あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

フォークス日記 9

2011-06-30 | 
丘を登り切ると高台に出た。
360度というわけではないが見晴らしは良い。
この先にある3マイルラグーンや5マイルラグーンも見えるし、反対側にはオカリトラグーンも見える。
そしてどこまでも続く、ニュージーランドで最も人が少ない海岸線。
普段は氷河を載せた山も見えるのだが今日は雲に隠れてしまっている。
高台にはどうやってこの大地が出来上がったのか、という絵入りのインフォメーションボードがある。
この前歩いた氷河も数万年前にはここまでつながっていた。その後、氷河は後退して今の大地を作り、森が生まれた。地球規模で考えればあっという間の出来事だ。
人間がここにやってきて金を掘り、去っていったのは150年ぐらい前の話か。地球から見れば、ほんの一瞬の出来事にすぎない。
その一瞬の間に人類は栄え、戦い、過ちを犯し、愛し合ってきた。
森は、山は、海は、ただそれを見つめる。



「あれはラタじゃないかな」
タイが言った。
ヤツが指さす方向を見ると赤い花が一輪咲いている。
「おおお、そうだ。今年は全然咲いていないねえ」
「全く。去年はあれだけ咲いたのに」
ラタは赤い花をつける木で普段はこの時期に咲く。
去年はラタの当たり年で、山全体が赤く見えるほど咲いた。
今年は全く花を見ず、今日見たのが初めてだ。
森全体が赤く見えるほど咲くのも紅葉のようでいいが、緑の中にひっそりと一輪咲くのも風情があってよろしい。
花はボクの思惑なぞ知らんよ、というように風に揺れる。
そうしているうちに日は高くなってきた。そろそろ昼時だ。
「ひっぢさん、トンネルトラックは行ったことはありますか?」
タイが聞いた。
「トンネルトラック?どこだ、そりゃ?」
「フランツジョセフの町のそばにあるんですよ。そうか行ったことないのか。じゃあ行かなきゃ。青白緑黒の黒ですよ。もう昼だし町でお昼を食べてから行きませんか?ピザの旨い店もあるんですよ」
「いいねいいね。いやいや、今日はガイドさんにお任せしますよ」



予定が立つと行動は早い。
ボク達は丘を下り、タイの家でテントを撤収、荷物をまとめてフランツジョセフの町へ向かった。
タイのお勧めの店はアメリカ人の観光客であふれていた。
みんなテレビに釘付けになって何かを見ている。
何かと思い見てみるとアメリカンフットボールのスーパーボールをやっていた。
地球の裏側でやっているフットボールの試合も、今や衛星中継でライブでこんな西海岸の田舎町で見られる。
これってグローバルなのか?
ハーフタイムには大物歌手が次から次へ現れ、その周りでは何百という人がマスゲームを繰り広げる。
それを何万人もの観衆がスタジアムで見て、その映像は世界中に流され何百万もの人が見る。
一体このイベントで何人ぐらいの人が働いているのだろう。
こうやって世界は回っている。
ボク個人の感想としては、さすがショービジネスの国、やることが派手だなあ、というぐらいのものだ。
アメフトには興味が無いし、どちらが勝とうが知ったこっちゃない。
だがアメリカ人にとっては、ニュージーランドに旅行に来ていても見たい物らしい。
そんなアメリカ人を横目にボクらはピザを食いビールを飲む。

