あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

酒の肴

2018-04-06 | 日記
僕はビールが好きで色々と作っているのだが、ビールを飲みながら米の飯を食べる気にならない。
『とりあえず』という言葉はビールの枕言葉だと誰かが言っていたが、ナルホドうなずける。
先ずはビールで喉を潤す。
これは鉄則だな。
米の飯を食べるのならばビールが終わってから食う。
前回作ったビールはベルリナーサワーエール、直訳してベルリンの酸っぱいエールビールである。
このビールは見事に賛否両論に分かれた。
「うん、なかなかいけるじゃん」と言う人と「イマイチだな」と言う人。
僕は自分で作っといてなんだが後者である。
でもこれだって別に不味いわけではない。
こういうビールだと思えばそういうものなのだ。
ベルリンという場所に行ったことはない。
ベルリンどころかヨーロッパに行ったことがないのだが、ドイツのどこかということは知っている。
そうかドイツのビールってこういう味なのか。



ビールに合うつまみというものもある。
あまり水っぽいものはビールに合わない。
ドイツの食べ物ってソーセージだよな。
それから冷蔵庫に、この夏できたキャベツがあったな。
ザワークラフトって確かドイツの辺りの食べ物じゃなかったっけ?
物は試しでやってみよう。
ソーセージは粗びきっぽいやつがいいな。
これが大当たりだった。
ビールの酸味、ソーセージの肉の味、そしてザワークラフトの酸っぱさが三位一体。
ホップの効いたビールなどはビール単体で楽しめるが、このビールはドイツ風のつまみと一緒に飲むのがよろし。
でも、もう作らないだろうな。



蔵で働くようになって、晩飯の時に日本酒を飲む機会が増えた。
いわゆる晩酌というやつだ。
日本酒の良いところは、ご飯を食べながら飲める。
ご飯が進むようなおかずは、酒の肴になるものが多い。
自然と味付けはしょっぱいものになる。
饅頭をおかずに米の飯は食わない。
塩辛いものというと塩分の取りすぎ云々という話を聞く。
僕は塩の質と言うものを考える。
良質の天然塩、ミネラルは体に必要なものである。
だもんで料理に使う塩は岩塩もしくは海の塩だ。



酒のさかなというだけあって日本酒は魚とか貝に合う。
港街で育ったせいかむしょうに魚が食いたくなる時がある。
最近ではクィーンズタウンでもいい魚が手に入るようになった。
シマアジは三枚におろしてシメアジ。
カレイは煮つけ。
ムール貝は昆布と一緒に佃煮。
お客さんで北海道の人がいて、いつも昆布をいただく。
昆布も利尻昆布とか羅臼昆布とかあるのだろうが、ニュージーランドに居る身には北海道産昆布というだけでご馳走だ。
白身魚は酒粕に漬けて焼く。
こういった肴をつまみにチビリチビリと日本酒を飲みながら飯を食らう。
旨い物を食うと人は幸せになる。
自分が幸せになると人も幸せにできる。
幸せのスパイラルは先ず自分自身を幸せにするところから始まる。
今日もそうやって、旨い肴で飲むのである。
乾杯。


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蔵人日記

2018-03-31 | 日記
蔵人の日々は続く。
冷え込んで山に初雪が降った日、『吊り』という仕事をした。
大きなタンクで米を発酵をさせると、醪(もろみ)というものができる。
この醪を布袋に入れ吊るし酒を搾るのである。
ドロドロの液体を10リットルごと袋に入れ、口を縛る。
船と呼ばれる大きな入れ物の上にマヌカの棒を渡し、袋を吊っていく。
船の中には絞ったばかりの原酒が貯まっていくわけだ。





使い終わったタンクを横倒しにして洗う。
タンクの中に頭を突っ込んで洗うわけだが、この作業がなかなかくる。
何がくるかと言うとアルコールがくるのである。
タンクの中にはアルコールが気体となったものが充満しており、そこに入るのだから否が応でもその気体を吸い込む。
すると頭がクラクラして酔っぱらってしまうのだ。
と言ってもへべれけになるわけではないが、飲むのとは違うアルコールの吸収の仕方だな。
こんなことも仕事をしてみて初めてする体験だ。
この年になって新しい経験をするのはなかなか良いものである。



船の中に溜まった原酒を取り出していく。
最初の方は白濁した濁り酒のようなもので、これを荒走りと呼ぶ。
その後で澄んだ酒が出てくる。
これが中取りと呼ばれる。
やはりいつものように味見をするのだが、あらばしりと中取りでは味が違う。
旨いのである。
人の言葉を借りるなら青りんごのような香りだと、ナルホド。
ううむ、できることならこの中取りのところだけ飲んでいたいな。
その後で出る酒は『攻め』なのだそうな。
荒走り、中取り、攻め。
ううむ、酒の世界でもこういう言葉があるのか。
日本語っていいなぁ。



何日かそうやって袋を吊るすのだが、袋の中心部に液体が溜まるのでそれをもみほぐす作業もする。
時にはヘマもする。
あまりに強くもみすぎて袋を破き、中の酒粕をぶちまけてしまった。
幸い大事にはならなかったが、何事もほどほどにということだな。
その後で袋をタンクに戻し上から石で重しをして最後の酒を搾りだす。





そうやって搾った酒をここでは『ふね』と呼ぶ。
ちなみに最初に吊って搾った酒は『つり』と呼ぶ。
ふねとつりでは味が違うのである。
吊りの方が味がすっきりしているのが僕でも分かる。
そうやって搾り出した後に酒粕が残る。



