋を出して、とやっているとマサ一家が到着。
大人は荷物を下ろし、子供は薪を拾う。
薪ストーブに火を入れたところでビールを出して乾杯。
ビールを飲みながらダラダラと飯を作り、飯をつまみながらスパークリングワインからピノノアールへ。
いつものとおり酔いに任せその場で思いついた歌をやる頃には満天の星が瞬いていた。



釣り師の朝は早い。
夜が明ける前から誰かが湖にボートを漕ぎ出す音が聞こえた。
鳥の声も多い。
辺りが明るくなり、マサファミリーが起きてきたがマサト達はまだ寝ているので水辺を朝の散歩。
湖畔沿いを歩いているとちょうど朝日が山の肩から昇ってきた。
僕は何の気なしに手を合わせ拝んだ。
こうやって楽しく仲間と時を過ごせる事に感謝。
遊ばせてくれる大地に感謝。
その大地を照らしてくれる太陽に感謝。



朝飯を食べたら午前のアクティビティー、ボート漕ぎ。
人数が多いので2回に分け、僕は娘とマサの3人で漕ぎ出した。
水の上からの景色というのはまた違うものがある。
こんなのでゆっくり釣りなんかやったらいいだろうになあ。
湖沿いの柳が黄葉になってきれいだ。
湖から戻ってきたらもう昼の準備だ。
薪ストーブの火を見ながらゆっくりと飯を作る。
大皿にどーんと乗せ各自で適当に食べるのだ。



午後もまったりと時を過ごす。
僕とマサでギターとハープのセッション。
マサはカメラを引っ張り出して、深雪の写真を撮っている。
ちびっ子達はハンモックをブランコ代わりに遊んでいる。
天気が良ければドライブして別の所へ遊びに、なんて考えていたのだが天気は下り坂。
テカポ周辺は晴れているが、上空にはレンズ雲が浮かぶ。
この雲が出たら上空は風が強く天気は崩れる。
南アルプスの方はすでに雨が降り始めているかもしれない。
となったら無理に動かなくてもいいか。
自然の中での行動はお天気に相談をしながらだ。
夕方みんなで松林に松ぼっくりを拾いに行った。
燃料を採取。こういった仕事も皆でやると楽しい。



ポツリポツリと雨の雫がテントに当たる。
夕暮れ時まではすぐ近くまで雨雲が押し寄せて来たのが見えたが、夜半に耐え切れなくなりこの湖も雨に煙った。
それでもテントを張ってある場所は水はけがいいので中まで濡れることはない。
気温は上がらず山の方は雪になっていることだろう。
こうなると寝袋のぬくもりから出るのがおっくうで、明るくなってからも2人とも寝袋の中で本を読みふける。
テントなんてのは薄い膜一枚のものだが、それでも中と外での温度の差は大きい。
正直な話、出たくはないがいつまでもこうしているわけにもいかない。
気合一発、寝袋から抜け出し服を着替えた。
雨の中のキャンプ撤収は楽ではないが、僕の車はハイエースで後ろのドアを開けると軒になり雨が遮られ、そこで作業ができる。
娘にテントの中のものを片付けさせ、僕はそれをポンポンと車に放り込んでいく。
最後に濡れたテントを後ろの荷物室にバサっと乗せて撤収終了。
大きな車はこれが出来るから楽だ。
小屋の片付けをする時も深雪が小さい子供の面倒を見るので大人は煩わされることなく仕事ができる。
まだ子供だと思っていたがずいぶん頼りになるものだ。
帰り道、テカポの近くの丘でも雪になっていた。
冬の足音を聞くのにはまだ早いのになあ。
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日本人

2014-04-25 | 日記
最後に日本に帰ったのはいつの頃だったか。
そう、あれはジャパントリップの時だ。

http://blog.goo.ne.jp/hijiri_1968/e/b5c06ccaf37bd6b930a9e4bdc8297270

久しぶりに読み返してみたが、なかなかの物だな。
この話が2006年だからもう8年前になるか。
こんな事を思い出したのも昨日ブラウニーから電話があって、「又オマエと一緒に日本に行きたいぜ、兄弟。」みたいな事を言われたからだ。
日本に行きたくない、と言えば嘘になる。
僕もたまには里帰りして家族や友達に会ったり美味しい物を食べたり色々なものを見たい。
ローカル線で駅弁でも食べながら山奥の温泉などに行ってみたい。
ブラウニーは一緒にスキーに行きたいようだし、聞きしに勝る北海道のパウダースノーを滑ってみたい。
なんと言っても僕は日本のパウダーは新潟の重い雪しか知らないのだから。

