あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

本の虫

2009-10-31 | 日記
深雪は本が好きである。
気に入った本があれば、10秒で集中モードに入り黙々と読みふける。
家にテレビが無い、というのも一つの要因であると思う。
僕が子供の時、確か小学校3年ぐらいだっただろう。
兄とチャンネル争いのケンカをしていたら、親父が怒ってテレビを土間に叩きつけそれ以来テレビの無い生活をおくった。今となっては良いことだったと思っている。
大人になっても、見るのはニュースとスポーツ中継、ドキュメントぐらいでバラエティという物はあまり見なかった。
テレビというものは毒にも薬にもなるが、今やってるテレビ番組は毒が多すぎる。
「テレビで言ってたから」とテレビの言うことを盲目的に信じてしまう人もいる。気付かずに洗脳されている場合もある。
もちろん作り手によっては良い番組もある。だが数多くは低俗で見る価値のない物だ。
僕のお気に入りはNHKのピタゴラスイッチ。今でもやっているかな。子供向けの番組でも大人が唸るような素晴らしい物もある。
テレビは情報が映像として頭に入ってくる。要は考えなくてもいいわけだ。
作り手が意図する通りに視聴者は受け入れる。
本は違う。
活字を読み、内容を理解して、頭の中で想像する。
想像力が格段に高まる。
もちろん本にも毒もあれば薬もある。
だが本を読むというのは、本人の意志が大きく働く。
なかなかページが進まない本とか、この人なに言ってるの?という本は読まなくても良いと思う。
本選びも直感に従うべきだ。

深雪が5歳ぐらいだったろうか、本を読み始めた時に僕は娘に言った。
「できるだけたくさんの本を読め。それから、読む本は自分で決めろ。他の人が勧めたから読むのではなく、自分が面白そうだと思った本を読め」
今では深雪は本の虫である。
図書館めぐりが好きで、あちこちの図書館へ行っては本を借りている。
クライストチャーチには10以上の図書館がある。家から簡単にいける物でも4つぐらいはある。
コンピューターで検索すればどの図書館にその本があるということまで分かる。
1人最高20冊まで本を借りられる。それから返却はどの図書館でもいいというのだからありがたい。
税金というのはこういうところに使われるべきだ。
住みやすい国というのはこういう事を言うのだ。

僕はいまでも良く本を読む。
20年前、初めてニュージーランドに来たときには、数ヶ月前の日本の雑誌を皆で回し読みしたものだった。
パブでビールを飲みながら英語を覚えてしまったので、英語を喋れるが読み書きは苦手である。読んで一語一語理解をしても、何故ここで可笑しいのか分からない。
今では英語の羅列を見ただけでうんざりしてしまう。なので英語の本は全く読まない。
読むのはもっぱら日本語の本だ。
今ではクライストチャーチの図書館でも日本語コーナーがあるし、日本語専門の図書館もある。
重度の日本語活字中毒患者の僕には嬉しい限りだ。

そんな事を考えていたら、日本の友達から段ボール一箱の本が届いた。
司馬遼太郎、星野道夫、植村直己、池波正太郎、その他もろもろ。
こういうプレゼントは非常に嬉しい。ありがたやありがたや。

今日も僕は娘と図書館へ行く。
子供が喜んで、なおかつ金がかからないというのが良い。
娘のお気に入りは天使の話やお姫様のお話である。
「もうちょっと違う本も読んでみれば?」
と僕が言ってもガンとしてゆずらず、
「自分で読む本は自分で選べ」
という数年前の僕の教えをかたくなに守っている。
将来は、ビール好きアウトドアバカなガンコ親父の話でも書いてもらおうか。
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ジャパントリップ ブログ版 あとがき

2009-10-29 | 
連続ブログ小説 というような形でこの文を発表した。
このトリップに僕はカメラを持っていかなかったので、使っている写真はほとんどがブラウニーが撮った物だ。
ジャパントリップから3年。
3年という時間が長いのか短いのか分からない。
大きく変化する物もあれば、何も変わらない物もある。

ヘイリーは相変わらずグフフフと笑っているし、ブラウニーも騒々しいブラウニーのままだ。
ヘザーは今年、膝をケガして1シーズンを棒に降った。
アレックスのところには男の子が生まれた。
JCはニュージーランドに来なくなり、北海道でレンジャーをやっている。
タイはブロークンリバーでパトロールの経験を積んだ後、今では西海岸で氷河ガイドをしている。
ハヤピとテツはたまにメールでやりとりするが、安曇野で元気にやっているようだ。

個々で会う事はあっても、もうあの時のメンバーが全て揃うことはないだろう。
ぼくにとっても、夢のようなトリップだった。
だが終わってしまったわけではない。
あの時の想いは僕らの心に残り、明るい未来の糧となる。
また、いつの日かあの地を踏み、あの山を滑る時が来るだろう。
それが10年後か20年後かは分からない。
ただそれを夢見ていれば、いつかは実現する。
僕はそれを固く信じる。いや、それを感じるのだ。
今居る場所で自分ができることをやる。
それだけで未来は確立される。
「夢は実現するのよ」
ヘザーの言葉は今でも僕の心に響いている。

このトリップで出会った全ての人に感謝する。



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ブロークンリバー最終日

2009-10-28 | 最新雪情報
10月最後の週末、巷はレイバーウィークエンドで3連休だ。
南島で最後まで開いていたブロークンリバーも今週末でクローズ。
僕は深雪と友人の山小屋さんの3人で山に向かった。
山小屋さんは北海道でパウダーガイドをしている人で数年前からのつきあいだ。
2ヶ月かけて南島を自転車で一周する。
数日前にNZに到着、そのまま北村家の客人となった。
スキーガイドならばクラブフィールド訪問は絶対外せないでしょう。
ということで一緒にブロークンリバーへ向かうことになった。
カンタベリー平野を走っていると、正面に雪の載った山が見えてくる。
山小屋さんが言った。
「なーんか、十勝みたいだなあ。この雰囲気とか、山のある景色とか、農家の点在する感じもそっくりだよ」
「へえ、そうなんだ」
そのうちに雪山が近くになると彼のボルテージが高まる。
「おおお!あの斜面良さそうじゃん。これは雪が降ったらどこでも滑れるねえ」
「まだまだ、お楽しみはこれからだよ」





ブロークンリバーの駐車場に着くと、レネ一家が居た。
どうやらグッズリフトの調子が悪いのでしばらく動かないらしい。
それなら車で上がっちゃおう。クラブのメンバーはこういう事になれている。
レネ達を乗せ、細く狭く急な山道を登る。雪が道に残っていたら絶対に運転したくない道だが、春には通行可能となる。ただし自己責任だ。
レネ一家、深雪、山小屋さんを下ろし、僕は車を一段低いウィンディーコーナーへ持っていく。
そこへ停めれば帰りは車まで滑って降りられる。
山小屋さんはここは初めてだけど、深雪とレネがいれば大丈夫だろう。
ロープトーの乗り場で深雪達に追いつく。
山小屋さんは数回の練習の後、ロープトーに載り上へ。
僕も深雪を牽引しながら登っていった。
「ホラ、足元が細いから気を付けろよ。それからプーリーにぶつからないようにな。ぶつかったら痛いのは、オレじゃなくてオマエだからな」
深雪に声をかけながらロープトーに乗る。
こうやって牽引するのもあと1年ぐらいか。
来年はともかく再来年には深雪も1人でロープトーに乗ることだろう。
子供はどんどん自立して親からの距離が遠くなっていく。



昨日雪が降り、新雪15cmほど。
ただし春先特有の重い新雪、スキーで滑っているとぐぐっとブレーキがかかりおじぎをしてしまう、そんな雪である。
こんな時はテレマークは大変だろうな。
パーマーロッジで一休み。
レネの娘達、リアとナミが深雪と遊ぶ。
ここは子供が育つのに最高の環境だ。
滑らなくても、居るだけで幸せになれる場所。
パーマーロッジはそんな場所だ。
お昼はバーベキューである。
近所の肉屋の特製ソーセージを焼き、パンに挟んで食う。スパイツを飲みながら。嗚呼、人生とは至福なり。