そしていよいよトンネルトラックである。
町はずれに車を置き30分ほど歩くとトンネルが現れる。
このトンネルは昔、水力発電用に水を流したトンネルで幅1mちょっと高さは人が入って頭をぶつけないぐらいの高さだ。
トンネルに入る前にタイが説明をする。
「僕は万が一用にライトを持っていますが、あえてライトを使わないで行きましょう。中は完全な闇ですが、両手で壁に触りながらソロソロと進んでください。足元は多少のデコボコはありますが心配ありません。できるだけ間隔をあけて一人ずつ行きましょう」
中がどうなっているのか知りたい気持ちはあるが、ここはあえて多くは聞かずガイドのタイを信じてついて行こう。
そうしているうちにオーストラリア人らしい観光客のグループがやってきた。
「あーあ、人が来ちゃった。まあちょっと待ちましょう。」
彼らはトンネルに入っていったが、中の暗さと足元を流れる水の冷たさに耐え切れず数分で出てきた。
仕切りなおしの後、いよいよトンネルに入る。
「いいですか、真っ暗ですがパニックにならないように。充分間隔を空けて入ってください」
そういい残すとヤツはトンネルの奥に姿を消した。
しばらくしてマー君がトンネルに入っていき、僕は一人残された。
心配は要らないと言われても、いざ残されると不安は湧き上がる。
不安、心配は自分の心が作り上げるものだ。
それは消そうと努力するのではなく、不安を持つ自分の心を見つめる。
そうすれば自然に不安は消える。
ボクは心を落ち着かせてトンネルに踏み込んだ。

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餅は餅屋

2011-06-28 | 日記
勘の鋭い人は気づいていると思うが、そう、新しいパソコンを買ったのである。
以前使っていたパソコンの調子が悪くなり、ガチャガチャいじったりお祈りをしたりして何とか使っていたが、いよいようんともすんとも言わなくなり新規購入に踏み切った。
お店に行き現物を見たりしたが、新しい物を買ってもデータの移し変えなど面倒くさい作業が待っている。
しかも古いパソコンは動かない。
それならばここに住んでいる日本人のプロに一括で頼むことにした。
今はまだ使えるディスプレイとキーボードはそのまま使って、本体だけ新しく組んでもらった。
これならば使えるものはとことん使う、という開拓精神にも反しない。
古い本体の使える部品はその人が使ってくれることだろう。
ゴミも最低限で済む。
結果から言うと、最初からこの人に頼めば良かったというものだった。
新しい本体はお祈りをしなくてもサクサク動き、以前と同じようにしかもスピードアップして使えるようになった。
スピードが速すぎてそれを使う人間が追いつかないような状況である。
それでいてかかったコストは新品よりも安い。
僕もハッピー。その人も仕事になってハッピー。新しいパソコンも(たぶん)ハッピー。まだ使える物もゴミにならなくてハッピー。
幸せが誰かの不幸せの上に在るのでなく、すべての人や物が幸せになる『みんなハッピー』というボクの信条にもあう。
とてもよろしい。

一時はデータの移し変えも、自分でやってみようと思ったが、それをするには知識も必要である。
素人がいろいろ試行錯誤しながらできないことはなかろうが、それに費やすエネルギーは小さくない。
ボクがあれやこれや何時間もかけてできないことが、その道の人の手にかかると5分で出来てしまう。
自分がそれを行うエネルギーと、お金というエネルギーを天秤にかけてみるとお金のエネルギーのほうが小さく効率は良い。
その人にとってはそんな作業はなんてことないもので、それに費やすエネルギーはボクのそれに比べはるかに小さいものなのだ。
そこでお金エネルギーが回り、ひとつの仕事が成り立つ。
やはり餅は餅屋なのである。
餅に対する正当な報酬というものもある。
これが目玉が飛び出るほど高いとなればボクも考えるが、今回のように支出を抑え自分で納得ができる料金でお金を払い、結果に満足する。
そこには感謝の気持ちが生まれる。
そして出てくる言葉は「ありがとう」なのだ。
高いなあと思いながらお金を払うときに、ありがとうという言葉は出てこない。
支払う側が納得のいく結果を得られる時に自然に出てくる言葉がありがとうなのだ。
だからCIAの長官でもゴルゴ13が依頼を受けてくれたときに「ありがとう、ゴルゴ13」と言っている。
これは依頼主と仕事請負人との信頼関係があって成り立つことだ。