だが何故か今はその時ではない気がする。
日本に行かないから不幸せか?と問われてもそれは違う。
お客さんがわざわざ日本から純米吟醸のお酒を送ってくれたり、昔ながらの製法の本物の醤油を送ってくれたりする。
実家で作っているというお米もいただき、それを土鍋で炊いて我が家の産みたて卵で卵かけご飯なぞ超が付くぐらいのご馳走である。
ニュージーランド産大豆と海の塩で作った、混ぜ物無しのニュージーランド産の味噌。
わかめも最近ではニュージーランドで採れる。
我が家でも日本のきゅうり、日本の茄子を始め、長ネギ、ごぼう、大根、シソ、みょうが、三つ葉、ふき、こんにゃく芋など日本の野菜を育てている。
食べ物に関しては、場合によっては日本よりしっかりした和食を食べているかもしれない。
さすがに生のシラスや生の桜えびは無いし駿河名物の黒はんぺんもない。
ちなみに僕はずーっとはんぺんとは黒いものだと思っていた。
知らない人の為に書くが、黒と言っても真っ黒ではなく色は灰色でちょうどつみれのような感じだ。
ああ、こうやって書いていたらおでんに入っているはんぺんを食べたくなったな。
静岡では駄菓子屋におでんがあって味噌ダレをつけて食べるのだ。
子供の頃はひとつ30円ぐらいだったが今ではいくらぐらいするのだろう。
それからはんぺんのフライ、これもたまりませんな。
サクットした衣の中から黒はんぺん独特の魚の味、そこにソースがからんで・・・。ああたまらん。
こんなのを酒のつまみに居酒屋で一杯やってると、そこの大将が「メニューには書いてないけど桜えびの生があるよ」なんて出してくれたりしてね。
エビのひげのちくちくするような感覚の中からエビ独特の甘さが口の中にほろり。そこに日本酒をちびり。
ああ、春の味覚だなあ。日本人に生まれてよかった。
などと妄想に浸ってしまう。
まあ無いものをあげていったら、それこそきりがない。
何が無い、と思うか。
何がある、と思うか。
その違いだろう。

このジャパントリップの時に感じた日本人としての芯。
それは茶の湯のもてなしの心でもあるし、食べ物を粗末にしない心でもある。
四季折々で変わる自然の中、長い間暮らしてきた八百万の神の心からくる自然観。
道端に咲いている一輪の花を愛でる禅の教え。
そういったもろもろの事から成る、人間としてどうあるべきかという問い。
自分で言うのもなんだが、このあたりを掴んでいるので日本に帰らなくてもいいかな、という気がする。
日本に毎年里帰りをする人もいるが、それを責める気ももちろんない。
人は人であり、自分は自分である。
僕は自分を分析して、人と比べることがほとんどない。
悪い言い方をすれば、自分の道を突っ走っているとも言える。
これは自分の人生観から来るライフスタイルなので、まあしゃあないやんという感じか。
日本に居なくても、往々なところで日本を感じることはできる。
それはもう日本とか外国とかを越えた、自然の中で、地球上で、人間の在り方という永遠のテーマへ繋がるものだ。
そして全体を見て自分に戻り、人として真っ直ぐに明るく正しく楽しくやっているかとチェックする。
こうなってくると何処にいるかというものではなく、どうあるべきかということになってくる。
前回の話で死ぬ事に意味があり、同じ分だけ生きる事に意味がある、と書いた。
似たような話だが、ニュージーランドにいることに意味はあり、日本にいるならば日本にいる意味がある。
それは各自で違うので人と比べてもどうしようもない。

知り合いのガイドでどうしてもニュージーランドのビザが取れなくて日本に帰った人がいた。
その人と話をして直感で感じた。
この人には日本でやるべきことがある。
彼がニュージーランドを好きだという気持ちはひしひしと伝わるが、今はその時ではないなと。
将来どういう形でか分からないがこの地に戻ってくるだろう。その時には違う発見が必ずある。
そのまま居続けていたら見えない何か、自分だけの財産をその時に手に入れるであろう。
そんな話をして彼を送り出した。
別の友達のガイドは申請をしてわずか1ヶ月で永住権を取った。
その人にはニュージーランドでやるべき事があるのだろう。
表面だけ見れば簡単に取った人は、取れなかった人から見ればラッキーで羨ましく勝ち組かもしれない。
だがそれはうわべだけの話だ。
僕はその奥を見る。
そこには両方とも何らかの意味がある。
どちらが勝ちでも負けでもない。
問題があるとしたら比べるという表面だけ見る態度であろう。

こんな偉そうに書くが、自分の事というのは一番見えにくいものである。
僕は自分がこの先にどこに向かっているのかまだ分からない。
分からないまま進むのも、それまた人間。
ただ方向性は間違っていないと思うので、不安や怖れや怯えは無い。
日本人としての感性を持ちながら、この国をガイドするというのが自分がやるべきことだと思っている。
森羅万象に感謝をしながら、野菜を作り鶏を育てるのも自分がやるべきことだ。
こうやってたわ言をブログに書くのも、自分がやるべき事・・・かな?