午後山小屋さんと深雪と山頂へ。
天気予報は快晴だったが、雲が多少あり風も出てきた。
アーサーズパス方面も雲は厚く、マウントロールストンは雲の中だ。
クライストチャーチの方も雲が出ていて、ポートヒルがうっすら見える程度。
それでも山というのは気持ちが良く、人を元気にしてくれる場所だ。
山頂から裏のアランズベイスンへ山小屋さんをさそったがブーツの調子が悪いというので、深雪と2人でアランズベイスンへ。
尾根伝いに時には板を外し、時にはスキーを履いたまま岩をかわしながら移動。
親バカだが深雪のスキー操作は抜群だ。
狭いトラバースや石をまたいで踏み換えなどを小さいころからやっているので自然とスキーも上手くなる。
日本のスキー場で滑ったらビックリするだろうな。
重いパウダーを深雪が喜んで滑る。
今までは僕の後ろをついて滑るだけだったが、最近では僕よりも先に滑るようになった。
こうやって子供は親から離れていく。
嬉しいのが半分、寂しいのが半分。
そんな気持ちで僕は娘の滑りを眺めていた。



帰りは車までアランズベイスンを滑る。
雰囲気はちょっとしたバックカントリーだ。
山小屋さんはグッズリフトに乗りたいというので、深雪と2人で滑る。
重い雪を滑りながら深雪が言った。
「あ~あ、今日でスキーも終わりか。ずーっと冬だったらいいのに」
「まあ、そう言うな。夏があるから冬が来るんだよ。また来年滑りに来ればいいじゃんか」
今日で滑り納めということで子供なりに感傷的になっているようだ。
車にたどり着く時に、深雪が後ろの山を振り返って言った。
「サンキュー、ブロークンリバー。又来るからね」
僕はその言葉を心に刻みこんだ。



帰り道の途中でキャッスルヒルに寄る。
僕と深雪は何度も来ているが、山小屋さんは初めてだ。
来る途中にこの岩場の話をしたら、是非歩きたいということでスキーを早めに切り上げてきたのだ。
大きな岩の上に立ち大地を眺める。
土地の持つエネルギーが沸々と涌き上がる。
ここは何度来てもいい所だ。
「山小屋さん、このあたりはさあ、マオリの聖地でパワースポットなんだよね」
「オーストラリアにもそういう所があった。アボリジニの聖地があったよ」
こういう場所では人間が生き生きする。知らず知らずのうちに自然のパワーをもらっているのだ。
大人よりも子供の方がそういう物を感じ取るのだと思う。家族連れのピクニックには最高だ。



帰り際、ダーフィールドにあるレネの家に立ち寄る。
レネの奥さんのナオちゃんの作るゴマドレッシングを貰うためだ。
ボトルを持っていくとそれにドレッシングを詰めてくれる。
このドレッシングが絶品なのだ。この味を出すのに2年かかったという。作り方は企業秘密。
僕はドレッシングがなくなるとこうやって貰いに来る。
うちからはお返しに僕が作った納豆や味噌などを持っていき、物々交換のシステムができつつある。
深雪はすぐに子供部屋へ行き、リアとナミと一緒に遊び始める。
僕らは庭を見せて貰い、その間にナオちゃんがドレッシングを詰め替えてくれる。
レネがビールを出してきて言った。
「ヘッジも一杯やるか?」
「う~ん、今日は真っ直ぐ帰るよ」
ヤツの家はあまりに居心地がいいので、ちょっと寄っていくつもりが1時間位すぐに過ぎてしまう。
アブナイ家なのだ。

家に戻って晩飯だ。
今日は女房が腕をふるって餃子を作ってくれた。
「山小屋さん、うちのギョーザはニュージーランドで一番ウマイからね。それからギョーザと言えばビール。ビールと言えばギョーザ。これでしょう」
僕はそう言いつつスタインラガーのピュアを開けた。
混ぜ物を入れてないというのが売りの、このビールが最近のお気に入りだ。
ギョーザにはシャキっとしたラガーの方がエール系のスパイツよりも合う。
「まあまあ、お疲れさん、カンパイ。さあさあ、熱いうちに食べよう」
餃子を一つ食べた山小屋さんがうなる。
「ウマイ!なんまらウマイわ、こりゃ。」
「だから言ったでしょ。うちのギョーザはニュージーランドで一番ウマイって」
「本当だわ。いやあ、これはウマイなあ」
「オレも自分で料理をいろいろ作るけど、餃子は女房に一任だね」
「そりゃ、これだけウマイ餃子ならねえ」
深雪は無言で黙々と食べる。本当に美味い物を食べるときのこいつの癖だ。とても分かりやすい。
行きつけの肉屋の豚挽肉、庭の野菜、調味料だって厳選している。皮は市販だが、ちょっと厚いのでちょうどいい大きさまで伸ばす。
いろいろな手間を惜しまず、素材を厳選すれば餃子というのはここまで美味くなる。又、焼き具合も文句のつけようがないぐらいに完璧。
金はそんなにかからないが、作り手の愛が餃子一つ一つに込められている。ご馳走というのはこういう物をいうのだ。
庭で採れたレタスのサラダに、さっき貰ってきたゴマドレッシングが又合う。
この晩、僕らは何回『ウマイ』を連発したのだろう。
幸せというのは瞬間だ。その瞬間のつながりが人生となる。
僕はビールを飲みながら、ギョーザに包まれた幸せを噛みしめた。
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ジャパントリップ 25

2009-10-28 | 
 再び野郎3人、むさ苦しい顔をつき合わせて成田へ向かう。
 成田からブラウニーがカナダへ、僕とヘイリーはニュージーランドへ。ターミナルも別々だ。
 先にチェックインを済ませ、第二ターミナルのインフォメーション前で落ち合い、最後にビールを飲むという予定だったが、この3人で予定を立てても上手く事が運んだ試しがない。それは昨日始まった事ではない。
 僕等のチェックインで時間を取ってしまい第二ターミナルのインフォメーションに着いた時にはブラウニーの搭乗時刻になっていた。
 あちこち探したがブラウニーは見つからない。
 最後に友達に会えなかったことや、都会での疲れが重なってヘイリーは明らかに不機嫌になっていた。僕も全く同じ心境で不機嫌に黙って第一ターミナルに戻った。
「なあ、喉が渇いたな。どこかでビールでも飲もうぜ」
「賛成」
 というわけでレストラン街をウロウロしたのだがちょっとしたバーみたいなのが見つからない。
 後から冷静に考えれば、どのレストランでもビールはあるだろうし、ビールだけ注文してもイヤな顔をされる事はないだろう。しかしその時は僕もヘイリーも、レストランなんて洒落た所でウェイトレスにお席はこちらですなんて案内されるより、ブラッと店に入ってビールをキュッと飲みたい、そんな心境だったのだ。
 ところがそんな店がなかなか見つからない。同じ場所をウロウロしたりして、さきほどの不機嫌にビールが飲めない不機嫌が加わりますますむっつりするのであった。
 2人ともむっつりと出国審査を抜け、むっつりと免税店でお土産の酒を買った。
 その直後にバーのサインを見つけ、そそくさと店に入りビールを注文する。
「オイ、ここではエビスの黒があるぞ。来て直ぐの時ハヤピの家で飲んだ黒ビール覚えているか?」
「オオ、覚えてる。それでいこう」
 ビールが来て、カンパイ。現金なもので、ビールを飲んだ途端にさきほどまでの不機嫌さは消える。
「クーッ、ウメエなあ。なんか今回の旅は飲んでばかりだったなあ。オレ達何回カンパイをした?」
「数えきれないくらい。グフフフ」
「色々あったな」
「ああ、色々あった。グフフフ」
「西海岸からのバスがクライストチャーチに着いて飲み始めてからだぞ。最初から最後までオマエと一緒だとはなあ」
「ホントだな。オイ、ヘッジ、今回はオレを連れてきてくれて本当にありがとう。心からオマエに感謝している」
「よせやい、照れるだろ。オレは自分がやりたかったからやっただけだよ。オマエ達を日本へ連れて行ったらどんなに面白いだろう。ただそれだけさ。実際オレの予想以上に面白かったけどな」
「そう言ってもらうと嬉しいぜ。グフフフ」
「それより、オレは今回のジャパントリップをネタに使うぞ。オマエの事を書くぞ」
「オウ、何でも書いてくれ。グフフフ。オイもう一杯いこうぜ」
「いこういこう」
 さっきまでのむっつりがウソのように僕等は饒舌に話した。知らない人が見たら二重人格者だ。山のこと、雪のこと、人のこと、話す事は尽きない。そして再びカンパイ、再び話す。いつのまにか搭乗時刻になっていた。
「この先、搭乗口までの間に確かトレインみたいなバスみたいな乗り物に乗るはずだぞ」
「そうか、じゃあ早く次のカンパイをしよう」
「しょうがないなあ」
 再びカンパイ、再び話す。
 そのままカンパイをしつづけて僕等は飛行機を乗り過ごしてしまった、などという展開になったら、それはそれでバカバカしく面白そうだが、さすがに僕等もそこまでバカでは無く、無事機上の人となった。

