2021年1月3日大阪東教会主日礼拝説教「主が心を開かれる」吉浦玲子
【聖書】
わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
【説教】
<一人の救い>
2021年最初の御言葉はパウロたちがフィリピで宣教をした場面から読んでいきたいと思います。新約聖書の中に「フィリピの信徒への手紙」というパウロの書簡が残されていますが、この書簡は喜びの手紙と呼ばれます。実際、フィリピの人々とパウロとの主にある愛の交わりを感じさせる喜びに満ちたものです。パウロの残した手紙は、手紙によっては、パウロが手紙の宛先である教会に対して、叱責したり、指導するような内容になっているものもあります。コリントの信徒の手紙などは特にそうです。パウロが去ったあと、教会が変な教えに従ったり、教会に問題や分裂が起こったりしたため、それに対して、パウロが手紙を通して指導しているのです。それに対して、フィリピの教会は離れていてもパウロを親身になって助け、パウロも感謝と喜びを手紙に記しています。愛にあふれる共同体がフィリピの教会にはあったのです。そのフィリピでの宣教の始まりも祝福に満ちたものでした。短い聖書箇所ですが、パウロが初めてヨーロッパに足を踏み入れ、その最初の宣教地で祝福されたことを味わえるのは年の初めに神から賜る言葉として、ことに幸いなものといえます。
さて、それまで挫折の連続だった宣教旅行でしたが、神に導かれて、マケドニア州にパウロたちは渡りました。神の新しい壮大な計画が始まりまったのです。しかし、まずここで語られているのは一人の女性の回心です。ペンテコステの日、ペトロの説教で3000人もの人々が回心をして信仰に入りました。しかし、ここで語られているのは一人の婦人、そしてその家族が洗礼を受けたということだけです。急成長していた初期の教会の状況に比べるとこじんまりとした成果であるともいます。
その宣教の様子はどうであったでしょうか。そもそも、パウロたちの宣教は、ユダヤ人たちの集会所、ユダヤ教のシナゴークを拠点にして行われました。安息日にシナゴークで聖書が読まれる時、巡回伝道者として語る機会を得て、宣教活動をしました。しかし、このフィリピにはそのようなユダヤ人の集会所はなかったようです。つまりフィリピにはユダヤ人がかなり少なかったということです。フィリピは「ローマの植民都市」とありますから、ローマの退役軍人などが多く住んでいたようです。フィリピはギリシャでしたが、ローマ帝国、特にその中心であるローマとの結びつきが強い町であったといえます。つまりフィリピは、これからのヨーロッパ伝道を行っていくための、たしかな足掛かりとなる町であったといえます。
まさにその町の祈りの場所に、リディアはいました。「神をあがめるリディア」と書かれていることから、この女性は、ユダヤ人ではなく、ユダヤ教に改宗した異邦人であったと思われます。そしてまた紫布を商う人であったと書かれています。紫布は高級な布ですから、紫布を自ら商いをしていたリディアはかなり裕福な女性であったと考えられます。ちなみにリディアとは「リディアの女性」という意味です。彼女はリディアというところの女性だったのです。彼女たちは祈りの場所として川岸にいました。おそらく祈りの前に身を清めるために便利な川の側が祈りの場所となっていたのでしょう。リディアの商いはティアティラ市の方でなされていたと考えられ、おそらく彼女は、毎週、フィリピに来ていたわけではないと思われます。パウロたちがこの町に滞在したのは数日なので、この日でなければパウロたちとリディアは出会うことがなかったかもしれません。次の安息日であったならリディアはこの川岸に来ていなかったかもしれないのです。
そのようなきわどいタイミングでの出会いを神は備えてくださいます。私自身、人との出会いややりとりのなかで、あの日の出会いがなければ今の関係はないということや、あの時かわした一言がなかったらならばそれっきりになっていたということが多くあります。もちろん求めても願っても与えられない関係もあれば、偶然ともいえるようなことによって出合いや関係が与えられるときもあります。しかし、実際のところは偶然というものありません。出会い、関係はすべて神によって備えられたものです。別れもそうです。リディアとの出会いも、パウロたちにとって、まさに神が備えられた出会いでした。
リディアは家族ともども洗礼を受け、自宅にパウロたちを招きました。今日の聖書箇所につづく後の部分を読みますと、この後、逮捕されたパウロが釈放後、リディアの家に寄っていることが分かります。40節に「兄弟たちに会い、彼らを励まし」とありますから、リディアの家がこの地域のキリスト者の中心となっていたことが分かります。そして、のちのフィリピの信徒への手紙の宛先となったフィリピの教会の母体となったと考えられます。その教会の創設にリディアは中心的役割を担ったと考えられます。パウロたちが出会ったのは一人の女性でしたが、彼女の回心によって、これからののちのヨーロッパ伝道の拠点となる教会が立ち上がったのです。そしてまた、第二回目の宣教旅行では、これまで度重なる挫折を経験していたパウロが、ここでようやく慰めを得、またこれからの伝道においても支えとなる共同体を神はパウロに与えられたのです。
<主が心を開かれる>
