イカットの島 / バリ島に暮す / 風に吹かれながら

バリ島ウブドの小路は手工芸にあふれています。バリヒンドゥーの信仰に息づく暮らしに触れながら手織りの時を楽しみたい。

鴨川和棉農園のワークショップに参加

2014年07月26日 | 織りの旅
 写真  チャルカ(手紡ぎ車) ガンジーの思想の象徴

ジャワ島カラック村の手つむぎ糸に悪戦苦闘した時、インターネットで鴨川和棉農園を知り、いつか訪れたいと願っていました。日程がとれ先日、一日個人ワークショップに参加しました。朝10時ごろから夕方5時過ぎまでたっぷり棉に触れてきました。ほんの一昔前では棉はもっと身近な存在でした。母が家で棉のお布団を手づくりしていたことを思い出します。
日本の棉文化の再生を志し、1986年に棉の生育に良い鴨川市に移り住みはじめたとお聞きしました。
「自分の手で紡ぐ未来 ガンジー自立の思想」の編者である田畑健氏の真の文明を問う実践農場だと思いました。

棉の種です。蒔く前に水に濡らし、灰を混ぜると蒔く時に一粒づつばらけます。
   


棉畑。種まきから2週間ほどの棉の若葉。
摘心。腰くらいの高さまで伸びたら、中心の枝の上を摘む。
   


棉の花。花の後に白い実がつきます。右が日本棉、左がアメリカ棉。大きさが違います。
現在日本の棉の自給率は0パーセントで、驚きの数字です。
  


種付き棉の種を取り除く道具で棉繰り。右のハンドルを回すと、ローラーの圧力で手前に種が落ちます。
(棉繰り後、繊維になると綿/わた)棉の収穫量の内、約7割が種だそうです。
手前が綿繰り、奥は棉打ちの道具で唐弓。強く張った弦を槌(出っ張りのある丸い棒)で響かせます。
弦の振動で綿の繊維が離れて空気を含み、膨らみます。不思議な現象でした。
綿繰り・唐弓は田畑健氏が様々な木を試して、復元されました。
    


糸を紡ぐ原始的な道具で、篠/しの(四角に綿を広げて端から丸めて棒状にしたもの)とコマ。
左手に篠/しの を持ち、右手でコマを回しながら糸を撚っていきます。
   


インド製のチャルカ。かせも作れます。チャルカで糸を紡いでいます。
2本どりで撚りをかける時は逆回転にします。
     
 


「ガンジー自立の思想」    
 編 田畑健      地湧社(1999年初版)
 第3章 チャルカの思想   
体が必要としているものは身体を使って手に入れる必要があります。チャルカによって大地の恵みはより公平に人々に行き渡ります。チャルカは一回転するごとに平和・親善・愛を紡いでいるのです。
輪の中心という「チャクラ」がチャルカの語源です。手紡ぎ車のチャルカがガンジーの中心的な思想です。
田畑氏は著書のまえがきで述べています。
経済的豊かさの追求が、取り返しのつかない自然環境を破壊し、人間的豊かさや伝統、文化を失わせていった。その一方で生活の必需品=衣食住を輸入品に依存している
日本の現実に今日的な提言だと言える。
近代機械文明が始まる約100年前、すでにガンジーは機械文明が人類に及ぼす影響を予知し、
「人類にとって禍根を残すもの」と警鐘を鳴らしました。
昔の何も無い生活に戻るというのではなく、体にとって必要な衣・食・住は自らの手と足を使って得ることは、他者に依存する物が少ないだけ自立につながります。
近代大型機械は時間と効率を優先して大量生産を可能にしました。それは生産物を消費する市場の確保が必要となります。
富みの分配は偏り、原材料を生産している地域や国は飢えていくという仕組みとなります。
ヒンドゥー教の「五戒」として<真理・不殺生/アヒンサー・不盗・純潔・無所有> の戒律に加えて<労働・嗜欲抑制・真勇・宗教の平等・国産品愛用/スワデシー・不可触民制の除去>の十一か条をガンジーは説いています。
富む者は嗜欲により必要でない物を所有します。所有を制限するだけでも飢えた者を養うことが出来ます。
必要でない物の所有は盗みと同じだと。「所有しない」は「盗まない」と同意語だと教えています。
「者」を「国」と置き換えても、現在こそ学ばなければならない教えだと改めて思います。

田畑健氏の思想を受け継ぐ奥様の美智子さん。奇遇なことに私と同じ中学校同窓でした。
凛として素敵な女性です。
 

巡りめぐって余生はヒンドゥー教のバリ島に暮らすことになりました。鴨川で思想の実践をしている暮らしに触れ、改めて学習する機会となりました。
不思議な縁を感じます。





鴨川和棉農園
住所 / 千葉県鴨川市西317-1
電話 / 04-7092-9319  (農作業中のため、12時30分から1時30分、19時から21時がベストです)

ワークショップ開催の詳細はホームページをご覧ください。





動画 カンボジアシルク緯絣。芭蕉の繊維を使っての糸括り

2014年07月09日 | 織りの旅/海外
クメール伝統織物研究所内での作業の様子です。

カンボジアシルク緯絣の緯糸を染める工程です。出来上がりサイズで木枠に平らに糸を張り、モチーフに合わせて芭蕉の繊維を細く使って糸括りをしています。
色ごとに括っては染め、ほどいて括っては染めを繰り返します。