 ニュージーランド北島付近は厚い雲に覆われていた。雲が切れている所からは深い青のタスマン海が広がる。
 ヘイリーが窓の外を覗きながら言った。
「見ろ、タラナキが見えるぜ」
 タラナキは富士山そっくりの山で高さは2300mほどだ。雲の海にピョコンと円錐形の島が浮かぶ。
「それならファカパパも見えるかな。あったあった。あそこだ」
 ヘイリーの指差すはるか彼方に、上部がギザギザの白い塊が浮かぶ。
「あれがファカパパかあ。初めて見た」
「オンタケそっくりだな」
「そっくりだ」
「楽しかったな」
「楽しかった」
 一つの旅が終わろうとしている。僕もヘイリーも、ガラにもなく感傷的になっていた。
『旅の終りはいつも虚しくて誰かと一緒に、気の会う仲間と OH Yeah』
 JCの唄が心の中でこだました。

 飛行機は除徐に高度を下げながら南島にさしかかった。カイコウラ山脈がうっすらと雪を載せている。
 窓の外を熱心に眺めている女の子と話し始めた。
「ニュージーランドは初めて?」
「ハイ。ワーキングホリデーで1年いるつもりです」
「そう、それは良いねえ。山が好きなの?」
「ハイ、大好きです。山歩きをしたくて、ニュージーランドに来たのです」
「そう、それはますます良いねえ」
「こちらにお住まいなんですか?」
「うん。冬はスキーガイド、夏はトレッキングのガイドなんかをしている」
 彼女の僕を見る目が変わった。ただの髭面のオジサンから頼れる山男へ格上げといったところだろう。
「あのう、何かアドバイスありますか?こうしたらいいとか?」
「そうだねえ、それならば、出来るだけたくさん歩きなさい。メジャーなトラック、ミルフォードやルートバーンだけじゃなく、国立公園のちょっとしたショートウォークや街の中の散歩道。30分や1時間のコースでも楽しい所は山ほどある。そんな事をやっていると1年間なんてあっという間に過ぎてしまうから時間の許す限り歩いてみな。この国は歩けば歩くほど奥深さが見えてくる国だよ」
「そんな話を聞いてワクワクしてきました」
 彼女のひとみは生き生きと輝いていた。良い顔をしている。きっと素晴らしいニュージーランドライフが待っていることだろう。

 クライストチャーチの空港では妻と娘が僕の帰りを待っていた。ヘイリーの女房ジューと娘達ハナとトメカも一緒だ。娘達は僕の娘を見つけ、深雪も気が付いたらしいが、やはり恥ずかしくて話ができなかったようだ。
 ヘイリーの家庭とも、今までより新しく深いつきあいが始まりそうだ。
 いつの日か彼女達が一緒にブロークンリバーのピークで夕陽を見ることが来るだろう。ヘイリーが娘達を連れて、夕陽を見ながら最終パトロールをした時のように。
『夢は実現するのよ』ヘザーの言葉が浮かんで消えた。
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ジャパントリップ 24

2009-10-27 | 
 翌日の朝、二日酔いで目を覚ました。
 昨日の夜、ホテルに帰って来たところまではおぼろげに覚えている。その後の記憶がぷっつりと無い。どうやら服を着たままベッドに倒れこんでしまったようだ。
 シャワーを浴び、頭をすっきりさせると昨日の記憶が断片的に頭に浮かんだ。『ブラウニーが来て、みんなで一緒に飲んで。そうだクミが案内してくれるんだった。それから駅でクミと別れ、ホテルに戻り・・・』やっぱりその辺から先は思い出せない。
 そんな僕を見てブラウニーが言った。
「ヘッジ、オマエ夕べは疲れなかったか?」
「なんで?」
「あんなすごい音を出して疲れないのか?」
「イビキか?」
 2人ともニヤニヤと頷く。
「そんなにうるさかったか?」
 再びニヤニヤと頷く。
「スマンスマン。昨日の晩は嬉しくなって飲みすぎちゃってなあ」
「そんなこったろうと思ったよ」
 僕は3つ並んでいるベッドの真ん中に寝て、2人に公平にイビキを聞かせたのだ。



 ブラウニーと一緒にコンビニへ朝飯を買いに行く。ヤツ等のお気に入りは、何種類もの野菜と果物のミックスジュース。ヤツ等曰くニュージーランドでも売ればいいのに、だそうだ。
 買い物を済ませ店を出るとヤツが言った。
「この国の店員はオハヨーゴザイマスとは言うけど、こっちがオハヨーと返すとびっくりするんだな。客がオハヨーという挨拶をすることを考えないのかな」
 確かに言われてみればそうだ。僕だってはっきりおはようと言うかどうか分らない。英語の会話では必ずグッドモーニングは言う。
 近くのパン屋へも立ち寄る。店員の明るい「おはようございます」に応える客は無く、皆無口だ。僕はつとめて明るくおはようと言い買い物をした。

 朝食後、チェックアウトを済ませるとクミが迎えにきた。父親の車を借りてきてくれて、彼女の運転で東京見物である。
 先ずは東京タワー。確か小学校の修学旅行で来たような気がするがよく覚えていない。
「アタシひょっとしたら初めてかもしれない」
 クミなど東京に住んでいながらそんなことを言っている。まあここに住んでいる人にはそんなものだろう。
 クミが曲がる所を間違えてプリンスホテルに入ってしまった。ずいぶん立派な建物だ。○○プリンスというのはあちらこちらにある。ここが何プリンスか知らないが、僕は一生縁の無さそうなその建物をぼんやりと眺めていた。
 土曜日の朝早い時間というのもあって、タワーの中は空いていた。エレベーターに乗って展望台まで行く。
 昨日行った羽田空港が見える。富士山もかすかに頭をのぞかせている。はるか真下にさっき見たプリンスホテルがある。周りの建物が高いのでまるで平屋だ。窓の数をざっと数えると十数回の建物か。
 再び視線を上げて周囲の高いビルを見る。ここでは街自体が上へ上へと伸びている。『バベルの塔』何の脈絡もなくその言葉が頭に浮かび、そして消えた。
 普段ニュージーランドを歩いていて森の持つ力、エネルギーのような物を感じることがある。
 都会にはそれと別の種類のエネルギーが存在する。街が持つ力とでも言うのか。
 僕はそれを明らかにはっきりと感じた。クミにそれを話すと、エネルギーを吸い取られる気がすると言った。
 乱立するビルを見ながら無性にニュージーランド、ルートバーンの森が恋しくなった。



 次は秋葉原である。クミが連れて行ってくれた場所は、最新の超大型店。中で迷ってしまいそうだ。30分後に入口で集合ということで、てんでに買い物をする。
 最新式の電化製品が店内にズラリと並ぶ。
 ブラウニーはヘッドホンを買いたいと言うので付いて行く。ヘッドホンのコーナーでは大きいのから小さいのまで、何十種類も並んでいる。これだけ多いと選ぶのが大変だろう。
 ヘッドホン一つとってみてもこうなのだ。その他ありとあらゆる電化製品でも同じはずだ。
 果たして本当にこれだけの物が必要なのだろうか。疑問は残る。



