あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

物が高いか?

2014-03-30 | 日記
ガイドをしていていろいろな人に会う。
そのうちの多くの人が言う。
「この国は物価が高い」確かにそうだろう。
この国は他の国に比べて物価が高い。
日本では130円ぐらいで買えるジュースがこちらでは3ドルとか4ドルもする。
牛乳の国内消費が3%で残り97%は粉ミルクにして世界中に輸出しているのに、牛乳と乳製品の値段は近隣の国より高いというバカバカしいことにもなっている。
日本では300円ぐらいで牛丼が食えるが、ここ(クィーンズタウン)ではチャーハン一杯が1000円以上もする。
では聞きたい。
安ければいいのか?
高い安いという判断は比較があればこそ。
それこそ為替相場で安くもなるし高くもなる。
ここに住む人には選択の余地もない。
だが人間とは常に文句を言いたい生き物なのだろう。
高いと文句を言い、そうねそうねとなぐさめてほしいのだ。
「物価が高くて生活が大変です」という苦労話を聞きたいのだ。
正当な値段云々などという話は聞きたくないのだ。
ここではっきりと言おう。
物が高いと不平を言う人よ、

自分で作ってみろ

野菜でも肉でもなんでもいい。
自分で作れ。
自分で取れ。
野菜を作った事のある人なら分かるだろう、売り物にならない野菜ができることを。
肉をばらしたことのある人は分かるだろう、パックで売っている肉を買うことがどんなに楽か。

これを書いていて気がついた。
高いと不平を言う人に共通して僕が感じるイヤな気。
そこに感謝がない。
不平を言いながら人間は感謝をできない。
安く売ってもらった時に人は感謝をするが、高いと思いながらお金を支払う時に感謝はない。
高いと思うなら買うな。
買うならそういうものだと思え。
お金を支払う事を損をすると思えば、何でも高く感じる事だろう。
正当な値段というものがあるのだ。
野菜を作り初めて、店で安売りをしている野菜を見て悲しくなった。
生産者が市場で直接売っている野菜は安くはないが正当な値段だと思う。
家計は楽ではないが、できるだけそういうものを買っていきたい。
そして買う時には笑顔でありがとうと言いたい。
自分自身を戒める気持ちも含め、この話を書いた。
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味覚の秋

2014-03-09 | 
秋は収穫の季節である。
今朝、犬のココと近くの公園に行ったらあちこちにマッシュルームが生えていた。
よく雨上がりなどマッシュルームを拾っている人がいたが、今日は僕の番のようだ。
10分ぐらいで食べきれないほどのマッシュルームを収穫した。
崩れてしまったものや開ききったものは庭の芝生に捨てておけばそこから生えてくるだろう。
犬の散歩がてら食べ物を収穫なんて、なんと恵まれた環境だろう。



5日間の休みを終え、今日はクィーンズタウンへ戻る。
その前に庭の野菜を収穫。
ニンジン、豆、かぼちゃ、きゅうり、ズッキーニ、茄子、卵、唐辛子、インゲン、トマト。
我が家で食べきれない分はクィーンズタウンへの友達にお土産だ。
大地からの物はみんなで。
物でもなんでもシェアする、分け合うということはこれからの世界の指針となる。
その際、一切の見返りを期待しないことが重要である。



そうしているうちに女房殿がシュークリームを作った。
家のシュークリームは絶品である。
食べたい人は・・・我が家へ来てください。
さてお土産をたくさん持ってクィーンズタウンへドライブ。
明日から又ルートバーンである。

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台風一過

2014-03-07 | 
夏の忙しい時期も一段落して、まとまった休みが取れたので家に戻ってきた。
僕が不在の間、庭は女房に任せてあるのだが、仕事をして家の事をやり子供の面倒を見てズンバや絵のクラスに通うという超多忙な生活では庭仕事にも限りがある。
今回は1週間ほど時間があるので徹底的に庭のことをやろうと帰ってきたら、クライストチャーチは大雨で洪水。
風も強く市内各地でいろいろな被害があった。
友達からも心配してくれるメッセージが届いた。
その友達はニュースの映像を見て、「あいつの所は大丈夫かいな」と思ったのだろうが、何なのだろう、この胸にひっかかる感じは。
地震の時にもそうだったのだが、遠くにいる人はニュースでその事を知り知人友人家族の安否を気遣う。
ニュースは当たり前だが一番被害の大きい所を映す。
それを見た人はクライストチャーチ全部がそうなってしまったかのように考えるのではないか。
逆の極論では、ニュースがなかったら心配もないわけだ。
実際今回の雨はすごく、僕も娘を学校に送って行った時にあちこちで洪水にはなっていたが、僕の生活エリアの範囲ではニュースのようなひどい洪水の所はなかった。
僕もニュースを見て初めて街の反対側のエリアはひどいことになっているんだと知った。
ニュースを見て、聖のオッサンは大丈夫かいな、と思ってくれるのはありがたいのだが、そこに疑問を持ってしまう自分がいる。
メディアが流すニュースという物が持つ、野次馬根性みたいなものか。
大きな災害を期待するようなところが、対岸の火事を見物したいという想いが自分の心にないか。
今やニュースはエンターテイメントだ、とは友人が言った言葉だが僕もそう思う。