搾ったばかりの酒は真っ白の液体で、スパークリングワインのような酸味がある。
この原酒を何日か置いておくと、透き通った上澄みの下に白い澱(おり)が溜まる。
上澄みを取り出す作業を「澱引き」と言う。
目で見て透明な酒を取り出し、白く濁った酒を集めて置くとまたそれが澱と酒に分かれまた取り出しという作業を繰り返す。
澱引きをした後はフィルターをかけてこして、きれいな原酒ができる。
このフィルターで僕のビールを濾したら、もっと旨いビールができるんだろうな。
澱のところは発酵が進むのでピリピリした味になるが、澱を取り除くとまろやかな味になる。
旨いものを作るにはいろいろな作業があるのだ。



そうやってできた原酒はアルコール度が18パーセントぐらい。
これに割り水を足して15パーセントぐらいにして製品になる。
ここでブレンドの工程となる。
一回に作る量をバッチと呼ぶがバッチごとに味は変わる。
米も山田錦や五百万石を使う時もあればアメリカ米を使う時もある。
麹はネルソンの味噌職人ゴーティーから仕入れているようだが、前回は乾燥麹というものを使ったようだ。
常に試行錯誤を繰り返している。
ビール作りも同じだが、同じ材料を使っていても出来のいいバッチもあれば、それほどというものもある。
そりゃ毎回毎回出来がいいのに越したことはないが、菌は生き物である。
菌にも機嫌のいい時も悪い時もあろう。
全黒の場合、1回に作ったものにただ水を足すのではなく、3つのバッチをブレンドする。
このブレンドの具合が杜氏の腕の見せ所でもあるわけだ。
新潟に居た時に聞いた話だが、地元の人は「今年はあの杜氏がどこの酒蔵に行った」というような話を聞き、そこの酒を買うのだと。
本当の職人というのはそういうものだろう。





杜氏デイビッドがブレンドの具合を決め、このバッチを何リットル、こっちのバッチを何リットル、という具合に指示を出す。
それに従い正確に分量を量り、酒が出来上がる。
もちろん工程ごとの味見は欠かせない。
全黒の場合、「吊り」だけのブレンドは「雫しぼり」、「ふね」だけのブレンドは「ワカティプ、スリーピングジャイアント」、「吊り」と「ふね」のブレンドは「オリジナル」という商品名となる。
そうやってできた酒を瓶詰にして、再び火入れ。
そこにラベルを貼り、やっと商品となる。
いやはや、色々な工程があるとは思っていたけれど、実際に自分が関わってみるとそれが良く分かる。





杜氏というのは酒造りの最高責任者であるが、酒だけ造っていればいいというわけではない。
組織が大きくなれば、酒造り、梱包、営業、販売、その他諸々と分業になるだろうなということは理解できる。
全黒の場合、小さな蔵なので杜氏デイビッドが何でもやる。
何でもやるのだが、人間一人がやる仕事量は限りがある。
そこでデイビッドの女房のヤスコが販売、梱包、発送、シール張りなどの仕事もする。
まさに家内制手工業だ。
二人従業員も雇っているが手が足りない時には今回のように僕も臨時で雇われた。



さらに蔵には見学者や来客も来る。
その対応も杜氏がする。
あらかじめ来客者が来ることが分かっていればそれなりの準備や段取りもできるのだが、飛込みで来る人もいる。
NZ初の酒蔵と言うことで話題性は高く、どんなところでやっているのか見たいというのは、まあ考えられる心理だ。
そして人の好いデイビッドは酒蔵の説明、試飲などの対応をすると作業が滞ってしまう。
僕が働いていた期間でも何回かそういうことはあった。
不意の来客で時間を取ればその分作業が遅れ、帰る時間も遅くなる。
それでも嫌な顔一つせずに対応するのは、人が好いからなんだな。



さて肝心なお味である。
以前に比べ格段に味は旨くなっている。
去年のロンドンでの日本酒チャレンジでは堂々と金賞を受賞した。
そりゃ獺祭とか農口とかそういうようなお酒にはかなわないだろうが、全黒は素直に旨いと思う。
第一、不味い酒だったら蔵で働く気にもならない。
ロンドンで賞を取ったからか、そのロンドンから大口の注文も入った。
200本近い注文で、僕らもロンドンに送る酒の瓶詰めで大忙しだ。
ううむ、この酒が地球の反対側の店に出るのか。
日本で取れた米でニュージーランドで酒を造り、それがロンドンで消費される。
地産地消とは程遠いものだが、それを言っていたらイタリア産のパスタだって食えないし、南米産のコーヒーも飲めなくなってしまう。
旨い物のためには人間は労力を惜しまないものなのだ。



酒を作ってその後に出るのが酒粕。
カスと呼ばれるぐらいに大量に出る。
一回のバッチで100キロ近い酒粕が出る。
これで作る甘酒がこれまた旨い。
けっこう酒が残っている酒粕なので、甘酒でも酔う。
甘酒にしてもそんな多量には使えない。
そのまま捨ててしまうにはもったないので、何か有効利用はないかと皆いろいろと考える。
魚や肉を漬け込んで料理に使うのは一般的だ。
アロータウンの家主は酒粕を蒸留水と混ぜ、それを濾して化粧水を作っている。その名も『全白』。
僕も何十キロという単位で酒粕を貰った。
次回クライストチャーチに帰った時には酒粕石鹸を作ろうかと考えている。
それから思案しているのは酒粕ビール。
ビールを作る行程の途中で酒粕をいれてみたらどうか。
今年のブロークンリバーのビール大会にはこれで挑戦しようか。
夢は広がる。



