もう暗い話はやめようかと思いました毎日続く余震・・・それも半端で無く強い。
閉ざされた足・・・一部復旧した鉄道は再び7日の余震で全面停止となり12日に仙台ー福島のみ運転が再開された。
朝夕の道路は、渋滞が始まった。 震災直後はガソリンが無いため渋滞は無かったが、給油が可能になった今それも無くなった。
今回は、福島県新地町の画像をA氏よりご提供いただきましたので、ご紹介させていただきます。
これから一泊で娘の所に行かなくてい行けないので。
数枚の写真だけ紹介します。悲惨な映像ですが、これが現実であり。 早い復興を祈ります。
また、気づいている方もいると思いますが、googleマップの航空写真は現在の津波の痕の映像に切り替わっています。
この映像の航空写真がご覧になれます。
新地駅
坂元駅
旅館朝日館
ここからは、サムネイルで添付します。クリックで拡大します。
詳しく画像説明が出来ないこと失礼いたします。
早急の復興を願うばかりです。
この電車に乗っていた丹治さんですが、彼は「命からがら・・とはまさしくこの事」と話しております。
警察官二名の判断。またJR運転手、車掌の判断。どれ一つ欠けても乗客の安全は保てなかったと考えております。
地震直後からの車内の様子、また避難状況なんどは、丹治さんから詳細を聞きました。
後ほど、お知らせしたいと考えております。
最初の避難先ですが、ここだけ少し高台になっていた事も助かった要因の一つなのです。これも奇跡です。
すばやい判断が乗客を救ったのですね。
酔漢さんが、丹治さんの無事を願っていた時、新地の地名を聞いただけで、本当にヤバイと思いました。
そして、助かったと聞いてまた、驚いた次第です。
丹治さんもこの映像を見たら複雑な心境でしょうね。
もう少し、写真があるので次回の休みにUPしたいと思います。
自然の脅威 ほんま 恐ろしいっ (>_<)
こういう記録はしっかり残しておくべきですね
そろそろ、震災の記事は次で最後にします。
生々しい映像を拝見するにつけ、また貴記事を拝読するにつけ、落ち着いたら、”備蓄”を適切にやらねばと痛感しました。
頑張って、しっかりとした家を!
今発信しないと、人の興味は離れていきますから。
記録として残しました。
備蓄は必要ですね。
現実とは思いたくないけれど、決して忘れないようにしないといけないですね。
復旧出来るのだろうか?
この電車に乗っていた人は、すぐに避難し全員ぶじでした。
判断のミスは命の分かれ目だったのです。