締めの一句

ブログ書き 故郷を思ふ 日本人
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老人よ、海に向かって走れ。

2014-04-22 | 日記
もう2年前ぐらいになるか、そのツアーは5日ぐらいの仕事で、ツアーが進むにしたがってお客さんとも仲良くなり、その晩はあるホテルで夕食をともにした。
ワインが好きなお客さんで、僕もほろ酔いで話が弾んだ。
いつのまにか話題は震災のこととなり、僕は友達が不思議な声を聞いた話をした。
地震の直後くらいか、東北訛りで「あいつも家族全員死んで一人になっちまってな」「いっそのこと、あの時に死んじまったほうが楽だったろうに」「んだんだ」とまあ、そんな会話が東北弁で聞こえたそうな。
そのお客さんはそれを聞いてこう言った。
「せやせや、そんな状況になったら生きていく方がつらいんや。わしは津波が来たらこう言いたいで、老人達よ!逃げるな!70歳以上は海に向かって走れ!」
その人は70を越える人で職業はお医者さん。
大阪人独特の毒を笑いにできる人で、医者だけに数々の死というものを見てきたのだろう。
そしてそういう状況になったらこの人は本当にやるのだろう、そんな目をした素敵なお爺さんだった。
だからこのセリフが言える。
若造の僕には言えない。
僕はそれを聞いてあるイメージが湧き、大爆笑してしまった。
それは病院などでチューブにつながれた寝たきり老人や、足腰がおぼつかないお爺さんお婆さんが、津波が来ると同時にしゃきっとしてみんなで元気に海に向かって走っていく。
ドリフのコントのようなノリで、BGMはコントが終わり歌謡曲になる間のあの曲。
子供や孫達に笑顔で別れを告げながら、皆楽しそうに海に向かって走り、津波にのまれどかーんとあの世へ旅立つというイメージだ。

誰のところにもやってくる死。
この死というものを人は曲解している。
死とは恐ろしく、忌み嫌うものであり、不吉で、縁起でもないもの。
全ての終わりであり、死ぬ事はとにもかくにも避けなければならないもの。
自分の所に必ず来る事は頭で理解していながら、できるだけその事に触れたくなく、そのことについては先送りしたいこと。
まあこんなところか。
だから人が死ねば「可哀そうに」と言う。
僕の考えは正反対だ。
死とは元いた場所へ戻ることで、そこには痛みも苦しみもない。
明るく愛に満ちた世界で、先祖や家族とは常に繋がっている。
そこにある程度いると魂はさらなる向上を求め、自ら苦境を選びこの世に再び生まれる。
この世に生まれた時にはその事をすっかり忘れて生まれてくる。
その繰り返しなのだ。
なので僕の考えは死とはおめでたいことで祝福されることなのだ。
可哀そうなのは死んでしまった人ではなく、残された人だ。

こういう話をすると極論が好きな人はこう言う。
「そんなこと言ったらお医者さんとか救急の現場で人を助ける人の立場がなくなるじゃないか!」
だいたいそういう声をあげるのは医者とか救急の現場にいない外野だ。
僕だってスキーパトロールという救急の現場にいたし、山で目の前で母を亡くした経験がある。
今でも雪崩のレスキューの道具は常に持って滑っている。
その場にいたら、生きるか死ぬかという人を全力で助けようとするだろう。
それが人間だ。
だがどうあがいても、どうしようもない時もある。
人は死ぬ時は死ぬ。
逆に死なない時というのは何をしても死なないものだ。
パトロールをやっていた頃、外れたスキーのエッジで頚動脈の2cm横を切った人を見た。
本人は気づいていないようだったがギリギリの所で命を拾った。
別の人は立ち木にぶつかり腹を押さえていた所を助けたが、その後病院で亡くなった話を聞いた。
友達のサダオは落石が自分の所へ一直線に転がってくるのを見て足がすくんで動けず、わずか数m手前で石のコースが外れ自分のすぐ横を石が落ちていったそうな。
トーマスも若い頃、何十mか滑落してバックパックが緩衝材となって命を拾った。
僕も雪崩に巻き込まれそうになったり、機械に巻き込まれたりしながらも生きている。
人間は皆、生かされている。
自然の中で人は無力だと知りながら、自分が出来ることをする。
命を粗末にするのと寿命をまっとうするのを一緒にしてはいけない。

死ぬには死ぬ意味があり、同じくらい生きるのに生きる意味がある。
死から目を背けず生きている今という瞬間を大切にするのだ。
若死には可哀そうか?長生きは幸せか?
平均寿命が高くなることは良い事なのか?
平均寿命と健康寿命の違いが分かるか?
人がこの世に生まれ、やるべき事をやり終えた時に終焉の時を迎える。
若くしてその時が来る人がいれば、長生きをして老いてからやる事がある人もいる。
千差万別、その平均を出しても仕方がなかろうに。
今の世は死というものを必要以上に恐れ、生に執着をしているので色々な問題が出る。
意識が無く老衰で死ぬような老人でも、家族が延命医療を望むのでチューブに繋がれたままただ生きている。
そんな人が世の中にどのくらいいるか。
そんなエネルギー、お金とか薬とか人の労働とかのエネルギーを子供の医療とか緊急医療に回せばどれだけの人が助かるか。
それを知った上での海へ向かって走れという言葉だったのだろう。
今や地球の浄化は始まり大地震は世界のあちこちで起きている。
地震だけでなく火山や地割れ異常気象など、今までに起きた事の無い場所で事が起きている。
この先の地球は本当にどうなるか分からない。
今、傲慢を許してもらえるのならば、自分が老人になった時にはこう言いたい。
老人よ津波が来たら海へ向かって走れ、火山が爆発したら山へ向かって走れ。
生の執着を捨て去り、仏となって子孫を護れ。
それが今まで続いてきた人間の在り方だから。

