あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ゲテモノ食いの夏休み。

2017-06-29 | 過去の話
今月はトーマスの記事が多かったな。
さながらトーマス友好記念月間というような感じで、もう一つ10年以上前のお話。
身内ネタだけど、話に出てくる友達は今も付き合いはあり、みんな違う場所で違うことをやっている。
同じことをやっているのは僕だけだ。


3月の前半、南島西海岸のホキティカという町で、ワイルドフードフェスティバルというものが開かれる。
モノによってはゲテモノ食いというものもあるが、野生のものをいろいろ食ってみようという祭りだ。
その祭りに友達数人とキャンプをすることになった。今年の夏、西海岸を訪れるのは初めてだ。
ハーストパスを越え、しばらくブナの森を走るとチラホラとリムが目立ち始める。僕は車を走らせながらリム達に挨拶をする。
「やあやあ、みんな、また会えたね」
リムはブナより背が高く、森の天井から頭を突き出している。慣れてくるとすぐに見つけることができる。僕がこの国で一番好きな木だ。
ハーストを抜けるとそこは太古の森である。森のまん中を道路が走っており、道の周辺にはリムやカヒカテアの大木が立ち並ぶ。
僕は車の窓を開け、森の空気を感じながら車を走らせた。気持ちの良いドライブである。
夕方近く目的地ホキティカに着いた。
ホキティカは人口約2万人。人が少ない西海岸ではこれでも3番目に大きな町になってしまう。
祭りの為、市内中心部数ブロックを交通規制している。川沿いの道には出店が並ぶ。
ゴーティーに電話をして待ち合わせの場所を決め、数分後に僕らは固い握手をかわし肩をたたきあった。
ゴーティーはトーマスの友達で、以前は仕事仲間でもあった。
日本人だがアゴヒゲをはやしており、やぎのようなヒゲなのでゴーティーと呼ばれている。
お洒落で女にもてそうなクールな雰囲気とでも言おうか。無精ヒゲで泥臭い雰囲気の僕とはまさに雲泥の差である。
今ではカイコウラでガールフレンドのミエと一緒にオーガニックレストランのシェフとして働いている。
彼は日本で10年近く板前をやってきて、ワーキングホリデーでこの国を訪れ、そのまま山歩きの楽しさを覚えトレッキングガイドになってしまった男だ。
彼と一緒に歩いた事は2~3回ぐらいしかない。それでも彼がどの場所をどのように歩いたか聞いて、実力のある山男として尊敬しているし良き友でもある。
出会って間もない頃、ゴーティーの誕生日パーティーに呼ばれた。じっくりと話をしたのはその時が初めてだったが、僕はへべれけに酔っ払ってしまい主役の彼に介抱された。
いい年をして全く、と自分でも思うが年とともにそんな回数も減ってきているので、まあよしとしよう。
次の日謝りに行った僕に快く夕飯を御馳走してくれて、僕らのつきあいは始まった。
今回はガールフレンドのミエと一緒にカイコウラからやってきた。
もう1人、ゴーティーとトーマスの仕事仲間だったサニー。
サニーは今年の夏はミルフォードトラックのロッジで働いている。パン屋の経験などもあり楽しい女である。
仕事でミルフォードトラックを歩いた時に今回のキャンプの話をしたら、休みを合わせ山から下りてきたのだ。
英語でサニーは晴れだが、こいつは雨女だ。ヤツの行く所行く所雨が降る。
僕はキャンプの前に、サニーが行くなら雨だろうからやめようかな、などと言っていたのだ。
あとはトーマスとガールフレンドのミホコ。
トーマスは見た目も普通の日本人で、スーツを着ればそのままフツーのサラリーマンになってしまいそうだ。
実際、彼はある会社の営業の仕事を何年もやってきていて、この国が気に入りここに住み着いた。
日本社会の上下左右をわきまえており、言いたい事を言って会社をクビになる僕とはこれまた対照的なのである。
これに僕が加わり6人で今回のキャンプなのである。

町はずれには屋台が並び、その脇には丸太がゴロゴロと転がっている。祭り前日のイベントは丸田切り競争だ。
アックスマンと呼ばれる肩の肉が盛り上がった男達がケースから自前の斧をとりだす。斧はピカピカに磨いである。
この日の試合はニュージーランド対オーストラリア。競技の前にはちゃんと並んで両国の国歌を歌う。
選手の平均年齢65才ぐらい。この日は別の場所でも祭りがあって現役バリバリの連中はそっちへ行ってしまった。
競技はリレー方式で7人で5種類の切り方をする。結果はオーストラリアの圧勝だったが、競技が終わればノーサイド。このまま皆でパブにでも行くのだろう。
ホキティカの祭りはのんびりと過ぎていく。
買出しをしてキャンプ場へ。全員アウトドアに慣れているので手際がよい。あっという間に宴の準備ができあがる。
1人で何も出来ない人が集っても何も始まらないが、個人で行動できる人が集るとすぐに面白い事が始まる。
僕はゴーティーに持って来いと言われていた七輪をだして炭をおこす。その合間にさっさとテントをはって準備完了。
僕の七輪は小さくて一度にたくさんのものは焼けないが、時間はたっぷりあるし、酒だって、焼きあがるまでのおつまみだってたっぷりある。
ゴーティーはシェフの腕をふるい、ラム肉と鶏肉を自家製焼肉ソースに漬けて持ってきた。それを僕が焼く。もちろんビールを飲みながら。
「ゴーティー、どうよカイコウラは?」
「楽しいよ。森が無いのがちょっと寂しいけどね」
ゴーティーは去年まではクィーンズタウンをベースにルートバーンでトレッキングガイドをしていたのだが、新しい人生を切り開く為、数ヶ月前にカイコウラへ移った。カイコウラの辺りは牧場が多く、原生林が少ない。国立公園内で働いていた今までとは大きく環境が変わっただろう。
「たまに山が恋しくなるでしょ」
「そうなのよ。だけど海があるからね。サーフィンもぼちぼちやってるし」
「そうかあ、新しい事をやるのって楽しいよね」
「うん。そっちはどうよ?たまには海が恋しくなるんじゃないの?」
「そうだね。今年はねえ、なんか忙しくて自分の山歩きを全然やってないよ。西海岸に来るのだって初めてだし。これがオレの夏休みだな」
「じゃあ、飲まなきゃ。ビール足りてる?」
久しぶりに会う友と飲むのは楽しい。
トーマスとミホコとも久しぶりだ。同じ町に住んでいながらも、お互い忙しい身なので会えない時は全然会えない。彼等は結婚を1ヵ月後に控えている。
「トーマス、結婚式の準備はかどっている?」
「いやあ、なんだかんだで、やる事がたくさんあってねえ」
「オレに何かできる事があるかい?」
「うーん、実は会場に駐車スペースがあまり無くて困ってるんだ」
「それならバスとか借りればいいじゃん。オレがドライバーになるよ。会社の車を借りれるか聞いてみよう。20人乗りぐらいでいいだろう?」
「そう言ってもらうと助かります。会社の車を大丈夫なのかな?」
「大丈夫大丈夫。めでたいことなんだから、仕事で使ってなければ貸してくれるさ。そんなケチくさいことを言うようなヤツ等じゃないよ」
 ヤツ等とは、僕が働く会社の社長達3人のことだ。昔からの友達でもあり、僕の事を良く分かってくれている(と僕は思っている)ヤツ等だ。会社の方針は『できるだけシンプルに』そしてルールは一つ『ネクタイ着用禁止』。僕はこの会社の方針とルールが気に入っていて、夏になると同じ職場に戻ってくる。
「本当にそれなら助かるよ。ありがとう」
「なんのなんの、こういったことは自分が出来る事をするんだよ。出来ない事はやらない。ただそれだけ」
僕は車からギターを出してポロリポロリと弾き始めた。いつのまにか日はすっかり落ち、雲の隙間から星が瞬く。
辺りの森からモーポークというミミズクの鳴き声がする。近くの茂みで何かガサゴソと動く音がする。茂みから1羽の鳥が姿を現した。
ウェカという飛べない鳥である。僕らのキャンプの周りをウロウロと歩く。彼等は人間がこの国に入ってくる、はるか以前からのこの国の住民である。ニワトリより一回り小さい体は茶色い羽毛で覆われる。茶色いのでキウィと間違える人もいる。
テントのそばのファンテイルトラックに、ヘッドライトを頼りに入って行った。10mも進めば外とは全く違う世界となる。ライトを消せば闇、何も見えない。
闇に対するおびえは人間の本能的な感情である。暗さがあるからこそ、太陽を神と奉った。月や火を拝む宗教もある。
そのままブラブラと森を散歩する。昼とは全く違う姿をライトの明かりで見た後、仲間の輪に戻る。
僕は持参の日本酒を出し、栓を抜きながら言った。
「じゃあ、そろそろこんなのいくかね」
ゴーティーが言った。
「ひっぢ、こういうのはもっとひっそり出さなきゃあ。女達のいない所でとか。すぐに飲まれちゃうよ」
ミエがさえぎる。
「そんなことないですよね。あたしもお酒いただきまーす」
「まあまあ、こういうのはさっと飲んじまうのがいいんだから。まあどーぞどーぞ」
ウマイ肴にウマイ酒、友と過ごすこの時間この空間。
他に何が必要だろう。

明くる日、雲の切れ目から晴れ間が覗く。サニーの雨女ぶりも今回は影をひそめているようだ。
僕のバンに全員乗り込み会場へ向かう。キャンプ地から会場までは車で10分ぐらいだ。
僕は初めてなので勝手が分からないが、トーマスとゴーティーについて行けばいいので気が楽だ。ガイドが2人ついているようなものだ。
入口では荷物チェック、ここで液体は全て捨てなくてはならない。ペットボトルに入った水もだ。テロの影響はこんな所まで来ているのか。バカバカしい話だ。
チケットを出して紫の腕輪をつけてもらう。これがあれば一度会場から出ても戻ってくることができる。
中に進むと一つの列が目に入る。ここでID(身分証明書)を出して成人であることを見せる。
ニュージーランドの法律では酒の販売は21才以上である。25才以下に見える場合はIDを見せなくてはならない。25才に見えるというのがミソで、そのへんが微妙な女心をくすぐるところだが僕には全く関係ない。
会場内ではビールなどを売る所は込み合うので、一々IDを見せているようでは話にならない。このテントでIDを見せピンクの腕輪を付けてもらう。ピンクの腕輪があればすんなりと酒が買える。合理的なシステムだ。
日本人は若く見られるので全員列に並ぶ。僕は坊主頭にヒゲ面でどう見ても25歳以下には見えないが手持ち無沙汰なので皆と一緒に列に並ぶ。列と言っても並んでいるのは10人ぐらいだ。
トーマス、ゴーティー達が次々とピンクの腕輪をもらい僕の番になった。受付はマオリの大男だ。
「キオラ、ブロ(よう、兄弟)オレにもピンクのヤツをくれるかい?」
男は僕の顔を見て笑い出した。
「オマエにはこんなのいらねえよ。ビールを売らないヤツが居たらここに連れて来い」
周りの人達も笑いながら頷く。まあそれもそうだと思いながら、笑っている友の輪に戻る。
最初のテントの外には朽ちた木が山積みされている。男がナタで木を割り、中のイモ虫をつまみ出す。フーフーグラブ、蛾の幼虫はイベントの目玉の一つでもある。1匹3ドル。テントの中にはフライパンで炒めたものもある。最初からイモムシもなんだなあ、と思い先へ進む。

