あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

変化

2011-03-31 | 日記
物事に不変のものは無い。
どんなに頑強に見える物でも形ある物はいつか崩れる。
人間は誕生と死を繰り返し、その間に成長と老化がある。
地球という星も常に変わりつつある。
2011年になって地球規模の大きな変化があり、身の回りの些細な事にも変化があった。
2月にはクライストチャーチに大きな地震があった。
その直後から日本からのツアーはキャンセル続出。仕事が全くなくなった。
そして今回の日本の地震である。
旅行業というものは、日々の平和と安定があって成り立つものだ。
混乱と不安定の中で人々は旅行を楽しむことはできない。
自粛についても賛否両論はあるが、悪者になりたくないために自粛をするのと、自分自身が楽しむ気分にならないから自粛するのでは自粛のとらえ方が大きく違ってくる。
なにはともあれボクは失業者となり、今は毎日畑を耕す日々である。

クィーンズタウンの夏の仕事は今期限りで辞めるつもりでいた。
8シーズン働いたタンケンツアーズという会社はとても居心地が良く、そこに自分の居場所もあった。
ボスは昔からの友達でボクのことをよく理解してくれる人達だ。
ボクの苦手な細々したことはボスに任せて、自分はガイドの現場に集中できた。そのおかげで納得のいく良い仕事ができた。
ボクを知る人にハイキングガイドを辞める話をすると、みんな口をそろえて「あなたはいいガイドなのにもったいない」と言ってくれる。ありがたいことだ。
お客さんは1日の終わりに「ありがとうございます」と言ってくれるし、ツアーを終えたお客さんから感謝のメールや手紙をもらうことも度々あった。ありがたいことである。
一緒に仕事をした添乗員から、次のツアーの依頼もあった。ありがたやありがたや、である。

ボクは20代から30代にかけてスキーパトロールという仕事をしていた。
スキーパトロールになる前にはスキーインストラクターをしたこともあったし、人工降雪機で雪を作ったこともあった。
あちこちのスキー場を渡り歩き、ざっと数えただけでも10ぐらいのスキー場で働いた。
いろいろな人と知り合いになり、音信不通になってしまった人もいれば、今でもメールなどでやりとりをしている人もいる。
スキー場の正社員となればそこに定住しているわけだが、バイトは季節労働者で渡り鳥である。
出会った渡り鳥の多くが居心地の良さ、という理由で同じ場所に帰ってきていた。
本人が自分の本当にやりたいことはこれではない、自分の行く場所はここではないと知りつつも・・・・・・。
極端な例をあげると、パウダーが好きだという人が、別の場所にパウダー三昧のスキー場があるのを知りつつ完全圧雪のスキー場で働いてしまう。
未知への恐れ、ぬるま湯のような居心地の良さで、本質を覆い隠してしまう。妥協だ。
これはスキーヤーの観点で書いたが、世の中には似たような話はいくらでもあるはずだ。
ボクの場合はあちこちのスキー場を渡り歩き、やっと納得のいくスキー場を見つけたと思ったら追い出されてしまった。出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は抜かれてしまう。
まあ、その時に働いていた仲間も「あなたはあの時にやめてよかったよ」と言ってくれるし、今ではその想い出多きスキー場もつぶれてしまって、文字通り伝説のスキー場となってしまった。
世の中に不変のものはない。

今期限りで夏の仕事を辞めるということをボスにはシーズン初めに言ってあった。
なので2月の地震で仕事がなくなって終わったとしても、ボクには『いつもよりちょっと早くシーズンが終わったな』ぐらいのものだ。
できればもう一度ぐらいルートバーンに行って、ブナの神様(と勝手にボクが呼んでいる大木)に会っておきたかったのだが仕方がない。
まあクライストチャーチの家にはその神様の一部がご神木となり置いてあるし、意識はいつでもルートバーンのあの森に戻れるので未練はない。
クィーンズタウンを出る前には、深雪と一緒にルートバーンの近くにあるレイクシルバンの森を歩き、森に別れを告げてきた。
クィーンズタウンの知人に今期限りで辞めるという話をすると、皆口をそろえて「次はどうするの?」と聞く。
それはボクにも分からない。
彼らには次が決まっていないのに辞めることが信じられないようだ。「なんとかなるさ」と考えられない人もいる。
ただボクの直感からだと先に辞めることを決意しなければダメなんだと。
決心とは心を決めることだ。
いくら今の会社の居心地がいいからといってズルズルとそこに留まっていれば何も始まらない。
ボクが望めば今の会社は来シーズンも雇ってくれるだろう。だがそれでは自分の場所から抜け出せない渡り鳥と同じだ。
それは執着であり依存である。人生の目的とは執着を解き放つことだ。
辞めると決めて行動をすれば、次の道は開けてくる。逆に言えば行動を起こさなければ道は開けない。
直感がそう言っている。
そしてそれをするのは今なんだと。

この場を借りて発表するが、冬のスキーの仕事も辞めるつもりである。
ボクを頼って来てくれた方々には厚く感謝を申し上げる。
本当にありがとうございました。
さてその先は?
分からない。
これが今の正直な気持ちである。
何年後に又ガイドとして戻るかもしれない。
完全に別のことをするかもしれない。
それは誰にも分からない。自分にも分からない。
ただこれも辞めると決心しなければ、次の道は開けてこない。
ボクには何かしら次が来るような気がする。強い確信と呼んでもいいと思う。
それは何だろう?
ワクワクしながらそれを考えているのだが、まだイメージは湧かない。
そのイメージが見えた時はできたも同然だ。
近い将来、地球の変動と共に自分が動き出すという漠然とした気はする。
ピンと来るものは直感から来ているもので、これに沿って動いていれば間違いはない。全て上手くいくようにできているのだ。
そのピンがいつ来てもいいように、心を研ぎ澄まし身のまわりの準備はしてある。

これからまだ地球はいろいろな変化を続けることだろう。
今回のように人間が考えられなかったことが、まだまだ起こるとボクは見ている。
何が起こるか?それは何か分からないから未曾有の災害となる。
それがわかるなら予言者だ。
それはヨーロッパで起こるかもしれないし、中国で起こるかもしれない。アメリカかもしれないし南極かもしれない。
日本で起こらなければいいという問題ではない。
例えば南米で今回のようなことが起こった時に、同じように心に痛みを感じるか?中国だったらどうだ?
世界のどこかで何かが起こった時に、人々はもはや他人事として片づけられないようになる。
国境というものを越え、地球という単位で考える時に来ているとのだ。
それが本当の意味でのグローバリズムだろう。グローバルとはアメリカの物差しを押しつけることではないのだ。
そういう意味において、今回クライストチャーチで地震が起こったことに意味はあるし、日本で地震が起こったことに意味がある。
全ての物事に意味はあり、偶然というものはない。

人間は根本的に変化を恐れる。未知の物事は不安なのだ。
渡り鳥達よ、ぬるま湯から出て大空へ羽ばたけ。
旅立ちに不安、苦しみ、哀しみ、痛みはつきものだが、その先には比べものにならないほどの明るい世界が待っている。
物事は常に変化し続ける。
この世に不変の物はない。
さればこそ、今この瞬間に存在するものが大切なのだ。