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やっと晴れた

2014-04-20 | 日記
クライストチャーチへ戻ってきて2週間というもの、太陽を見なかった。
毎日毎日、曇りもしくは霧雨か小雨、時には大雨土砂降りという天気だった。
雨が止んだ時を見計らって犬の散歩がてらマッシュルーム狩りをしたり、庭仕事をしたりという毎日だった。
温室が広いので雨でも何かしらの作業は出来るが、いかにせん気分が晴れない。
犬のココも部屋の中でつまらなそうな顔をしている。
洗濯も部屋の中に干して除湿機を使うというありさまだ。
そうこうしているうちにイースターホリデーとなった。
イースターは大型連休、日本で言えばゴールデンウィークのようなかんじで行楽地はどこも賑わう。
我が家は来客もありどこへも行く予定は無いので、天気が悪くてもまあしゃあないなとあきらめもつくが、遠くから来た友達がかわいそうだ。
毎日眺めている予報もずーーーーーーーーーーーーっと雨。
だったのだがいきなり晴れた。
こちらの天気予報はあまり当てにならないのだが、こういうはずれ方は嬉しい。

朝一で犬を散歩に連れて行く。
だだっ広い公園を自転車で走っている時に雲の切れ目から太陽が出た。
2週間ぶりに見る太陽だ。
僕はその場で太陽に向かって手を合わせた。
人間というのはどんな時でも幸せになれる。
長くぐずついた天気があればこそ太陽のありがたみを知る。
毎日毎日、日照りが続けば雨の有難さを知るだろう。
太陽を拝みながら感じた。
喜んでいるのは人間だけではない。
犬のココも嬉しそうだし、草も木も、遠くに見える山も、そして大地も喜んでいる。
ワンネス、人間だけでなく生きとし生けるもの全て、地球もそして宇宙も含めた一体感。
都会にいると忘れがちになるこの感覚を再び感じた。
そして自然と湧き上がる感情。
感謝である。
感謝をしなさい、とか感謝が足りないなどという言葉を聞くが、感謝とは強制されてするものではない。
心の中から湧き上がるものなのだ。
こうやって犬と散歩が出来る事に感謝。
太陽が出た事に感謝。
そして生きている事に感謝。
ありがたやありがたや。

家に帰ってからは忙しい。
晴れるのを待っていたことをやらねばならない。
庭の木を大量に切った枝が山積みになっている。
そして大根を植えるために深く掘った場所にコンポストを入れる作業。
近くのガーデンセンターでマッシュルームコンポストをトレーラーで買って、一輪車でせっせと運び込む。
自分の所で畑をやっていると金がかからないと思う人がいるがとんでもないことだ。
一輪車約20杯分のコンポストで35ドル。毎度あり~、ちーん。
そのトレーラーを返しに行きがてら今度は大量の枝を積みこみゴミ捨て場で捨てる。
重さで料金がチャージされるのだが今回は160キロ、しめて14ドル70セント。毎度あり~、ちーん。
トレーラーを返す時に時間で清算をする。
今回は2時間半のレンタル、1時間当たり5ドルだが、まあまけて2時間分10ドル。毎度あり~、ちーん。
僕はこのシステムがなかなか好きで、鳥小屋に蒔くオガクズや木の下にまくバーク(木の皮を砕いたもの)などの買い物をする。
こういう、やる気になれば何でも自分で出来るという所が、この国の住みやすいところだと思う。
ありがたやありがたや。

お日様が輝き青空の下、汗を流して働く喜び。
庭には洗濯物がはためき、犬のココが昼寝をする。
呼吸というものはただ単に空気を吸うだけのものではない。
空気と一緒に太陽の気も体に取り入れる。
プラーナヤーマという言葉がこれにあたる。
太陽というものは、お日様とかお天道様という言葉もある。
お天道様なんて、あーた、天の道ですよ。
日本語って素晴らしいな。
お天道様に顔向けできない、なんて言葉もあるが今の自分はどうだ?
まあ大丈夫だろうな。
そんな事を太陽を見ながら考えた、秋晴れの1日だったのだ。