 買い物を済ませ、次は浅草へ。
 地元に住む人というのは強いものだ。クミは車をすいすいと走らせ、あっという間に浅草に着いた。
 自分でこのコースをまわるとなれば、地図で確認し、駅を探し、キップ売り場を探し、ホームを探し、電車に乗り、目的の駅へ行ったら再び地図で現在地を確認して、やっと目的の場所にたどり着く。面倒臭いことこの上ない。
 ましてや時間は無限にあるわけではない。僕等のスローペースなら、まだ東京タワーの辺りをウロウロしていることだろう。ガイドとはありがたいものだ。
 雷門の大提灯の前に人力車があった。漕ぎ手は足袋を履き、昔ながらの姿が勇ましい。イナセというのはこういう姿のことか。
 僕としては、ヘイリーとブラウニーに乗って欲しかった。特にヘイリーには、中仙道奈良井宿とでっかく書かれた編み笠をかぶって乗ってほしかったが、いかにせん時間が無い。
 僕等は門をくぐり仲見世に入った。中は僕が見ても面白い物ばかりだ。2人ともあっちを覗きこっちをひやかし楽しそうだ。
 ある店にラメが目一杯入ったドレスが掛けてあった。一昔前の歌手が着ていたようなドレスだ。すごいハデだなあ、一体誰が買うんだろう、と思った矢先ヘイリーが言い出した。
「オイ、ヘッジ。あのドレス女房の土産に買っていく」
「え~?本当に買うのか?」
「ああ、きっと女房は喜ぶぞ」
 そう言うなり店に入りサッサと買ってしまった。そうか、こういう人が買うのか。僕は納得した。こんなハデなドレスも奥さんのジューには良く似合うだろう。



 お参りを済ませ、屋台のお好み焼きとビールの昼飯。ポカポカと小春日和で気持ちがいい。近くの温泉の看板を指差しながらクミが言った。
「あそこの温泉あるでしょう。あそこはうちの友達がやってるのよ。よくヤクザも来るんだって」
「こんな所にも温泉はあるんだね。ブラウニー、ヘイリーあそこの看板が見えるか?棒が3本縦にあってその下にマルがあるだろ」
「ああ、あるある。ありゃなんだ?」
「あれがオンセンのサインだ」
「へえ、こんな街にもオンセンはあるのか。山の中だけだと思っていた」
「それであそこはクミの友達の家で、よくヤクザが来るんだって」
「ヤクザ?」
「ジャパニーズマフィアだ」
「へえ、ジャパニーズマフィアねえ。どんな人なんだ?居たら教えてくれ」
「居たらクミに教えてもらおう」
 ブラブラと歩き、ジャパニーズマフィアに会う事も無く車に戻る。
 僕もそうだが2人ともちょっと疲れたようだ。人込みの中を歩くというのはとても疲れるものだ。人が少ない場所から来ると、その事がはっきりと分る。
 上野まで送ってもらいクミと別れる。

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ジャパントリップ 23

2009-10-26 | 
 羽田空港に着いて到着時間を調べる。その時になって、ブラウニーの便名を書いたメモをホテルに忘れてきたのに気が付いた。
 まあ何とかなるだろう。その時には僕はまだ、ちょいとクライストチャーチの空港に友達を迎えに行くぐらいのつもりだった。
 たしかJALの1時40分出発と言っていたのでインフォメーションで聞いてみた。
「すみません。札幌を1時40分に出る便を教えて下さい」
「1時40分というのは無いですね。1時半ならあります」
「じゃあそれかな。それを教えて下さい」
「ハイ JL○○○○です」
「どうもありがとう」
 JL○○○○が到着して、僕達はゲートの所で待っていたが、待てど暮らせどブラウニーは現われない。荷物の受け取りの所には誰もいなくなってしまった。
「きっと何かの手違いで次の便で来るんだよ。それまでブラブラしていよう」
 僕は未だにのん気にそんな事を言っていた。

 札幌からの便は1時間置きにあるようだ。僕らは展望デッキに出て次から次へやってくる飛行機を眺めて時間を潰した。ひょっとして全日空かと思ったりして、別のターミナルへも行ってみた。もちろんブラウニーはいなかった。
 1時間経ち札幌便が着いたが待ち人来ず。
 再び時間を潰し次の便を待ったがブラウニーは現われない。
 さすがに僕もあせりだしヤツにもらったニセコの連絡先に電話をしても誰も出ない。何か事故にでも遭ったのだろうか。
 試しに清水の家に電話をしてみると親父が出た。
「オイ、ジェフ・ブラウンという人が成田から電話をしてきたぞ」
「えー!成田?それはいつ頃?」
 何故成田なんだ?成田空港ってのは国際線じゃあないのか。
「ほんの10分ぐらい前だ。それでこの電話番号に電話してくれとさ。いいか言うぞ」
 僕はメモを取って礼を言い電話を切った。
 そして自分のバカさ加減に腹をたてた。札幌から東京と言うのでよく調べもせずに勝手に羽田へ来て、おまけに便名のメモを忘れて確認もできず。
 いつまでも己のバカさを呪っても仕方が無い。
 さっそくもらった番号に電話をすると成田空港のインフォメーションだった。向こうが言うには、呼び出しをして電話番号を教えることしかできない、とのことだ。
 僕達は携帯電話を持っていない。ホテルまで30分以上かかる。僕達がブラウニーと直接話す事はできないわけだ。
 それなら誰か間に入ってもらおう。JCに電話をして事情を説明した。ホテルの名前と最寄りの駅を教え、ブラウニーから電話があったらそちらに向かうよう頼んだ。再び成田空港に電話、ブラウニーの呼び出しを頼み、JCの電話番号を伝える。

 やることはやった。
 僕達は羽田にいる必要がなくなったので、再びモノレールに乗りホテルに戻る。
 ヘイリーは人込みに疲れたのと、僕のいい加減さに呆れたのと半々の顔をしているが、自分では何もしていないので何も言えない。
 ホテルに戻り、まずJCに電話をいれる。
「ようJC、どう?ブラウニーから連絡があった?」
「あったよ。自力でなんとかそっちへ向かうって」
「そう、良かったあ。いやあ、まさか札幌から成田へ飛ぶとは思わなかったよ。まいったまいった」
「バカだねえ、全く。じゃあな」
 電話の内容をヘイリーに伝えるとヤツも安心したようだ。
 本来なら午後ブラウニーと落ち合いブラブラして、夜はクミと一緒にメシでも食おう、というシナリオだったのだが、こんなことになってしまった。
「じゃあヘイリー、クミと一緒に外に出るか?メッセージを残せばいいからホテルにいる必要はないぞ」
「いいや、オレはホテルにいるからオマエ達で行ってこい」
「じゃあ、オレ達は近くで飲んでるから、来たくなったらクミの携帯に電話をくれ」
「分った。オレは英語のニュースでも見てるよ」
「OK、ブラウニーは9時頃来るはずだから来たら連絡くれ」
「了解」
 そして僕はクミと夜の町へ出た。

 ホテルのそばの居酒屋で先ずはカンパイ。ブラウニーの事が気になるが、何かあったらクミの携帯に電話が来るだろう。文明の利器は便利だ。
 日本に来て2週間ほどになるが、僕は携帯電話を持たなかった。常に周りの誰かが持っていたので特に困ることはなかった。
 数年前あるスキー場で働いていた時、そこのスタッフ全員が携帯を持っていて、持っていないのはJCと僕だけだった。若い連中に良く言われた。
「じゃあ、JCとヘッジに連絡取りたい時はどうすればいいの?」
「手紙を書いてくれ。半年以内には返事が届くよ」
 そんなJCも携帯を持ち、僕だってニュージーランドでは携帯を持つ。
いまや携帯を持つことは当たり前であり、日本では携帯電話が無いと非常に不便なのだ。第一公衆電話が少なくなった。携帯の普及により誰も使わなくなったからだ。
 僕は携帯を電話として使う。必要な時以外は使わない。いろいろな機能がついているが使い方が分らないし、分ろうとしない。電話をかけられ、受けられ、メッセージを聞ければそれだけで良い。
 時代遅れと言われるかもしれない。しかし出来るだけシンプルにいきたい。それが僕のスタイルなのだ。