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賛否両論

2011-03-27 | 日記
とあるアイドルのブログを見た。
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry5-10839026826.html#comment_module

地震後、彼女が感じたことを書いてあるのだが、これがなかなか面白い。
書いてあることはボクが常日頃から思っていることとたいして変わりはない。
それに対するコメントが賛否両論。コメント数は昨日見たときは1300ぐらいだったが今日になったら5700にもなっていた。これを全部読むのも大変だろうなあ。
まずアイドルがこれを書いて自分のブログに載せたというところがポイント。
ボクは芸能人という人達の事をほとんど知らない。とくにアイドルと呼ばれる人は全く知らない。知らないがなんとなく想像はつく。
アイドルとしては、この子が書いたとおり「ラブ&ピース がんばろう日本」って書いていれば無難だ。
この言葉に対する反対意見は無い。無難な言葉には無難なコメントが還ってくるだろう。
ところが彼女は「原発はいらない」と書いてしまった。これは賞賛する行為だ。
彼女の事は全く知らないが、よく言ったとエールを送ってやりたい。押忍。
言葉というものはそれを言う人の所在があきらかでないと意味がない。出所不明、匿名の掲示板は便所の落書きと一緒だ。
彼女の場合、B級とはいえアイドル。一般市民に比べたらはるかに世に知られた存在だ。
その子が堂々と自分の考えをブログに載せた。しかも非難を承知で。
ボクは今までアイドルとは自分の考えを持たない人形、ぐらいに考えていたのだがこの子は違う。彼女は人形ではなく人間だ。
13歳という若さで、芸能界という所に身を置きながら、こういう意見が出たのは明るい光だ。
地震後にでたポジティブな面の現れでもある。
ポジティブがあればネガティブもある。マイナス無しのプラスはありえない。
彼女に対するコメントがそれだ。
ざっと流して読んだだけだが、このコメントがなかなか面白い。
まず反対意見。
彼女が13歳ということで、はなっから子供扱いをしている。
「君はまだ子供だからそんなことを言うんだ」という自称大人からの声。
「もっと勉強しなさい」「よく考えて物を言いなさい」「あなたは子供だから世の中のしくみが分かっていない」
大人は自分の価値観に合わない真実をズバリと言われると、子供の言うことだからとごまかす。
世の中では子供が真実を言い、大人がそれを無視し自分の凝り固まった考えから抜け出せない、ということはよくある。
大人になる、ということは自分の考えを殺して長いものには巻かれろ、ということなのだ。ボクも若い頃、さんざん「大人になれよ」と言われた。
これからは子供の声にも耳を傾けなくてはいけない。もちろん子供が全て正しいわけでもない。ガケに向かってハイハイをしている赤ん坊を別の方向に向けてやるのは大人の仕事だ。
それから芸能人がこんな事を言うのは気にくわない、というような意見。
有名人に対する妬みと僻みだ。コメントは匿名で便所の落書きである。
これらのような反対意見は出てきても良い。
プラスがあればマイナスもある。マイナスは表に出てきてよいのだ。膿は外に出したほうがよい。
こういう反対意見が出たら、それをきっちりと受けとめるのも発言者の責任だ。
彼女の素晴らしい所は、反対の意見や誹謗中傷するようなコメントも削除することなくきっちりと載せていることだ。
文を書いて発表した人の責任をきっちりと取っている。
また反対意見を分析するコメントもある。

あなたに反対意見を述べている人たちは
1)原発マフィアに雇われた連中、
2)政府や東京電力の今までの宣伝「原発を止めたら江戸時代に戻る」とかの大ウソにすっかり洗脳された連中、
3)地球温暖化防止のためという理由で脱化石燃料を進め原発に依存しないと大変なことになると思い込まされているかわいそうな人々、
4)中学生のあなたが自分たちよりはるかに深い考えを持っているのを知って、悔しくてたまらない連中、
たぶんこの中のどれかでしょう。
1)と4)の確信犯は別として、2)3)は自分の頭でモノを考えられないかわいそうな人たちですから許してあげましょう。

なるほどね。的をえている。
ネガティブなコメントは彼女の心を傷つけるだろうが、それに有り余るポジティブなコメントもある。
ポジティブなコメントで興味深いのは、ある程度年をとった人の言葉だ。
ボクと同じように普段はアイドルというものに全く関わりが無いであろうオジサンオバサンもコメントをしている。
彼女から離れるファンもいるが、新しいファンもつくことだろう。ボクは彼女に賛成だがファンにはならない。
陰と陽。
全ては一つ。
老人も若者も、男も女も、有名人も一般市民も、被災者もそうでない人も、賛成も反対も、全ては一つ。

最後にこのブログ自体作り物だったら。
物事を疑ってかかることは大切だ。
これが彼女の意志でなく、作り物の可能性もある。売名行為かもしれない。
それならそれで、たくさんの人がエネルギーや原子力について考えるきっかけとなったのだから良い。
これでいいのだ。





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フォークス日記 3

2011-03-26 | 
今日はもう一人、タイの友達が来ると言う。
「いやね、キャッスルヒルで岩を登っていたら出会って連絡先を交換したんですよ。それでその次に行った時にも、たまたまバッタリ会いましてねえ」
「オマエ、それは『たまたま』じゃなくて、会うべくして会ってんだろ?」
「まあ、そうなんですけどね。なかなか面白い人ですよ。マー君と言って、年は30ぐらいかなあ。ワーホリで来てサーフィンとボルダリングをやってるんですよ」
タイにそういう形で出会う人でイヤなヤツはいないだろう。
引き寄せの法則通り、明るい光を持ったタイには明るい光を持つ人が集まる。
逆に心にひどい影を持つ人や、人を利用しようしている人は来ない。タイが放つ光がまぶしすぎて近寄って来れないのだ。
マー君が今日ここに来るのも『たまたま』だそうだ。それならばきっとボクにここで会うというのも偶然ではないのだろう。


そうしているうちに噂のマー君がやってきた。
マー君は涼しげな眼をした若者で、帽子からドレッドヘアーがはみ出ている。
顔全体から好い気があふれていて、なるほどこういう人がタイの所にやってくるのだ、と納得してしまう。
まずはビールを渡し乾杯。そしてビール片手にフォークスツアー。ガイドはもちろんタイである。
庭の隅から見える川、そして木々の間から小路へ入る。
「この前、ここにマウンテンバイクのコースを作ったんですよ。だけどこのコーナーでは絶対ミスれない場所なんですよね~」
確かに一つのコーナーのすぐ外は数mの崖。落ちたらかなり痛いだろう。
路は狭く曲がりくねり、所々に幅20cmぐらいの板が橋がわりに置いてある。マウンテンバイクでここを行くにはかなりテクニカルだ。
隣の家を経由して川へ降りる。
「この辺りでも昔は金を探したんでしょうねえ。その跡があちこちに残ってますよ」
確かに崖の腹には横穴があるし、岩を積み上げた跡もある。
川のすぐ脇には風呂がある。川の水をバケツでバスタブに入れ、その下で焚き火をして湯を沸かす、原始的な五右衛門風呂だ。
キミが風呂の用意をしてくれたのだろう。火が赤々と燃えている。
「まあ風呂が沸くまで2時間ぐらいかかりますけどね」
そして次のポイントはミズゴケの広場。
「ここでは靴下も靴も脱いで裸足でここに入ってください」
ガイドの指示には従うべし。はだしになりミズゴケを踏む。
普段はトレッキングブーツを履いてコケを踏むが、裸足だとまた違うものがある。
コケは柔らかく足を包み込み気持ちが良い。いいなあ、こういうのも。
次はタイが以前住んでいた家へ。ボクはこの家は何回か行った事がある。
ガレージにはクライミングウォールがあり、床には古びたマットレスが敷き詰めてある。その場ですぐに遊べる。
ボルダリングが好きなマー君は、目をキラキラさせながらホールドを掴んでいた。
そして家路へ。フォークスツアーはなかなかあなどれない。



