2021年9月月12日日大阪東教会主日礼拝説教「正しいことのために苦しむとは」吉浦玲子
<義のために苦しむ>
ずいぶん前ですが、広島のイエスズ会聖ヨハネ修道院というところにいったことがあります。新幹線の広島駅から乗り換えて、それほど遠くはなかったと思いますが、初めて行ったので、行くのは少々ややこしかった記憶があります。広島市内ですが、郊外の、自然が豊かにある地域に修道院は建っていました。まだ牧師への献身を志すずっと前で、いろいろ思うところがあって、一人でいって、一泊して黙想をしました。その修道院は純和風の建物で、ミサを行う聖堂は畳敷きでした。一見、修道院と教会とはいうようには見えません。むしろお寺のようでした。その修道院は、広島に原爆が投下された時、被害を受けましたが、倒壊は免れ、幸い、当時いた修道院のメンバーにも重傷者はいなかったそうです。そして続々と助けを求めてやってくる被災者を修道院内に受け入れ、救援活動を行ったそうです。その時の修道院長は医師の資格を持つ人であったので、積極的に重傷者の治療も行ったそうです。当時、イギリスやアメリカといった敵国出身の司祭やブラザーは別の場所に拘留されていて、修道院に残っていたのは当時でいうところの枢軸国側のメンバーだったそうです。それでも、ドイツ人の司祭が、パラシュートで降り立ったアメリカの軍人と勘違いされて暴行を受けそうになったりといった不穏な状況はあったそうです。そのような過去についてはその修道院を訪問した時は知らなかったのですが、その修道院の敷地内を散策していて印象に残ったことがありました。敷地内に、小さな墓地がありました。そこに並んでいる墓標を見ますと、いろいろな国の方の名前が書かれていました。司祭やブラザーとしてこの地にやって来て、広島の地で人生を終えられた方々だと思います。はっきりと国名は覚えていませんが、たしかヨーロッパはもちろん、南米などの地名もあったかと思います。遠いところから来られて、日本で天に召されたんだなあと思いました。まさに日本の地に骨を埋められたのです。生まれ育った国を離れて、遠い遠い島国に来て、現代よりももっと文化は異なっていたであろう地で一生を終えられたことを思うと深い感慨がありました。その時私はまだ洗礼を受けて、二年目くらいでしたけど、ごくごく単純にすごいなあと思ったのです。そもそも私が、クリスチャンホームの出身でもなかったのに、教会に行くようになって、すんなりとキリスト教を受け入れた背景には、出身地の長崎でキリスト教の雰囲気に親しんでいたということも要因としてあります。道を歩くとシスターさんとすれ違うような土地柄で、さらに少し郡部に行けば隠れキリシタンが当時もいたようなところでしたので、キリスト教に対して特に嫌な思いを持っていなかったのです。いやな思いを持っていなかったというより、遠い国から命をかけて伝道に来たり、迫害されても隠れキリシタンとして生きていた人々がいるということを肌身で感じ、ごく単純な意味で、それほど命をかけて熱心に信じていた人々がいたのだから、漠然とキリスト教って良いものだろう、信頼できるものだろうと考えていたと言えます。
善を行って苦しむこと、これはペトロの手紙の中で繰り返し語られています。「義のために苦しみを受けるものであれば、幸いです」そうペトロは語ります。原爆の被爆者を助けているのに、暴行を受けそうになったドイツ人司祭もそうですが、義をなしても、報われるとは限りません。むしろ、逆の場合も多々あります。まわりの雰囲気に同調して、場合によっては悪を行なったり、悪を見逃す方が、かえって苦しまない、そういうことがこの世には多いでしょう。
一人一人のこの世の人生を考えるなら、善のため、つまり神の義のため、神に忠実に生きるということは、ある意味、ナンセンスなことかもしれません。しかし、ペトロは語ります。「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。」善を行って苦しむ苦しみは、人を救いへと導くからです。善を行うのは自分が救われるためではありません。救いの条件として善行があるわけではありません。私たちはすでに救われているからです。善を行うことは誰かの救いのためなのです。広島の修道院では、被爆前の長年に渡る宣教活動よりも、被爆者を救援した半年余りのほうが、地域の人々にキリスト教が受け入れらる結果となったと言われます。もとより、キリスト教の宣伝のために、救援活動をしていたわけではなく、行きどころのない被災者が次から次に押し寄せて来たので、それに対して修道院側は精いっぱいに対応しただけなのです。被災者に対して、助ける代わりにキリストを信じろと説いたりも、もちろんしなかったでしょう。そういう姿を被災者を始め、地元の人々は見ていたのです。それが自然に「キリストに結ばれたあなたがたの善い生活」を示すことになったのです。
<キリストの苦しみ>
さらにペトロはキリストの受難を語ります。「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。」キリストは十字架において、父なる神の裁き、神の怒りをお受けになりました。キリストは、残虐な刑としての十字架刑の肉体の苦しみのみならず、神の怒りを受けるという、それまでの人間がだれも経験したことのない苦しみをお受けになりました。「罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。」正しくない者とは、主イエスを十字架にかけた当時の人々だけでなく、人間すべてです。私たちです。私たちのために正しいお方であるキリストが苦しまれました。「あなたがたを神のもとへ導くためです」そうペトロは語ります。たしかに私たちはキリストの苦しみのゆえに神のもとへ導かれました。罪人であったにもかかわらず、キリストを信じるゆえに神の子とされました。神と共に歩む者とされました。キリストの苦しみは、私たちの救いの源となったのです。