 クミの携帯が鳴った。ヘイリーだった。
「おうヘッジ、ブラウニーが来たぞ」
「そりゃ良かった。じゃあ俺たちは一度ホテルに戻る。5分後にホテルの前で会おう」
「了解」
 僕は嬉しくなり目の前の酒を飲み干し、ホテルへ向かった。
 2人はホテルの前で立ち話をしていた。
「ブラウニー!」
 僕は右手を差し出しながら叫んだ。
「ノー、ヘッジ、そんなのじゃ足りないぜ」
 そう言うなりヤツは僕を抱きしめた。そして僕らは背中をたたきあった。
 とりあえず腹が減っていると言うので近くの店へ行く。
「それにしてもスマン。本当にスマン。まさか成田へ行くとは思わなかったんだ」
「オレもあせったよ。何処を探してもオマエ達はいないし、途方にくれたよ。まあこうやって一緒に飲んでるんだから結果オーライだな。アハハハハ」
 ブラウニーに大きな借りができてしまった。
「だけどオレが思ったより早く着いたなあ」
「ああ、一度はこのまま成田で泊ってしまおうかと思ったけど、ヘイリーとヘッジと日本で最後の夜だしな。なんとか駅まで来たのさ。さて、どうやってホテルを探そうかなと思って駅から出たらヘイリーがいた」
「何で?偶然?」僕はヘイリーに聞いた。
「ああ、ニュースが終わって、なんとなくブラっとホテルの外に出てみたらブラウニーがいた。グフフフ」
 僕はすっかり嬉しくなり、また酒がすすんでしまった。
「じゃあ明日は午前中に東京観光。午後に成田へ向かおう」
「賛成」
 横にいたクミが話し出した。
「あのう、アタシ明日休みなのでよかったら案内しましょうか?」
「え~?いいの?本当に?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとう。それはおおいに助かる」
 ヘイリーとブラウニーにそれを告げる。2人とも僕のいい加減さを身にしみて知っているので大喜びだ。
 僕はますます嬉しくなり、気がついた時にはすっかりできあがってしまった。

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ジャパントリップ 22

2009-10-25 | 
 故郷清水で何日か過ごし出発の日、ヘイリーが言った。
「なあヘッジ、日本のトラディッショナルの履物があるだろう」
「下駄のことか?木でできているものか?」
「いや、違う。たぶん布だろう」
「足袋のことだろう。親指が分かれているやつだな。ニンジャが履いているのだろう」
「そうそう、ニンジャ・シューズだ。あれを使った事があるか?」
「ああ、昔足場を組んでいた時に使った。それから山の中で土方をやった時もだ。なかなか使い勝手がいいぞ」
「オレも自分用に欲しい」
「それなら作業服屋へ行こう。オマエが好きそうなものがたくさんあるよ」
 駅へ向かう途中で店に寄る。
「ホラ、沢山あるだろ。足のサイズはいくつだ?」
「31センチ」
「デカイなあ。そんなにデカイのあるかな」
 31センチの足袋は種類こそ少ないが幾つかあった。
「じゃあ、履いてみろ。この小さい金具をコハゼって言う。これをここの紐に引っ掛ける。靴下もそれようのヤツがあるからまとめて買っていくといいよ」
「ありがとう。お、こっちは手袋のコーナーか。皮の手袋が安いじゃないか。これは仕事に使えるな。作業ズボンだってこんなに安いじゃないか。日本はモノが高いのか安いのか分らんな」
「オマエがこの店を気に入ると思っていたよ。さあ買うものを買ったらいくぞ」
 駅まで送ってくれた父親に別れを告げ、僕達は再び旅の人となった。

 静岡から新幹線で東京へ向かう。雲が厚く富士山が見えない。
「残念だな、ヘイリー。今日は富士山は見えないや。次の機会に取っておけよ」
 ヤツはちょっと複雑な顔をして、グフフと短く笑った。
 途中の駅で止っている間に、直ぐ横をひかりやのぞみが200キロ以上のスピードで通り抜ける。
「なあ、ヘッジ、今通った列車と俺達が乗っているこの列車は違う線路を走るのか?」
「違うよ。一度駅を出たら同じ線路を使うんだよ。だから俺達の列車がこうやって駅に止っている間に速い列車をやりすごすんだ」
「なんとまあ・・・そりゃすごいな。スケジュールなんかどうなっているんだ?」
「知らん」
「だろうな」
 確かにニュージーランドの田舎では信じられないような事だ。
 停車時間が長いので売店でビールを買い込む。僕達の旅はこうでなきゃ。
「ここはアタミという場所だ。温かい海という意味だ。どでかいオンセンリゾートだぞ」
「この海は太平洋か?」
「そうだ。ここだと海を見ながらオンセンに入れる」
「それもいいなあ」
「次、来た時な」
「グフフフ」

 僕達がのんきにビールを飲んでいる間に、緑は除徐に少なくなり灰色の建物が増えてきた。そしてあっという間に列車はビルの群れの中に入る。
 品川で降りて山手線で大崎へ。線路の数、ホームの数を見て唸るヘイリーを見るのが面白い。
 今日の泊りは友達のクミが手配してくれた。自分の知らない土地では、そこに住む人の好意がとてもありがたい。東京のど真ん中で、ちゃんとしたホテルの3人部屋で12000円、一人4000円は悪くない。ニュージーランドドルに換算しても決して高くない。それどころか逆に安いかもしれない。
 クミはシャルマンのスキーセッションにも参加してくれて、メンバーとも会っているので晩飯を一緒に食べようということになった。
 チェックインを済ませ身軽になりホテルを出る。再び山手線で浜松町へ。ブラウニーを迎えに羽田空港へ向かう。
 駅地下のカレースタンドでビールとカレーの昼飯を取っていると、ある看板の文字が目に入った。
「オイ、ヘイリー、あの看板に書いてあるけど、オレ達貿易センタービルの中にいるんだぞ」
「へえ、そうか。日本にも貿易センターってあるのか」
「ああ、オレも今まで知らなかった」
「グフフフ」
「ここからはモノレールに乗って空港に行く。視点が高いからたぶん良く見えるよ」
 モノレールの窓から街を眺める。ビルの間を縫うように進み、やがて高い建物が減り、川の向こうに巨大な倉庫のような物が見えてきた。
 目をこらして見ると、とてつもなく長いトラック用のホームが延々と続く、しかも2階建てだ。『どれだけ大きいんだ、これは』と思ったころ、建物が切れて道路が出た。
 ホッとしたのも束の間、今度はクライストチャーチでこれより大きな建物は無い、というくらい大きい建物がでてきた。ビル全体が流通センターになっているのだ。
 さらに驚く事に、そんなのが奥にも横にも幾つも並んでいる。
 一体こりゃ何だ。まるでスターウォーズのオープニングじゃないか。
「ヘッジ、アレは何だ?」
「あれなあ。どうやらあれが全部流通センターみたいだな」
「なんとまあ・・・」
「ホントだな・・・」
 2人ともこんなことで東京の大きさというものを理解したのだ。

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ジャパントリップ 21

2009-10-23 | 
 ロッジに戻るとテラモトさん一家が御馳走を用意して待っていてくれた。ここでもマアマアドモドモである。
「テラモトさん、テラモトというのはスペイン語で地震のことを言うんです。何故そんなことを知っているかといえば・・・」
 南米ペルーへ行った時の話である。
 ある街で僕はタクシーを拾った。運ちゃんは僕が日本人だとわかるとベラベラと喋り始めた。
 南米に来て2ヶ月ほどだがスペイン語なんて片言しか分らない。何とか聞き取れたのがフジモリ。そしてブエノ、良いという意味の言葉だ。彼はニコニコしている。
 そうか、この人は日系のフジモリ大統領が良くやっているということを言いたいのか。
 僕は理解した言葉をくり返した。
「フジモリ?」
「シー!(そう!)」
「プレジデンテ(大統領)フジモリ?」
「シーシー!(そうそう!!)」
「プレジデンテ フジモリ・・・ブエノ?(フジモリ大統領・・・良い?)」
「シーシーシー!!!セニョール ムイブエノ!!(そうそうそう!旦那!とっても良い!)」
 その後、彼は別の事を話し始めた。今回は全く分らなく、彼はしきりにテラモト、テラモトを繰り返す。表情はさっきと違い悲しそうだ。
 うーん?テラモトって人の話だろうか。死んじゃったって言いたいのかな。それにしてもテラモトさんって誰だろう。
 スペイン語で『誰』という言葉を知っているわけでもない。そうしているうちに車は着き会話は終わった。テラモトという人の謎を除いて。
 あるキオスクで新聞のトップ写真が目に入った。なにか大災害のようすだ。
 見出しでテラモト ハポンの文字が読めた。知ってる言葉など少ないが拾い読みをしてみると、関西地方を中心に大地震があったらしい。
 関西大震災である。
 そうか、あの運ちゃんは日本で地震があったことを言いたかったのか。テラモトさんじゃなくて地震のことだったのか。
 こうしてスペイン語のボキャブラリーが一つ増えた。しかしこの言葉を会話で使ったことはそれ以来一度も無い。
「いつの日か本物のテラモトさんに会ったらこの話をしようと思っていたんですよ。どうやら今晩がその時だったようですね」
 テラモトさん一家はそんな僕のバカ話も喜んで聞いてくれた。

