イカットの島 / バリ島に暮す / 風に吹かれながら

バリ島ウブドの小路は手工芸にあふれています。バリヒンドゥーの信仰に息づく暮らしに触れながら手織りの時を楽しみたい。

小さな手編み 4 肩にかけるグラニーバッグ

2015年05月27日 | 小さな手編み
小旅行用の細々したものを入れる手頃な大きさのバッグが無いので、youtubeで探してみました。
長編みだけでグラニーバッグの形に仕上がり、面白いアイデアです。持ち手のひもを長くして、肩にかけています。
織り用に買っておいた、淡い紫色の麻糸を使いました。
かぎ針は5号。


鎖編み5目で丸くし、長編み4目、鎖編み2目を4回繰り返して、四角にしていきます。
2段目からは4目の両側の角で2目づつ増やしていきます。



角にきたら前段の鎖編みの隙間に長編みを2目と鎖編み2目を編みます。





続けて隙間に長編み2目を編み、直線を編みます。





1辺が26センチ(youtubeでは31センチ)になったら4辺の中心に印しをつけます。角は同じように増して編み、印しの両端4目を空けて長編みをします。今まで編んだ四角が底になります。









少し形になってきました。
底14段、側面9段目です。あと、倍近くの予定です。




youtube 手編みBagで検索
Granny Square Bottom Bag Crochet tutorial




ジャティルウィのライステラスを訪れる 2

2015年05月23日 | BALINESE LIFE
朝の6時15分頃から、日の出が始まるとテラス・スバックのご主人が教えてくれました。朝の時間だけアグン山とバトゥール山が見えます。バトゥール山の左手から上る朝日を見ることが出来ました。



暑くならない前の午前中にトレッキングコースになっているライステラスを歩きました。
チェック小屋からスタートです。



案内板



両側のたんぼは赤米の穂先が垂れていて、
所々に抜かないようにとの注意書き。



神様を祭る石の祭壇とスバックの寺院。







あちらこちらにある牛小屋。



一番短いコースで1時間ほど、ユネスコの石碑が建っている脇道にでました。

道路際には数軒のワルンがあります。ジャティルウィ産のお米が並んでいました。
左から、もち米、黒米、白米、赤米。



泊まった宿の隣が商店でした。オーガニックの白米5キロを二つ買いました。5キロでRP.50.000



赤米茶も。様々な効用があると帰ってから知りました。



調べていくと、バリ島の赤米は日本の縄文時代(色々と説はありますが15000年前~2500年前)に渡来したお米と考えられている熱帯ジャポニカ米の始まりと知りました。その後、弥生時代に温帯ジャポニカ米が中国から伝わり、日本の風土に適したお米に改良されていきました。
柳田国男の説では赤飯の起源は赤米ともあります。稲作以前の野生のイネのほとんどが赤米だったそうです。
バリ島では熱帯ジャポニカ米を途絶えることなく作られてきたことに驚きです。そして、日本のお米の起源だったとしたら、古代のロマンを感じた旅でした。


ジャティルウィ Jatiluwih のライステラスを訪れる

2015年05月22日 | BALINESE LIFE
2012年にユネスコ世界文化遺産に登録された
「バトゥカル山保護区スバックの景観」を代表する
ジャティルウィに1泊の予定で訪れました。
シドゥメンともまた、違うダイナミックな
ライステラスの風景です。

標高700メートルの麓はなだらかに広がり、気温もウブドより低く、陽が落ちると肌寒く感じます。

いつものタクシードライバーのマデさんにお願いして、ウブドを午前中に出発しました。途中、スーパーに寄り
水とパン、クラッカーなどの軽食を調達しました。宿は決めていないので着いてから探しました。
新月の翌日なので、星空が綺麗かなと楽しみです。

バリ島は山からすそ野に広がる地形です。山から流れる川は削られ深くなっています。地上とかなりの高低差があり尾根に沿ってできた道と道を結ぶには橋が必要です。ウブドからジャティルウィの東西を直線に結ぶ道路はなく、シガラジャに抜ける大きな道に出るまで、ジグザグにいくつかの川を渡りました。約90分で着きました。村の入り口で入場料RP.20.000を払い、チケットをもらいます。しばらくして進むと、再度チケットをチェックするセキュリティ小屋がありました。この場所はライステラスの中を散歩するスタート地点でもあります。

村の入り口で入場料を支払う





次のセキュリティ小屋



まずは宿探しです。ホームステイが2軒しかなく、始めに立ち寄ったガラン・カンギン・イン Galng Kangin Inn の部屋が空いていたので決めました。

道路沿いの3部屋とも空いていました。





バルコニーから見えるライステラス



ベッドルーム



シャワー&トイレ





もう1軒のテラス・スバック Teras Subak 。
建物は小綺麗でワルンも併設されていました。
夕食はここで頂きました。気さくなご主人が
ライステラスの地図を、そして奥様が黒米の
デザートをご馳走してくれました。
道路沿いにありますが部屋からのライステラスの眺めは
少し見にくいようです。





