あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

矍鑠

2013-11-07 | 
矍鑠、かくしゃくという字はこういう漢字だったんだなあ。
年老いても元気な様子、と辞書にはある。
今回は矍鑠としたおじいさんの話。

この場を借りて発表するが、今シーズンから僕は古巣タンケンツアーズに戻ることになった。
そうなったいきさつは20年来の友達でボスであるリチャードから「この会社にお前が必要なんだ。お前はナンバーワンガイドだ。どうか戻ってきてくれ」とおだてられ(作ってないぞ)「そうかそうか、そこまで言われたら行くわいな」という軽いノリで話が決まった。
3年前の地震でタンケンツアーズを離れ、その後は別の会社でドライバーガイドをやった。
そこでも色々な出会いがあったが、そこの会社は基本的に観光ガイドで自分としては山歩きのガイドをしたいという想いは常に持っていた。
なのでこの話に飛び乗った。
そして移籍後の初仕事にこの依頼が来た。
仕事の行程はクライストチャーチ空港からスタートでテカポで一泊。
翌日にマウントクック経由でクィーンズタウンへ行き、その翌日はミルフォードサウンド1日観光。
4日めにクィーンズタウンの空港まで送って終わりという、この国の王道コースである。
お客さんのインフォメーションとしては小説家、太宰治の娘の旦那さん、義理の息子ということだ。
えーとえーと太宰治ねえ、『坊ちゃん』は夏目漱石だったよな、『羅生門』は芥川龍之介か、そうだ『走れメロス』だ、それなら子供の頃に読んだ事はあるぞ。
逆に言えばそれしか知らないのだが、だからと言って今さら太宰治の本を読んでも始まらない。
ニュージーランドの我が家にあるわけでもないし。
ひょっとするとお客さんは有名人の関係者ということで、そう扱われるのを好まないのかもしれない。
僕としては有名人も普通のお客さんも同じ。
皆ニュージーランドに来てくれた大切なお客さんである。
さらにボスのリチャードからメッセージが届く。
『お客さんはワインが好きで、食事もガイドと一緒に取りたいようなので、よきにはからえ』
おお、そうか。じゃあ普段は飲めないようなワインをご馳走してくれるかもしれないな。
まあ自分としては普段どおり、自分ができることをやるのみ。
自分ができることとは自分を見つめることにより分かる。
今回の仕事もうまくいくだろうなという漠然とした予感を持ちながら空港へ向かった。