会場内は様々なものを売るテントが並ぶ。
僕が最初に買ったのはカジキ鮪の煮付け。可も無く不可も無くといった感想。
サニーが牛の乳首を買って来た。見た目はただの脂身を炒めてあるだけ。味もただの脂身。
ゴーティーがカタツムリを買って来た。にんにくとオリーブオイルで炒めてある。みんなにおすそ分けだ。
「エスカルゴだね。どれどれ、フツーに美味しいね」
「うん、フツーにおいしい」
ゴーティーはシェフだけあって、いろいろと興味は尽きない。
「ゴーティー、あのさあ、これってゲテモノ食いの領域から出ないのかなあ。もっと美味しく食べようという工夫が少ないよね」
「そうそう。去年はイクラが出てたけど味付けも何も無く正にゲテモノ食いだったよ」
「素材の旨さを引き出すなんてのは無いのかねえ」
「無いんだろうね」
「ゴーティー、どうよ?シェフの目から見たこの国は?腕のふるいがいのある国だと思わない?」
「というと?」
「素材が何でも美味しいでしょ。肉でも魚でも野菜でも。シンプルに作ればいいと思うんだけどなあ」
「そう。だけどシンプルに作るのは本当は大変なんだよ」
「だからソースを濃くしたりしてやりすぎちゃう」
「その通り」
そんな会話をしながら会場を回る。出店の数は100以上もあり、とても全部など食べきれない。
これは、というものを買いながらみんなで味見をする。
僕が並んだテントはマウンテンオイスター。羊のキンタマである。ついでに羊の脳ミソも頼む。キンタマも脳ミソもバーベキューで焼くだけである。
キンタマは山の牡蠣というだけあって味は牡蠣に似てなくも無い。最初の一口二口なら良いがそれ以上食うとウッとなる。
トーマスがどこからかミミズを買って来た。みんなにはミミズチョコでヤツ自身にはミミズ入りゼリーである。味はちょっと泥臭いがチョコの味がほとんどだった。ミミズチョコのミミズは言われなければ分からないぐらいの大きさだが、ゼリーの方はミミズの姿も生々しくあまり食う気にもならない。ミエが言った。
「ミミズはお腹をこわすって職場の人が言ってたわよ」
「大丈夫大丈夫、平気だって」
そう言ってトーマスがミミズ入りゼリーを一気にあおるのを、全員で「大丈夫かよ、こいつ」という目で見守った。
出店は圧倒的に肉が多い。野菜は無いのかな、と思っていると一つの店が目に入った。
マオリのマークとプンガ(大きなシダ)の絵が描いてある。他の店ほど目立たなく行列もできていない。
大皿にプンガの幹の中心をスライスしたものが並んでいる。甘酢につけてあるのだ。一つ1ドル。他のものに比べ安い。僕は3種類買ってかじってみた。
サクサクした歯ごたえ、食感は山芋のようでぬめりは無い。とてもおいしい。そうか、やっぱりプンガだって食えるんだ。味付けも濃すぎず素材の旨みがでている。
僕は正直感動した。他のモノのようにハデさはないが、シンプルに美味かったのだ。肉料理の付け合せにピッタリだと思う。さすがマオリ、なかなかやるじゃないか。
出店を一回り巡って最初のテントに戻ってきた。フーフーグラブ、イモムシのテントである。
山積みの朽ちた木はほとんどが崩れ、あとは人々がてんでに木を壊し中の虫を探している。見つけたらタダで食っていいようだ。
トーマスが中に入りガシガシと木を砕き虫を見つけた。周りの人達はこれを生で食うのかと興味深そうに見つめる。と、何を思ったのかトーマスはその虫を近くで見ていた人にくれてしまった。全くお人よしなんだから。
そして再び木を砕き、先ほどより一回り大きな虫を見つけだし、今度は観客の前でパクッモグモグと食ってしまった。
僕らは生で食う勇気はなく、炒めたものを食べたが、正直そんなに美味いものではなかった。

ブラブラと歩いていると一人のパケハ(白人)に呼び止められた。
「ヘッジ!ヘッジだろオマエ!覚えているか?」
「おお!スティーブか。懐かしいな」
僕がまだ下手くそなスキーヤーだったころ、彼はコロネットピークでスキーパトロールをしていた。15年以上前の話だ。
何かの事で彼に捕まりこっぴどく叱られた。その晩に地元の飲み屋でバッタリ会い、説教の続きを聞きながら一緒にビールを飲んだ。それ以来の友達である。
「今どこにいるんだい?」
「クロムウェルでこの店をやっている」
屋台はウサギ肉のパイだ。きっちりとした食事もせずにつまみ食いばかりしていたので小腹も減ってきたところだ。せっかくだし一つもらおう。
「アナも元気か?」
奥さんのアナも元コロネットのスキーパトロールで、僕は彼女にも捕まって説教されたことがある。
「ああ、一緒にビジネスをやってる」
「そりゃなによりだ。子供は?」
「2人。7歳と9歳だ」
「うちのは5歳になって、学校に行きはじめたよ」
「お互い年をとるわけだ」
僕らはしばし会話を交わし別れた。思いがけない場所で思いがけない人と会うのは楽しいものだ。
スティーブのウサギのパイは美味しかった。僕はウサギの肉は普通においしいと思う。
ニュージーランドではウサギは牧場を食い荒らし、害獣と呼ばれる。
前に居たファームでは撃ったウサギを冷凍して、ぶつ切りにして犬の餌にしていた。
なんでも生だと病原菌がいるのだが、冷凍にすれば菌は死ぬらしい。もちろん火を通せば料理にも使える。
友達は家のキッチンの窓から1日中ウサギを撃ったことがあり、その日は57匹しとめたそうだ。
ウサギはこの国ではそんな存在だ。

会場を後にしてキャンプへ戻る。
町はずれにある橋を渡ると、警官が一人で検問をやっていた。これだけの祭りでたくさんの人が酔っぱらうのだからやらないほうがおかしい。
僕は今日はドライバーなのでアルコールを控えていた。ビールを3杯、最後に飲んでから4時間以上経っている。
車の窓を開けると若い警官が器械を出して言った。
「すみません、チェックさせて下さい。1~10まで数えてください」
僕は数を数え警官は器械を見て言った。
「ハイ、OKです。ありがとう」
「大変だね、こんな日に。ごくろうさん」
「気をつけてどうぞ」
僕は車を走らせると横のゴーティーに話した。
「絶対でないって分かっててもいい気分じゃないよね」
「そうだね。今日あんまり飲んでなかったね」
「うん、酒はキャンプでゆっくり飲めばいいからなあ」
キャンプに戻り再び宴の用意をする。と、トーマスがいない。
「あれ、トーマスは?」
「トイレ。お腹こわしちゃったんだって」
「やっぱりねえ」
「何が当たったんだろう」
「あれだけたくさんあったから分からないなあ」
「一人だけで食べたヤツだよ」
「生のフーフーグラブかな」
「ミミズだよ、きっと」
「調子に乗って食うから」
「バカだねえ、全く」
みんな本人がいないと言いたいことを言う。まあ本人がいても言うのだが。
そうしてるうちにトーマスが戻ってきた。
「どうだい、腹の調子は?」
「うん、ちょっと下したけどもう大丈夫」
「じゃあアルコールで消毒しなくちゃな。さあ、まずはビールからだな」
そしてキャンプ2日目の夜はふけていくのであった。

次の日、朝早くに散歩をする。キリリと朝の空気が引き締まっている。
僕のテントの直ぐ脇からベルバードトラックという道が森の中へ続いている。その名の通り鳥が多い。
ブラブラと歩いたあとボチボチと朝飯の支度をする。トーストを炭火で焼くという、とてもぜいたくな朝飯だ。
今日、僕はクィーンズタウンへ帰り、ゴーティーとミエはカイコウラへ。
トーマスとミホコはもう数日西海岸を周り、サニーはアーサーズパスへ向かう。
僕の夏休みは終わろうとしていた。
「あーあ、短い夏休みが終わるなあ。楽しかったなあ。こんな時にはこれかな」
僕はギターを引っ張り出し、唄を歌い始めた。
『祭りの後』吉田拓郎の古い歌は、今の僕らの気持ちにぴったりだ。
そしてもう1曲マオリの唄『アウエ』この歌はマオリの神イーヨ・マトゥアに捧げる歌で、ことあるごとに僕はこれを唄う。
今はマオリの歌のレパートリーも増えたが、最初に歌えるようになったマオリの歌だ。
今誰かに、あなたは神を信じますか?と聞かれたら、マオリの神イーヨ・マトゥアを信じる、と迷わずに言える。
僕にとってそんな歌である。
僕の歌声はキャンプ場に響いた。イーヨ・マトゥアにも届いたことだろう。
仲間と再会を約束して車に乗り込んだ。
となりでキャンプをしていたマオリのオバサンが僕に手をふった。
 

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冬至

2017-06-23 | 日記
北半球では夏至の日が南半球では冬至。
冬に至るで冬至。
温度的にはこれからどんどん冷えていくのだが、僕の心は明るい。
この時期、日の出は遅く日の入りは早い、太陽の軌道は低くあっという間に夕方になってしまう。
だがこの日を境に確実に太陽に当たる時間は増えていく。
そう考えるとなんとなく心が軽くなるのだ。

僕はよく太陽に向かって拝む。
朝、犬の散歩の時に昇ってくる朝日に向かって手を合わせて、働く人の安全を学校へ向かう子供達の愉しみをお天道様にお願いする。
お天道様という言葉も好きな言葉だ。
太陽、お日様のこともさすが、もっと大きな範囲を含めた言葉だな。
とてつもなく大きな存在で悪いことをしたら自分を戒めるような、常にそこにありながら時には叱咤し、時には優しく見守ってくれる。
そんな感じか。
僕がよく歌うマオリの天の神に捧げる歌のイーヨマトゥアが近い存在だろう。

「そんな事してるとお天道様にみつかって罰が当たるよ!」
なんてことを昔の人は悪さをする子供に言ったことだろう。
お天道様なんてものは目に見える物ではないので悪ガキなぞは信じないだろうが、そんな子供もいつか自分が痛い目に合いながら成長していく。
その人生の中でお天道様という言葉がどこかに常に存在し続ける。
そして自分が親になった時に子供に向かって同じ言葉を言うだろう。
言霊は存在する。
お天道様という言葉を発した時に、何らかの魂が宿う。
それは人間の心の中心と密に繋がり、人格というものの一部となる。
そういった人間が集まり社会というものができあがる。
今の世の中がどうしようもなくなっているのも、そういった美しい言葉が失われたからだろう。
ちなみに戦後、GHQが日本のマスコミに禁じた言葉の一つに『言霊』があると言う。
なんとなく分かるような気がするな。

僕は今では完全に言霊という物を信じているので、独り言でも汚い言葉を使わない。
言霊は日本語だけではないのである。
昔、英語を覚えたての頃は汚い言葉を使うことが格好いいと勘違いして頻繁に使っていた。
長距離バスの運転手をやっていた頃は心も荒れて、「ファック、ファック」と呟き毒づきながら運転をした。
それから数年経ち、あまりそういう言葉も使わないような心理状態になった。
ある時、一人で運転している時に狭い山道で、対向車線を大型のトラックがかなりのスピードで走ってきてカーブですれ違った。
ぶつかりこそしなかったが、ギリギリで思わず「ファック」と口から言葉が出た。
その瞬間、向こうのトラックが跳ねた小石がこちらの車のフロントガラスを直撃した。
これはストーンチップと言って、ニュージーランドでは割とよくあることである。
たいていの場合、小さな傷が付くくらいの物だが、当たった時の音はけっこう大きい。
僕はその瞬間、雷に打たれたようになり言霊というものの存在を確信した。
それ以来、その言葉を使ったことは無い。
偶然だ、科学的でない、と言う人はいるだろう。
だが僕は自分の心の中心の声を信じる。
「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。」
マザーテレサの言葉である。

冬至の話だったな。
その日僕はアーサーズパスへ行った。
道中から見えるオープン間近のスキー場に雪は無く、オープンは延期になった。
まあ、まだ冬至。
冬に至る日なので雪はこれからだろう。
久しぶりのアーサーズパスは気持ちが良かった。
ミルフォードやマウントクックのような派手さはなく地味だが、じっくりとニュージーランドの自然が残る場所で、僕は好きだ。
氷河からの雪解け水は切れるように冷たく美味い。
澄んだ空気がキリっと冷え、冬の到来を伝えている。
きれいな空気にきれいな水、豊かだ。
夏のそれとは全く違う太陽が、薄い雲を通して大地を照らした。
日の光は弱いものだが、それでもその光を浴びると体が喜ぶ。
お日様というのもきれいな言葉だな。
これからもこの世界を照らしてください。
僕はお日様に向かって手を合わせた。



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食の安全とは?

