イカットの島 / バリ島に暮す / 風に吹かれながら

バリ島ウブドの小路は手工芸にあふれています。バリヒンドゥーの信仰に息づく暮らしに触れながら手織りの時を楽しみたい。

コマンさん 3

2013年05月20日 | 暮し
                    写真 バリ中西部の棚田

          コマンさんの村(Banjar Kangin Desa Tohpati)にはバンジャールが4つとスバックがひとつあるそうです。
          地域共同体のパンジャールは約100世帯で営まれています。まさにゆりかごから墓場まで
、         先進国でいう福祉政策が相互扶助の精神で連綿と続けられていることに驚きます。
          税金という形で集められ各行政区に再配分されるのではない仕組みがバンジャール
          なのではと感心します。
          コマンさんも忙しい仕事の合間に足繁く村に戻りバンジャール (結婚して始めて成員) の青年会の集会に
          でかけていきます。次の世代となる青年同士が集い地域社会のルールを学びあっているように思えます。

          田んぼの水利管理のための水利組合スバックはひとつです。バリ島の川の地形は高低差があるので
          川から水は引けず、上流の湧水から用水が整備されています。その水を公平に
          分配するのがスバックです。
          村の東と西の道をはさんで稲の神デヴィ・スリを祭るお寺があり、水門は東西で切り替えるそうです。
          東の田んぼで水を使う時は西ではピーナッツの栽培、西の田んぼで使う時は東では
          ピーナッツというぐあいです。
          田んぼを持つ人がスバックの成員なので、バンジャールの成員とは一致しないそうです。
          紀元前5世紀ぐらいから稲作や青銅などをもった民族の中国南部から南への移動が
          あったと考えられています。          
          中国南部、ヴェトナム北部が発祥地ともいわれるドンソン文化 (青銅器文化)の影響が
          バリ島にも存在しています。ガムラン楽器の青銅もそうでしょう。ぺジェン村には直径1,5メートル、
          高さ2メートルの青銅製の銅鼓が保存されています。
          このように稲作の歴史はとても長くバリ島の棚田の美しさは人の手が作り上げてきたことを想像すると
          その長い年月に気が遠くなります。
          そして公正に水を分け合ってきた人びとの知恵に学ばされます。自給自足の島、それがバリです。