寒い1日の終わりに杜氏デイビッドに頼み込む。
「なあ、今日はなんか熱燗で一杯やりたいから、何かちょーだい」
杜氏はその場で余っている酒をブレンドしてペットボトルにいれてくれる。
ひょっとすると心の奥では「こいつガバガバ飲みやがって」と思っているかもしれないが、人が好いからかとにかく何かしらくれる。
家に帰って日本酒に合う肴を造ってチビリチビリとやるのが楽しい。
だが飲み過ぎにはくれぐれも注意。
酒を扱う仕事は二日酔いでは絶対にやりたくないものだ。

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蔵人デビュー

2018-03-24 | 日記
3月も半ばになるとガイドの仕事も減ってきて時間もできる。
そしてこういうタイミングでボスから話が持ち掛けられた。
「お前、蔵を手伝ってくれないか」
蔵とは酒蔵のことである。
ニュージーランド初の日本酒造りというものをうちのボス連中がやっている。
なんとも面白い人達なのだ。
最初の頃は味も安定していなく当たりはずれもあったが、最近では味も安定してきている。
僕も恩恵を受けて酒粕をもらったり、出来立ての酒を飲ませてもらってる。
生産量も増えてきて人手が足りなくなったので手伝ってくれという話がきたわけだ。
そんな面白そうなことを断る理由はどこにもない。
僕は二つ返事で引き受けて、蔵人デビューとなったわけである。
酒造りの責任者、いわゆる酒蔵の総監督を杜氏と言う。杜氏はデイビッド。
日本の酒蔵で修業をしたり、いろいろな所で研修を受けて資格を取ったり、頑張ってきた。
几帳面で真面目な性格の彼は、いいかげんで大雑把な僕とは対照的だ。



ビール造りは相変わらず続けているが、酒造りに関しては全くのシロートである。
杜氏デイビッドに言われたことをハイハイとやる。
何事も最初は下働きからである。
やることは器具の洗浄とか瓶詰作業。
やってみて改めて気づいたのが徹底的な殺菌消毒。
ここの蔵ではすべての器具を使う前に熱湯を通す。
僕は何年かビールを作っているがけっこう適当にやっていて、それでもなんとかやっている。
趣味の領域でやっている分にはそれでもいいが、売り物として出すにはそういうわけにもいくまい。
商売としてやっていくのと、自分が飲むためにつくるのとは違う。
これはどんな業種でも同じだろうが、プロがやる仕事と素人がやるのでは違うものだ。



行程の一つで火入れという作業がある。
これは火落ち菌というものを省く作業だ。
この菌があると、その場で飲む分には体に害はないが、後々で酒を台無しにしてしまう。
63℃から65℃の間で3分間。
出来立ての酒を一升瓶に詰め、それを大鍋に並べお湯を張り加熱。
温度計をにらみながら3分したら急速冷却。
一升瓶の蓋をテープでグルグル巻きにして、冷蔵庫で保管。
こういった作業も大量に造るのには、効率の良いやり方があるのだろうとは思う。
それにはそれなりの設備投資も必要である。
全黒の場合は家内制手工業。
チマチマ、せっせと作業を繰り返すのだ。



少量生産ゆえに値段にも反映する。
ここの酒は決して安いとは言えない。
日本酒ゆえに日本で売っている日本酒と比べられる事も多い。
日本では一升瓶の日本酒が2000円ぐらいで買えるが、ここでは4合瓶で5000円ぐらいになろうか。
日本に比べれば、べらぼうに高いがそれはここでの人件費、材料費、税金、その他もろもろでこれぐらいの値段になる。
これは仕方のないことだと思う。
高いと思えば買わなけりゃいいだろうし、払う価値があると思えば買うだけだ。



そもそも単純に高い安いという値段だけで人はその物を判断する。
安けりゃ飛びつくし、高けりゃ文句を言う。
もう何年も前か、ある日本人の集まりで納豆を作って売ったことがある。
その時に知り合いの人に「高い」と文句を言われた。
値段は1パックで1ドルぐらいだったような気がする。
自分としては儲けを出す気はなく、ボランティアのような感じでやったのだが、とにかくそう言われた。
僕は頭にきて「じゃあ買わなくていいです」と断った。
だいたい自分でやらないやつが、そういうことを言う。
じゃあ自分でやってみろって言うんだ。
それ以来僕は自分が造った物を売るのをやめた。



もろみというものを絞ると真っ白いお酒ができる。
これを置いておくと、白く濁った部分と透き通った上澄みに分かれる。
この上澄みを取り出す作業をおり引きと呼ぶ。
これを何回も何回も繰り返し澱を徹底的に取り除く。
そうして出来上がったものが原酒だ。
原酒の時点ではアルコールが18パーセントぐらい。
これに割り水と呼ばれる水を足して14パーセントぐらいまでアルコールを下げ、再び火入れをして商品となる。
当然ながら原酒の方が濃くて旨い。



作業の合間に品質チェックも欠かせない。
要は味見である。
そこへ至る行程により、酒の味も変わる。
出来立ての火入れをしていない生酒をチビリチビリと舐めながら仕事をする。
大事な酒を扱うのだから酔っぱらってヘマをしては元も子もない。
それでもタンクの底に残った酒を集めてチビリ。
瓶詰めにして余った酒をチビリ。
分析し終わったお酒を貰ってはチビリ。
そんな具合で仕事をするのである。