そう考えてみると、僕がガイドをした時に、お客さんがありがとうと言ってくれるのもそれにあてはまるのだと思う。
ボクにとって、ガイドするコースを歩くのは日常茶飯事、なんてこともないことだ。
お客さんは安くないお金を払うが、それに見合う結果を得て満足して1日を終わる。
ニュージーランド旅行の中の1日を満喫して過ごすわけだ。
そうなると自然にありがとう、という言葉が出る。
この言葉は決して強制されて出る言葉ではない。
あくまで自然に心の奥から湧き出る言葉だ。
お互いにありがとうと言い合う時、場の雰囲気はほのぼのしたものになり、人間関係もうまくいく。
そこにはエネルギーの交流があり、互いの精神を高めあう。
そのエネルギーとは愛である。
愛という言葉にすると陳腐なものなりがちだが、それはエネルギーであり波動でありお金であり気持ちである。
この世は愛の上に成り立っている。
だがやっぱり愛という言葉を出すと、何かちょっと恥ずかしいような照れくさいような。時には偽善的で宗教がかった感じにもなる。
なのでボクはエネルギーという言葉をよく使う。
言葉で表現しきれないものというのも存在するのだ。


愛ありき 餅屋の餅に ありがとう







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冬至

2011-06-25 | 日記
日本の夏至はニュージーランドの冬至である。
クライストチャーチでは日の出は8時ぐらい、日の入りは5時ぐらいだ。
この時期、太陽の軌道が低い。
庭にいる時間が長いのでよくわかるが、家の影で菜園にもあまり日は当たらない。
だがこの日を境に日は長くなっていき、今まで影だった場所にも日は当たるようになっていく。
日当たりが良い所に植えたにんにくもソラマメも芽が出始めたところだが、この時期はゆっくりゆっくりと育つ。
ニュージーランドは紫外線が強いせいか、冬でも日が当たればポカポカと暖かい。
だが寒さが本番になるのはこれからだ。

今年に限って言えば冬の訪れは遅い。
5月などはとても暖かく、庭の苺が花を咲かせてしまったぐらいだ。
クィーンズタウンではウィンターフェスティバルが今週からなのに、スキー場はオープンできなくて困っている。
人工降雪機を何百台も用意しても気温が冷えなければ雪は作れない。
僕も若い頃は人工降雪の仕事をやったことがある。
夕方から機械を出してスタンバイするのだが、気温が-4度まで冷えないと雪は作れない。
こればっかりは人がどうあがいても仕方がない。
お金のあるスキー場では貯水池に氷を入れて水を冷やし、-2度とか-3度でも雪を作ろうとしていた。
バブル最盛期の頃で、エコとはかけ離れた話だ。
-4度ぐらいになるとかろうじて雪になるのだが、その温度で作った雪は水分の多い雪でそれが凍りとても固いバーンになる。
良い雪ができる温度は-10度ぐらいだろうか。
冷えるときには-20度ぐらいまで冷え、その中をスノーモービルをぶっ飛ばし現場に行き機械の向きを変える。
そこまで冷えれば低い向きでも雪になるので機械を水平方向でセットできて思った場所に雪を降らせられるが、気温が高いと雪を空中高く放らなければならない。
あるときは機械を回している時に風向きが変わり、リフトをガチガチに凍らせてしまったこともあった。
雪は自然からの贈り物であり、人間が簡単に作り出せるものではない。