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善意というもの。

2014-04-18 | 日記
ある日、僕はクィーンズタウンの街中で人を待ちながらぼんやりと車の流れを眺めていた。
夕方に差し掛かる頃で、まだラッシュアワーではないが車の量が増え始める時間帯である。
一台のレンタカーが車道を横切ろうとする人に道を譲った。
見ているとその車は、その先でも又その先でも道を譲っていった。
当然ながら交通は滞ったが、その人はお構い無しなのかよっぽどのお人よしなのか歩行者に譲りながら進んでいった。
こういう善意が困る。
部分的に見れば道を譲ることは悪いわけではないが、大局で見ればそのことによってそこにさしかかる交差点もその先の道も混んでしまう。
ニュージーランドでは横断歩道では歩行者が絶対的に優先だが、車道では車が優先だ。
僕も前が詰まっている時に歩行者を渡らせてあげることはあるが、車がスムースに流れている時には横断歩道以外では道を譲らない。
また横断歩道で渡らずに車に道を譲る歩行者も困りものだ。
もっとひどい例をあげればラウンドアバウトというロータリーの中で道を譲っている車を見た。
その時にはさすがに他の車にクラクションを鳴らされていた。
道を譲るうんぬんの前にどちらが優先でどちらが待つという交通のシステムを理解するべきである。

こういった善意という物はたちが悪く、時には善意そのものが権力者によって利用されることもある。
環境保護や動物愛護の裏には操作された善意がある。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、本当のところはどうなのだろう。
たしかに僕が知る限りでも雪の量は減ったし氷河は小さくなった。
だがあるスパンをとれば温暖化なのだが、そのスパンを変えれば地球は寒冷化に向かっているとも言える。
実際にイランやタイなど今までに雪など降ったことのないような場所で今年降雪が記録された。
温暖化という言葉で善意は操られている。
ちなみに御用学者の言葉では、原発も温暖化の役立っているのだそうな。ふーん・・・。
原発が悪い電力会社が悪い、と善意の人は言うだろう。
そこに矛先を向け続けていても何も始まらない。
確かにそれらが悪いのは分かったから、今自分に出来る事をやるべきだろう。
反戦運動も似ている。
戦争はいけないこと、確かにそうだがそれをもとに善意は利用されている。
『戦争は悲惨なものでこの世から戦争をなくしていかなければいけません。』というような作文を書けば学校では良い点をもらうだろう。
『誰もが皆仲良く暮らしていく世の中でありますように』と書けば、そのためには戦争をやめなければならないね、戦争は悲惨なものだから、という所へ持っていく人もいるかもしれない。
その戦争を作っている人は表には出てこない。
裏で操っている人は『戦争はいけないもの』という善意を刷り込む。
善意に満ちた反戦運動者が矛先を向けているのは操り人形なのだ。
平和になる過程で自然と戦争がなくなるのが筋なのだが、戦争をやめるという所に焦点を当てているので戦争はなくならない。
いまこの争いだらけの世の中を作っているのは、人々の集合意識なのかもしれないな。

物事をミクロで見るかマクロで見るか、その立ち位置でどのようにも取れる。
人に優しくしているはずの善意が、実はその人をダメにしていることもよくある話だ。
目先の善意に囚われず物事の芯を見据え、そして自分の足元に戻り行動する。
芯を見極めても行動をしなかったらなんにもならない。
行動ありき。
そしてまた大局に戻る。
この繰り返しなんだろうな、きっと。
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音響

2014-04-15 | 日記
きっかけは今年の夏の終わりにテアナウのトーマス家に遊びに行ったことからだった。
あるお客さんとルートバーンを歩き、その人が僕のサービスに感動してくれて、お礼に日本酒を送ってくれた。
それが何故かテアナウの知り合いへ届いてしまい、それを取りに行きがてらトーマス宅へ遊びに行った。
トーマスとは長い付き合いで、今さらくどくど書くのも面倒くさいので気になる人はこちらを読んでいただきたい。

ミルフォードサウンドとトーマス
トーマスとUパス
トーマスとモレーンクリーク

以前はこうやって一緒に山へ行く機会もあったのだが、お互いに家庭を持つと色々と忙しくなり最近では年に何回か飲むだけになってしまった。
お客さんからいただいたお酒は越の寒梅の純米吟醸。
ニュージーランドではなかなか目にかかれないお酒である。
その晩はトーマス自家製ビールから始まり、越の寒梅、それが終わると白ワインへと移行してテアナウの夜は更けていった。