そしてやはり生の原酒は旨い。
こんなことを書くと皆の心の声がきこえてくるようだ。
「こんなこと書きやがって、この野郎。自分ばかりいい思いをしやがって。俺にも旨い酒を飲ませろ」
いやいや、それはやはり売り物ではありませんから、お客様にお出しすることはできませんがな。
農家でもそうだけど、生産者は一番旨いところを食するのだ。
新潟に居た頃、地元の人が自分達用に作っている米を食わせてもらった。
売っているコシヒカリとは違い「こんなに旨い米があるんだ」とびっくりした。
それを味わいたければ自分で作るか、もしくは身内になるしかない。
あとは大金持ちになって酒蔵のオーナーになる、という手もあるな。



ともあれ蔵人になってみると、いろいろと違う面も見えてくる。
この年になっても新しい経験ができることは素晴らしいことだ。
経験イコール財産であり、またガイドネタが増えた。
しばらくはガイドと蔵人の二足のワラジを履く日々である。
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静かな朝

2018-02-22 | 日記
前回のツアーでホテルに泊まった日のことである。
その日の朝は、自分たちのグループと別にもう一つのアジア人のグループが泊まっていた。
朝食のレストランでそのグループと一緒になった。
どこの国かその時は分からなかったのだが、なぜかその時のレストランは物静かな雰囲気が流れていた。
とにかく静かなのである。
かと言ってヒソヒソ話をしているわけではなく、皆普通に話しをしているのだが、静かなのだ。
「ああ、いいなあ、こんな朝」と思いながら僕は朝ごはんを食べた。
この時期、たぶん世界中どこも同じだろうが、あの国の人がこぞって海外旅行へ出かけるのでとにかくウルサイ。
なんでこんなに、と思うぐらいにやかましい。
それは音量だけでなく、言葉の波長に人を不快にさせる何かがある。
それはたぶん、自分だけよければ良い、という心の奥のエゴから来ているものだろう。
それが会話だけでなく、すべての行動に現れている。
朝食後、そのグループのドライバーと話してみたら、台湾人のグループだそうな。
僕は妙に納得してしまった。
台湾には行ったことがないが、好感を持っており、いつかは行ってみたい国の一つである。
詳しいことは知らないが、人種的には同じような人達でも隣の大国とはここまで違う。
それは土地が作り上げる人格というものだと思う。
ニュージーランドの中でも住む場所によって人格というのは変わってくる。
日本だってそういうのはある。
土地が人を変えるのだと思う。

家の近所に豆腐屋があり、たまにそこで買い物をする。
豆腐は新鮮さで味が変わる。
アジアのスーパーでも同じ豆腐が買えるのだが、その豆腐屋に行って直接出来たての豆腐を買う。
出来立ての豆腐はすこぶる旨い。
そこは中華系の人がやっていて、「どこの国から来た?」と問われ「日本だ」と言うと、「義理の娘は日本人だ」などという話になる。
毎回気持ちよく買い物が出来る。
また近所には韓国人経営の肉屋があり、よくそこで肉を買う。
娘は韓国語を勉強中で、一緒に行くとかたことの韓国語で会話をする。
肉屋の韓国人は家族でやっていて、親父もおかみさんも娘も人柄の良さそうな顔をしている。
毎回毎回、気持ちよく買い物をする。
ニュージーランドでは、と言うか僕の周りの小さな範囲だが、日本人も中国人も韓国人も仲良くやっている。
こういう所では豆腐屋の中では中国語を、肉屋の中では韓国語を話しているのだが、その会話の響きが耳障りではない。
たぶんいい波が流れているのだろう。
日本語だってケンカの時には、嫌な気と言うものがついてまわり、気持ちよくない。
その人や場の持つ『気』で印象は変わるものだ。
言霊というものは存在する。
それは人の心とも密接に繋がっている。

それにしても台湾の人は見かけには中国の人と見分けが付かない。
間違われることもあろう。同情する。
大国の近くの似ている小さな国というものは、えてして人柄が良い。
中国の近くの台湾、アルゼンチンの近くのウルグアイ、オーストラリアの近くのニュージーランド、小さな国ではないがアメリカの隣のカナダ。
どこかしら共通するものがある。
カナダ人がアメリカ人に間違われないようにバックパックにカナダの国旗をつけるのは有名だが、それ以外の小国は国旗も似ているのでそうもいかない。
お人好しの国の人達の苦悩は続くのである。



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テレビ嫌い

2018-02-08 | 日記
テレビが嫌い、という話である。
テレビが好きで好きでたまらない、と言う人はこれ以上読まない方がよろしい。
子供の頃の楽しみと言えば、毎週土曜日の8時だよ全員集合だった。
父親は天然記念物で絶滅危惧種でもある昭和の頑固親父だったので、子供がテレビを見る時間を1日1時間と決められていた。
食事の時にテレビを見るなんてことは言語道断、許されざるべき行為だった。
父親のいない晩には、母がこっそりと「ドカベン」という野球アニメを飯時に見せてくれたのも良い想い出である。
だが小学校の3年ぐらいだったか、どの番組を見るかで兄弟喧嘩をしていた僕達に腹を立てた親父が目の前でテレビを叩きつけて壊してからは、テレビの無い生活を送って育った。
当時はそんな星一徹のような親父を憎んだが、今となってはそれがよかったと思っている。
テレビがないので、本を読みラジオを聴いた。
成長期に映像に浸らなかった分、想像力と思考力が身に付いたと思う。
今の世の、子供を大人しくさせる目的でテレビを見せるやり方はどうかと思う。
これはテレビに限らず、ビデオだろうがDVDだろうがタブレットだろうが映像という点では同じことだが、それ以上他人の育て方にあれこれ言うつもりはない。