2017-06-17 | 
僕は凝り性である。
そしてまた食道楽でもある。
美味い物を食う為には努力を惜しまず徹底的にやる。
旨い卵かけご飯を食べる為にニワトリを飼うぐらいである。
実際にうちの卵は超がつくくらいに旨い。
熱々のご飯に生卵をたっぷり、少ないとご飯の熱で火が通ってしまうからね。
生卵独特の旨みに醤油の味が混ざりそれがご飯にからみつき・・・、ううむ幸せだあ。
ちなみに僕は生卵は別容器で黄身と白身をしっかり混ぜていただく派である。
特に我が家の卵は新鮮すぎて黄身と白身が上手く混ざらない。
それから生で食べるのはすき焼きなんてのも旨いな。
きっちり味が付いた肉だの野菜だのを、溶き卵にからめて・・・これも美味しいぞ。
生で食べるのは和食だけではない、イタリアーノも然り。
それがスパゲッティ・カルボナーラ。
我が家のレシピは熱々のパスタに、贅沢に卵黄だけを皿の上で混ぜる。
カルボナーラはクリーミーなソースが命で、火を通しすぎると炒り卵みたいになって口当たりも悪くなる。
パスタはバリラ、ベーコンは近所の肉屋の特製ベーコン、そこに生クリームとパルメザンチーズのソースと卵黄がねっとりと絡み合い、仕上げは粒こしょうの辛味がピリっと。
ちなみにソースの味付けは塩だけ、当然ながら天然塩。
これはそんじょそこらのレストランなんかより断然美味い、ううむ、たまらんぞ。



ある時にそんな生卵ライフにケチがついた。
知人にうちの卵をあげて、その人がブログに載せたら知らない人からコメントがついた。
大きな農家ではワクチンを摂取しているけど、うちのように個人で飼ってる場合はワクチンをやってないので危ないんだと。
海外では食中毒の危険があります。日本では生食の事を考えて洗浄、殺菌をしていますが、海外ではやっていないので生食は危ない。食べるのは自己責任で。
ああ、そうですか。仰ることはごもっとも。あなたは何も間違ってはいないさ。
じゃあ、こちらの言い分も聞いてもらおうじゃないか。
ニワトリというのは卵管が体内で直腸と繋がっている。
要はニワトリの卵というのはケツの穴から出てくる。
当然ながらニワトリの糞がくっつくこともある。
食中毒の素のサルモネラ菌なんかはそこから来るという。
我が家では餌にEMを混ぜているので糞が臭くない。
EMというのは以前にも書いたが、善玉菌と悪玉菌とどっちつかずの菌があって、善玉菌を増やすことによってどっちつかずの菌を善玉菌に変え、結果的に悪玉菌が減るというものだ。
善と悪という言葉使いがあまり好きではないが、まあ簡単に書くとそういうことだ。
ニワトリの餌に毎日EMを混ぜているので糞が全然臭くなく、これがいい肥料になる。
鶏舎の中はおがくずを敷き詰めて、毎日糞を拾いコンポストの容器に入れるので鶏舎の内側は清潔だ。
そしてその日に生まれた卵は一つ一つ布巾で拭いて汚れを落とし、殻に日付を書いて生食は新しい物から食べる。
洗浄殺菌こそはしていないが、これぐらいやれば大丈夫だろう、というところで生でガンガン食うのである。
それで当たったら仕方ない。
いや、それ以前に人間の体はそんなにヤワじゃない。
さすがに病気などで抵抗力が弱っている時に疑わしい物を食えば食中毒の確立はぐんと高まるだろう。
でも普通に健康だったら、多少の菌は体の方でなんとかしてくれる。
ましてや、我が家のようなニワトリも健康という飼い方をしていれば確立だって低くなるだろう。
全く科学的でないし、実際にサルモネラ菌があるのかどうか調べたことなどないし、これからも調べる気もない。
でも、うちの卵は安全だと僕は信じる。
その確信とは自分の行動から来るものだ。
それを、なんだ?ワクチンやってないから危ねえだ?海外の卵は危ねえだと?
ふざけんじゃねえぞ、このすっとこどっこい!
手前が食わないのは勝手だが、自分で何も行動を起こさずにあーだこーだいう了見が気に入らねえ。
手前みてえのは血も涙もねえ丸太ん棒みてえなヤツだぁ!呆助ちんけぇとう株っかじりぃ、この芋っ堀りめぇ。
でけえ面するない、黙って聞いてりゃ増長しやがって御託が過ぎらあ。
こちとらでけえ声は地声なんでぇ、まだまだまだまだせり上がらぁ。
この蛸の頭にすっぱらべっちょにあんにゃもんにゃ、そいからオマケにウマの骨にウシの骨、ひょうたんボックリコォ。
うちのヤツらはそんじょそこらのニワトリさんとはニワトリさんの出来が違うんでぇ。
分かったら味噌汁で顔洗って出直して来やがれぇ!!!!



ああ、すっきりした。
なんか、今、一瞬だけ聖笑師匠が降りて来たようだったな。
結局のところは食いたきゃ食えばいいってことだし、自分が危ないと思えば食わなきゃいいだけの話だ。
そうは言うものの、うちの卵だって100%安全ではない。
だいたい100%の安全などというものはない。
そもそも安全というものはどういうことだ。
それは誰かがお墨付きをするものなのか?
人が安全と言えば、安全なのか?
そこに大きな勘違いがある。
例えば賞味期限というもの。
あれだって賞味期限を過ぎても食べられる物はいくらでもある。
僕の友人の話だが、彼の家は田舎のよろず屋で食卓には常に店の売れ残りのものがあったと言う。
賞味期限切れの物なのだが、各自が食べる時にそれの匂いを嗅いで、食べれるものを食べるというのがその家のやり方なんだそうな。
だから賞味期限なんて、あってないようなものだとヤツは言った。
ふうむ、家庭内で自己責任か、すごいな。
今の世の中、賞味期限の内だったら、まあどんなものでも食べられるだろう。
ただし『食べられる物』と『美味い物』は違う。
やっぱり新鮮な物は美味い。美味いし、安全だと思う。
生卵万歳人生はまだこれからも続く。



でも全く逆の話で、古い方が良いというものもある。
発酵食品である。
発酵食品と一口に言っても、納豆 漬物といった食品から、チーズ ヨーグルトと言った乳製品、僕の大好きな酒類、味噌 醤油といった調味料に至るまでものすごい種類がある。
共通しているのは菌の力によって出来上がるということだ。
その物や菌の種類によって発酵の温度や期間が変わるし、保存の期間も変わる。
1日で出来るものから、数か月、果ては何年というものまで、まさしく多岐多様なのである。
腐ってダメになるものもあるし、いつまでも腐らないものもある。
腐らない物の代表格が味噌であろう。
味噌は発酵の期間や材料によって味が変わる。
今やニュージーランドでも本物の味噌が手に入る。
僕の友達のゴーティー(トーマスと共通の友達でもある)がネルソンで味噌屋をやっている。
天然塩とオーガニックの大豆で作る味噌は絶品で、我が家では常にこの味噌を使っている。
一度だけ味噌を作ったこともあり、その時は旨い味噌が出来たのが、その手間やコストなどを考えると友の造る味噌を買った方が良いという結論に達した。
自分でやってみるのは良いことだが、自分一人でやる事にも限りがある。
今では味噌造りはあきらめて、お金を払って味噌を買っている。
自分が納得のいくお金の使い方だと思う。
この味噌のパッケージに製造日と賞味期限が書いてある。
賞味期限は1年ぐらいという表記だが、味噌には賞味期限などない。
前にまとめて買った味噌を何年か放っておいたら発酵が進んで見事な赤味噌になった。
これはパッケージの中でも菌が生きているからであって、常温では発酵が進む。
そのまま発酵を進めると色は黒っぽくなっていくので、ほどほどのところで冷蔵庫へしまうと発酵は止まる。
味は見事なぐらい最初の物とは違う、独特の赤味噌風味で別の製品として売れるだろう。
家ではこの合わせ味噌で味噌汁を作っているが、二つの味噌を合わせる合わせ味噌なんてものも考えてみれば和食のテクニックだな。
もともと味噌には賞味期限なぞないのだが、こちらではそれを理解してもらうのが難しいようで、ゴーティーもまあ仕方なく賞味期限をパッケージに載せたようだ。
それより今の現代人に欠けているのは『食べ物も生き物だ』という心ではなかろうか。
生きている味噌だからこそ常温で発酵が進み独特の味が出る。
生きているものだからカビ菌が繁殖して食べられなくなるものもある。
菌というものがあればこそ発酵ができるのだ。
人間の体の中だっておびただしい数の菌が生きている。
その菌を極度に恐れおののき、殺菌、抗菌、除菌といった名前の商品が売れている。
なあ、そろそろ菌を悪者扱いするのやめないか?
そりゃ中には人の健康を害するものだってあるが、ほとんどのものは人畜無害だし、有効利用できるものだって多い。
菌は目に見えないので『生き物』という感覚はないが、部屋の隅でビール作りの樽がコポコポと音を立てているのを聞くと、ああ生きてるなあと愛おしく感じるのだ。