次の日の朝、トーマスがこんなのいかがでしょう、と日本のラジオを聞かせてくれた。
インターネットで日本のラジオが聞けるのは知っていたが、僕の興味を引いたのはヤツが持っているスピーカーだった。
ワイヤレスのスピーカーでタブレットから音を飛ばせるので持ち運びもできると。
それから小一時間ほど、彼からブルートゥースのレクチャーを受けて、これはいいなと思ったわけだ。
ずいぶん長い前置きだが、今回の話はスピーカーの話である。
要は新しいスピーカーを買ったということだが、それだと一行で終わってしまいブログネタにならないのでこうやって話を膨らませるわけだ。
以前中古で買ったオーディオシステムが壊れてからは、PCに小さなスピーカーをつけたりアイパッド内臓のスピーカーで音を聞いていたが、いい音を聞きたいという思いは前から僕も女房もあった。
僕らの世代だと良い音というと大きなウーファーのスピーカーを部屋の両脇に置くとか真空管アンプとか小さいスピーカーだったらブロックを下に置いて低音を響かせるとかそんな話である。
女房にブルートゥースの話をすると彼女もすでに知っており、乗り気で週末に家族でお買い物という流れとなった。
家電屋さんをいくつか回りたどりついた先が、大橋巨泉みたいな顔がお店のロゴのディックスミス。
ここでボーズのスピーカーに出会ってしまった。
他のメーカーもいろいろな機種があるのだが、スピーカーのメーカーとしては音が売りだ。
ためしに聞いてみたらなかなか音が良い。
その分、値段もいい。
僕は全く異存はないが、我が家の最終決定権は女房が持っている。
女房曰く、清水の舞台から飛び降りたつもりで、というわけでめでたくご購入。
毎度あり~、ちーん。

家に帰り音を出してみるとこれが実に良い。
周りがうるさい家電屋の店内で聞くより数倍良い。
驚愕そして感動。
低音の響きも高音の切れも文句なし。
優歌団を聴けば内田勘太郎のギターソロが冴える。
オーケストラを聴けば一つ一つの楽器の音が拾えるほどだ。
栗コーダーカルテットのリコーダーの響き良し。
ジャズを聴けばベース、ピアノ、ドラム 三つの楽器の音がスピーカーから別々に出て混ざり合う。
ロックはライブの臨場感も一緒に味わえる。
とにかく何を聴いても良いのだ。
小さい音量でもきっちりと良い音が出る。
大きくしても音が割れない。
さすがボーズである。
スピーカーのサイズは30cm幅、高さ15cm、厚さ5cm。
こんなに小さいのに音が良い。
大きなスピーカー世代からみれば不思議でならないのだがこれがテクノロジーというものなのだろう。
そしてこれは充電式でワイヤレスなので持ち運びができる。
庭で音楽を聞きながら野良仕事ができるのだ。
延長コードを引っ張ってきてラジカセ(死語?)をかけながら、という時代ではないのだな。
ちなみに僕の車のカーステレオは未だにカセットである。

我が家ではテレビがないのでラジオを聞いたり音楽をかけることが多い。
故に良い音質の物があるとそれだけで豊かになる。
生活の質と言う言葉があるが、文字通り質が上がるのである。
百均ができて生活の質が下がった、という話をきいたことがあるが頷ける。
かといってそれを全否定するわけではない。
一人暮らしの時など便利な時もある。
僕も日本に居た時にはよく行っていた。
ただ安いからなんでもかんでもというのも考え物だと思う。
僕も安物買いの銭失い、という経験は山ほどある。
逆に良い物をそろえようとして借金だらけになってもダメだろう。
こちらのコマーシャルでも2年間は無利子というような形の宣伝をしているが、要は『買いなさい消費しなさい』ということだ。
良い物は高い。これは仕方がない。
ただし高いものが全て良いわけでもない。
あくまで自分の手の届くところで、と自分の足元をきっちりみつめながら。
これが大切だと思う。
何千ドルもするようなホームシアターを買う人がいて、それはそれでその人のお金の使い方だから構わない。
車やバイクが好きな人はそこにお金を使う。いいじゃないですか。
音に興味の無い人から見れば無駄使い、だが我が家にとっては暮らしを豊かにしてくれる投資。
どんなお金の使い方であれ、自分の暮らしから目が背いたらいけない。
自分の足元を見るというのは、人間が生きていく上で一番大切なことだ。
これを突き詰めると自分の内側を見る内観へと繋がる。
たかがスピーカー、されどスピーカー。
本物の良さを知ったここ数日の出来事の話。

コメント (2)
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サイクリング

2014-04-11 | 日記
自転車が好きである。
幼稚園の頃、自分の自転車を買ってもらい補助輪なしで乗れるようになると行動範囲がぐんと広がった。
小学生になると友達同士で遠乗りをするようになったし、高校も10キロぐらい離れた街まで自転車で通っていた。
高校の時に女の子を後ろに乗せて夜の清水港へ行った甘酸っぱい思いでもある。
高校生の頃の夏の夜だったか、一人で近くの砂浜へ自転車で行きビールを飲みながら遠くの雷を眺めていたらいつのまにか寝てしまい、急に辺りは夕立になりずぶ濡れになって帰ったこともあった。
こうやって自分の過去をノスタルジックに振り返ると、数々のシーンに常に自転車があった。