最近のテレビ、それもバラエティーというもので大嫌いなのが、効果音。
それも人が作り上げる不自然な笑い声、女の観衆による「エー」という声なぞは特に気持ちが悪い。
そういうような話をとある添乗員にしたら、とても興味深い話を聞いた。
その人はそういう観衆のアルバイトをしたことがあると言った。
そこではスタッフがここで拍手といったら全員拍手をして、笑うという指示があれば笑い、あのお決まりの驚きという場面ではエーと言うのだ。
人気のあるグループの番組に観衆として出る為には、地味な番組の観衆の役を数こなさなくてはならない。
そういう下積みの現場でも手を抜くと人気番組には呼んでもらえない。
指示に従って、大げさに笑い、大げさに拍手をして、大げさにエーと言う。
そういう反応の強い弱いも個別にチェックされていて、この人は反応がいいからもっと上の現場へ、そしていつの日かトップクラスの番組にお呼びがかかる。
トップクラスの観衆ではほとんどタダ働きなんだそうな。
自分の好きなアイドルなりグループなりを生で見る為に、そういう涙ぐましい努力をするのである。
そんな話を聞いて、ナルホド、と思った。
自分が感じていた、嫌悪に近いほどの声の正体が見えた。
そこには常に製作者の意図というものがある。
時にそれは洗脳に近いものがあり、ここで笑いなさい、ここで驚きなさい、ここで感動しなさい、と強要される。
しょせんテレビは作り物である。
作り物を作り物として見る分にはまだ救いがあるが、それに気づかずどっぷりはまる人もいる。

よく世論調査などと称し街頭インタビューなどをしているが、あれもやらせ。
同じ人があちこちの番組でインタビューされているのが、ネットですっぱ抜かれている。
そこで対応する答えも、製作者の意図である。
海外などではさらに進んでいて、crisis actor などという役者もいる。
テロなどの災害をでっちあげ、怪我人を演ずる人のことだ。
同じ人が複数のテロ現場で怪我人になっていた。
やらせでないなら、よっぽど運の悪い人なのだろう。
今やニュースもエンターテイメントである。
公正という言葉からは程遠く、ありもしないことをでっちあげ、権力者にとって都合の悪い事はニュースにしない。
東シナ海のタンカー沈没事故による原油流出は日本に多大な被害を与えるだろうが、これもニュースにはしない。
福島の原発事故の時もそうだったが、隠蔽できない事実は湾曲してごまかす。
これはマスコミだけの問題はなく、政治、権力者、支配者とも絡みあった話になる。

権力者が大衆を操作するやり方で3S政策というものがある。
三つのSとはスクリーン、スポーツ、セックスである。
スクリーンは映像のことでテレビや映画を通して大衆に大量の情報を与える。
スポーツはその名の通りスポーツ。オリンピックやワールドカップ、プロのスポーツに大衆の意識を向けさせる。
セックスはお色気ムンムン(死語)のことだ。
これらを組み合わせ、大衆の意識を本質から背けさせるのが3S政策というものだ。
この前に日本に帰った時に親父とテレビの話になり、これを話したところいともあっさり「そりゃ3Sのことだろ」と言われた。
さすが若い時に反体制で闘ってきた人間である。
そんなことは百も承知であり、今さら息子に教えられることではないわけだ。
「じゃあその3Sのことを知っていたから、テレビを叩き潰したの?」
「どうだっかな、あんまり覚えてねえや」
「あの時は、このクソジジイ!っておもったけど、今となってはあれがよかったと思っている。NZの家でもテレビは全く見せないで娘を育てたよ」
「そうか、良かったな」
目を細めて親父は笑った。

今になって始まったことではないが、年配の人のテレビ信仰には考えることがある。
「テレビで言ってた」という言葉を何度聞いたことか。
みのもんたがテレビで言えば、翌日にその商品が売切れになる、というのもバカバカしい話だ。
『健康に良い、体に良い』という台詞も魔法の言葉である。
人は皆、自分の健康に対して不安を持っている。
特に高齢者はそれが著しい。
その不安とはやはりメディアによって植えつけられた概念だと思う。
この辺りの話は医療の話とも繋がるのだが、医療の話は別の機会に取っておこう。
だからどこかの偉い医者がテレビで言っていたら、それを鵜呑みにする。
会ったことも無い医者の事を、肩書きだけで信用する。
しかもテレビで言っていることに間違いなぞあるわけない。
絶対的な信用、服従、その先は洗脳だ。
テレビは洗脳の道具である。

だがテレビの番組全てがそうだと言っているわけではない。
以前見たプログラムで素晴らしいものもいくつもあった。
きちんとした作り手も当然いる。
その先は憶測だが、きちんとしたものを作ろうとしてもスポンサーの意向にそぐわない、権力者にとって都合の悪い、といった理由でつぶされる物も多いことだろう。
それよりも当たり障りのなく無難なものを選ぶこともあろう。
人間誰しもやりたいことだけで食っていけるわけではない。
やりたくない仕事をやることだってある。
そんなことを考えるより、浅く手っ取り早く金になる仕事を選ぶ方が楽だ。
以前、映画の仕事をした時に、役者のマネージャーがこう言っていた。
「テレビの仕事をしている人は、映画の仕事をしている人に比べて中身が無い人が多い」
なんとなくだが、そうだろうなと思った。
自分でもテレビの仕事をしたことがあるが、その親方の苦悩を垣間見たこともあった。