さてその菌を利用した発酵食品の数は100を超える。
納豆、ヨーグルト、味噌、醤油、アルコール類、パン、漬物はもちろん、「え?こんなものまで」と思う物もある。
紅茶、鰹節、醸造酢、アンチョビ、タバスコ、カカオ、ナタデココ、も発酵食品の仲間らしい。
僕が最近作り始めた発酵食品は黒にんにく。
これが体に良いらしい。
「体に良い」という言葉は、テレビでみのもんたがその言葉を使うと次の日にスーパーからその物がなくなるという魔法の言葉である。
その裏には潜在的に病気に対する恐怖、不安、怯え、といった想いがあり、またその魔法の言葉を利用しているのが今の社会だが、その話を始めるとキリがなくなるので話を元に戻して黒にんにく。
この効果たるものすさまじい。
疲労回復・風邪予防・血液サラサラ・精力アップ・がん予防改善・生活習慣病予防・アレルギー(花粉症・ぜんそく・アトピー)改善・高血圧・動脈硬化・夏バテ・美肌・アンチエイジング(老化防止)・便秘解消・冷え症の改善・ダイエット・うつ病・気力UP。
いや、もうこれさえあれば医者も病院も薬もいらないじゃん、というぐらいの代物である。
そんな医学会、病院、製薬会社、健康サプリメント産業その他もろもろの存在を脅かすような食べ物を作ってしまったのだが、これが絶妙に美味いのである。
体にいいから、と言って不味い物をガマンして食べるのは何か違うと思う。
体にいい物は美味い、と同時に、美味い物は体に悪い。
矛盾しているように聞こえるが、どちらも真実だ。
僕は体に良くても不味い物を食べたくない。
この黒にんにくは味付けなど一切せずに保温発酵させたものだが、プルーンに似た甘さと酸っぱさがある。
家では毎年にんにくを何百株も作るので、これならばすべてを有効利用できる。
ただしどんな上手い話にも落とし穴はある。
この黒にんにくが出来て美味かったものだからパクパク食べたら、おならが臭いこと臭いこと。
毒ガス製造人間に変身してしまった。
あの独特のゆで卵のような、温泉の硫黄のような、あの匂いである。
臭いことは臭いのだが、自分の匂いというのは不思議と我慢できるものである。
布団の中でして、ちょっとパタパタするとムワっと来るあの匂いを嗅いで、よしよしなどと思ってしまう。
不思議なもので自分の臭さは我慢できるというか、どちらかと言えば好きなのだが、他人のそれは我慢できない。
例え親子で血が繋がっていようが、嫌だ。
親子でも嫌なのだから、もともとの他人である僕の奥さんの苦悩たるや計り知れない。
次の日、黒にんにくを入れた容器に『食べすぎキケン』という女房が描いた絵が張られた。
食の安全とはなかなかに難しいものである。








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トーマスと川下り 4

2017-06-13 | 
次の日の朝、辺りは明るくなっても谷の底にはなかなか日が差し込まない。
特にこの時期、太陽の角度は低く、それに加えU字の谷は深い。
全てのものが露でびっしょりと濡れる時に小屋泊まりはありがたい。
昨日の川下りで濡れた物も乾いて快適である。
ゆっくりと朝飯を食べ、小屋の掃除、そして昨日外に干してあったパックラフトをたたみバックパックにつめ、小屋を後にした。
パックラフトの利点は小さく畳める、そして軽いことで、バックパックにすっぽりと収まるし、パドルは切り離してバックパックの横に収まる。
上りは背負って歩き、下りは川をどんぶらこ、と流れていく旅ができる。
昨晩、小屋の中の地図を見ながらトーマスと目論んだプランは、この川を海までパックラフトで下り、そこから山を登り再び川下りである程度内陸部へ戻り、最後は歩いて戻ってくるというプラン。
これはホリフォード・ビッグベイパイク・ルートと言ってニュージーランドではクラッシックなルートである。
トーマスは以前歩いたことがあり、僕もいつかはやりたいコースの一つだ。
6日間のルートで行程的には問題ないのだが、問題はお互いがそんなに休みを合わせられるかというところだろう。



歩き始めるとすぐに小川にかかるつり橋がでてきた。
ヒドゥンフォール、隠れ滝から来ている川だ。
つり橋を渡り、ちょっと寄り道をして滝を見に行く。
隠れ滝の名の通り近くへ行くまで見えないが、近寄って見ると存在感のある立派な滝だ。
水量も豊富で雨の時にはすごい光景になるのだろう。
トーマスが「たまにはね」と言いつつスマホを出して、セルフィーで二人仲良く、はいチーズ(死語)。
死語が似合うオヤジ二人、再び歩く。







道は平坦で歩きやすい。お散歩のようなものだ。
道は川沿いを通り、昨日ハイカーとすれ違ったであろうという場所に来た。
ナルホド、こんな所をプカプカ流れるのをこちらから見れば羨ましいだろうな。




「そうそう、これが最後のトラップだ」
前を歩いていたトーマスが声をあげた。
近寄って見るとストート(おこじょ)を捕るためのワナがしかけてある。
何年か前にトーマスが設置したのだと言う。
最後のという意味は、川の上流方面からワナを設置してきて、ここまでやったという意味だ。
道から離れれば離れるほど、それを担いで歩く距離も長くなる。ワナだって軽くはない。
そういう地道な作業によってこの国の自然は守られている。
表立って見えないけれど立派な仕事だ。
こういう友を僕は尊敬する。






さらに先へ進むと一つの橋に差し掛かった。
「ここは何回直しても大雨が降る度に壊れちゃうんですよ」
言われて見るとナルホド、直した跡が見える。
「ゴール地点ではサンドフライが多いので、ここでご飯にしましょう。ここはヘリパッドでサンドフライも少ないんです。」
まるでガイド付きの山歩きみたいだな。
僕はこの場所は初めてなのだが、トーマスには仕事場なのである。
昼食後、歩き始めてすぐに釣り橋が見えてきて、あっけなくゴール。
昨日ボートを漕ぎ出してから24時間、たかが24時間されど24時間。
距離でいえば片道10キロちょっとか。
やる気になれば日帰りで、いやもっと急げば半日あればできる行程だろう。
だが急ぎ足では見えない物もあるし、じっくりと自然に浸る感もできなかろう。
じっくりと、のんびりと、ゆったりと、徹底的に密度の濃い時間を過ごした。



充実感に浸りながらテアナウまでドライブ。
「次はどこのトリップへ行こうかね」
「エグリントン川を一番上から下まで下るなんてのもあるよ」
「ふむふむ、それもいいかもね」
ワクワク感は止まらない。
パックラフトという物で、今までとは一味違うコースの組み立てができる。
必要なのは走り続けることじゃない、走り始め続けることだと、竹原ピストルも歌っている。
新しいことを始める時に、「そんなの大変じゃないの?」「そんなのうまくいかないんじゃないか」などと否定から入る人がいる。
大切なのはやってみること。行動を起こすと、結構なんとかなっちゃうものである。
新しいこと、面白そうなことをどんどん始められる人は素敵だ。



テアナウのトーマス宅に帰ると奥さんのミホコから伝言の張り紙があった。
「至急、ボスのリチャードに連絡してください。」
テアナウから先は携帯の電波が届かない。
ボスのリチャードが仕事のことで連絡を取ろうとしたが圏外だった為アロータウンの家のフラットメイトに連絡し、そこでヤツはテアナウに行っているという話でテアナウのトーマス宅に連絡、奥さんのミホコにメッセージを託したわけだ。
ボスに連絡を取ると、その日のうちにケトリンズに来いと。
当初の予定は次の日からの仕事だったが急にプランが変わったのだろう。
撮影の仕事でこういうことはよくあることだ。
ホリフォードの余韻に浸るひまもなく、僕はそのままケトリンズへ向かった。
翌日は早朝からの仕事で、その時に目が覚めるような朝焼けを見た。
つい前日までは西海岸に近い手付かずの原生林にいたのに、今は南海岸で太平洋から上がる朝日を見ている。
ギャップの大きさに頭がクラクラしてしまうが、こんな旅の終わり方も自分らしくて面白いものだ。
地球ってやっぱり素敵だな。
朝焼けの海を見ながら、ふとそんな事を思った。





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トーマスと川下り 3

2017-06-11 | 
さらに川を下っていくと遠くに人影が見えてきた。
こんな所に自分たち以外にも人がいるんだ。
近寄って行き、挨拶をする。
僕達と同じようにパックラフトで川下りをしながら、途中で釣りをやっている男達が3人。
彼らのパックラフトはアメリカ製だがトーマスのはニュージーランド産。
その名もコアロ。コアロとはマオリの言葉でこの国の川魚の名前である。
激流ではなく穏やかな流れに住むこの小魚、ときどきルートバーンを歩いていても見る。
パックラフトも急流ではなく、流れが緩やかな場所向きで、それを商品名とするところが好い。
ひとしきりパックラフトの話で盛り上がり、僕達は再び漕ぎ出した。





川から見る眺めは森歩きとは違う。
森歩きだと木々の切れ間から山が見えたりするが視界は開けない。
川下りだと常に視界が開けていて、気分が良い。
その分、雨の日や風が強い日は大変なんだろう。
森の中から鳥が川の方へ飛び出して、虫を捕まえてまた森に戻っていく、そんな光景を何十回と見る。
こんなのも普通に山歩きをしていたら気付かない。
川を下ることでここまで劇的に自然の見方が変わる。
今までとは違う角度でこの国の自然を楽しめる。
こりゃトーマスが夢中になっちまうわけだな。



穏やかな流れを進んでいくと人の声が聞こえてきた。
歩く道も川と平行しているのだろうが、川の方が低いのでこちらからは山道が見えない。
まもなく川の下流方向から数人のハイカーが歩いてくるのが見え、その中の一人が声をかけてきた。
「あらあら、あなた達、それは楽しそうね。」
「こんにちは。とっても気分がいいよ」
「なんと言っても、歩かなくていいしね」
「楽ちんさ」
「気をつけて楽しんでいらっしゃい」
向こうから僕達はどういうふうに見えるのだろう。



遠くから水音が聞こえてきた。
Hidden Falls 日本語で言えば隠れ滝という滝の音だろう。
この滝のそばの山小屋が今回の折り返し地点である。
上陸地点までそんなに遠くなく、日はまだ高い。
このままフィニッシュしてしまうのはもったいないので、川岸に船を上げて上陸。
しばし休息である。



倒木に腰を下ろすのと同時にサンドフライがやってきた。
サンドフライはブヨのような虫で、刺されると痒いが、かかなければ痒みはすぐに引く。
ただし、かきむしったりすると腫れは広がりいつまでも残る。
西海岸はサンドフライも多い。
マオリの言い伝えでは、人間に来てほしくないようなきれいな場所にはサンドフライが多いのだと、なるほど。
僕らはもう慣れっこで、そういうものだと思っているが、他所から来た人には恐怖と憎悪の対象だ。
観光客のおばさんがこの虫を追い回す時はすごい形相であるし、ヒステリックに嫌がる人も多い。
無造作に追い払う地元の人より、必要以上に毛嫌いする人の方へ虫も多くたかるのが不思議だ。
現代人が虫を毛嫌いするのは、無菌室で育った人が菌に対して免疫が無いのと同様の脆さのようなものを感じる。
以前、ミルフォードサウンドで仕事で行った時に、別のグループの添乗員(50代、オバサン)がお客さんにこう言っていた。
「サンドフライをつぶさないでください。臭いですから」
僕は長年ここに住んでいるがサンドフライを臭いと思ったことなどなく、変な事を言う人だなあと思った。
それを聞いたお客さんの反応がすごかった。
サンドフライがブーンと飛んでくると鼻をつまんで「わあ臭い、わあ臭い」と言って必死で追い払うのだ。
「お前、自分で匂いを嗅いでないだろ」という心の声を胸の奥に、人間の心理とはこういうものだなあと、僕はあきれて見ていたのだった。