今回はお客さんが一人のプライベートツアーである。
こういう場合は料金も高くなるのだが、お客さんはお金持ちなんだろう、きっと。
VIPということだが僕にとってはVIPも普通のお客さんも同じこと。ちなみに給料も同じなのである。
飛行機は時間通りに到着し、ゲートから出てきたおじいさんがサインボードを見てにこやかに手を振った。
今回のお客さんT氏は83歳。
冒頭で述べたとおり、背筋はピンと伸び足元もしっかりして、かくしゃくという言葉どおりの人である。
人当たりも良く、着ている物も上質でダンディー、丁寧な紳士というのが第一印象だった。
自己紹介をして先ずは市内観光。
「どこでもいいので街並の写真を撮りたいので停められる所で停まってください」
ちょっと小奇麗な住宅街で車を停めるとTさんが言った。
「あなたを入れて撮りたいのですがモデルになっていただけますか?」
「え?僕なんかでいいんですか?まあいいですけど」
「はい、ではその辺りに立って。もうちょっと下がって、ハイその辺。ああ、いい笑顔ですね」
そしてパチリ。カメラは使い捨てカメラだ。
クライストチャーチはイギリスよりもイギリスらしいという、訳が分からない呼び方をされている街だ、というようなことを説明すると即座に反応が返ってきた。
「ああ、確かにこの町並みはそうですね」
「イギリスに行かれたことはあるんですか?」
「ええ、私は若いときにはアメリカにもいましたし、フランスにも長いこと住んでいましたのでイギリスもよく知っています」
「そうなんですか。じゃあ言葉の方も問題なく?」
「はい。英語はイギリスのアクセントがあるとよく言われますし、私の場合はフランス語の方が得意でして先に出るのはフランス語なんです」
気障なセリフだがTさんが言うと嫌味がない。
「へえ、すごいですね。僕なんか若い時にニュージーランドの田舎のパブで地元のヤツとビールを飲んで英語を覚えちゃったからここの英語は分かるけどアメリカ人の英語が分からないんですよ」
「外国語はそうやって覚えるものです。日本では英語の勉強をしているけど会話ができない。それは間違いをしたら減点というやり方なので失敗を恐れてしまう。このやり方ではダメです。言葉はコミュニケーションの手段なんです」
「言葉は生きていますしね」
「生き物です」
「それも最終的には心ですよね」
「心です」
息が合った。
こうなると仕事も楽である。
市内観光からテカポへ行く道中でも話は弾む。
車内でもTさんは南島の地図を広げ、見ながら質問をする。
「この次にはジェラルディンという街を通るんでしょうか?」
「はい。ジェラルディンは平野の外れに位置しまして、そこから先はなだらかな丘陵地帯へ入ります。このルートで1箇所だけ太平洋が見える場所を通ります。」
こういった説明も地図を見ながらだとより一層分かりやすい。
Tさんの質問も的確でこちらが説明しようとする事を一歩前に聞いてくる。
そして一つ答えれば十理解するタイプ。
こうなると話が早い。あっという間にテカポ到着。
晩御飯も一緒にということになり、ホテルのレストランでテーブルを挟んだ。
Tさんはかなりのワイン通でウェイターに色々とお勧めのワインを聞いていた。英語は堪能、僕が口を挟まなくてもいい。楽だ。
こちらと言えばワインを喉越しで味わうような男である。口の中でクチュクチュなんて飲み方は知らん。
たぶん高いんだろうなと思うようなワイン(これがまた旨いんだ)をガブガブと飲みながらTさんの話を聞いた。
「私は長いこと、人の為に働いてきましてね、そろそろ自分の為に楽しもうと去年はフィンランドへ。そして今年はニュージーランドへ来たんです。」
そこで名刺をもらった。
肩書きには弁護士、元衆議院議員。
「大蔵省で働いた後、代議士を33年やりまして、今は引退して息子に代をゆずったんです。」
「じゃあ息子さんも」
「はい、今回から議員をやっています」
33年も国会議員をやっていたなんて、さぞかし大変だったんだろうな、と思った。
きれい事じゃない苦労だって数多くあっただろうに。そりゃ自分の為の時間なんてないだろう。
こうやって一人で海外旅行なんてのも立場上許されなかっただろうな。
「そうですか、それじゃ今回の旅行はご自分の為に楽しんでください。『こういうことをしたい』というリクエストはどんどん言って下さい。出来る事はやりますし、できないことは出来ないって言いますから。『空を飛べ』と言われてもできませんしね」
「あははは、ありがとう。いや、だけどニュージーランドへ来て本当に良かった。想像してた以上です。又ね、あなたに出会えてよかったです。」
「いやいや、まだ初日じゃないですか、旅は始まったばかりですよ。明日は今日よりもっと変化に富んだ1日になります」
「それは楽しみだ。よろしくお願いします」
そして又ワイン。
楽しいお酒である。
僕の信条として人間を国籍、性別、年齢、社会的地位、財産の有無で判断しない。
人間として対等の立場でその人の魂と語り合う。
政治家だろうがその辺のおばちゃんだろうが大会社の社長だろうが一流のアスリートだろうが障害者だろうが対する態度は同じ。
色々な人に出会ってきたが、このやり方が一番上手くいく。
逆に肩書きで勝負をしようとする人は居心地が悪くなるのだろう。
自然に僕から離れていく。
なんといっても僕の肩書きは『にんげん』だ。
人というのは上下を付けたがる生き物なのだろう。
その上下をつけるのが社会的地位であったり、財産だったり、年齢だったり、時と場合では性別ということもある。
ニュージーランドにいる日本人の場合、長くいる人が上、というような雰囲気もある。
天は人の上に人を作らず、って言葉もあるように上も下も右も左もない。
全てはワンネス、丸く一つなのだが、一番簡単な事は一番難しいので分からない人にはとことん分からないし分かる人は分かる。