だらだらとテレビの悪口を書いてきたので、普段テレビを見ている人は気を悪くするかもしれない。
再び書くが、作り物を作り物として見る分にはかまわないと思う。
自分としてはこれからもテレビを見ることはないだろう、というだけの話である。
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年明けに想う。

2018-01-01 | 日記
明けましておめでとうございます。
あけおめ!ではなく、明けましておめでとう、なのである。
今年と言うかもう去年になってしまったのだが、年末に女房が犬のココを連れて遊びに来た。
娘は日本での一人旅を謳歌していることだろう。
真夏の大晦日は二人と一匹で湖沿いの遊歩道を散歩して、犬は湖で泳ぎのんびりと過ごした。
こんな年の瀬も良いものである。
大晦日の晩はクィーンズタウンではどんちゃん騒ぎがあったことだろうが、アロータウンの家の周りは静かだった。
僕らは年が明けるのを待たず、早々と寝てしまった。
西洋風にカウントダウンをして、花火が上がって「わー、おめでとう」、そしてどんちゃん騒ぎというのを否定する気はない。
ただ自分ではそういう気分にならないのは年を重ねたからだろうか。
ニュージーランドにいる自分の年明けのイメージとはこういうものだ。
ひっそりと年越しそばを食べながら除夜の鐘を聞き熱燗で一杯、そして神社にお参りをする。
バカ騒ぎでなくあくまで厳かに、そんなのをイメージして新年を迎えた。

朝早く起きてココと一緒に裏山へ散歩に出た。
雲の隙間から黄金色の太陽が僕たちを照らした。
初日の出である。
僕は手を合わせ拝んだ。
ひたすら拝んだ。
無心で拝んだ。
世界情勢は悪くなる一方で、今年はもっとひどい出来事が起こるだろう。
そんな中でも我々は生きていかねばならぬ。
『人としてどうあるべきか』
それを軸にその時ごとに自分がやるべきことをやるのみ。
とことんシンプルに、そしてぶれること無く。
その芯を掴んでいれば恐れる事は何もない。
そんな想いで朝日を拝んだ。

皆様にとって良い年でありますように。
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娘の旅立ち

2017-12-13 | 日記
娘が日本に旅立った。
初めての一人旅である。
何回か日本に行ったことはあるので、ある程度は勝手が分かってるのだろう。
一人で行くことに関して僕はもろ手を挙げて賛成である。
昔からよく言うではないか、可愛い子には旅をさせろ。
この一言につきる。
渋谷とか原宿へ行ってショッピングをしたいと言うのを止める理由なぞ無い。
「いいじゃん、行け行け。一人旅してみろ」
僕自身、若い頃に旅をした経験がある。
以前このは書いたな。
甘い思い出も辛い思い出もあるが、旅は人を成長させる。

数か月前、車を売ろうとした時に、僕はバックパッカーに張り紙を張りに行った。
その際社会見学と言って娘を連れて行った。
バックパッカーやユースホステルを何軒か回ったのだが、それぞれの宿に旅人が持つ雰囲気がある。
リビングで本を読む人、庭でビールを飲む人達、キッチンで何か作っている人。
それぞれにそれぞれの人生があり、同じ数だけそれぞれの旅がある。
娘はそこで何かを感じたのだろう。

娘の出発が決まり、僕はクィーンズタウンの仕事が始まり忙しい時を過ごしていた。
娘はバイトで稼いだ金を旅費にあてたようだ。
この親のスネはかじれないと思ってくれたらしめたものだ、娘は自立心が強い。
ちょうど娘の出発の前日にクライストチャーチで終わるツアーがあったので、出発前夜は話ができた。
娘のワクワクする気持ちが伝わってきてなかなか良い。
翌日、仕事の都合でクィーンズタウンへ戻る日の朝、妻と一緒に空港へ見送りに行った。
娘はあまり寝れなかったらしい。
まあそれもそうだろうが飛行機の中で寝るだろう。
空港で別れ際に娘の目から涙が一粒ポロリ、可愛いのお。

日本では最初の二日は古くからの友、龍崎家に世話になった。
ヤツの話も昔、このブログで書いたはずだが、探すのが面倒くさいから興味がある人は勝手に探して欲しい。
前回、僕が日本に行った時にはJCと一緒に成田空港まで迎えに来てくれたが、今回は娘がJRで最寄りの駅まで行きヤツに迎えに来てもらった。
きっと旨い物をご馳走してもらったことだろう。

夏の忙しい時が始まる前に僕は娘に旅の心得を話した。
先ずは自分の身は自分で守れ。
都会に行けば、泥棒、スリ、置き引き、詐欺、いろいろな悪いヤツもいる。
お前は女だからひょっとするとレイプされるような場面に出くわすかもしれない。
そうならないことを俺も願うが、そうならない確率はゼロではない。
お前が望まないでそうなった時は『乱暴はやめて!私が最初に口でしてあげるから』と言って相手を油断させろ。
男はバカだから絶対に隙が生まれる。その時に思いっきり相手のチンチンを噛め。蹴っ飛ばしてもいいぞ。
そうすれば男は動けなくなるからその隙に逃げろ。
そんな馬鹿男の腐れチンポより、お前の身の方が大切だからな。
中途半端にやると逆上して殺されるかもしれないからな、思いっきりやって相手の動きを止めろ。そして逃げろ。
俺の考えでは女を暴力でなんとかするような男は人間のクズだ。
爺さんも言っていた言葉だが「男は女性に手を上げてはいけない。なぜならそれは卑怯だからだ。男として生まれた以上、卑怯なことはしてはならぬ」
卑怯な奴は痛い目に会うのも仕方なかろうと俺は思う。
ただしこの作戦は相手が一人の時だけだ。
相手が二人以上いたら、臨機応変に別の作戦を考えろ。
とにかく自分の身は自分で守れ。
自分の行動の全責任を自分で持つ、というのが一人旅のルールだ。
そんな話をした。

