ねむいねむいねむい

ね、と、む、のなかの丸が
目がくるくるするみたいで面白い
あー
ねむいねむいねむいねむい
大したことしてないけど
トウキョー遠いから連勤疲れてきた
がんばって働きます

自分の中を降りていけば/きちんと修行をすれば、ちょっとした技は使えるようになる。
この世界の薄皮の上に惑わされずに下に中に奥にダイブする覚悟があれば、理解のディメンションは広がり、扱う対象が変わるから。
だけどそれはなんというか副産物だから。そういうことを目的にすると、まあまずもれなく道を見誤る。人間はただでさえ見誤るのが生来だから。
ちょっとしたサイキックが間違わずに成長してゆけるか。どうだろう。策士策に…みたいになりがちだろう。見ているものが薄皮だけだとしたら。
アマゾンの奥地で新しい薬が見つかるようなことがあるように、伝承的なものの中の知恵が再発見されることもある。それが植物だったり石だったり祈りだったり、きっと昔はそのようなものは機能する体系の中で「正しく」(かっこつき)みんなの生存のために使ったのだろう。
それは別に超自然的ではなくて、実はとても自然的なんだと思うんだけど。
人の頭に収まる以上に、世界は魔法的なもので溢れているから。
ものすごく
こうあるべきだったという方に
向かってる感じがする
ずっと長くからまってたものがほどけて
高い空に霧散していく
まだ気がついていないとしても
私たちみんなすぐに
きっといい風に変わっていくと思う