19節以降、少し不思議なことが語られています。「そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。」ここはさまざまに解釈されるところです。キリストは肉体において死なれ、陰府に降られた。使徒信条に「死にて葬られ陰府にくだり」とある通りです。この陰府の解釈も様々あるのですが、死者の、一時待機所という解釈が考えられます。最終的な終わりの日の裁きののち、天の国に行く者、地獄へ行く者となるのですが、その前の段階の場所ではないかと言われます。ここでペトロが語っているのはノアの時代に箱舟に乗らず洪水で滅びてしまった人々のいる陰府のことではないかと言われます。そしてその陰府に捕らえられている霊に向かってキリストは宣教をなさったというのです。この部分をもって、ある人々は、ノアの時代の洪水で死んだ人々のところにもキリストが行かれるのだから、地上で生きている間、イエス・キリストを信じなかった人々のところへも死後、キリストが行ってくださり、救ってくださると考える人々もいます。いやいや、それはないだろう。もしそうであれば、この世でキリストを信じなくても、死んだ後、陰府で信じれば救われる、などと考える人が出てくるだろうと反対をする人もいます。いろいろな神学的な意見があり、私自身はどちらとも判断できかねます。ただ、言えますことは、死後について、聖書ははっきりと語ってはいない。この世でキリストを信じなかった人々、その中でも、その人生においてまったくイエス・キリストについて聞くことなく死んだ人々もあれば、聞きながら信じなかった人々もあるでしょう。それらの方々が、みな地獄行きであるかというとそれは明確に語られていませんし、逆に、この世で信じなくても、死後、回心のチャンスがあるとも明確には言えないと思います。キリストを信じなかった家族や友人たちがどうなるのか、それはある意味、切実な問題です。ただ言えますことは、死後のことを含め、すべては神のご支配のもとにあるということです。キリストは陰府にまで降られた、この地上でご自身は恥ずべき罪人として死なれ、人間として一番下の扱いをお受けになった、さらにもっと下の陰府にまで降られた。本来は、天におられた神である方が下の下まで降られた、つまり、この世界で、キリストのまなざしからこぼれるものは何もないということです。この地上に生きる時もそののちもキリストはおられるということです。ですからすべてをキリストに委ねるのです。この地上でのことも、そののちのこともキリストにお委ねするのです。
<苦しみの実り>
「この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。」そうペトロは続けます。ノアの時代の洪水は、洗礼を象徴するものでした。その水をくぐったノアたちは救われました。今や、復活のキリストを信じる私たちもまた、洗礼という水をくぐって救われました。それは単なる肉体の清めではなく、神の正しい良心を求めることでした。人間の正義ではなく、神の正義を求め、神の義を理解できる良心を求めることです。実際、キリストの復活を信じる者は、箱舟に乗ったノアたちのように救われ、洪水の後、箱舟から降りたノアが神を礼拝したように、神と共に生きる者とされました。
この世において、キリストは三十歳そこそこで無実の罪を着せられて死んだ哀れな男とみなされました。しかし、そのキリストの苦しみによって、私たちは救われました。いまや「キリストは天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。」天から陰府までキリストの支配の及ばないところはありません。ですから私たちは、恐れません。私たちは善い行いのために苦しむかもしれません。しかし、そこにもキリストのご支配は及んでいます。生まれ育った国を離れ、慣れない生活をし時にはあらぬ誤解を受けることがあっても、また、迫害され隠れて生活をしていても、そこにキリストの支配は及んでいるのです。その一人一人の苦しみはけっして無駄なものではないのです。一人一人の労苦の一秒たりともキリストの支配から漏れることはありません。一人一人の涙の一滴もキリストの心に届かぬことはありません。そして何より、キリストがそのご自身の苦しみによって、この世界をご支配されることになったように、多くの人々が救われたように、私たちの苦しみも、誰かの救いのために用いられるのです。名もなく、郊外の修道院でひっそりと人生を終えた修道士の墓碑を見た私が、キリストへの思いを新たにさせられたように、一人一人の苦しみは、神にあって、必ず実を結ぶのです。
ペトロは、そのことを身をもって体験した人物です。十字架刑そのものは、ペトロは逃げていて見なかったようです。しかし、それゆえにいっそうペトロはキリストの苦しみを知っていたともいえます。弟子たちにすら捨てられたキリストの苦しみをペトロは誰よりも知っていたと言えます。しかし、その苦しみは報われたのです。ペトロの手紙Ⅰの第1章で「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」とペトロは語っていました。キリストを直接知らない人々が信仰者として起こされている、その奇跡をペトロは目の当たりにしました。キリストの苦しみの実りをたしかにペトロは見たのです。そしてまた、十字架の時逃げてしまったペトロもキリストの苦しみにあずかる者とされました。尋問され、鞭打たれ、牢に入れられました。しかし、それがただの苦しみで終わらないことをペトロ自身もその人生をもって体験しました。苦しみの実りが美しく実るのを見たのです。私たち一人一人がキリストの喜びの実です。キリストは私たちをご自身の苦しみの実りとして喜んでくださっています。私たちもまたキリストに従い、あらたな実りのために神の前に善を行います。キリストの苦しみに続く時、そこに新たな豊かな実りが起こされるのです。