犯罪などに巻き込まれないことを願うが、いざという時に心構えがあるかどうかでその後の結果も変わってくる。
いや、それよりも心構えがあることにより、悪い事が近寄ってこないこともあるだろう。
僕も旅をしている時にはいろいろあった。
ぼったくりにもあったし、置き引きもあったし、国境紛争に巻き込まれたり、騙されもした。
事が起こった時に、その場ごとに全力で対処する心構えがあれば怖れるものはない。
これは今の自分にも言い聞かせていることである。
何かあったらどうするの、と言って子供に旅をさせない親は多いと思う。
以前出会った人も16歳の子供が一人で行動したいと言っているのに、どこまでも子供に付いて行っていた。
まだ若いから、女の子だから、物騒だから、心配だから、なんやかんやと理由をつけるが結局は自分が子離れできないだけだ。
そういう親は自分自身を見ない。自分の生き様を見ない。
ひょっとすると自分が間違っていて子供が正しいかも、とは思わない。
常に自己正当化と言い訳の人生を歩むのもその人の責任。
親と子は鏡なので、そういう親の子はいずれそうなるのかもしれない。
幸いなことに最近では僕の周りにそういうバカ親が現れない。ありがたいことだ。

さて娘16歳、今頃は東京のバックパッカーに泊まり、一人旅を謳歌していることだろう。
女房にはマメに連絡をしているようだが、僕のところにはほとんど連絡がない。
『楽しくやってるか?』というメッセージを送ったが返答は『はい』だけだった。
まあ昔の格言で、便りの無いのは良い便り、とも言う。
父親は娘の一挙一動を知らなくてもよい。
娘のことだから新宿、渋谷、原宿など普段味わえない大都会で楽しくやっているだろう。
浅草には行くようだが、浅草園芸ホールには行かないそうだ。






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季節はずれの大雪。

2017-11-12 | ガイドの現場
11月前半というのは日本ではゴールデンウィークぐらいの陽気である。
町では花が咲き乱れ、牧場では生まれたばかりの仔羊が跳ね回る。
太陽の軌道は高く、日が沈む時間は日増しに遅くなる。
気温は上がり、人々の気持ちも夏に向かっていく。
普通ならばそうなのだが、季節外れの大雪が降った。
雪になりそうだという予報が出た翌日、妙に静かな朝だと思いカーテンを開けて驚いた。
家の外は真冬のような雪の世界。
5cmぐらいも積もっただろうか。
平地でこれぐらいだから山ではどれぐらい降ったか分からない。
これが冬だったら「わあ、パウダーだ」と無邪気に喜ぶのだが、スキーシーズンはとっくに終わっている。
ルートバーンはどうなっているんだろうと思い、仕事に向かった。







町へ行く道の周りも銀世界。
美しい景色だが農家の人は大変だ。
生まれたばかりの仔羊はこの雪で死んでしまう。
この日の仕事はルートバーン1日ハイキング。
バス2台で山に向かった。
舗装路はすでに雪が無かったが、山道に差し掛かるころから道にも雪が出てきた。





森に入ると雪で倒れた木が道をふさいでいた。
そんなに大きい木ではなかったのでみんなで「よいしょよいしょ」と木を動かす。
バスは四駆ではないので、ちょっとした坂でもタイヤが滑って登れない。
お客さんに頼んでバスの後の座席に座ってもらい、後ろに過重をかけてなんとか登山道の入り口に着いた。







この前日もルートバーンを歩いたのだが、その時には小雨だったものが夜の間に寒気が入り、辺りは雪景色に変わっていた。
1日でここまで景色が変わるのが、自然相手の仕事の醍醐味だな。
すでに雪は止み、雲の間から青空も見え始めている。
天気は回復に向かっているが、木の上に積もった雪が溶け雨のように落ちる。
カッパの上下を着て歩くとまるで大雨の中を歩いているようだ。
倒れた木が道をふさいでいるのも何か所もある。
道は雪が溶けてどこもかしこも水たまり。
きれいな景色だが、歩くのは楽ではない。
結局本来の行程である山小屋にはたどり着けず、途中で引き返した。







天気が回復すると気温は上がり雪はすぐになくなる。
帰るころには平地での雪は全くなくなっていた。
この翌々日に再びルートバーンへ行ったのだが、その時には普段通りの森の姿に戻っていた。
1日限定の雪のトレッキング。
こういう仕事も良いものである。
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命名 銀八

2017-10-26 | 日記
新しい車に名前がついた。その名も『銀八』ぎんぱちと読む。
ここへたどりつくまでも色々考えたさ。
スバルだから『スバ子』・・・鳥の巣箱みたいだから没。
スバルと言えば、『風の中のスバル号』長いから没。
今度の車も長生きして欲しいなあ、長生きといえば『寿限無号』・・・なんか違うなあ・・・没。
スバルはプレアデスだから『プレ蔵』・・・センス悪いから没。
英語の名前でぱっと思いついた『シンディ』・・・知ってるヤツがいるから没。
銀色で速いから『銀の弾丸』・・・銀玉鉄砲みたいだから没。
アウトバックの略でOB、それも2代目だから『OB2』ちょっとイメージがちがうなあ・・没。
すったもんだの末に命名、銀八となったわけだ。