家ではすっかり夕餉の支度が出来上がっていた。
今宵はサーモン尽くしのご馳走だ。出来立て納豆もある。
サーモンは刺身でも旨いが、漬けにして炊きたてご飯に埋めるとご飯の熱で身に火がとおり別の旨さになる。
照り焼きで焼くとこれまた違う味となる。骨できっちりとダシをとった味噌汁もいける。
キミが作ったサラダも旨けりゃ、ビールもワインもどっさりあるのが又良い。
たまたま、という理由でここに来たマー君はラッキーだ。皆ウマイウマイと飯をかきこむ。
若者がガツガツと飯を食らう様子は見ていて気持ちが良い。
ボクも20年前はそう言われて、あちらこちらでご馳走になった。
自分が受けた恩をその人に返すことは大切だが、同じ事を別の人にしてあげることも恩返しである。
そうやって人から人へエネルギーは伝わる。
こういう時は遠慮をしてはダメだ。腹一杯食うべし。それが礼儀だ。
クライストチャーチの我が家では若い客人によくこう言う。
「うちでは遠慮するな。遠慮したら追い出すぞ」
作る方としては旨い物を客人に食べさせたい、自分が出来ることで最高の物を出したい、見返りを期待することなく純粋に喜んで欲しい、と思い作るのだ。
高価な食材を使えばいいというものではない。
時には一杯のお茶でもいいし、人によっては1本のビールでもいい。庭に生えている野菜でもいいし、もちろん高価な食材の時もある。
ご馳走とはそういうものだ。
そこにあるもので最高の物を出す。真剣に一番旨いやり方で料理をする。
それがもてなしの心だと思う。
そしてそれが和食の真髄であり、茶の心であり、禅に通じるものだ。
全てひっくるめて日本の文化である。
遠いニュージーランドにいようと、こういう気持ちを持つことで日本の心を伝えることができる。



食後にビールを飲みながらギターを弾く。
チューニングを合わせ、ハーモニカを吹き歌を唄う。
日本語の歌は『名残雪』その他吉田拓郎の歌を何曲か。
英語の歌はボブデュラン。そし定番、マオリの歌。
自分のできる事をする。これが自分流のもてなしだ。
夜も更けてきた。寝る前に風呂へ入れてもらうことにしよう。これはキミのもてなしだな。
ヘッドトーチの明かりを頼りに茂みの小路を川へ下る。
バスタブには湯が張られ、湯気がもくもくと出ている。
手を入れるとお湯はかなり熱い。これは水でうめなきゃ入れないな。
川からバケツで水を汲み数m離れたバスタブにいれるのだが、このバケツが割れていて水が漏る。
キミはこれでバスタブ一杯の水を汲んだのか。ありがたやありがたや。
水を足し、湯の温度を下げる。手を突っ込み、まあいけるかなと思い、服を脱いで入ろうとしたが、やっぱり熱くて入れない。
こりゃお湯をある程度抜かなきゃ無理だ。
割れたバケツでお湯をこぼし、そこに川から水を汲みこむ。辺りはすでにびしょびしょだ。
真夜中に全裸でこんなことをするなんて・・・。フォークスの暮らしはとことんワイルドだ。
なんとか入れる温度にして湯船に身を浸す。ふう。
聞こえる音は川のせせらぎ。ヘッドトーチを消すと木立の切れ間から満天の星が瞬く。
うむ、悪くないぞ、これは。
タイのヤツめ、こんなことをしているのか、あいつは。
若くしてこんな楽しみを知ってしまったら、街には住めないなどと言うのも無理はないな。
夜の森のエネルギーを感じながら、ボクは湯船で一人、ここに存在する喜びをかみしめた。


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陰と陽

2011-03-24 | 日記
クライストチャーチの地震と日本の地震の後で色々なニュースがあった。
ボクが感じたことは、ポジティブな面とネガティブな面が浮き彫りだって出てきたことだ。
人々が助け合い、各自が自分にできることをやっている。心暖まる話もあるし教訓のような話もある。
その反面火事場泥棒はいるし、マスコミは興味本位の報道から抜け出せない。
被災地に物資を送る動きもあれば、買い占めといったエゴ丸出しの動きもある。
命を救う活動をしているが、地球の裏側では殺し合いが続く。
今までもポジティブな事とネガティブな事は同時に存在したが、さらにそれが大きく別れて浮き出たような気がする。
よく思われていることで、ポジティブは良くてネガティブは悪い、そう考える人は多いと思う。
だが世の中の善悪というものは立場が変われば逆転する。
マイナス無しのプラスはありえない。
世の中には必要な悪というものもあるのだ。
それをネガティブ=悪と決めつけてしまう事の方が問題だ。

今のニュースでは原発が問題になっている。
こうなると世論は原発=悪となってしまうが、それもどうかと思う。
第一これだって今回のような事故がなかったら人々は真剣に原子力というものについて考えないじゃないか。
事故があったからこそ、というようにも考えられる。
病気にならなければ健康であることの有り難さを分からないのと一緒だ。
個人的には原発には賛成できないが、原発=悪という考えはおかしいと思う。
実際に原発で働いている人がいる。
原発ができることでお金をもらった人がいる、そのことで潤った地域もある。
原発で作った電気で人々は暮らしている。
それらを全て悪と呼べるか?
確かに情報をごまかして安全だと言い続ける人もいる。だがそれがまかり通るような社会を作ったのは誰だ?
今まで、情報は隠されたり改ざんされて発表されていた。
今は専門家がインターネットというもので情報を流し始めた。
みんなが原子力というものについて考える時が来たのだ。
過去を知る事は大切だがそれについてグチをこぼしても始まらない。
原発を作っちまったんだからしょうがない。しゃあないやん。
大切なのは今、そしてこれから。
今ある原発をどうするのか?そしてこれからまだ原発を作るのか?
今までだってスリーマイル島、チェルノブイリ、といった大きな事故はあった。
そういった過去を教訓にしないで人々は原発を作り使い続けてきた。安全と言いつつ…。
さてこれからどうするのかね。
僕達が試されている時が今なのだ。


