ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

江戸時代/1日何キロ歩くの?

2008年01月18日 15時55分24秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
江戸時代の旅人は、1日に何キロ歩いたのだろう。

私は、最初こんな歌を思い出しました。

『♪お江戸日本橋七つ立ち 初上り アアコリャコリャ 行列揃えて あれわいさのさ こちゃ高輪 夜明けの提灯消す こちゃえ~ こちゃえ~♪』
最初の、疑問は七ツって何時? でした。

きっと暗いうちに出発して、高輪に着いた頃夜が明け、提灯の火を消したのだろうと想像がつきます。

調べているうちにいろんな事がわかって来ました。

まず七ツは明け六ツの2時間前で季節によりますが4時頃を指すようです。

じゃあ明け六ツはと言うと太陽が上がる20分前だそうです。

暮れ六はというと太陽が沈んでから20分後らしいです。

ちょっと脱線しますが、仙台ではこの時刻だけ呼び名が違います。
それは、仙台藩主は代々陸奥の守(むつのかみ)だったので『むつ』という言葉は使われなかったようです。
変わりに、明半時、暮半時と言ったいたそうです。



戻ります。


江戸時代は各所の木戸が閉められ、夜中の往来は制限されていたようです。

それで『寅の刻、七ツ』になると木戸が開けられ通行を許されたようです。

ですから早く出発しても、木戸の前で行列を作り七ツの鐘を待っていたのですね。


「初上り」は京都に向かう事ですね。

今は東京ですが、よくお上りさんしてましたよ。

それでは、1日にどの位歩いたのでしょうか?

松尾芭蕉は岩出山から一関まで1日で歩いたと言う記録があります。現在の距離で58キロです。

今の人は驚きますが、当時は不可能な距離でも無さそうです。確かに芭蕉は健脚ではあったようですが……忍者説もでましたねぇ


それでは、参勤交代はどうだったのでしょう。

仙台藩では、800人~1000人のおともがいたようです。

江戸までの距離は93里 (1里=3.927)約365キロです。

そこを8泊9日で歩いたようです。

つまり1日に歩いた距離は40キロになるわけですね。
(^_^)b


参勤交代には、食料を持って行き、宿泊地(本陣)で自炊したそうです。

面白いのは、お風呂まで持って行ったそうですよ。


ちなみに、秋田の佐竹藩は、約600名のお供で江戸まで2週間かかったそうです。


そこで、経費なのですが、仙台藩ては約5千両と考えられてます。

1石=1両=6.000文として1石は150kg

米10キロを借りに3.000円とすると、1両45.000円

5千両だと2億2千5百万円です。

最近、米が安いので、10キロ4000円で計算すると3億円になります。


仙台藩は62万石でありながら、100万石以上の力を持っていた…と言うか、収益があったようです。

ですから幕府は仙台藩を恐れていました。

そこで、他の藩より多く参勤交代をさせて、お金を遣わせたと聞いたことがあります。


江戸に行く度に3億では、気の毒ですね。



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