再び川を下り始めると滝の音は聞こえなくなった。
「この先に小川があるはずです。それを超えた場所が上陸地点です」
トーマスが言った。ガイドとはありがたいものだな。
ほどなくしてそのポイントが見えてきた。
僕らは船を岸に着け、降りてボートをたたんだ。
たたんだボートをバックパックに縛りつけ、川から一段上の草原へ上がるとすぐに山小屋が見えてきた。
ナルホドこりゃ近くていいな。
5分ほどの歩きで今夜の宿であるヒドゥンフォールスの山小屋に到着。





山小屋は一つの建物の4分の3ぐらいが一般用で残りがスタッフ用になっている。
スタッフ用の施設は二段ベッド、キッチン、ストーブ、僕らは使わなかったがシャワーまでもついている。
トーマスはドックのスタッフなのであらかじめ鍵を借りてきていて、僕達はスタッフ用の施設を使える。
こんな時に日本だったら木っ端役人が「仕事で行くのではないのだからスタッフ用の施設は使ってはいけません」などと言うこともあるのだろう。
ここではそんなケチ臭いことは言わない。
それはトーマスの信用もあるのだろうが、僕も役得にあずかり快適な二人部屋を使わせてもらった。
先ずは服を着替え、パックラフトその他濡れているものを外に干す。
暖炉を点ける前にポンプを手で回し水をタンクに貯めるなどと、小屋には使用上の注意が書いてある。
ポンプを回す、外の薪を運んでくるなど、作業をしていると夕暮れ時になった。





外に出て山すそに沈む夕日を眺めながら、本日の乾杯。
今日も文句なしに「大地に」だな。
自然の中でとことん遊んだ日の最初の一口を大地に捧げるという儀式を始めた相方のJCは、今では北海道で鹿撃ちの猟師になっている。
そして友と乾杯。
今日はビールではなく、トーマス特製のプラムワイン。
けっこうずっしりとくる赤ワインである。
これがなかなかどうして、旨い。
ヤツはこんなものも作っちゃうのか、すごいな。
人里から遠く離れ、太古の昔から続いている自然に抱かれ、友の作った酒を飲む。
人間とはちっぽけな存在だが、小さいなら小さいなりに存在し続ける。
こうやってこの瞬間にこの場で酒を飲むこともまた、自分なりの存在なのだろう。



そのまま晩飯に突入。
晩飯はステーキに白飯である。
奮発して高いステーキ肉を買ってきたからね。
男同士の夜もまた楽し。
ワインを飲みながらテーブルの上の地図を眺めて、あーだこーだ。それがいいのだ。
2本目のワインの終盤でトーマスがダウン。
昨晩は僕が先につぶれてしまったが、今宵はヤツが先につぶれた。
これで1勝1敗か。

続く




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トーマスと川下り 2

2017-06-11 | 
翌日、僕達はホリフォード・バレーへ向かった。
いよいよ今回のメイントリップ、1泊2日の川下り&山歩きである。
今回は翌日の仕事に備えて早めにクィーンズタウンに戻りたいという僕の都合を聞き入れてトーマスが予定をしてくれた。
半日かけてのんびり川下り、半日かけてのんびり歩いて戻ってくる、そしてのんびりとクィーンズタウンに戻るという、とことんのんびりトリップだ。
のんびりと朝飯を食べ、妻子を送り出し、のんびりと準備をして出発。
5月になると太陽の角度も低く、谷底に日が差すのはお昼時から数時間。
なので出発地点でお昼を食べて、日が高い時に川下りをしようという話である。
おなじみのミルフォードロードから折れてホリフォード・ロードへ。
観光道路からの道は未舗装となり車もほとんど通らない。
この最果て感がたまらなく良い。



車を進めていくとモレーンクリークの登山道にさしかかった。
僕らは車を停め、吊橋から川を眺めた。
「トーマスよお、ここを歩いたのは何年前だっけ?」
「あれは娘のマキが生まれる前だったから、かれこれ10年以上も前じゃないかな。」
「そうかあ、そんなになるんだ。お主との二人旅もあれ以来だよな」
「そうそう、お互いに忙しくなっちゃったからねえ」
10年前に歩いた話を僕はに残した。
その時にボランティアだったトーマスは今では正式に雇用され、鳥を保護するチームの主力メンバーとなり、若い世代に仕事を教える立場になっている。
僕は基本的には変わらずに同じ事をやっている。
10年前に歩いた時に見上げたリムは同じ場所に立ち続け、あの時と同じように僕らを暖かく見守っていた。





車を進め、道の終点へたどり着いた。
この先は歩く道しかない。ホリフォードトラックの出発点でもある。
ボートに空気を入れて膨らませ、水に浮かべて、昼飯を食う。
ランチはトーマスが作ったおにぎり。日本人じゃのう。
昼飯を食ってる間に中の空気が冷やされ収縮する。
そして乗り込む時に空気を足して再度パンパンにするのだ。
と偉そうに言うが、全部トーマスの受け売りである。
バックパックを船の前部にしばりつけ、船に乗り込み、いざ出発。
流れに漕ぎ出した。





漕ぎ始めて数分、人の気配は一切消えて、完全な大自然の中に身をゆだねる。
流れは穏やかで漕ぐというよりボーっと流されて、時々思い出したように船の軌道を修正する程度だ。
スキーで言えば初級者用コースと言った具合。
ただしスキーの初級者コースでも完全に平らではなく所々にちょっとした凹凸や一瞬だけ斜度が変わるような場所はある。
それと同じように小さい瀬があったり、川が折れ曲がっている場所などで二つの流れが合わさるような所もある。
油断して流されていたら倒木にぶつかって沈しそうになった。
もし沈をしても川は浅いし流れは緩やかなので溺れる心配はない。
ちなみに僕はまだ沈したことはない。
したことは無いが、もしそうなったらどうする、ということを頭の中でシュミレーションはしている。
してはいるが、頭で想像するのと、実際にやってみるのとでは違うものということも理解している。
経験として沈は何回かした方がいいと思うが、できれば夏の暑い日にやりたいものだ。
季節は秋、水は切れるほどに冷たく、濡れてもいいような服は着てはいるものの、できることなら服は濡らしたくない。





「この辺まで来るとだいぶリムが増えますね」
トーマスがつぶやいた。
確かにその通りで、ミルフォードロードはこの川の上流から源流部を通り、植生も高山植物から標高の高い所に生えるブナの森だ。
だがここまで来ると標高は200mぐらいで川の周りは湿地帯。
植生もリム、カヒカテア、といったこの国固有の針葉樹が増える。
林相が変わるとはこういうことだ。
雰囲気はもはやタスマン海がある西海岸のそれだ。
僕はここの西海岸の雰囲気が好きで、以前は1年に1回は足を運んでいたのだが、最近はそういうこともめっきり少なくなった。
今回は忘れかけていた西海岸への想いも思い出すことができた。





船体の横にカラビナでコップをくっつけてあり、川の水をすくって飲む。
水は透き通るように綺麗で冷たく、当然ながら美味い。
そのまま飲めるような水が流れる川の川下りなんて贅沢な遊びだ。
綺麗な空気と綺麗な水、本来は地球上のどこにでもあったものだろうが、それらが今や人間の世界からは最も遠い所にある物になってしまった。
川は適度に折れ曲がっていて、その場その場で景色が微妙に変わる。
雲が切れて切り立った山と氷河が姿を現した。
一つの流れ込みを通過。この沢はあの氷河から来ているんだろうな。
そしてまたその水をすくって飲む。
幸せだ。





ひたすらのんびりの川旅はいろいろなことを考える時間もある。
時間的に言えば数時間だが、密度の濃い時間である。
大自然という言葉が世俗的に感じてしまうぐらいの環境なのだが、そんな中にいると否応なしに自然のこと、地球のこと、地球の上での人間社会のことを考えてしまう。
僕達がこうやってのんべんだらりんと川下りをしている間にも、地球の裏側では人間同士が殺し合いをしているし、住む所を追われ日々の暮らしに窮している人もいる。
あまりに我が身とかけ離れた出来事だが自分と無関係ではない。
戦争を止めない人達を「あいつが悪い」と言うのは簡単だが、自分にもその責任は僅かでもある。
同じ星に住んでいる者としての責任は常に存在する。
もちろん僕は悪くない。悪くないが関係なくもない。
自分だけが良いのではなく、戦争を止めない人達の心の痛みも自分の物として受け入れることが、ワンネスというものではないだろうか。
そして目の前の自然に浸れることに喜びを見出し、今この瞬間に自分のできること、のんびりと川下りをするということを思いっきり楽しむのが、自分のやるべきことなのだろう。
人間とはどうあるべきか、何をするべきなのか。
答えの出ない問いを考え続けるのも、これまた人間の役割なのだろうか。

続く


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トーマスと川下り 1

2017-06-09 | 
「今年もダメだったかな」
そんな会話をトーマスとしていたのが4月の半ばのことだった。
以前は1シーズンに1回ぐらいは時間を合わせて二人で山に行ったりしていたのだが、最近はめっきりそんなこともできなくなった。
テアナウに行けばヤツの家に世話になり、一緒に飲んだりするのだが、山に一緒にという機会はここ数年ない。
数年どころかもう十年近くになるか、最後に一緒に行ったのはモレーンクリークだ。
今年もダメだったかなという話の矢先に僕のスケジュールが変わった。
ゴールデンウィークのツアーが金曜日の朝早くに終わり、その後の週末がまるまる休みになった。
トーマスも週明けから忙しくなるが週末は大丈夫ということだ。
そして天気も週末にかけて晴れそうな具合だ。
これは「行け」という神様の訓示であろう。
こういう指図には素直に従わなくてはいけない。
金曜日の朝にツアーの仕事を終わらせ、身支度を整えテアナウへ。
トーマスもお昼までの仕事だということだ。
勝手知ったるトーマスの家では誰も帰っていなかったので、勝手に犬のソラを散歩に連れて友を待つ。



そうしているうちにトーマスが仕事から帰ってきて、お昼からエグリントンリバーで川下り。
翌日からのホリフォードリバートリップの前哨戦というか、練習というか、足慣らしならぬ腕慣らしである。
今までの僕達の山旅は、頼るものは自分の足のみという、まあ普通にすべての物を担いで歩く山行だった。
今回はパックラフトというものを使って川下りと山歩きの両方を楽しもうというわけである。
パックラフトとは簡単に言えば一人乗りの空気で膨らませるカヤックのようなものだ。
ラフティングのボートの一人用と思えばいいかもしれない。
カヤックとラフトボートの中間と言ったところで、スプレースカートもついているので多少波をかぶっても水が入ってこない。
あまり急流や激流には向かず、静かな流れの所をゆっくりと流されるのに適している。
僕は1回だけ試させてもらったが、初心者でもそれほど難しくなく、2回目はどこへ行こうなどとトーマスと話していたのだ。
川下りをするのでゴール地点に車をデポして、スタート地点へもう1台の車で向かう。
行く先はエグリントンリバー、ミルフォードサウンドへ行く途中にある川である。
見慣れた道から数分歩き、ボートを組み立てる。
そしていざ、流れに漕ぎ出す。



秋の日差しは柔らかく、優しく僕達を包む。
普段見慣れているはずの景色が、川からだと違う風景となり、五感をくすぐる。
「これはいいぞ!」思わず声が出た。
こんなワクワクする瞬間は久しぶりだ。
だだっ広い谷間の中を進んでいくと前方に森が見えてきた。
まるで僕達の行く手を遮るように森が広がる。
「どこに行くんだろう、この先は!」
なんて思わず声が出るが、トーマスはニヤニヤ笑っている。
まあ行き止まりなんてことはないだろうが、行く先が見えないドキドキワクワク感は上がる一方だ。
そんなドキドキ感が極まりきった頃、エグリントンゴージ到着。