『神との対話』から引用する。

世の中には正邪はない。が間違いはある。
間違いとは目的にかなった機能をしないことだ。
開閉しないドアは間違っているが、そのドアを悪とは言わない。

まだこれからポジティブとネガティブな事は色々と出てくるだろう。
ボクは出てきていいのだと思う。
ネガティブなことを悪だからと言って排除するのは間違っている。
だからと言って火事場泥棒を良しと言ってるのでもない。
人としてやってはいけないことはある。ただその人は真実に気付いていないだけだ。
陰と陽、プラスとマイナス、ポジティブとネガティブ、闇と光。全ては対で一つ。
それらを自分の物差しで善悪に分けず、全てをありのままに受け入れるのだ。
暗い闇があるのを理解しつつも、明るい光を見ろ。
暗い闇を見ていれば暗い未来が来るだろう。
明るい光を見ていれば明るい未来が来る。
大変なこの時期だからこそ、ではないか?
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仙台そしてニュージーランド

2011-03-21 | 日記
昨日ボスのリチャードが日本から帰ってきた。
ボクはクィーンズタウンを引き払い、クライストチャーチへ帰ることになっていたのだが、運良く彼に会うことが出来た。
彼は一年ちょっと、仙台で家族と共に暮らす予定だった。仙台の外国人学校で体育の先生をやり、子供2人はそこの学校に通う。奥さんは英語の先生だ。
本来は6月までの予定だったのだが今回の地震で帰国を早めた。
リチャードとはもう20年近くのつきあいになるか。
ボクの事を良く分かってくれる人で、こういう人のところで働くのはすごく楽だ。
ここ数年、特に去年ぐらいから彼との距離がさらに縮まり、かなり奥深くまで話せる関係となった。
周波数が合う、というのだろうか、全てを話さなくても理解しあえる間柄である。
困ったことに彼と話していると涙があふれてくる。別に悲しいわけでも嬉しいわけでもないが、涙が出てしまうのだ。
これはリチャードが日本から無事に帰ってきたからその感激でというわけではない。去年あたりから2人で深く話をしたりすると泣けてしまうのだ。
普通に話していて涙をぬぐうのはちょっと変なので、涙があふれないようにする。
彼と目を合わせるとさらに涙が出るので、視線をさまよわせてしまう。困ったものだ。
約一年ぶりに彼と出会い話を聞く。
コーヒーをいれてもらい、お菓子をご馳走になる。
「たくさん食べてくれ。近所の人がみんな持ってきてくれてね。うちには今、ケーキ類がどっさりあるんだよ」
ボクはコーヒーを飲みながらクライストチャーチの事を話す。
「クライストチャーチの地震の時は庭にいてね、電気と水は止まったけどうちの周りはそんなに被害もなかったし、家の中も9月の地震ほど物が落ちなかったから、余震の一つぐらいに思っていたんだ。その日は歯医者の予約が入っていて、地震の後も歯医者に行こうとしたぐらいでね。後でテレビで映像を見て始めて被害の大きさを知ったよ」
「うちも仙台で同じことさ。家はわりと山に近い方だから津波の現場を見たわけじゃない。道路がひび割れたぐらいで家の周りはほとんど被害も無かった。電気と水は止まったけど。」
「そうか、やっぱりね。トモコさんとテレビを見ながら話していたんだよ。リチャードはきっと守られているから大丈夫だろうってね。だから心配はしなかったよ」
「あははは、そうか。地震後しばらくは川の水をくんだり、森で薪を拾って火を起こしたりしてたんだ。そうしたら福島の原発事故だろう?その時には携帯がつながるようになっていて、ネットを見られるようになった。片方は日本の政府が発表している情報で、もう片方は外国政府が発表している情報。真実はその間のどこかにあるのだろうとは思った。だけど仙台の近くにはもう一つ原発があって福島のと挟まれるような状態だったで何が起こるか分からないから、仙台を出ることにしたのさ。」
「なるほどね。今回のようなことがあってまずいのは、国民が行政に不信感を持つことじゃないかな」
「そうだな、日本の政府は国民がパニックにならないようにああいう形にするんだろうけどね・・・。でもあの時に仙台を出て良かったと思う。その前でも後でもなく、あの時がそのタイミングだったんだろうな。」
「それでそれで?」
「仙台から同僚の家族と一緒に車4台で山を抜けて日本海側へ出て京都へ。京都には知り合いもいたしね。そこで数日過ごしてニュージーランドへ帰ってきたというわけさ」
「ふう、クライストチャーチでもドラマがあったけど、それとは比べものにならないね」
「まだドラマは終わっていない。オレは日本に戻るよ。向こうの家もそのままにして出てきたし、岩手とか京都とかあちらこちらに車を置いてきたからね。」
「落ち着いたら、でしょ」
「そう、落ち着いたらだな」
落ち着いたら。それが来るのはいつだろうか。
そう遠くない将来だとボクは見ている。
「でもな日本はやっぱり食い物が美味くてな~。それにスキー場も近くにあったから滑りまくってたよ」
「いいないいな。今度いつかブロークンリバーに一緒に行かなきゃね。その時はオレがガイドだよ」
「今年は無理かもしれないけどなあ」
「いつか、でいいんだよ」
そして僕らは固い握手をして別れた。話の終わりで暗くならないのがリチャードの良いところだ。

こちらでは毎日ニュースで日本のことを報道している。と言っても原発のことがほとんどである。
ニュースでは流れない場所での被害や混乱は常にあるのだろう。
リチャードのように仙台に居ながらも津波の被害を受けなかった人もいるし、別の場所で死んだり家が壊れて住む所を失った人もいるはずだ。
地震の後で、自分になにができるのだろう、という声をよく聞くし常に自分もそう思っている。
自分なりの答としては、暗くならないで今自分が置かれている状況での幸せに焦点をあてていく。
五体満足で健康なことの幸せ。家族が全員揃う幸せ。当たり前に電気が付く幸せ。水とかお湯が出る幸せ。美味しい物が食べられる幸せ。夜、よく眠れる幸せ。そしてなにより生きている幸せだ。
こうやってあげたものが欠けている人々がいるのは重々承知だ。
だからと言って自分がそれらの物に恵まれているのに、自分を落としてはいけない。
今そこにある幸せを感じながら、明るく前向きに生きることが、自分にできることではないだろうか。
明るく生きることに罪悪感を持つな。
1人1人が悲観的にならず明るく生きることで地球のエネルギーを上げ、間接的に復興の力にもなる。
その上で、募金なりボランティアなりをすればいい。
まずは自分自身を幸せに、でなかったら良い仕事はできない。
混乱はまだ続くだろうが、そう長くも続かないとボクは思っている
そう信じて生きていこうじゃないか。
君もボクも一緒に。
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予言

2011-03-19 | 日記
日本では大地震のニュースがあふれ、ニュージーランドの地震のことは話題にも上がらなくなっていることだろう。
そりゃそうだ。クライストチャーチの地震の8000倍の威力というのだから、まさにケタ違いの大地震だ。
こっちでも毎日ニュースで日本の地震後のことは放映されている。
さて、クライストチャーチの地震から1ヶ月近くが経つが、最近話題になっている事がある。
近くにまた地震が来るのではないかという話だ。