 一夜明けると外には抜けるような青空が広がっていた。
 ロッジの周りをブラブラと歩く。空気はキリリと引き締まり気持ちの良い朝だ。
 朝ご飯は洋食だ。コーヒー、パン、卵、野菜、そしてここの目玉は何といっても自家製ベーコンである。
 豚肉の旨みと燻製の香りが絶妙だ。ニュージーランドの家の近所の肉屋が作るベーコンもウマイと思ったが、ここのベーコンもいい勝負をしている。
 思えば日本ではロクなベーコンを食べた事がなかった。しっかりした肉を使い、手間隙を惜しまずに作れば、ベーコンとはここまでウマイものなのだ。
 煙で燻すという原始的な調理法はシンプルなだけに奥が深い。
 肉の種類、部位、塩加減、調味料、燻製のチップの種類、かける時間、これらのバランスで味はどのようにもなる。
 いつの日かじっくり時間をかけてやりたいことの一つだ。
 僕らが朝食を食べていると森から客人がやってきた。
「見ろよヘイリー、リスが来たぜ」
「ホウ、あれは原生か?」
「そうだ。かなり慣れているけどな。日本は原生の哺乳類が多いんだよ。昨日オンセンで剥製を見ただろ。あんなのもいるし、鹿や熊もいる」
 ニュージーランドには原生の哺乳動物はいない。哺乳類はコウモリが数種類いるだけだ。その他の哺乳類は全て人間の手によって持ち込まれた。それまでは鳥しかいなかったのだ。
 ポッサム(フクロネズミ)と呼ばれる動物は狸ぐらいの大きさだろうか。数が増えすぎて森を食い荒らして枯らしてしまう。
 ストート(オコジョ)は人間が持ち込んだ最悪の動物と言われる。原生の鳥を殺してしまうからだ。
 これらの動物は害獣と呼ばれ、道路に出てくれば問答無用にひき殺される。国立公園の森にはワナがいくつも仕掛けられている。
 ここの動物は森の先住民だ。僕らはちょこまかと走り回るリスを優しい気持ちで見ながら自家製ベーコンを堪能するのであった。



 ロッジの名前のように今日の天気は上天気である。こんな日は高い所から景色を眺めてみよう、ということで一番近くのスキー場、開田高原マイアへ。
 僕達のスキーは成田へ送ってしまったのでロッジのレンタルスキーを借りる。
 ところがヘイリーの靴が大きすぎてどのスキーにも合わない。ようやく見つけたのが50センチぐらいのミニスキー。
「ヘイリー、こんなの履く機会めったにないだろ。どうせ1本だけしか滑らないんだ。これを使ってみろ」
 僕はちゃんとしたスキーを借りられたので人事のように言った。
「知り合いのいない所でよかったよ。こんな姿ヒトに見せられないな。グフフフ」
 スキー場では1回券を買う。日本のスキー場は1回券があるのでうれしい。
 スキーを履いて上からの眺めを楽しみたいだけの人や、スキー場のてっぺんからバックカントリーに入りたい人にはとても良いシステムだ。
 ニュージーランドでは1回券は無い。半日券しかないので、こういった人でリフト券を買いたくない人は板を担いで歩くしかない。
 山頂からの眺めは良い。
 開田高原が眼下に広がり、正面には乗鞍がどっしりとかまえる。明らかに今まで居た上越の山と違う。
 ヘイリーもそれを感じ取ったらしい。このころになるとお互いに喋らなくても、何を考えているのか何となく分るようになった。
「ここはもの凄く冷える。晴れていてもマイナス20℃ぐらいになる。滑っていると頭がキーンって痛くなるんだ」
「アイスクリーム・ヘディック(頭痛)だ」
「それだけ冷えると鼻毛だって凍るんだぞ」
「グフフフ」
「あと、標高も高いだろ。街から来た人が一気にゴンドラで山頂に上がってくると高山病になる」
「そんな時は?」
「そのままゴンドラに乗って下ってもらう。それしか方法はないが、そうすると直ぐに良くなる」
「そうだろうな。この辺りの標高は?」
「スキー場のピークで2000mをちょっと越えるくらいだ」
「そんなに高くても森はあるんだな」
「この辺の森林限界は2200mぐらいかな」
 僕らがいるニュージーランド南島では森林限界は1000mぐらいで、2000mを超えるとそこはもう岩と氷の世界だ。
 こうしてトレッキングガイドの目で見ると日本の山も面白い。
 ヘイリーはミニスキーのコツを掴んだらしい。クルクル回りながら遊んでいる。 この男がこんなものを履くのは一生に一度かもしれない。
 僕は圧雪の所を滑ってもつまらないので、脇の森へ入る。木が混んでいてガンガン滑るというわけにはいかないが、何か林の中にいるだけで気持ちが良い。木々に挨拶をしながらゆっくりゆっくりと滑る。充実した1本だ。



 午後は観光である。中仙道に出て奈良井宿へ向かう。ここは宿場町で昔ながらの建物が残っている。ヘイリーは頭にかぶる笠と和傘を買った。良いお土産になるだろう。
 電車の時間が近づき、ハヤピ達が木曽福島の駅へ送ってくれた。
 今回はハヤピとテツに世話になりっぱなしで最後の最後まで彼らが見送ってくれた。ヘイリーも彼らの好意は強く感じ取ったようで
「ブロークンリバーへ来たらオレが責任を持って案内する」
などと言っている。マオリの男は情に厚い。
 列車に乗り込むと、再びこの男と2人きりになった。
 向こうも同じ事を考えてるのが分る。
 当初の予定では中央線で甲府まで行き、身延線でゆっくり富士川沿いの鉄道の旅を楽しむ予定だったのだが時間がなくなってしまった。名古屋へ出て、新幹線で静岡へ向かうことにした。
 木曽福島を出ると列車は谷間を縫うように走る。ある駅で積み上げられた材木を見てヘイリーが言った。
「この辺の主要産業は製材なんだな」
「そう。昔はこの川を使って木を下流に流したんじゃないかな」
「日本の建築は木が多いだろう。石造りのは無いのか?」
「そう言われてみれば石造りは無いな。何故だろう」
「木が豊富にあるからかな」
「地震が多いからじゃないか。木の建物は地震の時にしなって揺れを逃がすって、何かの本で読んだことがある」
「ナルホドな」
 そんな会話をしていると、車内販売の女の娘がやってきた。日本はこんなに可愛い娘がビールを売りにやってくる。いい国だ。
「オイ、ヘイリー、ビールを飲もうぜ。ビールを飲みながら景色を見て旅をするのが、日本の正しい鉄道の旅だ」
「グフフフ」
 僕らがビールを何本か空ける間に、列車は谷間を抜け農村、そして徐徐に車や建物が増え、いつのまにか大都会を走っていた。
 名古屋で乗り換えのキップを買う。ヘイリーが荷物を見張り、僕が2人分のキップを買う。キップ売り場の自動販売機で買おうとしたが機械の使い方が分らない。日本語で説明がかいてあるのだが理解できない。仕方がないので窓口で買った。
「ここからはバレット・トレイン、弾丸列車だぞ」
 ホームで列車を待っている間、ひっきりなしにのぞみ、ひかりなどが到着して去っていく。ロケットのような形をした列車をヘイリーが写真に撮っている。もちろんこんなの見るのも乗るのも初めてだ。
 列車に乗ると再びビールを買い込み、正しい日本の鉄道の旅をしつつ僕の故郷、清水へ向かった。

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ジャパントリップ 20

2009-10-22 | 
 イベントが終り、のんびりする間もなく能生を出なくてはならない。
 ヘザーは夕方のフライトでニュージーランドへ戻るし、ブラウニーも午後の便で北海道へ飛ぶ。
 スーはヘザーと一緒に名古屋へ行き、カナダまでの飛行機をつかまえる。
 僕とヘイリーは、テツとハヤピと共に御岳の麓へ行く。
 やることをやったらさっさと自分のペースで行動する。僕達らしい旅のスタイルだ。
 1週間世話になった対岳荘を出る。僕らの今回の滞在がここまで楽しくなったのはこの宿のおかげだ。
 ブロークンリバーのリンドンロッジでも同じ感覚を味わう。良い旅には良い宿が必要なのだ。