自転車というものは自分で漕がなければ走らない。
当たり前だ。
楽ではない。
エンジンがついている乗り物ならばアクセルだけで前へ進むが、自転車の原動機は自分の体である。
同じ感覚で言えばカヌーやカヤックだろう。
自分で漕いで風を切って走るあの爽快感は車で味わえないものだ。
そして人間が景色を見るのに一番適しているのは自転車のスピードなんだそうな。
車だと速過ぎるという。
うむ、なんとなく分かる。
この夏、クィーンズタウンでそんな自転車にはまってしまった。
ニュージーランドでは自転車の道があちこちにできている。
セントラルオタゴのサイクルトレイルは10年ぐらい前に走ったが、2泊3日150キロの自転車の旅は素晴らしいものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/otago1.htm
この話は数ある文の中でも僕が最初に書いたもので、読み返してみると妙に英語の表記が多く文章はお粗末だが雰囲気は伝わると思う。



最近ではアルプスから太平洋までの4日ぐらいかけて走るコースなど長いトレイルもできている。
これからもどんどんこういうコースは増えていくだろう。
クィーンズタウン近辺でも自転車道は整備されて、観光スポットも自転車で周れるようになった。
夏の間、僕が住んでいた場所がこのサイクリング道と隣接していたこともあり、暇さえあれば僕は自転車に乗っていた。
車で5分のお店に買い物に行くのも遠回りをしながら、往復数時間かけてのんびりと。
アロータウンの友達の家には車なら8分、自転車なら45分、帰りは酔っ払い運転で酔いを醒ましながら帰る。
半日かけて遠出をして郊外のゴルフリゾートまで走り、帰りは友達に迎えに来てもらうなんてのありだ。
一度は友達の娘を連れて、半日かけてバンジージャンプの橋まで走った。
1日の仕事を終えて晩飯を食べた後、夕日を見にその辺まで、そんなこともあった。
時間の使い方は自由、その日の天気と気分でサクっと散歩気分で行ける環境だったのだ。



家から5分も走れば住宅地を抜けて川沿いの自転車道にでる。
カワラウ川が悠々と流れ、目障りな人口構造物の無い世界に行ける。
車の道から遠く離れているので静かだ。
時々観光客を乗せたジェットボートが通るが、それはご愛嬌。にこやかに手を振ってあげる。
船が過ぎれば静けさは戻ってきて小鳥のさえずりが聞こえる。平和だ。
例えばこの道を同じ距離歩いたら、単調でつまらないと思う。
自転車でちょうど良い場所というものもある。
道はアップダウンを繰り返す。
僕は根性がないのでちょっとした登りになるとすぐに降りて押してしまう。
そして下りは楽だし早い。
マウンテンバイクのダウンヒルではないので勾配もそれほど急ではない。





ダウンヒルは同じ自転車でも、もはや別のスポーツだと思う。
若い時に一度、マウンテンバイクの世界選手権だったかワールドカップだったか、コース作りをしたことがある。
こんな所を降りるのか、と思うような場所を選手は飛ぶように降りていく、と言うより落ちていく。
自転車の構造も違うし、プロテクターをつけて完全防備でぶっ飛ばしていく。
自分ではこれはやらないなと思った。怖いもの。
競技としてはやらないが、遊びならば面白いだろう。
クィーンズタウンでもゴンドラに自転車を積んでダウンヒルをするコースが数年前に出来た。
スキーをリフトに乗ってやるようなものだ。
コースも初級者向けの緩やかなものから上級者向けの急なものまで、これもスキーと一緒だ。
僕は一応スキーのプロなので超上級コースも行けるが、マウンテンバイクの腕前は中級ぐらいか。
そのうちにゴンドラのダウンヒルをやってみたいと思う。
又、ロードという分野もある。
こちらはスピード重視、車輪は細く車体は軽く、走る道も舗装路を行く。
これもぼくのスタイルではないので今後もやることはないだろう。





クィーンズタウン近辺のサイクリングの道は道幅も広く、並んで話をしながらでも走れる。
道はよく整備されママチャリだって走れる。
何より車の道と離れているのが良い。
車が百キロでぶんぶん走る横を自転車で走るのは怖い。
実際に事故だってある。
ここではその辺はきっちりと配慮され、ハイウェイでは車と交わらないように作られている。
そして川を渡るのも専用のつり橋がある。
ここで僕はやっつけられた。
この国に来て二十数年、まだこんな所があったのか、という思いである。
自分が知っていたあの川がこんなに深い谷だったとは・・・。
これはこの地をよく知っている(と思うのは何も知らないことなのだが)自分だからこそ感じる感覚だと思う。
何百回もこのすぐ近くを車で走っていたが、こんな場所があったなんて。
初めて来た人では、この感覚は味わえない。
これだからこの国の遊びはやめられない。
深く知れば知るほどに、自分は何も知らないのだと気づく。
禅問答のようだな。
同時によくこんな道を作ってくれたと思う。
感謝感謝、ありがたやありがたや。
ちなみにアローリバーにかかるつり橋はバンジーブリッジぐらいの高さがあり、横がネットで下が丸見えなので高所恐怖症の人は渡れない。
友達のえーちゃんもお約束のように渡れなかったし、かなちゃんも無理だった。