ムーンマンと呼ばれる伝説的な人がいる。
過去20年ニュージーランドの天気をピタリと当てている人だ。
この年は暖かい冬で雪が少ないとか、今年は大雪になるだろうとか、今年の夏は暑い夏になるだろうなどなど。
過去それらの話がピタリピタリと当たっていて、ボクもこの人の話は信じている。
その人は去年9月のカンタベリー地震も言い当てたし、その時に半年後にも地震が来るだろうと言っていて、今回クライストチャーチの地震が来た。
そのムーンマンが言うには3月20日前後に又地震が来るそうな。
詳しくはよく知らないが、地球と月の位置関係うんぬんでそういうことらしい。
このことに対しては賛否両論。
テレビでは反対意見の人が怒りながら、「科学的でない。人々の恐怖を増やすだけだ。」とまくしたてる。
ボクがその映像を見た感想はというと「なんであなたはそんなに怒っているの?」というものだった。
例えば3月20日に何も起こらなかったとしよう。その時にこういう人は「ほら見ろ。あいつは嘘つきだ。」と言うにちがいない。
何も無かった時に「ああいう予言はあったけど、外れてよかったね」と言えるか?
ボクとしては全てをありのままに受け入れる覚悟はできている。
なので地震が来たらそれなりに、その時の自分にできることをするだろうし、来なかったら良かったねと言うだろう。
予言を信じるかどうかは自分で決めればいい。
恐怖に囚われている人にとって、この手の予言は恐ろしいものだろう。それならそれで最初から信じなきゃいいのに・・・・・・。
自分自身を見つめ、その瞬間を生きている人にとっては、予言なんて当たるかどうか分からない天気予報ぐらいのものだ。
当たるも八卦当たらぬも八卦、だけどちょっとだけ気をつけていよう。
それぐらいに軽ーく考えていればよい。

今までだって世界に予言はいくつもあった。
その都度大騒ぎして、何も起こらないと「それ見たことか。だからそういうのはインチキだ」と言う輩は大勢いた。マスコミなんかいい例だ。
批判するのは簡単だ。だがそこからは何も生まれない。
何も起こらなくて今こうやって生きていることが幸せだ、とは考えないらしい。
ちょっと考え方を変えて・・・・・・。
もしも、これがぴったり当たっちゃったらどうなるか?
次はどうなるの?
そうやって聞きたくなるのが人情でしょう。
それもより具体的に。
以前そういう本を読んだことがある。
その話の中で、その人は権力を持った人達に監禁され自白剤を打たれしゃべらされる。その結果世界は預言者が考えられないぐらいとんでもない方向へ進んでしまった。
これは一つのパラレルワールドだ。
世界を造っていくのは人間の思考である。
悪く考えれば悪い方へ行くし、良く考えれば良い方へ行く。
未来とは未だ来ないもので、今どうあるかでそれは決まっていく。
大切なのは今なんだよな。
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原子力

2011-03-17 | 日記
世の中、何が正しくて何が間違っているのか分からない。
自分が正しいと思っていたことが実は間違っていた、ということはよくある。
それは情報のソースからも違ってくるだろう。
バケツを逆さから見れば、底が無くフタの開かない入れ物だ。
巷にはいろいろな情報があふれている。
ある情報は操作されているだろうし、もちろん正確な情報もある。
そのうちのどれを選ぶかは自分で判断すればよい。

ある日、親友トーマスが話してくれた。日本の電力の話である。
電気の需要というのは一年を通して一定ではない。
一番多くなるのが夏だ。みんながエアコンを使うから。
電気は保存できないので、その夏に電気が足りなくならないよう発電所を増やす。
一年を通して考えると発電所は今ほど必要はないのだが、夏という一番のピークに合わせると原発を含め今ある発電所の数になるそうな。
なるほどね・・・。
そう考えるといろいろと見えて来る。
ここ数年、毎年毎年暑い夏になっている、というのも無関係ではないのだろう。
エアコンをたくさん使えば、周りはそれだけ暑くなる。
これが大規模になれば、地域の最高気温も上がる。
毎年毎年暑くなっているというのは、地球からのメッセージじゃないか。
だからと言ってエアコン=悪というのは短絡的だ。
えらそーに言ってるボクだって、夏の暑い日にクーラーの効いたお店に入れば、ああ涼しくて気持ちいいなと思う。
だけど、ほどほどにということもある。

これは以前読んだシーナマコトのエッセイの話だ。
ある夏、鉄道で移動をしていたところ車内の冷房が効きすぎて寒かったそうな。
車掌に冷房を弱めるよう頼んだところ、一人のおばはんが「暑いから冷房をもっと効かせろ」と言い張っているから困っているとのこと。
でっぷり太ったおばはんは暑い暑いと言い、他の乗客は寒さでガタガタ震えながら目的地に向ったと・・・・・・。
真夏の暑い中、冷蔵庫のようにキンキンに冷えた列車が走っていく。これぞエネルギーの無駄遣い。
たぶん似たような話はいくらでもあるのだろう。
エアコンをガンガンに効かして毛布をかぶって寝る、とかね。
こうして夏の需用電力は増え、電力会社はそれに応えるべく発電所は増えていく。

人間の生活で今や電気は欠かせないものだ。
それをつくる発電、このシステムも時代と共に変わりつつある。
先ずは一番原始的な水力。位置エネルギーというものは水がある限り枯れることはないが、いろいろな手間がかかり一定量の電気を作るには一番コストが高い。
次いで火力。エネルギーの素は石油や石炭、ガスなどの化石燃料。効率はまずまずだが大気汚染など公害も出る。燃料も無限ではないし安くない。
そして核エネルギーの原子力発電。一定量の電気を作るのに一番コストが安い。1回燃料を注入すれば1年もつそうだ。大気も汚さない。一番の問題は安全性だが電力会社は安全だと言い張る。
いろいろな情報があると思うのでこれ以上詳しくは書かない。
ここから先はボクの直感で話をさせてもらう。
はっきり言って、原発について良いイメージは湧かない。
今回の地震で津波が街を破壊する映像が地震当日こちらでも流れた。
同じ時に原子力発電所の映像も流れた。その時には何の情報もなくただ原発が静かにそこにあるという映像だった。
その時に何かイヤーな感じを受けた。直感で感じてしまったのだから仕方がない。
何事もなければいいなと思ったのだが、意に反して今回のようなことが起こってしまった。
父親は以前から原発の反対運動をしている。
その影響があるのかどうかは分からないが、ボク自身、原発には賛成できない。
何故かは分からないが、心の奥からそう思うのだ。
ある本で読んだが、原子力というのはもともと破壊のエネルギーだ。
最初に使ったのが原子爆弾、というので頷ける。
その破壊のエネルギーから何かを作りだす、というところに無理がある。何かとはそう、電気だ。
ナルホド・・・・・・。
だから今までだって原発の事故というのはあちらこちらにあった。その都度周りは大騒ぎだ。
関係者は安全だということを繰り返すが、ボクはその言葉を信用しない。
山と同じで100%の安全というものはない。リスクは常につきまとう。
原発はそのリスクが大きすぎる。
ボクの直感がそう言っている。