 来て数日めの朝、ヘザーが「宿の朝食でフルーツなどを出して欲しい。」と言ってきた。
 ところがその日の朝食にはすでにフルーツが並んでいた。僕とヘザーはびっくりしてシャチョーの息子のヒロシに聞いた。
「誰かがフルーツが欲しいって言ったの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、そろそろみなさんこういうのもいいかなって思って」
「ありがとう。実はヘザーについさっきそう言われてね。後で頼もうと思っていたんだ」
「みなさんに食べたい物があったら聞いて下さい。できるだけやりますから」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
 次の日から朝食では和食が進まないメンバーの為にコーヒー、パン、ミルク、ジャム、シリアル、ベーコンエッグといった洋風の朝食を用意してくれた。
 米のメシをウマイウマイと言って食う僕の為にも、味噌汁と米は相変わらず用意してくれた。
 サービスとは、もてなす気持ちだ。その気持ちが見えるからこそ、僕らの滞在がここまで快適となったのだ。
 雪が降る中シャチョー一家に別れを告げ、僕らは再び旅の人となった。
 次にここに来るのはいつになるのだろう。



 車3台を連ねて松本へ向かう。
 松本で名古屋へ行くヘザーとスーを送り出す。バス停で待つ間、僕らは口数も少なくブラブラとポスターなどを眺めていた。
 バスが来て荷物を詰め込み、お別れの時となった。
 ヘザーとテツは良い友達になったようで、なかなかお別れが終わらない。
 バスは待っている。
「ニュージーランドに来たら連絡してね。今度はアタシがテツの案内をするわ。絶対よ、絶対連絡してね。今回アタシは日本に来て本当に良かったと思っているの。本当にテツに感謝しているわ」
 こういった話が延々と続く。
 バスは待っている。
 そしてお別れに抱き合い、別れの言葉は続く。
 バスは待っている。
 僕の気持ちを代弁するようにブラウニーが言った。
「全く女ってのはなんでああなんだろう。そんな事言う時間、さっきまでたっぷりあったじゃねえか」
 デリカシーのかけらも無い男と僕は同じレベルらしい。
 ヘザーとスーを送り出して、次はブラウニーだ。ブラウニーは松本から北海道へ飛ぶ。チェックインを済ませるとヤツは言った。
「出発まで待つ、なんて言うなよ。オレは出発ラウンジへ行っちまうから、オマエ達は自分の事をしろ」
「わかった。東京で会おう。俺たちが空港に迎えにいくから」
「OK 頼むぜ。オレのフライトナンバーは持っているな」
「ああ、まかせとけ。じゃあな」
 男の別れは短い。
 この時点ではお互いにすんなり東京で会えるものだと思っていた。
 一人去り二人去り、残り4人。ヘイリー、僕、テツ、ハヤピの4人で御岳へ向かう。
 とあるロッジのオーナーが僕らを招待してくれたのだ。
 車は中仙道を行く。日本海側の厚い雲もここまでは届かず所々で青空が顔を出す。
「この辺りは日本の北アルプスと南アルプスの間だ。中央アルプスと呼ぶこともある」
「海岸沿いとは全然違うじゃないか。まるでアーサーズパスだな」
「そうだ。まもなく主分水嶺を越える。水は太平洋へ流れる。オレ達はナゴヤに着いただろ。あっちの方向へ川は流れる」
 車は木曽路から飛騨への道へ。
「実はなヘイリー、オレはこの辺りで1シーズン過ごした事があるんだ」
「いつの話だ?」
「7年ぐらい前になるかな。ここでもJCと一緒にやったのさ。雪はドライで軽いけど風が強いからみんな吹き飛んでしまう。パウダーなんてありゃしない、いつでもアイスバーンだ」
「シャルマンと正反対だな」
「ああ、スキー場は恐ろしくつまらなかった。だけど山に登ればここもなかなか良いんだよ」
 見覚えのある角を曲がり車は走る。懐かしい景色が流れる。
 山の中腹、木立の中にロッジ上天気はあった。
 木を主体にした造りはそれだけで雰囲気がでる。
 居間の本棚には『うわあ、これ読みたい』と思う本がぎっしりと詰まっている。本は圧倒的にアウトドア関連の本が多い。こんな場所で1週間ぐらい何もしないで、ただひたすら読書をしてみたい。
 このロッジのオーナーはテラモトさんである。
 ある晩、僕が部屋へ戻るとヘイリー達とテラモトさんとその友達ですっかり出来上がっていた。面白そうだったので僕もそのまま参加した。
 ヘイリー曰く、テラモトさんの英語は酔えば酔うほどに上手くなる。そんなテラモトさんが僕達を彼のロッジに招待してくれたのだ。



 ロッジから車で数分の所にやまゆり荘という温泉がある。ここに来るのも何年ぶりだろう。
 中に御岳のポスターがあり、ヘイリーがそれを見て言った。
「ヘッジ、この山はここにあるのか?」
「うん。今日はもう見えないけどな。俺達はこのあたりにいる」
 僕は写真の一点を指差して言った。
「驚きだな。ファカパパにそっくりじゃないか」
「ふーん。ファカパパってこんな形をしてるのか」
 ファカパパはニュージーランド北島にある山で、この国最大のスキー場がある。ヘイリーが最初に働いた山だ。
「ああ、見れば見るほどそっくりだ。てっぺんの形とか凸凹具合とか瓜二つだ。タラナキといいファカパパといい、なんでここまで似ているのだろう」
 タラナキはやはり北島にある山で富士山そっくりの形をしている。ラストサムライという映画の撮影で富士山の代わりに使われた。
 館内にはその他、カモシカや狸などの剥製がありヘイリーが珍しげに覗いている。
 温泉は内湯と外湯がある。先ずは内湯から。湯船で手足を伸ばして僕は言った。
「どうだ、ここの湯は?なんかヌルヌルと体にまとわりつく感じがするだろ」
「これがここの湯の質か。確かに今までとは違うな」
「それにここの湯は飲めるぞ。飲めるオンセンにはこうやってコップがある」
 僕は流れ出している湯をコップに取り飲んでみせた。湯は少ししょっぱく、いかにも地面の下から沸いてきました、という味がした。
「ほう、これがオンセンの味か、面白いな」
「さあさあ次は外の風呂だぞ」
 外は多少寒いが極寒の時を知っているので苦ではない。
 岩の風呂に入り空を見上げる。雲は無く夜空に星が瞬く。ヘイリーは湯煙の中だ。
「ここは内陸だからとても冷えこむんだ。マイナス20度ぐらいまで下がる。この風呂では頭は最後に洗うのさ。先に洗うと凍っちまう」
「グフフフ」
「ホントだぞ。それになあ、濡れたタオルをグルグル振り回すと数秒でカチンカチンの棒になる」

 長髪の友達の髪を凍らせてモヒカンを作った事を思い出し、それをきっかけに数年前の思い出が次から次へとあふれ出た。
 今になってみれば、その時の自分の若さ加減と、バカさ加減を冷静に見ることができる。いろいろな人に出会い、いろいろなことをやった。
 近くに立派な体育館があり、冬は誰も使っていないというので、近燐のスキー場のスタッフを集めてバレーボールのリーグ戦シリーズ、なんてこともやった。
 実行委員長は僕で事務局長がJCだ。付近の店やロッジがスポンサーになってくれて景品もあつまった。
 スキー場の寮から1番近くのコンビニまで車で1時間ほどかかる場所に僕達は住んでいた。娯楽が少なく体力を持て余している若いスタッフにはとても良いレクリェーションだった。
 それから、バンドを組んで近くの喫茶店を使わせてもらい、週1回のライブなんてこともやった。
 バンド名は、チャオ・ドンデ・エスタ・エル・バーニョ・コン・アミーゴス。長い名前をつけたくて、思いつく言葉を並べたのだ。『よう、トイレはどこだい、とその友達達』南米スペイン語を日本語に直訳するとこうなる。
 パトロールの中でギターを弾けるヤツがいたり、ベースとかドラムを持っているヤツがいて、興味のある人が集ってバンドになった。
 解散後、バンドのベースとドラマーが結婚するというバンドっぽい終わり方だった。
 その他フルーチェ8リットル作戦、コードネーム『砂漠の果樹園』やゼリー10リットル大作戦『いとしのゼリー』など、とても人に言えないようなバカなこともやった。
 バカな事は一生懸命やらなきゃダメだ。
 その時の教訓である。
 あの時にはまさかこんな形で自分が戻ってくるとは思わなかったが、イヤハヤ人生とは面白いものだ。