本来ならクィーンズタウンのスキー場も数週間前にオープンして今週からウィンターフェスティバルという筋書きなのだが、今年はそう簡単にいかないようだ。
そもそも何故この時期にウィンターフェスティバルをするのか。
ボクが20代の頃、20年近く前だがウィンターフェスティバルは8月にやっていた。
冬の祭りなのだから一番寒い時にやるのは当たり前だ。
若いというのは怖いもの知らずであり、なんでもやってやろうという時期でもある。
フェスティバルの一環で、仮装で真冬の夜のワカティプ湖に飛び込んだこともあった。
気温は氷点下、湖の水温は12~3度。
一度湖に入ってしまうと外の方が寒いのでなかなか出られない。かといっていつまでも水に浸かっているわけにもいかない。
変な葛藤を感じたことを思い出した。
ウィンターフェスティバルの時期は年とともに早まり7月になり今では6月後半に行うようになった。
これは誰かに聞いた話だが、8月というのは黙っていてもお客さんは来る。
それよりも早い時期、7月とか6月のあまり忙しくないときにフェスティバルを催し集客を狙うのだそうな。
一番のお得意様であるオーストラリアのスクールホリデーの時期に合わせたという話も聞いた。
なるほどね……。
そもそもお祭りというのは、その季節の物事を祝い楽しむものであるはずだ。
季節は移ろい過ぎていくものである。それを行うタイミングというものがある。
それを人間の都合で変え、イベントとして人を集める。
何かアメリカのショービジネスの切れ端が見えてくるようだ。
時間と空間は切り離してはいけないものだが、時間が一人歩きしている。
だが社会はすでにそのように回っており、人々もそれに合わせ動いている。
友達も何人かはクィーンズタウンのスキー場で働いていて、スキー場がオープンできないと仕事がない。
友達のカナちゃんは今シーズンからスキー場のカフェで働くことになったが、まだ仕事はしていないという。
「あたしが働くことになったら、こうなっちゃったのよ。アハハ。」
トレッキングへ行くと必ず1日は雨に降られるという、自称雨女らしい発言だ。
雨女でなくいっそのこと雪女になってくれればいいのに。

20代、スキーのインストラクターを始めた頃、ある人にこう言われた。
「スキーのインストラクターなんてものはスキー場ではえらそうだが雪がなければただの人以下なんだぞ。士農工商エタヒニン、その下にスキーのイントラだ。覚えておけ。」
そこまで落とすこともなかろうが、確かにスキーヤーなんてのは雪がなければ何もできない。
雪が降って喜ぶのはスキーヤーだけだ。
普通に生活していてスキーをしない人には雪はないほうがありがたい。
町の暮らしで雪がどれだけ生活の支障になるか。
特に都市部は雪には弱い。交通はすぐに止まる。
雪かき、雪下ろし、こういった仕事の辛さは雪国に住んでみないとわからない。
暖冬小雪というのは、ある人々にはありがたいものだろう。
だがスキーヤーにとっては雪は天からの贈り物であり、喜ぶべきものだ。
ぼくが行くクラブフィールドには人口降雪機はない。
雪が降ればそれを喜び、雪が降らなければ「しゃあないやん、降らないんやから」というあきらめがある。
それでもどうしても滑りたい、という人はタイのように雪のある所へ行けばいいのだ。
http://blog.livedoor.jp/coasterlife/
今年は滑り始めるのは7月終わりぐらいだとボクは見ている。
それまでは庭のソラマメやニンニクのようにゆっくりと時を過ごすのだ。
コメント (5)
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無事だ。

2011-06-14 | 日記
昨日また大きな地震があった。
椅子の上に立って作業をしていた時だったので、「おっと」という感じだった。
地震の起こる1時間ぐらい前か、空いているペットボトルに水をためた。
ガレージには40リットルぐらいの水が常にあるが、なんとなくもっと貯めておいたほうがいいかなという気がした。
なんとなく、この感覚は大切だ。
地震が起こった後、電気は止まらなかったが水が止まった。
備蓄の水を使い、娘と夕飯を食べた。女房はまだオークランドだ。
今日のメニューはスパゲティミートソースにブロッコリーを茹でたものだ。
食後の片づけはボクが皿を洗い、深雪がそれを拭いて片づける。深雪が聞いた。
「どうやって洗うの?」
「こういう時は頭を使うんだよ。ほら、このスパゲティの茹でた汁、いつもはこれをザーッと流しちゃうけど、今日は流さずに取っておいたんだ。この汁である程度流して最後にきれいな水ですすぐ。」
「ふーん。conserve water だね」
そうしているうちに水が復旧したが、生水は飲まない方が良いだろう。
やっぱり水をくんでおいて良かった。