ニュージーランドには原発はない。
この国の電力は6割が水力、3割が火力、残る1割が太陽風力地熱発電だ。
それは人口400万人だからそれで済むのであり、この国土に1億人の人がいたらここにも原発はできることだろう。
今の世の中がそういう仕組みで動いている。この文明は電気なしでは成り立たないのだ。
じゃあどうすればいい?
その問いの答えは分からない。
現実に原発は世界中に存在していて、それに依存をして人間は生活をしている。
原発が悪だ、と言っているのではない。分かっていながらもどうしようもないことは、世の中にいくらでもある。
世界で今すぐ原発をやめましょう、というのはどだい無理な話だ。
批判するのは簡単だが、そこからは何も生まれない。
ただ、これを機会にエネルギーというものを考えよう、と言うことはできる。
これは原子力に限ったものではない。
石油、石炭、こういうものだって無限にあると思われ、文明は進んできた。そしてそうではないことに人類は気がついた。
過去を見て、今現在自分にできることをするのだ。同じ過ちは繰り返してはいけない。
考えられることはいくらでもある。
不必要な電気を消す。不必要な町の街灯やネオンをなくす。歩いて行ける距離に車を使わない。自転車を使う。公共の乗り物を利用する。クーラーの設定温度を上げる。暖房の温度は下げるなどなど。
原発もこれ以上の建設は止める。もういいでしょう、これ以上リスクを増やさなくても。
今あるもので、今あるエネルギーで何とかやっていこう。
みんなが一つになればそれは可能だ。
そのためには各個人が自分の中のエゴと向き合う必要がある。
自分さえよければいいのではない。
自分も相手も含めた全ての人が住む地球が良くなる。
そんな状態を夢見るのだ。
そうやって見た夢は、現実となり世界を変える。
それをやるのはどこかの誰かではない。
自分だ。
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森の力

2011-03-15 | 日記
日曜日、天気が良いので深雪と一緒に森へ行く。
せっかく深雪がクィーンズタウンにいるのだ。この機会にクライストチャーチ近辺とは違う、マウント・アスパイアリング国立公園の森を味わうのもいいだろう。
行く先はレイク・シルバン。この辺りでは一番きれいな森だ。
クィーンズタウンから車で1時間ちょっとで国立公園へ入る。
ルートバーンの川沿いで昼飯。
水は川から汲んだ水をそのまま飲む。
「わあ、冷たくておいしい!」
深雪も今回の地震で水のありがたさを感じたことだろう。
ルートバーンに架かる釣り橋を渡り森へ入る。
森の中は木漏れ日が差し込み別世界だ。
「わあ!きれい」
「きれいだろ。こういうきれいな所はエネルギーが高い所なんだぞ。それをもっと感じてみよう。」
「どうやって?」
「簡単さ。大きく深呼吸すればいいんだよ。はい息を吐いて~。胸の中が空っぽになったら大きく息を吸う。もっと吸って、もっともっと。そしたら息を吐く」
「はあ~」
ゆっくりと歩きながら、二人で深呼吸をする。
手を軽く擦り合せると指先がピリピリとしびれてくる。
「なんか指の先がしびれて、電気があるみたい」
「それがエネルギーだ。オマエがエネルギーを受け取っている証拠だ」
「ふーん」
「街よりも森、それもこういう原生林はエネルギーが一段と高いから簡単に感じられるんだよ」
「面白ーい」

道には落ち葉が敷きつまり、歩いていて心地よい。
こういう所を歩いていても、木の根っこを踏む感覚と落ち葉を踏む感覚は違うだろ?石を踏んでも違うし土も違う。」
「コケもね」
「そうだコケを踏んでも違う。よく分かってるな。コケを踏んで歩くときはコケに『すまんすまん』と謝りながら歩くんだ」
「すまんすまん」
深雪はそう言いながら道の脇のコケの上を歩く。
「深雪さん、この木の名前は?」
ボクは一本の木を指して言った。
「えーと、ペッパートゥリー」
「なんでペッパートゥリーって言う?」
「葉っぱをかむとペッパー(こしょう)みたいな味がするから」
「そう、良く出来ました。じゃあこれは?」
ボクは別の木を指した。
「うーん、分からない」
「じゃあ、この葉っぱを一枚つぶして匂いをかいでごらん」
言われたとおりにやった深雪は顔をしかめた。
「うわ、臭ーい」
「臭いだろ。これはスティンクウッド。臭い木だな」
「お父さんが、その時に合わせておならをしたのかと思った」
「違うよ。先にその名前を言ったら深雪は臭いかなって思っちゃうだろ?だから先に匂いをかがせたんだよ。この葉っぱの形な、こういう葉っぱがスティンクウッド。又一つ覚えたな」
教育とはこういうものだ。

歩いていると小鳥が寄ってきた。ファンテイルだ。
ひらひらと蝶のように舞いながら、目の前の枝から枝へ飛び回る。
ここのバードウオッチングは双眼鏡を使わない。じっとしていればロビンのように足の上まで乗ってくる鳥もいる。
自分が森の気を感じ高まると鳥の方からやってくる。それは良いサインでもある。
「やあ、ファンテイル君、こんにちは。来てくれたんだね、ありがとう」
「ファンテイルちゃん、かもしれないよ」
「まあ、そうだな。雄か雌か分からないもんな」
他愛のない会話が楽しい。ボクは幸せである。幸せとは常にそこにある。

「よし、じゃあ次は洞窟へ行こう」
「どうくつ?どうくつがあるの?」
「ああ。この前来た時に見つけた。」
「みーちゃん来たことある?」
「ないよ。オレもこの前はじめて来たんだから」
「怖い?」
「怖くないよ。ほら、こっちだ、行くぞ。」
ボクらは道を外れ、コケを踏みながら洞窟へ向った。
途中、小さな流れを越える。
「ねえ、お父さん、この水は飲める?」
「ああ、飲めるよ、飲んでみろ。」
深雪が流れのそばで水をすくい飲む。とてもよろしい。
ちょっとした斜面を登ると洞窟がある。洞窟と言っても奥行き15mぐらいだ。入り口が広いので奥まで光が差し込む。
「へえ、こんな所があるんだ。みーちゃん、サムナーのそばの洞窟は知ってるよ。何か似てるね。」
何年か前にサムナーのそば、レッドクリフの洞窟までのウォーキングトラックを家族で歩いた。
「そうだなあの洞窟に似てるな。あそこもこの前の地震で崩れちゃったかもしれないな」
洞窟の入り口辺りは一段高い所にあるので、森を立体的に見ることが出来る。
「ほら、ここから森を見てみろ。今歩いてきた場所が違う角度で見えるだろ」
「うん」
「よろしい、さ、行くぞ」