なるほどな、だだっ広い谷間がキュッと狭まっているので遠目には谷間が見えない。
間近に来れば、川が渓谷に入っていくのが見える。
この渓谷が本日のハイライトである。
渓谷に入る前に上陸してしばし休憩。
渓谷の中は流れも穏やかで、深い淵になっているのが見える。
水遊びをするにはちょうどいい場所だ。
夏の暑い日に、家族と僕の姪の瑞穂を連れてきて、ここでスイカ割りをしたのだと言う。
ううむ、きっちりと父親の仕事をしてるなあ。





いよいよ渓谷の中へ入っていく。
両側が切り立った岸壁の中をゆっくりと流されていく。
奇岩と呼んでいいような岩は自然が作り上げた芸術だ。
車で何百回も通っていたすぐ脇にこんな場所が存在していたなんて。
こういう場所があることは聞いてはいたが、それと自分の身を実際にここへ運んで感じるものとは別物である。
この空間は晴れの日も雨の日も存在し続け、その一瞬を僕は垣間見た。
大雨で増水した時には違う景色になっていることだろう。
自分が知っていることは、自分が何も知らないことである。
どこかの哲学者の言葉が頭に浮かんだ。



川の流れは一定ではなく、常に動いているものである。
流れが横から来て岩にぶつかって向きを変えるという場所もある。
そこに不用意に近づいた時、流れに押され岩にぶつかりそうになり、船体が横にぐらっと傾いた。
教わったわけではないが反射的にパドルで水面を叩くように押してバランスを取り戻した。
そうか、こういう感じで沈をするんだな、気をつけよう。



渓谷を抜けると青空が広がっていた。
渓谷の中と外とでは別世界のようだ。
見慣れた山が遠くに見える。
遠くに車の音が聞こえる。
ミルフォードロードから一瞬だけこの川が見える所があるが、その辺りなんだろう。
人間の住む世界に戻ってきた感じだ。
そしてまもなく上陸。
前哨戦のエグリントンゴージ・トリップ無事終了である。



車をピックアップしてトーマス家に戻り、後片付けと翌日の準備。
翌日は1泊2日のトリップなので寝袋、洗面用具、食料、酒、その他もろもろをバックパックに詰めてラフトボートの前部に縛り付けていく。
バックパックがどのように取り付けられるかあらかじめテストをしておく。
山行にはいろいろな準備が必要なのだ。
その晩はトーマス家で団欒の食卓である。
奥さんのミホコとも短くは無い付き合いである。
昔僕は長距離路線バスのドライバーをやっていたことがあり、その時に最悪中の最悪な客がいて、そいつが日本人のワーホリ娘の横に座った。
「ごめんね、こんなヤツが横に座って」とその娘に謝ったのだが、それが彼女だった。
彼女は彼女で、ドライバーが日本人だったとは思わなかったらしく、大変な仕事だなと同情してくれた。
ミホコとトーマスの結婚式にも呼ばれたし、お父っつあんと一緒に山を歩いたこともケプラー日記いう話のネタにした。
トーマスもミホコも僕もお互いに歳を取り、子供は育つ。
赤ん坊だった娘は少女となり、パックラフトで一人でエグリントンゴージを漕いだ。
僕の娘の深雪はティーンエイジャーとなり、親父と一緒にスキーになんぞ行ってくれない。
その晩はトーマス特製ビール、これがアルコール分が強いというのを忘れ、うっかり飲みすぎて早々とつぶれてしまった。
カヌーで沈はしなかったが、トーマスのビールで沈没。

続く
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トーマスとモレーンクリーク 2

2017-06-03 | 過去の話
素早くテントを張り、ビールを小川に浸す。コケの中をぐちゃぐちゃ歩きまわり薪を探す。
倒木はいくらでもあるが、どれもコケをびっしりと付け、湿っていて燃えにくそうだ。
小川を渡った所に、ブナが何本も倒れていてその枝を折り焚き火の場所に何回も運ぶ。ぐちゃぐちゃの靴を脱ぐ前にやることをやっとく。
トーマスが枯れ木の中で枝をバキバキ折りながら言った。
「いやあ、今日の焚き火はしぶそうだなあ」
「みーんな濡れてるねえ」
「この枝だってほとんど朽ちていますからねえ」
「シダの葉っぱを下に敷くといいみたいだよ」
「ナルホド、やってみましょう」
シダの古い葉をかき集め焚き火の跡地に敷き詰めるのはマオリの知恵だ。その上に比較的乾いている小枝を積み上げる。
火をつけると白い煙をもうもうと出し、チョロチョロと燃え始めた。メラメラというにはほど遠い。
さあ、やっと濡れたブーツから足を解放させられる。乾いた靴下を履き服を着替え、小川からキンキンに冷えているビールを出す。
焚き火は相変わらず心細い勢いで燃え、白い煙がぼくのテントを包む。
「あーあ、またテントが焚き火くさくなるなあ」
ボクはつぶやき、最初のビールを開けた。
「今日も又、間違いなく『大地に』だね」
「大地に」
自然の中でとことん遊ばせてもらった時、その日最初のビールの一口を地に捧げる。
『そんなのビールの無駄じゃん』と思う人には、そう思ってもらって結構。これは自分の心の中の話だ。
友が始めたこの儀式をボクらはやり続ける。もう何回これをやったのだろうか。
できれば毎日やりたいところだが、そうもいかないだろう。



煙くさいテントで一晩過ごしたあと、テントに余計な荷物を置きボクらは再び歩き始めた。
空は晴れているが谷間の中は日が差し込まず、全ての物が露で濡れている。
森を抜け、開けたところで地図を見て方向を確認。この辺になると地図上の点線も切れている。右手は垂直な岩の壁が続いているが、1カ所だけ『あそこなら、なんとか登れるかもしれないなあ』という切れ込みがある。そこを目指して進む。
オレンジマーカーは無く、歩きやすそうな所を探しながら歩く。足元は大小の岩が重なり不安定だ。
かなり大きな石でも不用意に体重を乗せるとグラリと動く。
そんな登りを1時間も続けると、やっとレイク・アデレードが見えてきた。湖の周りは岩の壁で囲まれ、容易に人を近づけさせない。
「あれがレイク・アデレードかあ。まだまだ遠いなあ」
13~15時間。納得。
今回はボク達にも時間は無く湖まで行くのは最初から諦めていたが、もし湖まで1日で、と考えていたら途中でイヤになっただろう。
湖に背を向けてさらに登る。
周りにはスノーベリー、日本でいう白玉草が白い実をつけポツリポツリと生える。この草は赤い実をつける種類もあるが白い実の方が美味しい。ほんのり甘いスノーベリーを食べながら黙々と登る。



一つのテラスで名もない小さな氷河の末端部を越える。
数年前にはこの氷河だってもっと長かったのだろう。
周りには運ばれてまもない土砂がたまり、以前の姿がありありと見える。
そして数年後にはどんどん短くなり、やがて消えてしまうのだろうか。
それとも再び大きな氷の流れとなり周りの岩を削りながら運ぶ時が来るのだろうか。
ある見方をすればこんな氷河など単なる氷の塊である。そこに命などなく、生き物として見るのはナンセンスだ。
果たして本当にそうか?氷河は生きていないのか?人間が氷河の命を感じ取れないだけではないのか?
ボクは目の前の氷河を見ながら消えいく者の寂しさを感じた。物言わぬ者の哀しみを感じた。
さらにボクたちは上り、大きな岩のとっかかりについた。
周りを見渡しても、これ以上登るならここしかないでしょうという場所だ。
ここから先は岩登りである。斜度は45度ぐらいだろうか。両手を岩につきながら登る。
一つのテラスで休憩。ここから先はさらにきつくなる。目指す稜線ははるか上だ。
「なあ、トーマス、上まで行くには時間がないんじゃないか?」
「僕もそう思ってたんです」
「オマエならこんな岩場どうってことないんだろうけど、オレはダメだな。時間をかければ行けるだろうけど、そんなことしてたら暗くなっちまうしなあ」
「そうですね。ここで引き返しましょう」
「悪いな、足をひっぱっちゃって」
「まあ、いいじゃないですか。ここまでだって」
そうは言ってくれるが、ヤツ一人だったら稜線まで行って帰って来られるだろう。



下りは怖かった。
岩は垂直ではないといえかなりの急勾配で、足を滑らせればそのままゴロゴロと転げ落ちるのは目に見えている。
どうしても腰がひける。今までにこれくらいの岩場は経験あるのだが、今日はなぜか怖いのだ。
「靴の底全部に体重をかけて歩きましょう」
「それは分かっているんだけど、なんか怖くてなあ」
「岩が濡れているからですよ。これが日が当たって乾いていればずいぶん違うんですよ」
ナルホド、考えてみれば濡れた岩場歩きの経験は少ない。天気が悪い時にきびしい山歩きはしないからだ。
急な所は岩に両手をついて下りる。トーマスが下からもっと右とか、左に足をかけてとか指示を出してくれる。
ガイドとはありがたいものだ。
「チクショー、こんな下り、雪がついてスキーを履いていればなんてことないのに」
「それは確実に下れる、という自信がそうさせるんですよ」
「確かにそうだ。今はすごく怖いもん」
「怖いと思う感覚は大切ですよ」
そんな怖い下りを終え、岩場の下に着いた。
「ふう、やれやれ。さて、どこか日の当たる場所で休もうかね」
「そうですね、ちょっと下ってあの大きな岩で休みましょう」
ボクらはゴロゴロした岩の重なる斜面を慎重に下った。
平らな岩の上で昼を食べる。
レイク・アデレードを見ながら時間をとる。
湖は蒼く、周囲は灰色の壁がそびえその上に澄んだ青空が広がる。
「なあ、トーマス、あいだみつおの言葉でな『幸せは自分の心が決める』ってのがあるんだよ。全くその通りだと思わないか?オレは今、幸せだ。それはオレの心が決める。この景色と、この空、それを楽しむこの時間。オレは今、この瞬間、自分が望むものが全てある。この為に生きているんだっていつも思うよ」
「全くねえ」
ボクは誰もいない谷間にさけんだ。
「ウオー、オレは幸せだぞー」
「ケーァ」
頭上でそれに答えるようにケアが鳴いた。