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ジャパントリップ 19

2009-10-21 | 
 あくる日の朝、アレックスとクリスに別れを告げる。
 この日2人はバスと電車を乗りつないで東京へ行く。本来ならもう1日早く能生を出る予定だったのだが、昨晩のパーティーの為1日ずらしたのだ。
 アレックス夫妻とも以前から面識はあったがここまで深く話をしたことがなかった。帰ってからまた新たな関係となっていくだろう。
 残りのメンバーは山へ上がる。今日はイベント最終日だ。



 山は大荒れだった。強風が吹き荒れる中、セッションは始まった。
 リフトに乗っている間にも風はどんどん強まり、僕らが山頂に着くとリフトは止った。
 ヘイリーは山頂に立ち、買ったばかりの風速計付き腕時計を試して言った。
「オイ、130キロだぞ。すごいなあ」
 ヤツはこの状況を明らかに楽しんでいた。
 僕らは自然相手の職業だ。自然を相手にグチを言っても始まらない事は百も承知である。なればこそ、あるがままに受け入れるだけだ。
 この一本だけで全員の点数をつけなければいけないのはツライが、みんな同じ条件なので仕方がない。
 尾根に沿ってトラバース気味に滑り、コースの一番はずれに向かう。
 そこには夏道があり、シーズン終りには残雪の春山ハイクが楽しめる。コースは山腹にある池まで続いている。途中ワサビが自生しているし、フキノトウやコゴミなどはいたるところにある。
 3年前の5月に一人でここを歩いた。雪に覆われた池のはずれに立ちサンショウウオを眺めた。自分1人の時間と空間を独占して、日本にも良い所はあるじゃないか、と思った。
 今はそこに道があることなど教えてもらわなければ分らないくらい雪が厚く覆っている。
 歩くとなると道を行くのが一番楽なのだが、スキーだと何処を行ってもよい。山の斜面を自分の思うように使う、ということはとても楽しいものであり、地形が複雑になればなるほど楽しさは増す。
 今はどこのスキー場でも、まったいらな一枚バーンを夏の間に作っている。僕はそういうのは嫌いだ。そういう所を綺麗に滑ることができないというのもあるが、 それより山あり谷あり沢あり滝あり林あり雪庇ありガケありの方が楽しいからだ。



 セッション1本目を終え、組み変えをして2本目に出ようとした時、風と雨は強まり、それまで動いていた短いリフトまで止ってしまった。他のグループはハイクアップでジャンプ台の方へ向かった。滑れない物は仕方がない、ジャンプなどで点数をつけるつもりだろう。
 僕は正直な話、ジャンプは得意ではない。僕のグループになった人はあきらめてつきあってもらおう。
「さあさあ、みんな登るよ。あっちのグループはジャンプだけど、うちらはこっち。リフト一本分歩くよ」
 僕は止っているリフトを指差して明るく言った。みんなは仕方がないな、という顔をして板を担ぎ始めた。さすがこのイベントに出ようという人が揃っているだけあってハイクアップもなれたものだ。スキーなどで自分の足で歩いて登る事をハイクアップと言う。
 クラブフィールドではハイクアップは当たり前にある。歩いて登るという基本を誰もが忘れていない。パウダーがあってリフトが何らかの理由で止ると、人々は先を争って歩き始める。歩くのがイヤな人は他人が楽しそうに滑るのを指をくわえて眺めるだけだ。
 ブロークンリバーのロゴはブロークンリバーと大文字の下に、スキー、スノーボード、ハイクとある。
 テンプルベイスンというクラブスキー場などは駐車場からスキー場まで歩いて1時間以上かかる。スキー場に着いて滑り始めても、下のロープトー終点から次のロープトーまで歩いて10分以上かかる。僕は今まで行ったスキー場で、ここまでアクセスの悪いスキー場を知らない。まあそれがテンプルベイスンの良さでもあるのだが。
 日本のスキー場でハイクアップは、忌み嫌われるものであり、バカバカしいものであり、考えられないものであり、物好きなヤツがやるものなのだ。
 そんなハイクアップを風と雨にうたれながらする。こんな時グループの中にネガティブな考えがあるとそれは人に移る。バカな話をして場を盛り上げるのもガイドの役目だ。様子を見ていたJCもハイクアップに付き合ってくれた。
 幸いグループからは文句も出ず、僕らは何とかリフトの上に着いた。この時点で僕は全員のパッション、情熱に満点をつけるつもりでいた。こんなひどい状態で頑張って登ったのだ。情熱が無かったらさっさと帰ってることだろう。



 今回も又1本で採点をしなくてはならない。滑る方も見る方も1本限りだと思うと気が引き締まる。
 みんなの滑りを見る為に先に下りて採点の準備をしようとした時、強い風が僕を襲い採点用紙を奪ってしまった。幸い紙は10mほどの所に落ちて止った。急いでそこへ向かうが、紙は僕を弄ぶかのようにヒラリヒラリと風に舞う。こんなことをしていてみんなが滑ってきたらどんな言い訳をすればいいのだ。紙まであと数mという所で僕は紙に跳びついた。紙に指が届く直前、ひときわ強い風が吹き採点用紙ははるか彼方へ飛んでしまった。
 思いつく限りの悪態を吐き、己のバカさかげんを呪ったがどうなるわけでもない。財布でもあれば中にはレシートだの名刺だの何かしら書く物があるが、その財布は下に置いてきてしまった。手に書こうとしたが雨で濡れてうまく書けない。万事休すという時にJCが下りてきた。
「JC!何か書く物持ってる?採点用紙が飛ばされちゃった」
「おう、これを使いなよ」
 ヤツはポケットから耐水のノートを出した。ありがたい、地獄で仏とはこのことだ。
 無事採点も済み、下に向かう時に風はおさまった。
 僕らが苦労をして登ったところを人々が楽々とリフトで上がってきた。
「人生なんてこんなものだよね」
 僕はのんびりと滑りながらグループのみんなに言った。
 セッションが終り、点数を集計する時にブラウニーが言った。
「オレのグループは全員パッションは満点だぜ。だってこんなひどい天気の中で楽しくオレと滑ってくれたんだもの」
「あたしだってそうよ」
ヘザーが言い、ヘイリーが黙って頷いた。
「みんなそれでいいじゃないか。あとはハヤピ達が上手くやってくれるよ」



 午後は講演会ということで多くの人の前で話さなくてはならない。少人数のグループの前で話すのは慣れているが、大きなグループはやりにくい。僕は多少あがってしまい、言いたいことの半分も喋れなかった。
 ブラウニーがスキークラブの歴史、現在の状況、そしてこれからの課題や目標のようなことを話しタイが訳す。タイもイベント期間中に訳して話す機会が多く、はっきり成長したのが見える。将来が楽しみだ。
 僕の目から見たものと他人から見たものは違って当たり前なので、クラブフィールドに行った事のある人に次々に喋ってもらった。
 友達のキョーコは名古屋から来てくれた。数年前、僕とJCがガイドになりクラブフィールドへ連れて行った。ロープトーに乗るのに苦労してブロークンリバーの山頂へたどりつくまで3日かかった。彼女の名誉の為に言うがスノーボーダーにとってロープトーは非常に大変なのだ。彼女が特別ヘタクソなわけではない。
「滑りたかったら頑張って登って来い」
 冷たく突き放し、彼女が必死で練習している横で、僕とJCはパウダーをくいまくっていた。ひどいヤツらだ。頑張った甲斐あって山頂までたどりつき、裏の景色を見た感動は彼女にしか分らないものだ。
 小学校の先生をやっているだけあって、人前でしゃべるのがウマイ。誰にでも一つくらいは取り得があるものだ、と本人が聞いたら怒るような感心をした。
 講演が終り、表彰式である。
 スキー板、スキーグローブ、手づくりの帽子、日本酒、味噌、ジュース、各種食べ物、商品券、ステッカーなどなど、参加者全員になにかしらの物が行き渡る。僕が欲しいな、と思うような物もいくつもあった。
 そして1週間にわたる長いイベントが終わった。



 イベントの打ち上げは山茶庵だ。打ち上げと言ってもバカ騒ぎをするわけではない。イベント関係者全員で『やれやれ、お疲れ様』という感じでサケを飲みメシを食うのだ。
 明日になれば、自分の仕事に戻る者、旅を続ける者、とチームはバラバラになる。一つの事を成し遂げた充実感がその場を満たす。気持ちの良い晩だ。
 誰もが穏かな表情でマアマアドモドモ、と能生谷最後の夜は更けていった。


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