ユネスコの世界文化遺産に登録されたと書かれた石碑があり、ナイスビューのポイント。





その脇に散歩道の出入り口があり、チェック小屋のスタート地点と繋がっています。



見晴らしの良いレストラン。
ビリーズ・テラス・カフェ Billy's Terrace Cafe





レストランの先を少し歩くとジャティルウィの集落です。
ウブドでは見かけない色のお寺。



ペンジョールが立てられていました。



自給米の米倉がありました。こちらでは収穫したお米をストックするそうです。ウブド周辺ではお米業者が稲刈りを請け負い買い取ります。農家に自給米はなく、食べるお米は買うと聞きました。




この時期は在来種の赤米が主でした。丈が高いので倒れやすく、収穫量も少なく、収穫日数は長いのですが、吸肥力が強く、病害虫の環境変化に強く育成が容易なことが特徴です。
後半の二期作目は収穫日数が短い、高収量品種を作付けるようです。バリ島のたんぼではバリ州が進める収穫日数が短く、収穫量の多い新品種に変えるところがほとんどのようです。農薬も化学肥料も使わず、牛を引いて田起こしするなど、昔からの手間のかかる農法を続けているのがジャティルウィのたんぼです。

穂先は毛筆のように長くて稲の背丈も高く、ウブド周辺の稲の倍近く150センチほどあります。稲刈り前の黄金色の棚田がひろがります。1月の雨季の田植えから乾季に入っての穂揃期とちょうど良い時でした。6月上旬が稲刈りでしょうか。





水源はバトゥール山の湧水で、井堰で水を止めています。
取水から分水、用水路の整備など各たんぼに必要な
水を公平に分配する水利組合がスバックです。
2011年8月の記録ではグヌンサリ慣習村とジャティルィ慣習村の人口は2674人で8つのバンジャールに7つのスバックがあり、構成員は664名。平均経営面積は1戸あたり50アールだそうです。ここでは土地の所有者ではなく耕作者が構成員となり、他のスバックと違います。

水量が多く必要なのでしょうかコンクリートの
分水堰です。
登熟の期間なのか、水は止めていました。







水の神様 ブタラ・ウィシュヌ、稲の神様 デウィ・スリを祭る寺院が各スバックごとにあります。たんぼには石で造られた祭壇があり、一年を通して様々な祭事があります。




ヒンドゥーの哲学である 「神と人」、「人と人」、
「人と自然」との調和の実現が感じられる風景です。
8~9世紀に形成されたスバックのシステムが
現在に至るまで人々の祈りと知恵と努力で
維持し続けています。

「自然の征服と破壊」、「宗教間の武力による排除」、
「効率優先の進歩」を信じる思想の対極にある精神
とも思えます。
公平と平安な世界を望む、もうひとつのあり方の
モデルではないでしょうか。


参照 
永野由紀子 論文
インドネシア・バリ島の水利組織における
人間と自然の共生システム

HOME STAY Galang Kangin Inn
0811-389-419
道路沿いに3室。
1泊朝食付き RP.250.000

Teras Subak
0812-3702-6333
道路沿いに4室。無料Wi-Fi
1泊朝食付き RP.250.000 (ガイドブック参考)


ニラルタ高僧 DANGHYANG NIRARTA 

2015年05月12日 | BALINESE LIFE
   写真 タマン・プル寺院

イダ・バグースさんがニラルタ高僧のことを色々と調べてくれました。
ニラルタの息子がブラフマナ層の始祖と言われていますが、ジャワ島から渡ってきて、
マス村の村長の娘(4番目の妻)と村長の召使い(5番目の妻)と結婚し、
広く布教を続けたのはニラルタ本人のようです。息子たちが布教を目的に各地に出向き、
または母の地で布教を継ぎ現在に至っていると考えます。

イダ・バグースさんのレポート(2015年5月6日)

ニラルタの家系

ニラルタの祖父 EMPU TANTULAR
ニラルタの父   DANGHYANG (DH) SEMARA NATA (次男)
ニラルタの父の兄弟 DH.KEPAKISAN  DH.SIDHI MANTRA  DH.PENAWASIKA

DH.NIRARUTA は5人の妻と14人の息子をもうけました。
イダ・バグースさんは2番目の妻の4男の子孫で13代目となります。
1. IDA LOR   2. IDA Pdd MAMBAL   3. IDA Pdd SINGARSA   4. IDA Pdd SIDEMEN  
5. IDA MADE PADANG RATA   6. IDA Pdd GEDE NyTALIKUP  7. IDA Pdd GEDE NyPASURUHAN 
8. IDA NYOMAN KOSA  9. IDA MADE MERU  10. IDA MADE OKA MIKA  
11. IDA NYOMAN KARNA   12. IDA MADE MIKA  
13. IDA WAYAN SURATA (イダ・バグースさん) 14. IDA PUJA ASTAWA (イダ・バグースさんの息子)  
15. IDA SURYA BUDI ADANYANA (イダ・バグースさんの孫)