再びボクらは歩き始めた。
氷河に押され盛り上がった場所は、土があり歩きやすい。
しかしそこから外れくぼみの中へ入ると、大小の岩が不安定に重なりおまけにコケまでついてすべりやすく非常に歩きにくい。
しりもちをつくなんてざらにある。
こういう場所ではどちらかがケガをすれば、相手方はすごく大変な仕事を背負うことになる。
動けなくなった相棒を背負って下るのも、電話のつながる場所まで下りて救助を要請し又同じ道を上がってくるのも、どちらもやりたくない。
慎重に、慎重に。一歩一歩時間をかけながら下る。それでもしりもちをつく。
地をはうボク達を見下ろしながらケアが鳴く。
「ケーァ」
先ほどのケアがついてきているのだろう。鳥は飛べていいなあ。
ニュージーランドにオウムは3種類いる。
一つはカカポという世界一重い夜行性の飛べないオウム。これは絶滅寸前で手厚く保護されている。
もう一つはカカという飛べるオウム。大きさはケアと同じぐらいだが、こちらは森の中に住む。
そして高山オウムのケアである。
ケアは標高の高い所に住むオウムで、体長40cmぐらい。茶色っぽい緑色だが、羽根を広げて飛ぶときれいなオレンジが羽根の下に見える。
町では見ることはないが、スキー場の駐車場で車にいたずらをしているのをよく見る。特にゴムの部分が好きでワイパーのゴムなどをつつく。
知能は高く、チンパンジーよりも賢いとも言われる。実際にザックのファスナーを尖ったくちばしで器用に開け、中の手袋などを引っ張り出して持っていってしまう。
ボクも以前仕事をした時、ちょっと目を離したスキにお客さん用のビスケットを袋ごと持ち去られたことがある。
無人の山小屋で窓を開けておくと中に入り、これ以上荒らしようがない、というぐらいまで荒らす。ブロークンリバーではケアに荒らされた写真が見せしめのように壁に貼ってある。
ここはケアの住む場所、人間が注意する他ない。
スキー場にいるカラスぐらいの存在だが、南島の山岳地帯にだけ生息し、その数は5千ぐらいだ。
こんな誰も来ないような谷間なら人間が珍しいのだろう。ケーァケーァと鳴きながらついてくる。
ケアの鳴き声は人間にも真似しやすい。ボクは甲高い声で鳴いてみた。
「ケーァ」
「ケーァ」
ケアが応えた。
「ケーァ」
「ケーァ」
再び応える。
「ケーァケーァ」
「ケーァケーァ」
「ケーァ」
「ケーァ」
2回鳴けば2回応じ、1回鳴けば1回応える。オウム返しとはうまく言ったものだ。
しばらくそんなことを繰り返しながら下る。いい道連れができた心境だ。
ボクは試しに3回鳴いてみた。
「ケーァケーァケーァ」
ケアは応えてくれなかった。そう言えばケアが3回鳴くのを聞いたことがない。ヤツらにとっては2が限界なのか。それともヤツらは二進法なのかもしれない。
ケーァケーァと付いてきていたケアもボクらが谷間を下るとともに姿を消した。



キャンプ地まで下りテントを回収。日中陽があたらず露でびしょびしょのテントが重い。
荷物をたたんでいると、トーマスが何かを探している。
「何かなくした?」
「ええ、サングラスをなくしちゃったんです」
「そりゃ大変だ。よく探した?」
ボクらは2人でキャンプ地の周りを探したが見つからない。
「あーあ、高かったのになあ」
「オマエ、昨日まきを集める時にバキバキやってたじゃんか。あそこは見た?」
「ええ、さっき見たんですけどねえ」
「もう、このあたりには無いからあるとしたらあそこだよ。もう1回見て無かったらあきらめろよ」
すでに陽は落ち始めている。いつまでもここにいるわけにもいかない。
倒木のそばでゴソゴソやっていたトーマスが叫んだ。
「あったあ、ありましたよ」
ニコニコ顔で戻ってきたヤツが言った。
「何かねえ、あの木に向かう途中でここにあるって感じたんですよ」
「それはごく近い将来を感じたんだろ。サングラスがオマエを呼び寄せたのかもしれないぞ」
「そうかもな。大切にしよっと」
物に対する愛というものは存在する。
それは自分の心の反映でもある。
自分の気持ち次第で、道具というものはガラクタにも宝物にもなる。



キャンプ地を出てしばらく歩くとテントフラットだ。
狭い谷間の中の平場である。
来る時には水の流れをまたいだり、少しでも濡れないように乾いている所を歩いたが、帰りは目標に向かって真っ直ぐ湿地帯の中をぐちゃぐちゃと歩く。
鏡のような池を越え、幻想的なコケの世界を抜けると急な下りになる。
「ここはけっこうな下りだなあ、よく登ってきたねえ」
「本当ですね。来る時は一生懸命登っちゃったんですね」
ここを歩いたのは昨日なのだが、濃い時間を過ごしたせいか、ずいぶん前の事のように感じる。
道は急でシダが覆い被さり足元は見えない。濡れた石は滑りやすいので早くは歩けない。
そんな歩きを続けるとスリーワイヤーの橋に出た。ここまでくれば一安心である。
『BULL SHIT 15時間』の看板に頷きながら、森を抜けるとホリフォード・リバーの吊り橋が出てきた。
ゴールである。
トーマスがタッチと言い、車に手を当てる。ボクは友のこの儀式が好きだ。
グチャグチャのブーツを脱ぎ、車に置いてあったビールを開ける。そして大地に。
トラックを振り返ればリムが何も無かったように立っている。
ボクはビールを持ち上げ、リムに言った。
「やあ、無事帰って来ました。おかげでこうやってまたビールが飲めます。ありがとう」
薄暗くなった谷間で、リムは暖かく僕達を見下ろしていた。








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トーマスとモレーンクリーク 1

2017-06-01 | 過去の話
もう この話を書いたのも10年ぐらい前になる。
死んだパソコンと一緒に葬ってしまうのも、なんだかもったいないので記録がてらここに更新しておこう。


トーマスという山仲間がいる。
日本人だがボクらはトーマスと呼んでいる。
なぜ、トーマスなのか?という質問もあるそうだ。
トーマスの名付け親はボクだが、出会った日に「オマエは今からトーマスだ!」と叫んでそれ以来トーマスとなっているようだ。
と言うのもボクはベロベロに酔っぱらっていたのでその時のことを全く覚えていない。
ワーキングホリデー、略してワーホリという若者対象に海外で生活を経験してみませんか、というシステムがある。
ボクもトーマスも最初はワーホリだった。
ワーホリの期間は基本的に1年間である。その1年をどう使おうと本人の勝手だ。
ボクはヤツほど1年という限られた時間でこの国を深く見た人を知らない。
素直にこの人はスゴイなと思い、今でもつきあいは続いている。
スキーに関してはボクの方が経験はあるが、それ以外の山、夏山、沢登り、岩登り、野宿、などは全くかなわない。
まあそんなものはどっちが上だからエライなどというものではないので、ボクらは互いの実力を知っている者同士、気楽にあちこちの山へ行っている。
そんなボクらも最近では忙しくなり、シーズン中は仕事に追われ時間が全く取れない。
ボクらの仕事は波があるので忙しい時は殺人的に忙しくなるが、ヒマな時は全く仕事がない。
今年も4月の半ばになり、やっと互いに都合のつく時間ができた。
目的地はモレーン・クリーク。
モレーンとは氷河の堆石堤。氷河によって運ばれた岩などが氷河の後退によって取り残され、堤みたいになっている場所のことだ。クリークは小川。どんな場所なんだろう。




朝、クィーンズタウンを出てテアナウに向かう。
テアナウでは勝手にテアナウ・ベースと呼んでいるトキちゃんという友達の家があり、そこでトーマスと合流。
手早く荷物をまとめいざミルフォード・ロードへ。この道は観光ルートでレンタカーやバスなどが多い。ボクもトーマスも何十回も通っている道だ。
「どうよ、トーマス。最近何か面白いことをした?」
「ありましたよ。ボランティアでゴミ拾い」
「へえ、どこの?」
「それがねえ、フィヨルドランドの海岸線。人が全く入らない地域」
「ほうほう、で、どうだった?」
「まあ、人が入らなくてもブイとかそういう物が流れ着くわけです。それよりも、その場所というのは観光客はおろか、人間が行かない場所なんですよ。絶対に人目に触れることのない場所のゴミ拾いなんです。一緒に働いている人達もほとんどボランティアですしね」
まったくこいつは色々と面白いことを見つけてくるものだ。
「すごいねえ。これがこの国の人達なんだよね。やって良かったでしょ?」
「うん。だって自分だけだったら絶対行けない場所じゃないですか。そんな所へヘリで行って、誰も人が来ない海岸線のゴミ拾い。湘南の海岸のゴミ拾いじゃないんですよ」
「へえ、いいなあ、そんなの。あのね、トーマス、そういった仕事はお金にならないでしょ?」
「ならない」
「お金の為に働くのは当たり前だけど、こういったボランティアというのはお金よりも精神性が高い仕事なんだよ。ボランティアでも色々あるけど人助けのボランティアとも違うでしょ」
「違いますねえ」
「人助けのボランティアは対象が困っている人だけど、この仕事の対象は何?この国?自然?地球?」
「ですね」
「周りの人みんないい人だっただろ?」
「いい人だった」
「そういう仕事をする人は、愛に満ちあふれた人達だからね。一緒に居ても気持ちがいいよね」
「うん」
「いいなあ、トーマス。それは良い経験だよ。そういった経験がトーマスの人間性を大きくさせていくんだよ。」
ハンドルを握りながらヤツがつぶやいた。
「そうねえ、そうかもな。実はねもう一つあるんですよ」
「なになに?」
「リソレーション・アイランドっていう島でストート(おこじょ)トラップをしかける仕事」
「ナニそれ、面白そうじゃん」
「ええ。その島はこれから鳥の保護区となる島なんです。その前に徹底的にワナをしかけて哺乳類を一掃するんです」