この道は砂利を敷いていないので場所によってはぬかるんでいる。
ぬかるみを避け、端を通ると別の道ができる。
踏み跡はたくさんあり、歩きたいところを歩けばいいのだが、ボーっと歩いていると本道から外れてしまうこともある。
そんな時に頼りになるのが三角形のオレンジマーカーだ。この国の道しるべは全てオレンジで統一されている。
「さあさあ、深雪さん、あそこのオレンジマーカーが見えるな。本当の道はあそこのオレンジマーカーまでまっすぐだけど、途中でぬかるんでいるだろ?」
「うん」
「こういう時はそこをちょっと避けて、オレンジマーカーへたどり着くように歩くんだ。どこを通ればいいか、なんとなく見えて来るだろ?」
「うん」
「こういうのをルートファインディングと言う。じゃあ深雪が先に歩いてみろ」
しばらく行くと、ふた周りぐらい大きなオレンジマーカーが出てきた。
「大きいのがある!」
「そうだな、何故ここに大きいのがあるのか分かるか?」
「うーん、間違えやすいから?」
「そうだ。ちょっとこっちを見てみろ。なんとなく道が続いているようにも見えるだろ。こういう所は間違えないように大きなのをつけるんだ。」
「へえ、あ、あっちにもある」
「あそこも間違えやすい場所だな。オマエが生まれる前にお父さんとお母さんはここで間違えてまっすぐ行っちゃったんだ」
本来の道は右に曲がって橋を渡るのだが、この橋が見えにくいのとまっすぐ行く踏み跡がちゃんとした道みたいなので、間違える人が多かった。
「こっちへ行くとどうなるの?」
「どこへも出られない。道はどんどん細くなって最後は歩けなくなっちゃう」
「ふーん」
橋を渡るとすぐに湖だ。氷河の載った険しい山が正面に見える。ここで休憩。

この場所はとことん平和だ。
ここにいるとクライストチャーチの地震も日本の地震も、夢の世界の出来事のように感じる。
だが実際にはクライストチャーチでは復旧が急ピッチで進められているし、日本では津波にのまれたくさんの人が死んだ。
今この瞬間も生きている人を救い出す作業は続けられている一方、地球の裏側では戦争で人間が人間を殺している。
自分にできることとは一体何なのだろう。
ボクは常にそれを考えながら生きているが、その答えの一つがここにある。
この瞬間、娘と二人でこの森に包まれ、森の気を感じ、自分自身を高める。
自分を高めることにより、地球の波動を高める。
それは死んだ魂を慰め、復興のため働く人に力を与え、争いをしている人に気付きのチャンスを与える。
目に見えないものだが、僕は何万もの明るい光を感じる。
その光と共に世界を照らすのだ。
それがこの森も望んでいる事だ。
ボクは幸せな気持ちに包まれ帰路についた。


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マスメディアというもの

2011-03-14 | 日記
ボクの家にはテレビがない。
本当はあるのだが、物置にしまってあり普段は全く見ない。
テレビは作り物だ。作り手によって毒にも薬にもなる。
今の世の中、あまりに毒になる番組が多いのでテレビは観ない。
必要な情報はインターネットで自分が選ぶことができる、ネットが繋がる状況ならば。

今はクィーンズタウンにいて、その家にはテレビがあるので、ニュースぐらいは見る。
特に2月のクライストチャーチの地震後のニュースはよく見た。
そこで気がついたことがあった。
意図的かどうか、たぶん意図的だろうな、恐怖や不安をあおるような発言が少なかった。
それよりも前向きで見ている人に力を与えるようなシーンが数多くあった。
市長のコメントも市民に協力を呼びかけ、自分達で頑張っていこうと、力を与えるものが多かった。
家に住めなくなって、庭でテントを張ってキャンプ生活をしなくてはならない家族へのインタビューがあった。
「確かに不便だけどこの地震で亡くなった方もいるし、自分達がそうなってもおかしくなかった。自分達は家族全員無事だし、避難しなくても自分の庭でなんとか生活ができる」
小さな女の子が母親の膝の上にいて、母がインタビューを受けるのを聞いて、「私の番はまだなの?」と可愛らしいセリフが横から入るのも微笑ましかった。
どうせ作り物ならこういうふうに作って欲しい。
ニュースの一環でお隣オーストラリアの番組が紹介されたが、インタビューは暗い照明の中、地震の時にいかに悲惨だったかを淡々と話し、輪をかけるようにチャララ~と暗ーいBGMが入った。
陰々鬱々で見ていてイヤになるような作り方だ。
地震直後にこんなのを作るなんて。所詮オーストラリアから見ればクライストチャーチの地震だって対岸の火事だ。

日本のテレビはもう何年も見ていないが想像はつく。
街頭インタビューでもいかに悲惨だったか、いかに自分が怖い思いをしたか、いかに自分がその状況で大変だったか、に焦点があたっている。
「生きていた中で一番怖かったです」「死ぬかと思いました」「こんなひどいことになるなんて」
それらの言葉はみな本音だ。だがそういう声を意図的に集めることもある。
作り手がそういうものを作っているのだ。ウラを返して言えば大衆がそれを望んでいるのだ。
見ている人はそこまで深く考えない。テレビは作られているという意識はない。
テレビで言ってるから、と盲目的に信じてしまう人は多い。
だからテレビであれが良いと言えば、次の日にスーパーでその物が売り切れになる。

ニュースというものは一番ひどい場所を映す。
なのでクライストチャーチの地震でも崩壊した建物を映した。
実際には街の中心部で被害は大きかったが、ボクの住んでいる場所では大した被害もなかった。
だがそれを見たクィーンズタウンに住んでいる人はクライストチャーチの全ての地域がそうだと思ってしまう。
これが日本でこのニュースを見れば、ニュージーランド全域でそうだと思ってしまう。
今回の日本の地震でもこちらにいれば、日本の全ての地域がダメージを受けたと思ってしまう。
北海道の知人はほとんど被害がなく、普段どおりの日常を過ごしていると連絡があった。
実家にはまだ連絡をとっていないが、便りのないのは良い知らせ、とのん気に構えている。
ニュースに映らない場所では、地震の影響はあるものの普段どおりの生活を皆しているのだ。
遠く離れた場所にいるとニュースを通して不安というものが増幅してしまう。
悲惨さを伝えるのはもういいだろう。
今、何が必要で、何をするべきか。
そういう視点で番組を作ってはくれないか。

マスメディアというものは機能的に働けばとても便利なものだし世の中の役に立つ。
だが使い方によっては洗脳の道具にもなりうる。情報は操作されるのだ。
何が必要で何が不要なのか、大切な物はなにか無駄な物はなにか、自分の心で判断する時期が来てると思うのだが。
「テレビで言ってたから」じゃなくてさ。
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フォークス日記 2

2011-03-11 | 
フランツジョセフは小さな町でメインストリートにはツアー会社のオフィス、バー、レストランなどが並ぶ。
待ち合わせ場所はタイが働く会社の前だ。
氷河から帰ってきた赤いバスがオフィスの前に止まり、ガイドとツアー客がぞろぞろと降りてきた。
ガイドにタイのことを尋ねると、まだ仕事中とのこと。
しばしオフィスの前で人の往来を眺めながらボケーっと待つうちに、仕事を終えたキミがやってきた。
街で唯一のスーパーで買出しをして、僕らはフォークスのタイの家へ向った。