このサイクリング道ですごいと思ったのは、その徹底ぶり。
トイレはあちこちに設置され、何箇所かはそこにコンプレッサーの空気入れもある。
ハイウェイでは車と交差することのないルート設計。
どうしても渡らなければならない場所では、車側にも自転車側にも注意を促す看板がある。
要所要所には地図があり、ポイントごとにどのルートで走るか選ぶことができる。
自転車屋、案内所、協賛しているお店では無料の地図が置かれている。
観光スポットやお店には駐輪スペースがきっちりとある。
レンタルのお店も増え、片道だけの送迎サービスなど地元も活性化している。





違う視点で物を見るというのは人間にとっていい刺激になるのだろう。
自転車で走る事により、今まで見ていて見えなかった地形というものが感じられる。
ちょっと走って振り返れば、あの丘をぐるりと回って来たんだなあ、という旅のような感覚も感じられる。
人はあまりに身近にあると、人の話を聞いたり写真を見ただけで自分がやった気分になってしまう。
クィーンズタウンに住んでいながらルートバーン(たとえ1日ハイキングでも)を歩いた事のない人はたくさんいる。
実際に自分の身をその場に置く、これこそが大切なのではなかろうか。
風を切り、鳥の声を聞き、草木の匂いを嗅ぐ。
自分の住んでいるすぐ近くに新しい発見はある。
それは突き詰めると自分自身に戻っていく。
内観、これをなくしての明るい未来はない。
そんなことをボーっと考えながら走ったこの夏だったのだ。
おしまい。
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反省

2014-04-10 | 日記
今日、ポテトサラダに入れるじゃがいもを収穫した時の話。
夏の間、庭の一角で育っていたジャガイモを掘ったら予想以上に少なかった。
なんだ、これだけしかできないのか。
と思って気が付いた。
感謝の心がないぞ。
人間の欲望とはなんと深く、又罪深いものなのか。
まずは少しでもできてくれてありがとうだろうに。
それを、なんだとはなんだ。
深く反省である。
ジャガイモは雑草のようにでてくるが、きっちりと大きく育てるには大変なことなのだ。
ジャガイモ農家の皆さん、ありがとう。
庭のジャガイモよ、ありがとう。
そしてオマエ!(僕のこと)
反省せよ。
自戒の念を忘れないようにこの文を書いた。
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帰宅

2014-04-07 | 日記
この週末でNZでは夏時間が終わった。
夕暮れが1時間早くなり、実質夏は終わったのである。
その日に僕も夏の仕事を終えクィーンズタウンからクライストチャーチへ帰ってきた。
帰ってくる途中でクロムウェルではフルーツをどっさり仕込み、トワイゼルでは鮭を2匹買ってきた。
ブレナムの海の塩で新巻鮭を作るのだ。
半年近くも家を空けたのでやる事は山のようにたまっている。
この前に帰ってきたときに切った木の片付け、堆肥作り、オガクズを買ってきてニワトリ小屋に蒔く仕事、秋蒔き大根の種まき、夏野菜の収穫、温室の中に雨水を引き込む工事、石鹸作り、その他もろもろ。
時間があったら禁断のビール作りにもチャレンジしたいが、そのヒマがあるか。

久しぶりの我が家はやっぱり居心地が良く、女房殿も腕をふるって晩飯を作ってくれた。
庭の野菜をたっぷり使った手料理は何物にも替え難いご馳走である。
いつもいつも思うことだが、我が家のメシが一番旨い。
クィーンズタウンでもそれなりの物を食べてはいたが、取りたて野菜、産みたての卵にかなうものはない。
食べ物の移動距離は短ければ短いほどよい。
我が家の場合は移動距離は20mぐらいだ。
欲しい物をさっと取ることができる。
贅沢だ。
ただしこの贅沢を味わうためには人間の努力も必要である。
帰って来たらネギがサビ病という病気になっていた。
これは気温が下がる頃に肥料が足りないとなる病気だ。
今日は病気になった葉っぱを取り、堆肥と鶏糞を混ぜた肥料で盛り土をした。
放っておけば野菜は育つと思っている人がいるが、とんでもない。
野菜を上手く育てるには、きっちりと手をかけてあげること。
野菜をよく見れば何をするべきか見えてくる。
自分が知らなくてもネットで簡単に調べられる。
野菜に話しかける。
こういう行為があってこそ野菜が育つのだ。

夏の間にとんとご無沙汰だったブログもこれからはマメに更新できるだろう。
やはり自分のパソコンでないと調子が出ない。
今年の夏に出会った人はこのブログの読者なんだそうな。
友達の結婚式で一緒にお酒を飲んだのだが、また飲みたいねと言っている間に夏が終わってしまった。
それから人づてに聞いた話だが、よくNZに来る人でやはりこのブログの読者がいて、一度会ってみたいとその人は言っているそうな。
こんな与太話でも楽しみに待ってくれる人がいるので、がんばって書かねば。
夏の間にネタはたまってはいるが、それを文章にするのもエネルギーが必要なのである。
まあ、おいおい書いていくので皆様、乞うご期待。
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