イカットの島 / バリ島に暮す / 風に吹かれながら

バリ島ウブドの小路は手工芸にあふれています。バリヒンドゥーの信仰に息づく暮らしに触れながら手織りの時を楽しみたい。

締機専門の竹川織物 / 絣の道、唐錦の道の謎

2020年02月26日 | 織りの旅
三日目は締機(しめばた)を専門にしている竹川織物を訪ねました。
名瀬の支庁通りに面した大島紬のお店、前田織物にぶらっと入った時に自分がお願いしている工房だと紹介してくれました。あさひ公園の並びにあり、突然伺ったにも関わらず、手を止めてお話しをしてくれました。
機械は特注で作業中の図面を見せてくれました。反物幅の半分の図案を反転したり、連続した柄の繰り返しが反物の長さになること、経糸と緯糸の絣柄を別々に締めていくなどの説明を聞きました。でも、どの様な仕組みで絹糸に綿糸を締めるのか、やはり理解は出来ませんでした。

糊を付けた糸がかかっていました。生産工程は全て分業で、糊付けも専門の人が行います。





大島紬職人さんが発信されているRakuten BLOGを見つけました。締め機の工程が写真で詳しく説明されています。
是非、ご覧ください。
大島紬職人のテゲテゲなSlowーLife 
2007.8.14 記事 
タイトル 大島紬締め機(しめばた)工程とは


絣はインド発祥と云われ、紀元前1Cの石窟に絣を着た人がかかれているそうです。世界で残る経緯絣はインドのパトラ、バリ島のグリンシン、そして日本の3地域のみです。奄美大島まで渡ってきた絣の道に興味がわきました。海伝いなのでしょうか。平城京時代(710ー794)の正倉院献物帳にはすでに「南島から褐色紬が献上された」の記録があり、インド~マレーシア~インドネシア~フィリピン~台湾~琉球~奄美大島~薩摩経由かなとも。
また今回、奄美大島で見たのは紬の織り(平織り)だけでしたが沖縄の読谷村には花織り(綾織り・経浮織り)の技術があります。南方から島伝いならば何故、技術が伝わっていないのか疑問もわきました。早速、奄美市立博物館に行きました。ノロと云われる神女さんの衣装に「紺色唐錦織領巾木綿藍染花織」が使われていて、展示されていました。この織物が琉球なのか奄美大島で織られたものかは分かりませんでしたが。

博物館に展示されていた衣装



中国の魏(220ー280)や呉(222-280)の時代に倭国からの貢ぎ物に班布とあり、既に機織りの技術が存在していました。
大阪の池田市には呉の時代に渡来したと云われている、呉服(くれはとり)、穴織(あやはとり)の織り人を祀る神社がありますし、西陣織は5~6Cに大陸から渡来した秦氏によって養蚕や絹織物の技術が伝えられたとあります。
浮織りの技術は中国経由かなとも想像しました。

3世紀ごろの東アジア












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