DANGHYANG NIRARTA ダンヒャン ニラルタの足跡 (誕生1460-没1550)

バリには多くの司祭がいます。彼らの始まりがダンヒャン ニラルタです。

ニラルタ師は広く布教を行ったことによってたいへん有名です。
ニラルタ師はヒンズー教に関する書物を多数残しています。
例えば、ダルマのプトス、ダルマのピトトル、ウサマ バリなどです。

ニラルタ師は妻と子供たちと東ジャワのクディリに住んでいました。
クディリの妻とニラルタ師はイダ アユ スワバワとイダ クムヌという子供を得て、
ブラフマナ クムヌと呼ばれる司祭者の基と致しました。

その後、ニラルタ師たちはやはり東ジャワのマジャパイトを経て、パスルーハンへ行きました。
ニラルタ師は、パスルーハンの女性と結婚して、4人の男児、イダ ウェタン、イダ クルアン、
イダ ルルとイダ ロルを儲けました。
パスルーハンの妻からブラフマナ マヌアベという司祭者が始まりました。

更にニラルタ師の家族は、東ジャワのバランバンガンへ行きました。
ニラルタ師は、バランバンガンの女性と結婚し、3人の子供が生まれました。
それぞれイダ イストリ ライ、イダ サクティ ジェラガそしてイダ クニテンと名付けられました。
この妻の子供から、ブラフマナ クニテンが始まりました。

ニラルタ師たちは、西バリのプランチャックへ行き、その後、ガディン ワニ村へ行きました。
ニラルタ師と司祭者たちは、その村で村人の病気を治療し、その後も同じ行いを続けました。

彼らは、マス村につきました。(1496年、36歳)ニラルタ師は、マス村の村長の娘と結婚しました。
そしてこの妻からブラフマナ マスが始まりました。子供たちは、イダ ティンブル、
イダ アランハジェン、イダ パナルカンそしてイダ シガランと呼ばれます。

ニラルタ師は、また村長の召使いと結婚しました。この妻からブラフマナ アリテンが始まりました。
この子供の名前は、イダ パタパンと言います。

ニラルタ師は、再びゲルゲル王の宮殿に行きました。彼は、王のために精神面の先生となりました。

多くの寺院がダンヒャン ニラルタに捧げられました。その中には、
1 ジュンブラナのプランチャック寺院とランブット シビ寺院(西ジャワ)
2 ブレレンのプラキ寺院とポンジョッ バト寺院 (北バリ) 
3 ギャニアール県のエルジュレック寺院  
4 クルンクン県のワトッロトッ寺院  
5 ロンボック島のリンサール寺院、ナルマダ寺院そしてスラナダ寺院

30週間に一度のクニンガンの日には、常に神とダンヒャン ニラルタへの寺院祭儀が行れます。
その寺院はタマン プル寺院と呼ばれ、ギャニアール県のマス村にあります。
この祭儀の間、全ての司祭の家族はこの寺院にお詣します。

 この司祭 ダンヒャン ニラルタ師はバドン県のプチャト村で没した(90歳)と信じられています。

                                          以上

沢山のレポート


ヒンドゥー教を伝えるために各地を歩き、家族単位でその地に留まり、布教の核となって、
ひとつの階層ブラフマーナ BRAHMANA を創りあげました。
布教と共に、医療を施し技術を教え伝えました。仏教が日本に伝来した時のように。
現在に至るまでバリ島の日常は宗教儀式そのものです。生活に深く根差しています。
神々のモチーフ(石彫や木彫)、さまざまな供物や数々の通過儀礼、セレモニー、絵画、宗教舞踊、家屋のつくりにも。
経済面では家内手工業による一大産業です。暮らしのあり方、バリ島の基を築いた人と言えるでしょう。
500年以上経つにもかかわらず、全てのお名前が記録されていることに驚きです。
そして、几帳面な性格のイダ・バグースさんのレポートに感謝いたします。やはり、元校長先生だと思いました。



小さな手編み 3 プチマフラー

2015年05月11日 | 小さな手編み
裂き織りのバスマットをざっくり編んでいた反動で、次は細いかぎ針で編みたくなりました。繊細なプチマフラーにしました。少し長くして、スレンダン(帯)にもしたいです。



出来上がりました。







参照 (ネットで検索)
ハマナカ株式会社 あむゆーずのつくってみよう!
ARMS-301 精巧なまでに美しいプチマフラー