昨日のニュースではかなりの家に電気がなかったそうだ。
この時期、電気がないのは辛い。暖房も電気に頼っている家が多いからだ。
我が家も電気だけに頼るのは不安なので、ガスストーブも用意した。
電気の物は便利だが、一度電気が止まれば自分では何もできない。
当たり前を過信すると痛い目にあう。
昨日の午後から体に感じる地震はしょっちゅうある。
夜中の3時頃なんとなく目が覚めたら大きな揺れがあった。
怖くて眠れないという人も多いだろうが、ボクはそのすぐ後に熟睡。朝まで良く寝た。
恐怖は感じない。
恐怖は自分の心が作るものだ。
恐怖を持ったらそれから目を背けるのではなく、真正面からそれを見て分析するのだ。
そして恐怖を持っている自分を受け入れる。
それはどんな結果が来ようと、それを肯定的に受け入れる覚悟だと思う。
そんな感じでクライストチャーチの北村家は無事です。
ボクも深雪も元気なんだけど、パソコン君の元気がなくて、昨日は立ち上がってくれなかった。
今朝は機嫌が良く、1回で立ち上がった。
きっとこの話を書きなさい、ということなんだろうな。

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パソコン

2011-06-09 | 日記
久々の更新である。
パッタリと更新が途絶えてしまい、どうしたんだろうなあと思われた方も多いのではなかろうか。
タネを明かせばパソコンの故障である。
家のパソコンは買って5年ぐらいになるか、徐々に調子は悪かったがついに壊れてしまった。
買い換えの時期なのだろう。
使える物は直して直して徹底的に直し、その物が摩耗して形にならないぐらいに使うというニュージーランドの開拓精神もパソコンには通用しない。
だが、壊れました、ハイそうですか、では新しいのを今すぐ買いましょう、というわけにもいかない。
失業者のボクにはそんな余裕はないし、それをするにはまず我が家の大蔵大臣(女房)に直訴しなくてはならない。
生憎、大蔵大臣はオークランドに出張でしばらく留守である。
ないならないで何とかならないだろうか?一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
女房は仕事用ではあるが自分のパソコンがあるので全く困らない。
パソコンがなくて困るのはボクと娘だけだ。
いっそのこと、これを機会にネットもメールも無し。
ブログもホームページも全て止めちまう。
連絡は電話か手紙のみ、という時代に逆らった生き方をしてみようか、などと思ったりもした。
しかしそれはそれで大変なことになるのは目に見えている。
なので、今あるもので何とかやってみることにした。
修理に持っていき、一度は使える用になったが再びダメ。
カバーを外し、中をガチャガチャやってみるとなんとか立ち上がった。
だが機械の機嫌をそこねるとすぐに止まってしまう。
こうなるともうお手上げ、コンセントを抜くしかないのだが、こんな終了の仕方が良いわけはない。
電源を立ち上げるのだって、ボタン一つでポンというわけにはいかない。
カバーを外し、メモリーの辺りをガチャガチャとやり、コンセントを差し込み、そして手を合わせお祈り。これ大切。
そしておもむろにスイッチを入れる。
うまく立ち上がってくれる確率は3回に1回。
立ち上がってくれない時はあきらめて数時間後もしくは翌日にトライ。
電源が入らないときは「やるな」ということだろう。
そんな時は庭仕事をしたり、家の掃除をしたり、料理をしたり、なにかとやることはいくらでもある。
うまくコンピューターが立ち上がったとしても、いつ止まってもおかしくない状況である。
ネットを見ていて突然止まることはしょっちゅうだ。
次回に電源が入る保証はない。
ひょっとすると今回が最後かもしれない。
そのままお陀仏、「おさらばえ~」ということもありえる。
当然、長い文章などはある程度書いたら下書きに保存する。
そんな一期一会の気持ちでパソコンを使っているわけだ。
そうすると自然と感謝の気持ちもわく。
「電源入ってくれてありがとう」
「ちゃんと送信できて、ありがとう」
当たり前の事だが、当たり前に行っている時にはありがとうという気持ちは生まれない。
不思議なものだ。
当たり前が当たり前で無くなったときに、はじめて人間は当たり前の有り難さを知る。
これは全ての物事に共通することではなかろうか。

ふう、なんとかこの文を書く間、生きていてくれた。
ありがたや、ありがたや、なのである。

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