再びカンボジアへ 2  カンボジアシルク絣を訪ねて

2014年07月09日 | 織りの旅/海外
写真   伝統的なカンボジアシルクの緯絣 
   (クメール伝統織物研究所 2階ショップにて)

今回は「シルクウオーム・ブリーデイングセンター」とNGO職業訓練センター「プロルン・クマエ」の織り工房ではなく、カンボジアシルク絣に魅了された森本喜久男さんが主宰する
クメール伝統織物研究所を訪れました。
ポルポト政権時代に途絶えた織物文化の復興、育成活動1995年にブノンペンで始められ、1999年にシェムリアップに活動を移し、2002年からはアンコールワット北の荒れ地を開墾して「伝統の森」再生事業を進められています。桑の木を育て、養蚕、天然染料を作り、染色、糸を紡ぎ、織りまで、生産の工程を全て行っています。
日程が短く、町から離れている「伝統の森」に行くことは出来ず残念でした。

カンボジア特産の繭は黄金色です。
  

糸の準備
  

高機に張っている経糸にオイルを付けています。
   

経糸は単色、緯糸をモチーフ柄で染めていく緯絣です。染めない部分を芭蕉の繊維 (バリ島ではビニール荷物ひもを使用) できつく括り染め分けます。染めた後、乾しています。
 


インドネシアの織物の経絣、緯絣、バリ島のエンディック Endek(インドネシア語でイカット)、経緯絣と同じようカンボジアもインド、中国の影響が強いと言われているそうです。
バリ島ではかつての王国周辺の村に伝承されていますがカンボジアでは内戦が長く親から子へと伝えてきた自然な営みが断絶しました。
研究所では布の生産と消費が遠い距離ではなく、作り手の精神性が届く売り方にもこだわり、直接販売をしています。研究所の姿勢は生活に欠かせない物づくりのあり方の一つであり、
大量生産大量消費の対極でもあるように思います。

伝統の森は現在、23ヘクタール(約7万坪)に広がり、170人を超える人たちが家族で暮らす小さな村が出来上がったそうです。そこで生まれた子どもたちのために学校も建設、自然と暮らす知恵を取り戻しながら。
最近読んだ「ガンジー自立の思想」
チャルカ(手つむぎ車)を自治・自立の象徴としたガンジーは、近代機械文明の正体を見抜き、真の豊かさは自然と人間の共生であることを知っていた。 編者 田畑 健 (地湧社)
思想を実践する伝統の森・再生の村のように思えました。

参考 研究所内で配布されているパンフレット
1. カンボジアの絣
2. 朝日新聞2004.12.8記事 ひと 
「カンボジア伝統の絹織物を復興させた  森本喜久雄さん」
3. 甦るカンボジア  
伝統織物の復興が暮らしと森の再生に至るまで
4. 森本喜久雄氏主宰のクメール織物研究研究所と伝統の森への同伴案内を受けての感想  吉田恒昭 


クメール伝統織物研究所
No.472 Viheachen Village Svaydongkom Commune  Siem Reap
Tel / +855-(0) 63-964437
 



再びカンボジアへ

2014年07月06日 | 暮し
   写真 ロビア村の子供たち

カンボジアのロビア村に再訪しました。
3年ぶりのカンボジアはインフラ整備が進み開発の波が訪れていました。
シェムリアップ近くのロビア村もお米づくりは自給用のみで
町へ賃金労働へ通う人が増えてきたようでした。
お米以外に生産物が無く、村の自立にはまだまだ遠い印象でした。



国道から村に至る幹線道路です。最近、橋がコンクリートになりましたが、
雨季のはじめの雨でも道がぬかるみ、トラックが出られなくなり道がふさがりました。
急遽、村から若者がバイクで来てくれて、車を置いてバイクで往復しました。
 

直播きの田んぼ。あぜも無く、蒔いてから収穫までほとんど手入れをしていないそうです。
 

雨水を溜めておきます。
 

 
ソチアさんの実家近くの井戸。
 

村の共同井戸。上水道は無く、飲水として使用しています。
 

外国支援による雨水浄化の装置。内部のろ過装置。
  
 
村に唯一の精米工場
     

民間企業により電気が普及しました。電気の配電盤。ショートしないか心配です。
   
  
子供たちの遊び場として土地を借りて確保したバレーコート。長縄で遊ぶ子供たち。
  

村に一番近い地元市場。農産物や商品の多くはタイなど周辺国からの輸入品。
   

シェムリアップ市内とオールドマーケット。綺麗に手入れがされたトクトク。
     

トンレサップ湖上の暮らし。多くがベトナムからの滞在者と聞きました。雨季に入り水位が上がるため、ボートで引っ張り移動中。
   






今回は息子二人も同行しました。ロビア村の子供たちと遊ぶ道具は日本で用意せず、
カンボジアで揃えることにしました。
材木屋で木っ端をもらい、紙やすりを買い、子供たちと一緒に積み木を作りました。
5メートルのロープを2本、金物屋で買い、長縄跳びで遊び、ブランコを作りました。
子供たちはあっという間に数十人が集まります。わずかな滞在でしたが、
自然に群れて遊ぶ様子は今の日本では失われた子ども空間だと思えます。