フォークスはフランツジョセフから車で20分ほど。
川が合流する場所で、フォークのような地形なのでフォークスと呼ばれる。
タイは以前住んでいた場所から50mほど奥にある一軒家を借りて、今はキミと仕事仲間のブレンダと3人で住んでいる。
先ずは車にどっさりとある食料をおろす。ビールと白ワインは冷蔵庫に入れ、サーモンをさばく。
頭と骨などのアラは煮出してダシを取る。アラが煮えたら一度引き上げ、骨にについている身をほぐし鍋に戻し野菜をぶちこんで味噌汁に。
皮はパリパリに焼いて塩を振る。ビールのつまみにもってこいだ。
カマやハラモ、尻尾に近い身は照り焼き。
あとは刺身を大皿に並べる。
刺身の一部を醤油に漬けズケを作る。これは炊きたてご飯に埋め込み、ご飯の熱でサーモンが半生の状態で食う。
サーモン尽くしの晩飯だ。
キミがご飯を炊き、サラダを作る。
二人でおしゃべりをしながら晩飯を作る。
「ひっぢさん、あたし今度マッサージのコースを受けたんです」
「おお、それはいいね。」
「フランツジョセフのスーパーにある掲示板にも広告を出したんですよ。まだ始めたばかりなんですけどね」
「いいねいいね。そういうことはどんどんやりなさい。それはキミの心が向いていることでしょ?」
彼女は目をキラキラさせながら頷いた。
「心が向いている時はね、楽しいから良い方向に進むんだよ」
キミのように明るい強い光を持った娘ならばマッサージも上手くいくだろう。



そうしているうちにタイが帰ってきた。
「ひっぢさん、いらっしゃ~い。西海岸へようこそ。」
「よう、久しぶりだな」
ボクはヤツの顔をじっと見つめた。
目には一点の曇りもなく、顔全体から精気があふれている。いい顔だ。
「よし、相変わらずいい顔をしてるな。よろしいよろしい。」
ヤツのブログから今どういうことをやっているかは大方知っている。
ボクが残すコメントは常に「どんどんやりなさい」という一言だ。
タイに初めて会ったのは何年前になるのだろう。もう7,8年前か。
クライストチャーチにあるアウトドア・レクレーションの専門学校を出たばかりのヤツがボクにコンタクトを取ってきたのだが、その時は電話で1,2回話したぐらいで繋がりはほとんど無かった。たぶんそのタイミングではなかったのだろう。
そのすぐ後、ヤツはシャルマン火打という新潟のスキー場でパトロールをやり、JCや龍、ダイスケといった北村家一軍の大御所達の教えを受けニュージーランドに戻ってきた。
シャルマンでは最初で最後になってしまった伝説のイベント『ブロークンリバー・ウィーク』これは別の話、ジャパントリップに詳しく書いてあるが、このイベントがきっかけでブロークンリバーでもパトロールをした。
このあたりからボクとタイの関係は深まり、クライストチャーチの我が家にも足しげく通うようになった。
深雪が選んだ、『ボクの交友関係でのナンバーワンのハンサムボーイ』もタイである。
その後、ヤツはフランツジョセフで氷河ガイドとなる。他の国のことは知らないが、ニュージーランド内では日本人初の氷河ガイド誕生だ。
氷河ガイドなんて職業は世界でもそうそうあるものではない。ひょっとすると世界初の日本人氷河ガイドかもしれない。
ヤツが氷河ガイドとなる時にボクはきつく言い渡した。
「いいかオマエ、自分から日本人初の氷河ガイドとか、日本人唯一の氷河ガイドなんて言うなよ。自分から吹聴することほどみっともないことはないからな。他の人がオマエのことをそう言うのは一向に構わん。人に聞かれたらそう答えるのもよろしい。だが自分からは氷河ガイド、これで充分だ」
というわけで、ボクはこの氷河ガイドをかなり高く買っている。今ではそんなヤツも押しも押されぬベテランガイドだ。
誰でもできる事ではない。ヤツだからこそできる事であろう。
それはボクが知っている。ヤツを取り囲む仲間が知っている。そして氷河が、山が知っている。



なにはともあれ、ビールを開け乾杯だ。キミはボクが持ってきた白ワインで乾杯である。
ふとタイが首からぶらさげているグリーンストーンに目が行った。ヤツがグリーンストーンをつけているのを見るのは初めてだ。
「お、どうしたの?そのグリーンストーン」
キミが待っていました、と言わんばかりに口を挟む。
「いいでしょ、これ。私が見つけたんですよ」
「見つけた?どうやって?」
「前からタイ君にグリーンストーンをプレゼントしたいと思っていたんです。でも、お店で買いたくはなかったんです。それで友達に相談したら『それなら海岸へ探しに行こう』ということになって、行ったら見つけちゃったんですよ」
タイが笑いながら言った。
「ね、笑っちゃうでしょ。1回目に行って見つけちゃうんだから」
「それを友達に頼んで、ちょうどいい大きさに切ってもらって、作ってもらったんです」
マオリの教えでは、ポウナム(グリーンストーン)の装飾品は自分で手に入れるのではなく、人からプレゼントされるものである。
ボクも首からぶらさげているポウナムは女房からもらった物だ。色といい形といい、すっかり気に入って肌身離さずつけている。
キミが原石を持ってきてくれた。そのポウナムは青色がかった緑で白い斑点が浮かぶ。とても綺麗だ。
タイの首からぶらさがったポウナムは妖しく青く輝く。ヤツにお似合いの色だ。
こうなればいいな、と思うことを実現する力を人間は持っている。
それはその人がどうあるかという証でもある。
こういう話を聞くだけでこの二人がどういう状態にあるか、僕にはよく分かる。
やっぱりこの二人にいう言葉は「どんどんやりなさい」これしか無いのだなあ。



食事の用意も一段落。
キミは風呂を沸かしにどこかへ出かけて行った。
ボクとタイはビールを持って庭へ出た。
庭の端まで行くと西海岸特有の紅茶色の川が流れているのを見下ろせる。
「ひっぢさん、どうスか、ここは?前の家も良かったけど、ここも良いんですよ」
家の周りはマヌカやカヌカに包まれ、その向こうにリムの森が広がる。庭の片隅にもリムの若木が立つ。
いつの日か、リムの生えている場所に住むのがボクの夢だ。
「タイよ、オマエはオレの夢に住んでいるのだぞ。この幸せ者めが!オレはめったに人を羨ましがらないが、オマエは素直に羨ましいぞ、このヤロー」
「いやあ、そうですね。ここに住んじゃうとフランツジョセフの街にも住めないな、と思いますね」
フランツジョセフの街と言ったって、日本の感覚で言えば単なる集落だ。人口は100人ぐらいだろうか。
「それはある意味ヤバイね。街には住めない・・・か」
♪オレたちゃ 街には 住めないからに~。
どこからか雪山賛歌が聞こえてきた。

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