ニュージーランドは元々哺乳類というものがいなかった。厳密に言うとコウモリが二種類いただけで四つ足の動物というものが存在しない国だった。は虫類もトカゲが数種類であとは鳥、ここは鳥の楽園だったのだ。
そして飛べない鳥、言い方を変えれば飛ぶことをやめてしまった鳥というものもこの国にはいる。
一番有名なのはキウィだろう。もともとキウィはその鳴き声から取った言葉である。
果物のキウィフルーツの命名もそこからきている。但し原産国は中国である。
ニュージーランド人のことをキウィと呼んだりもするし、よく家事をする旦那さんのことをキウィ・ハズバンドと言う。これは鳥のキウィの雄が卵を暖めるのをよく手伝うことからきている言葉だ。
昔はニュージーランド全国であちこちにいたのだそうだが、今では動物園でしか見ることはできない。
飛べない鳥で一番人目に触れるのはウェカだろう。ウェカはミルフォードトラックなどにもいるし、西海岸のキャンプ場の辺りをウロウロしているのをよく見る。色が茶色なのでキウィと間違われ、観光客が「キウィがいた」と大騒ぎするが、こちらはクイナの仲間である。
タカへという鳥は一時は絶滅したと思われたが1948年に再発見され今では手厚く保護されている。現在200羽ぐらい残っている。
カカポという世界一重い飛べないオウムは現在90羽ぐらいかろうじて残っている。これなどは一般に公開されておらず、ボクも写真でしか見たことがない。
その他、モアという世界一大きい鳥は体長3m体重250kgにもなったというが、すでに絶滅してしまい博物館に骨が残っているぐらいだし、フイアという鳥は飛べたんだけど絶滅してマオリ語の唄に残る。そういった鳥がたくさんいた。
現在、残っている鳥でもユニークな者はたくさんいる。
ロビンは森の中で会うと人間の方へ寄って来る。じっとしていると靴ひもをつつきブーツの上に乗ってくる。一番人なつっこい鳥だ。
ニュージーランド・ピジョンは世界で2番目に大きい鳩で普通の鳩の倍ぐらいの大きさだ。この鳩は木の実を食べるのだが、それを食べて酔っぱらってしまい地面で寝ていることがある。それでかどうか知らないが、この鳩の目は赤い。
鳥が地面に下りて生活ができた国。鳩が酔っぱらって寝ていても、襲われる心配が無かった国。
ここはそんな国だった。
そこに人間がやってきた。
人間はこの国にいろいろなモノを持ち込んだ。
植物、動物、虫、魚、鳥。あるグループの目標が、ニュージーランドをイギリスと同じような環境にするというものだった。今の世の中で言えばそれがどんなに愚かなことかすぐ分かるが、当時はニュージーランドの自然がどんなに貴重なものか人類は知らなかったのだ。
動物で言えば、ネズミ、猫、犬、羊、牛、馬、鹿、ポッサム、ウサギ、そしてストートなどイタチの類である。
これはひどい話で人々は狩りをする目的でウサギを持ち込む。ウサギの天敵がここにはいないので大繁殖して牧草を食い荒らす。怒った牧場主はウサギの天敵のイタチを持ち込む。イタチが鳥を襲う。
イタチから見れば逃げ回るウサギなど捕まえるより、敵のいないところで何万年ものほほんと育った鳥を襲う方が楽だろう。
人間がこの国に持ち込んだ最悪の生き物がイタチであり、現在この国に唯一いる捕食動物なのだ。愚かな人間がヘビを持ち込まなかったのは不幸中の幸いである。
話を現在に戻す。この国の人は過去に自分達の先祖がどういうことをやってきたかを知っている。その結果この国の自然がどうなったかも見ている。そして今、自分達が何をするべきか分かっている。その一環が空港でのきびしい検疫だ。何も知らない人は「こんなにきびしいなんて」とグチをこぼすが、植物の種一つから生態系がガラリと変わる可能性だってあるのだ。山にびっしりと生い茂ったエニシダを見ればよく分かる。この植物は地元では『侵略者』と呼ばれている。
もうこれ以上この国を変えないように、できることなら昔の状態に戻すように人々は働いている。
原生の木を植える仕事もあれば、人のいない海岸線のゴミ拾いだってある。そしてこれからトーマスがやろうとしているのが動物のワナを仕掛けるボランティアなのだ。
ガイドであるからこそ、その仕事にどんな深い意味があるのか分かる。
ボクはそんなことをやる友達を持つことに喜びを感じた。
「いいじゃん、トーマス。すごい仕事だな」
「でしょう。それでね、その仕事はワナを持って山の中歩くわけです。その重さが一人あたり25キロぐらい・・・なんですって・・・」
今回のボクらの装備は一人15キロぐらいだ。しかも道なき道を・・・。
「ガハハ、トーマス君、そんな仕事は選ばれた人しかできないぞ。そうかあ、君は選ばれた人だったのね。ガンバレよ。陰ながら応援するよ。それが何日間?」
「10日間」
「タフだなあ」
「でもね、舟の上で寝泊まりするのでシャワーとベッドはあるんです」
「そうだよな。それぐらいしなきゃ。どうせ夜はフリーなんだろ。酒は持っていけるの?」
「10日間ですからねえ。ビールじゃあっという間に終わるからバーボンでも持ってきます」
「星とかきれいだろうなあ。がんばれよ」
今回の仕事はさらにトーマスを大きくすることだろう。



観光ルートのミルフォード・ロードはバスやレンタカーが多いが、メインの道から外れホリフォード・ロードに入ると他の車は姿を消す。
選ばれた男トーマスが言う。
「おっリムが出てきましたよ」
「ホントだ」
ボクの住んでいるクィーンズタウン、それから仕事場のアスパイリング国立公園にはこの木はない。ボクが一番好きな木だ。
この木が多いのは西の海岸線沿い。この木に会うためにボクは西海岸へ足を運ぶ。そう、ここはもう西海岸のすぐそば。あと数キロ先はタスマン海だ。
未舗装の道をゴトゴトと10分も走り、車はガンズ・キャンプを越えた。このガンズ・キャンプだって「よく、こんな所に住むなあ」というぐらいワイルドだ。もうこの奥に人は住んでいない。
夏山のバックカントリーである。
「この谷を行くのかなあ?」
窓から山を見ながらゆっくりと進む。青空に切り立った岩壁が映える。気持ちのいいドライブだ。
車を置く場所を発見、白いステーションワゴンが1台。トランパーかハンターか、最低一人はこの奥に居るわけだ。
遅めの昼飯を食い、歩き始める。
トラックの入り口に立派なリムが立っている。ボクはリムに言った。
「やあ、歩きに来たよ。帰りもこうやって君と会いたいものだね。明日帰ってくるから道中の無事を祈っていてくれよ」
吊り橋でホリフォード川を渡り森の中へ。そこはもうフィヨルドランドの森である。雰囲気は森と言うより密林に近い。歩き始めてすぐに一人の男と会った。ライフルをぶら下げている。どうやらハンターのようだ、と思いきやトーマスが親しげに話し始めた。なんだ、トーマスの友達か。
「鹿を撃ちに山に入ったけど一頭も見なかった。人の足跡ばかりだし、頭の上は遊覧の飛行機がブンブン飛んでるのでイヤになって下りてきたところだ」
「ふーん、ボク達は1泊2日でレイク・アドレードを見に行くんだ」
「そうか。そういえばトーマス、オマエは今マナポウリに住んで居るんだよな。近いうちに遊びに行くぞ」
「OK、テアナウの仕事はまだやっているのかい?」
「やめちまったよ。ボスは悪いヤツじゃないんだけどな。金曜日にもらえるはずの給料が月曜になっても火曜になっても貰えないんだぜ。クソッタレ」
「たしかにな、まあいつでも遊びに来てくれ」
「ああ、オマエ等も気をつけて楽しんでこい」
彼と別れ歩き始め、ボクはトーマスに聞いた。
「前からの知り合い?」
「ええ、クリスっていうんですけどね。テアナウでシェフをやっていたんですよ。辞めたのは知らなかったなあ。でもまさかここで会うとはね」
「ホントだな。でもああやって会話の中に普通に『くそったれ』って出てくる人はいいねえ」
「ハハハハ。じゃあさっきの車はクリスのだったんだ。ということはこの奥に今日は誰一人いないわけですね」
心地よい緊張感である。何事もなく山を下れば良いが、それは100%保証されているわけではない。気を緩めればどんな山であろうと事故現場になりうる。



やがてスリー。ワイヤーの吊り橋にさしかかる。その名の通りワイヤーが3本だけの吊り橋である。
小さな看板が橋の脇にある。『レイク・アデレード 11~13時間』
その横に石でひっかいた落書き『BULL SHIT(ふざけんな)15』
誰が書いたのか知らないが、この人はこれぐらいかかったのだろう。甘いコースじゃあなさそうだ。
スリーワイヤーは吊り橋というよりも綱渡りだ。ワイヤーの1本を踏み両方の手に1本ずつ、計3本。
気を抜けば落ちる。だがここにこれがあることにより、靴をぬらさずに川を渡ることができる有りがたいものだ。スリーワイヤーでギャーギャー言う人はこれ以上奥に入らない方がよろしい。
そしてきついアップダウンを繰り返しながら進む。前を行くトーマスに話す。
「そういえばさあ、この前ワナカの航空ショーの仕事があってねえ。面白かったよ。お客さんにどっかの大学のセンセイがいて解説付きで見れた」
「あれ、行きました?僕は2年前に行きましたが面白いですねえ。あれ出ましたか?あのオーストラリアのジェット戦闘機?」
「出た出た。火い吹いてたよ」
「これは聞いた話なんですけど、昔はニュージーランドもああいうの持っていたらしいんですね」
「そうらしいね」
「それで、ああいう飛行機ってのは持っているだけでもすごい維持費がかかるそうなんです」
「ナルホド、それで?」
 なんとか会話ができるぐらいの坂を上りながら話す。
「それで、『こんなのうちが持っていてもしょうがないべ、やめちゃおうか?』『うん、ヤメヤメ』って簡単に決まっちゃったそうなんです」
「いやあ、トーマス。ニュージーランドってそういう国だね。いい国だ」
トーマスが振り向いて言った。
「ホントにねえ。新しいものを手にいれるんじゃなく、今まで持っていたモノを必要ないからといって簡単にやめられる国。これってスゴイですよ」
「うんうん」
やがて道は急な登りになり、ボクらは口数も少なくぜいぜいと登る。急な登りは2時間以上も続く。トーマスが前方上部を指して言った。
「ホラ、だんだん木が低くなってきましたよ。あの上辺りがテントフラットのはずです」
「テントフラットというぐらいだからテントを張るのに良い場所なのかねえ?」
ボクらが今まで通ってきた道はずーっと森の中で、テントを張れるような場所はない。
「うーん、本にはけっこうな湿地帯となってますが、どうなんでしょうねえ」
息も絶え絶えに台の上に上がると、そこは一面のコケの世界だった。
「うわあ、すごいなこれは」
「今までの所とは違いますね。こんなのあるんですねえ」
今までもずーっとコケの中を歩いてきたのだが、コケの厚さがここまで来ると一気に厚くなる。まさにここだけはコケが支配している幻想的なコケの世界だ。



さらにその奥には鏡のような池があり、正面の岩山、その奥の青空をくっきり映しだしている。池まで出て本物の山と見比べてみたが、池に映る山の方がきれいなのだ。ウソだと思う人は歩いて行って自分の目で見てみるといい。
迷わずザックを置いて休憩である。
「ここまでがんばったボーナスだね。こういうごほうびも必要、必要」
しばし静寂の池を眺める。一体今までに何人ぐらいの人がこの景色を見たのだろう。この国にはそんな場所がいくらでもある。苔の持つ無数の命のエネルギーに包まれ、ボクらは時を離れ自然にとけ込んでいった。
いつまでもここに居たいがボクたちには先がある。ザックをかつぎ池に別れを告げた。
再び歩き始めてすぐに森は開けた。正面に切り立った岩の壁が広がる。テントフラットである。
絶対にこんな所でテントなんか張りたくないな、というような湿地が数百メートル続く。ちょっと油断すると足首までずぶずぶともぐってしまうような場所だ。
ボクは流れをまたいだり草を踏んだりして出来るだけ濡れないように歩いたが、奮闘むなしく平場を渡り終える頃には靴の中はグチャグチャになってしまった。
テントフラットから森に入る辺りの地面が乾いていて焚き火の跡がある。
時間はまだ早い。最悪、ここでテントが張れるということを頭の隅に置き歩き続ける。
森が切れたと思ったら今度はシダである。
谷間の底は日も当たらず、露でシダの葉は水滴をびっしりとつけている。シダを払うと水滴はボタボタと葉を伝って流れる。胸の高さまであるようなシダをかき分けながら進む。
トーマスはカッパを着てたので平気だがボクはびしょびしょになってしまった。
「いやいや、こんなに濡れるとは思わなかったよ」
「ぼくもダスキートラックをやった時に、もう少しもう少しと歩いているうちにびしょ濡れになっちゃったんですよ。露もバカにできないですよ」
「全くだ。さすがフィヨルドランドだな。さて次はどこかな?」
この辺りまで来るとオレンジマーカーの数は極端に減る。一つのマーカーから辺りを見回し、遠くにポツンとあるマーカーに向かってひたすらシダをかき分けて進む。
やがてそのオレンジマーカーも姿を消し、石を積み上げたケルンを探しながら歩く。
右手には断崖絶壁がそびえ、白い滝が数百メートルの筋をつくる。
滝から流れている沢を渡り、次の森に入る辺りでキャンプ地を決めた。空はまだ明るいが谷底が暗くなるのは時間の問題だ。




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