こうして僕はTさん滞在の間、毎晩夕食をご馳走になった。
その誘い方も「もしよろしければ一緒にお食事をいかがですか?」ととても丁寧に聞かれる。
僕としては是非ともとご馳走になるわけだが、こういう時に僕は全く遠慮をしない。
自分の財布では行けないレストランを選び、『一番高い物』ではなく『一番旨そうな物』や『一番飲みたい物』を注文する。
旨い料理を挟んでTさんのワインの話は面白く、とことんこの人はワインが好きなんだなあ、と思うのだ。
料理は毎晩フルコースで、毎日こんなのを食べてたら太るだろうなあ、と思ったらTさんが言った。
「私はこの年で食欲旺盛で油断すると太っちゃうんです」
「本当にお若いですね。若さの秘訣はなんですか?」
「若さの秘訣はよく聞かれるんですがね『イヤなことは忘れる』これに限ります」
「なるほどねえ・・・。ぼくはこんなのなんですがどうでしょう。『イヤなことがない』」
「あっはっは、それはいい。一段上を行きましたね」
「こんなこと言うのも時々お客さんに聞かれるんです『ニュージーランドで暮らしていてイヤなことってなんですか』とね。で僕は考えちゃう。えーっとなんだろう。空気も水も食べ物も美味い。泥棒だっているけどそんなのどこの国にもいることだし、むしろこの国は少ないほうだろう。海も山も自然がたっぷり残っていて遊び場には事欠かない。だからこう言います。『残念ながらイヤなところが見つかりません。僕自身としましては隣のクソネコが家の菜園でクソをすること。これが目下最大の悩みです』ここまで言うとだいたいみんなあきれちゃう。」
「あははは、そうでしょうね。いやあ楽しい。聖さん、今回の旅行は私の人生の中でも一番思い出に残る旅でした。」
そしてTさんはフランス語で何か言った。
僕が聞き取れたのは最後のメルシーボクゥという言葉だった。
ポカンとしている僕にTさんが言った。
「百回でも言います。どうもありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます。これは持論なんですが、お互いにありがとうと言い合うときは健全な人間関係にある時ではないかと。例えば今、僕たち二人、誰も争っていませんよね。それよりも愛を分かち合っている」
「ほう、なるほど」
「とあるお客さん、その人はニュージーランド人で今は香港に住んでいる人なんですが、その人がこう言ったんです。『数多くの言葉はあるけど共通して一番大切なのはありがとうなんだよ』と。」
「そう、そして日本語のありがとうは、そうあることが難しい、という意味です。」
「はい。うちの父も全く同じ事を言ってました。ありがとうって魔法の言葉ですね」
「そうです」
Tさんとの会話は深いところで繋がる。実に心地良い。
「聖さんはいろいろな人に接しているようですが、今までに国会議員のお客さんはいましたか?」
「いえ、いませんね。どこぞの市長さんという方はいましたが国会議員はTさんが初めてです。」
「そうですか、では私のような政治家もいるんだということをどうぞ覚えておいて下さい。」
「はい、心得ました」
ドキ、心を見透かされている気がした。
正直、僕は議員センセイという人達に偏見を持っていた。
偉そうで威張ってて横柄で、というイメージを持っていた。
確かにそういう人もいるだろうが、全ての人がそうではない。
現に目の前のTさんは立派な紳士だ。
こういう人もいる。
今回は『偏見を持つな』という天からのメッセージなんだろうな、たぶん。

最終日は空港までの送り。
僕たちは固い握手を交わし、さようならではなく『また会いましょう』という言葉で別れた。
こうして一つのツアーが終わり、家に戻ってからネットでTさんの事を調べてみると、出るわ出るわすごい経歴が。
えー!元厚生大臣、それも2回。
そうか、あの人は厚生大臣だったのね。
どうりで、この国の見方が普通の人と違うと思った。
スキーパトロールをやっていた時に、よそのスキー場へ遊びに行っても「ここはこういうコース規制をやるんだ」とか「ここはこういうネットの張り方だ」なんてのを見てしまう。
そんな感覚でTさんもニュージーランドという国を見たのか。
しきりにこの国のやり方に感心していたのも頷ける。
それに元厚生大臣とか元衆議院議員なんて言ったら周りが構えてしまうだろうからと、太宰治の義理の息子としてツアーを組むなんて素敵じゃないですか。
現代の水戸黄門様みたいだ。
それにしても良かったあ、余計な事を言わなくて。
いつものガイドトークでは、ニュージーランドの大臣の話をして日本の制度を引き合いに出して「どこかの国の大臣に聞かせてやりたいですね~」なんて話をするのだが、今回はなんとなく、心のどこかでブレーキがかかりその話はしなかった。
なんとなく、というのは直感なのだな。
それより「どこかの国の大臣に聞かせてやりたい」としゃべったことが現実化してるぞ。
うっかり冗談も言えないな、こりゃ。

コメント (1)
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