ここ数日は銀八に僕の好みの音楽を覚えさせている。
ヤツはCDをかけるとそれを記憶する能力があり、いつでもそれを聴ける。
もうカセットテープの時代じゃないぞなもし。
きっと今はタブレットから音楽を取り込めるのだろうが、そこまで最先端じゃなくていい。
今までの人の好みだろうか、日本の懐かしい歌謡曲とかがどっさり入っているが僕の好みではない。
憂歌団なんてものはないし真心ブラザーズもない、当然竹原ピストルもない。
そこで庭仕事の合間にCDをかけて録音した。
洋楽もボブマーリー、クラプトン、ストーンズ、ボブデュラン、ドアーズ、その他もろもろ。
そうやって数十枚のCDを銀八に覚えさせた。
これで長いドライブもへっちゃらだ。

そしてまた銀八はある時は教習車に早代わり。
娘がそろそろ免許を取る年なので、たまに近くの公園で練習をさせている。
女房のマーチで行く時もあるし、何回かはハイエースも運転した。
ここ2,3日は銀八で練習。
僕がまもなくクィーンズタウンへ行ってしまうので、親子の時間を取れるのもよい。
やっぱり乗ってみるとマーチやハイエースとの違いは分かる。
「いいねえ、この車」なんてことを言う。
あと数年したら雪道での運転の仕方とか、チェーンのつけ方とかも教えるんだろうな。



そうしているうちにクィーンズタウンへ行く日がきた。
雨上がりの朝、早起きしてココと散歩へ。
仕事が無い時は毎日散歩をしているが、これからしばらくはこいつとも散歩に行けない。
そして荷物を車に詰め込む。
今までは大きな車だったから、ドカドカ放り込んでも良かったが、今回はうまく積まないと載せきらない。
そして一夏分の荷物は少なくない。
トレッキングブーツ、ユニフォームなどの服、マウンテンバイク、夏山用品一式、食料品、ビール醸造セット一式、今までに仕込んだビールたくさん、ギター、ウクレレ、鉢植えのトマトなど、その他もろもろ。
椅子を倒しフラットにして、なるべく隙間があかないように、テトリスのように詰めていく。
そしてなんとか詰め込んでクィーンズタウンへいざ出発



これから半年間は夏の仕事で忙しい。
長いドライブの1曲目はボブデュランのライクアローリングストーンを聞きながら走ろう。




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さらばハイエース

2017-10-23 | 日記
長年使っていた車を手放した。
13年間もの間、今の車を使っていたわけだが、ついにお別れのときが来た。
使えるものは使い続ける主義だが、いかにせん古い車というのはあちこちガタがくる。
そしてまた自分の生活も変わり、大きな車は必要なくなったのである。
思えば13年間、苦楽を共にした相方である。
エンジンを載せ換え、あちこち修理しながら使い続けた。
この車で山に行った回数は数知れず、パウダーを追い求めて走り回った。
大雪の日にブロークンリバーの入り口で立ち往生していた日本人を拾い、その場でガイドをしたり。
スピード違反で捕まったり、撮影の仕事で使ったり、山道で除雪車に擦られたこともあった。
自分と車だけでなく、その場にいた人も含め思い出は次から次へとよみがえる。
できることならもっと使い続けたかったのだが、もう潮時だろう。



古い車なのでステレオはラジオとカセット。
今どき、カセットなんて使っている人はいないだろう。
車の中には伸びきったカセットテープがいくつかあるが、使えるかどうかもわからない。
ラジオは機嫌よく音楽を流す時もあるが、突然に雑音発生器になったり、切っているはずなのにいきなりスイッチが入ったりする。
極めつけはヒーター。
ヒーターの利きが悪く、寒いのだ。
冬山に行くのにヒーターがないのは致命傷だ。
そういえば25年前に乗っていた車はラダというロシア製の車で最初からヒーターが無かった。
凍りついたフロントガラスを溶かす術もなく、友達と一緒に車の横から顔を出し、恐る恐る運転して夜道を帰った思い出もある。
若気の至りだなあ。
ハイエースのヒーターはいろいろ部品を交換したり、あれやこれややったが、結局治らなかった。
山に行く時にはソレルのブーツを履いてスキーパンツをはいて行くから僕は平気なのだが同乗者はたまらない。
山道を走りまくったおかげで車体も軋むようになった。
それでもいいから欲しいという人がいて、別れの想いにふける暇も無く、ハイエースは他人様の物となった。
さらばハイエース。
お前さんと出会えて良かったよ。



そしてこれまたタイミングだろう。
知り合いから程度の良い車を安くゆずってもらった。
車種はスバルのアウトバック。
2006年で走行距離は10万キロ。
これならば山にも行けるし、街での使い勝手も良い、立体駐車場だって入れる。
ナビは付いているがどうせ使わないからどうでもよいが、ステレオだってそれなりのものだ。
車検も今までは半年ごとだったが、今度からは1年ごとである。
アウトバックは以前使っていたが、なかなか使い勝手が良かった。
こういうのもめぐり合わせだろうな。
昨日の晩、家族会議を開きこの車に名前を付けようとしたが、なかなか良い名前が思い浮かばない。
今週にはクィーンズタウンへ移動するので、道中ゆっくりと名前でも考えることにしよう。

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