マスコミの悪口を書きたい訳ではないが話が逸れた。
嵐が去り青空の下でやっと庭仕事ができた。
今回の嵐では我が家の被害は温室の屋根の破損とリンゴの木が倒れそうになったくらいだ。
温室の屋根は風で吹き飛ばされそうになったので、嵐の間は上に石を乗せておいた。
破損箇所を補強、作業時間30分。
リンゴの木にはリンゴがたわわに実り、その重さで倒れそうになったので支えを新しくして、間引きをかね大きな実は収穫した。
風で自然の落ちたものもあり、大きなリンゴが60個ぐらい取れた。
まだ倍以上のリンゴが木になっている。
保存食でいいのは何かな。
コンポートを以前作ってみたけど、イマイチだった。
リンゴジャムもそんなに食べないだろうしな。
リンゴジュースを作って発酵させてサイダーというお酒にするのもありか。
こうやっていろいろ考えるのも楽しい。



温室の中では野菜はすくすく育ち、葉っぱの陰に巨大きゅうりを発見。
これだけでかくなったら味はどうなるのだろう。
きゅうりは5株植えたのだが食いきれないぐらいにできた。
クィーンズタウンの友達にも喜ばれている。
トマトもいい出来で次から次へと赤くなっている。
これがまた甘くて美味い。
茄子もそろそろ食べられる大きさに育ってきた。
オクラは今年はじめて3株ほど植えてみたが育ちすぎてしまい硬くなってしまった。
収穫の時期というものがあるのだな。
これも経験。
ピーマンも今年は4株。大きな実をつけ順調である。
温室を作ったからといって調子に乗って始めてみたスイカ。
今のところ、実ができたのは一つ。
ハンドボールぐらいの大きさで、一体これが美味いのか不味いのか。
何も分からないままにやってみるというのも楽しい。
失敗を恐れると何もできなくなるが、失敗をそういうものだと思えばいいだけの話だ。
たとえスイカが甘くなくても、所詮ウリなのだから漬物にでもすればよかろう。



温室の外では長ネギが絶好調。
毎年作るのだが、家のネギは美味いぜよ。
これから秋から冬にかけてネギは根の部分が太くなっていく。
土を盛ってあげればその白くて甘い部分がそれだけ長くなる。
これですき焼き、たまりませんなあ。
春菊とシルバービートは雑草状態であるし、採りたて卵ですき焼き。
食べたい人は我が家へどうぞ。



これからの時期は秋蒔きの大根などやってみようか。
そうだ、温室の夏野菜が終わったらスペースが出来るからそこに何を植えようか。
楽しみは尽きないのである。
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嘘をつかない。

2014-03-02 | 日記
僕は嘘をつかない。
どんな時でも正直でいようと心がけている。
嘘をついて他人をだませても自分の心は騙せない。
一つの小さい嘘を隠すために別の嘘を並べ、その嘘はどんどん大きくなる。
そうなるのが分かるのでどんな小さな嘘もつかない。
ただし聞かれないことまで、話す必要のない事までは話さない。
口は災いの元、でもある。
あるお客さんに聞かれた。
「この国の平均寿命は何歳ですか」
「分かりません。僕の考えでは寿命という物は各個人がこの人生でやるべきことをやり終えた時に迎えるものであって、その平均を出してもしょうがないでしょう。」
とバカ正直に言ってしまった。
お客さんは怒り「数字を出すことに意味があるじゃないか」と言ったが僕は動じず「そうですか、あなたの考えではそうなんですね。自分の考えは違うのでしょうがないですね」と言った。
君の立場で言えば君は正しい。僕の立場で言えば僕は正しい。
最初は怒っていたお客さんも1日山を歩き、その日の終わりには態度を改め「あなたが言った言葉の意味が分かる気がします」と言い、めでたく1日が終わった。

嘘をつかない、というのは常に正直であれ、ということだがこれはこれでしんどい時もある。
人によっては事実を突きつけられると傷つくこともあるからだ。
その人が隠しているもしくは気がついていないような心の奥が見えてしまう事もある。
そんな時にバカ正直に言えば、人は傷つき時に怒りだす。
僕もできることなら人を傷つけたくない。
なので口にしないことも多々あるのだが、そこはそれ人間なのでポロっと本音が出ることもある。
会社のお偉いさんに「なぜ君は私に挨拶をしないのかね?」と問われ「挨拶をするのに値しない人には挨拶をしません」と言って、その会社をクビになった。
若いと言えば若かったのだが、こういう人は日本の社会ではやっていけない。
なのでニュージーランドにいる。
幸いなことに挨拶をするのに値しないような人は周りにいないし、そういう人にも巡り会わない。

子供に対してもそうだ。
自分の子供が質問をしたとき、全ての質問に対し一切の隠し事をせずに答えることができるか?
僕はできる。
そしてそういう生き方をしている。
こんな事を言うのも先日会った知り合いと子供の教育について話したのだが、その人は自分が子供の頃から酒もタバコもやっていたのを隠しているそうな。
酒とはどういうものか、タバコとはどういうものか、それらを含めたドラッグとはどういうものか。
大人がそれをきっちり理解していなかったら、それを子供に伝えられない。
なので大人は「ドラッグ、それは悪いものです。」というような優等生の答しかでてこない。
そして自分がさんざんやって来たのに、子供にはダメと言う。
僕は自分がやってきたことは包み隠さず子供に話す。
子供の頃からお酒を飲んだのはもう話したが、聞かれたら高校生の頃にタバコを吸ったことも、小学生の頃に万引きをしたことだって、その他いろいろこのブログに書けないようなことも話すつもりだ。
だが聞かれなかったら話さないこともある。
誰も自分の恥を進んで話したくないからな。
子供に聞かれた時に嘘偽りなく全てのことを正直に話す。
これが教育だと僕は思う。

他人は騙せても自分は騙せない。
自分自身に対して嘘をつかないよう、そうやって生きるのが人間なのだと思うな。

コメント (2)
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