さて、そのリディアは「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」とあります。彼女は神をあがめる女性でしたから、そもそも神について語られる言葉は普段から熱心に聞いていたと思います。安息日にわざわざ川岸にやって来る女性です。もともと熱心だったのです。しかし、その彼女の心を神が開かれました。ユダヤ教を信じていた彼女にとって、キリストが来るべきメシアであること、そして十字架の後に復活したことを信じるということは、けっしてハードルの低いことではなかったと思います。まさにかつての熱烈なファリサイ派であったパウロのように、むしろこの教えは神を冒涜していると考えてしまう可能性もあるわけです。実際、パウロのこれまでの宣教旅行でも、多くのユダヤ人たちからそのように福音を受け取られて、迫害を受けて来たのです。
パウロ自身は回心の前は熱心に律法を守っていたのです。しかし、人間の熱心や真面目さによって神の真理が聞かれるのではないのです。パウロ自身ダマスコ途上で復活のキリストと出会ったゆえに心が開かれました。神の方から来てくださるのです。そして神が心を開かれるのです。
神が心を開かれたとき、神の言葉がはじめて神の言葉としてその人に響いて来るのです。神の愛と真理の言葉が、まさに血肉となってその人の内側に命を与えるのです。知的理解を求めたり、お勉強のように聞く姿勢では、福音はその人の心には届きません。知識は増えても命の言葉とはなりません。あるいは心情的な共感やひとときの安らぎを求めて聞くとき、そこにはまことの慰めや救いはありません。
自分の知識や熱心さを放棄した時、神の言葉は神の言葉として私たちに響いてきます。音楽を聞くとき、ここのソナタ形式がどうのとか、歌い手の唱法や声量がどうのといったことを考えていたら、音楽のほんとうの豊かさを感じられないように、私たちは子供のように福音を聞くのです。そのとき神は心を開いてくださいます。もちろん神は私たちがお勉強のつもりで言葉を聞いていたとしても、時によって、強引に心を開かれる時もあります。パウロがダマスコ途上で地面にたたきつけられたように、いきなり、自分の熱心や真面目さを放棄せざるを得ない状況に神がなさることもあります。そのとき、私たちは余裕を持って神の言葉を聞くことはできなくなります。知的理解や表面的な慰めを求めることはできなくなります。ただ神の言葉が迫ってくるのです。神の言葉に迫られた時、変わらざるを得なくなるのです。変わらない人は、神の言葉に迫られていないのです。神の言葉に迫られた時、ちっぽけな自分のやり方や考えや知識など、吹き飛ばされてしまうのです。2021年、もっともっと神の言葉に迫られる体験をしていただきたい。自分のやり方自分の考え、自分の知識を手放し、子供のように素直に御言葉を聞いていただきたいのです。そのとき、今まで聞こえなかった福音が、命の言葉の響きが聞こえてきます。神の細い声が聞こえてくるのです。ぜひこの一年その言葉を聞いていただきたい。子供のように聞き続けていただきたい。
<招く人になる>
さて、リディアは、パウロたちを自分の家に招きました。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」と言って、「無理に承知させた」とあります。無理に承知させたというのは面白い表現です。紫布の商人としてばりばり働いていたリディアは強引なところのある性格だったのでしょうか?世話好きであれこれひとにやってあげたい女性なのでしょうか。そうではないでしょう。ここはむしろ、リディア自身が、信仰的に神の召しを感じてパウロたちを招いたのだと考えられます。先ほどリディアは裕福な女性であったと考えられるといいましたが、彼女は大きな家も構えていたと考えられます。ユダヤ教に改宗していた女性でしたから、ユダヤ人の生活様式も良く知っていたでしょう。最初に言いましたように、こののち、リディアの家はフィリピ伝道の拠点となっていくのです。文化的にヨーロッパ人もユダヤ人も集まりやすい環境を彼女は提供できる女性だったのです。そしてそのような環境を提供することが自分の使命だとリディアは神によって目覚めさせられたのです。
福音を聞いて、罪の救いを与えられ、そして新たな使命を彼女は与えられ、それをすぐさま実行したのです。かつてペトロが主イエスに「人間を獲る漁師としよう」と言われ、すぐに舟を置いて主イエスに従ったように、徴税人であったマタイが、主イエスに召されて、すぐさま徴税所から立ち上がったように、リディアもまた新しい歩みに向けて立ち上がったのです。これは信仰者はストイックに自分のこれまでの生活を捨てなさいということではないのです。祝福を受けた者は、おのずと他者へ祝福を与える者とされるということです。自分が受けたことを隣人へ捧げるのです。それは義務であるとか、そうしたら天国に入れるということではないのです。 私たちはただ福音を信じた時に、御国の子とされています。心素直に福音を聞き、その喜びのうちに、隣人を招く人とされます。新しい使命に生きます。
2021年が始まりました。今年も試練があるかもしれません。今現在、試練の中にある方々もおられます。しかしなお、それぞれの場で、神は必ず祝福を与えてくださいます。祝福を受けた私たちは、それぞれに隣人を招く人とされます。病の中にある方、ご高齢の方、たいへんな重荷を負っておられる方、それぞれの状況があると思います。しかしなお、それぞれの状況に応じて、神は一人一人を一人一人異なった形で、人を招く者としてくださいます。祝福の源としてくださいます。祝福を受けた者として私たちは2021年の一歩を踏み出します。
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