厩石と義経北行伝説と義経寺/東津軽郡三厩村(現:東津軽郡外ヶ浜町)
(うまやいし)
この話を信じるのか、それとも信じないのか? ミステリー風ww
下記の記事は以前に書いたものですが、これを読めば三厩までの足取りが簡単にわかります。
義経北行の足取りとは?
ちょっと余談ですが・・・義経
手前の道の駅で夜が明けるのを待って朝一番で向かいました。
厚い雲に覆われ太陽は昇り始めました。
興味の無い方は、こんな伝説もあるのだと思っていただければ結構です。
厩石の由来
文治五年(1189)、兄頼朝の計らいで、衣川(平泉)の高館で藤原泰衡に急襲された義経は館に火をかけ自刃した。
これが歴史の通説です。
藤原秀衡の遺書
「危機が見に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし」のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。
近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。
そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるよう一心に祈願した。
丁度満願の暁に、白髪の翁が現れ、”三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい。”と云って消えた。
翌朝巌上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。
それから、この岩を厩石、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになりました。
鏡のように静になったら船でも渡れたと思うのですがね???
岩穴が二つ見えますね。
左:源義経竜神塔 右:静御前竜神塔
義経渡道
津軽半島の北西部の中心にある三厩は、江戸時代、蝦夷地(北海道)の松前藩への渡航基地でありました。
寛文7年(1667)、円空仏で知られる円空がこの地を訪れたとき、海岸の奇岩の上に光るものを見た。その岩は、かつて義経がこの地に逃れ至ったとき、荒れ狂う津軽海峡を前に、観音像をまつり3日3晩の祈願をして竜馬を与えられ渡海できた、と伝えられるところの岩(厩石)で、円空の見た光はその観音像だった。
円空はこのいわれを霊夢で知ると、観音像を刻み、観音堂を建立して祀った。
これが義経寺の始まりです。
十三湖の道の駅にあった説明版です。
以前の記事にもこの地を経由していることを書いてあったと思います。
この辺りのお地蔵さんは、どこも小さな小屋の中に収められていました。
写真は沢山のお地蔵さんが居ますので、建物も大きいです。
きっと、吹雪に耐えるお地蔵さんを地元の人は可哀想に思ったのでしょう。
やさしさを感じました。
(うまやいし)
この話を信じるのか、それとも信じないのか? ミステリー風ww
下記の記事は以前に書いたものですが、これを読めば三厩までの足取りが簡単にわかります。
義経北行の足取りとは?
ちょっと余談ですが・・・義経
手前の道の駅で夜が明けるのを待って朝一番で向かいました。
厚い雲に覆われ太陽は昇り始めました。
興味の無い方は、こんな伝説もあるのだと思っていただければ結構です。
厩石の由来
文治五年(1189)、兄頼朝の計らいで、衣川(平泉)の高館で藤原泰衡に急襲された義経は館に火をかけ自刃した。
これが歴史の通説です。
藤原秀衡の遺書
「危機が見に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし」のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。
近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。
そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるよう一心に祈願した。
丁度満願の暁に、白髪の翁が現れ、”三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい。”と云って消えた。
翌朝巌上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。
それから、この岩を厩石、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになりました。
鏡のように静になったら船でも渡れたと思うのですがね???
岩穴が二つ見えますね。
左:源義経竜神塔 右:静御前竜神塔
義経渡道
津軽半島の北西部の中心にある三厩は、江戸時代、蝦夷地(北海道)の松前藩への渡航基地でありました。
寛文7年(1667)、円空仏で知られる円空がこの地を訪れたとき、海岸の奇岩の上に光るものを見た。その岩は、かつて義経がこの地に逃れ至ったとき、荒れ狂う津軽海峡を前に、観音像をまつり3日3晩の祈願をして竜馬を与えられ渡海できた、と伝えられるところの岩(厩石)で、円空の見た光はその観音像だった。
円空はこのいわれを霊夢で知ると、観音像を刻み、観音堂を建立して祀った。
これが義経寺の始まりです。
十三湖の道の駅にあった説明版です。
以前の記事にもこの地を経由していることを書いてあったと思います。
この辺りのお地蔵さんは、どこも小さな小屋の中に収められていました。
写真は沢山のお地蔵さんが居ますので、建物も大きいです。
きっと、吹雪に耐えるお地蔵さんを地元の人は可哀想に思ったのでしょう。
やさしさを感じました。
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こちらにも義経伝説が有り、旗山の頂上に騎馬像が建っています。
騎馬像としては日本で一番の高さだそうです。バイパスから良く見えて、時々、取材で放映されてます。
伊丹監督の「あげまん」の始まりに歌われている「せきぞろ」と言う曲に義経と静御前の徳島でのハネムーンの様子が歌いこまれて居ます (*^。^*)
「あげまん」は見ましたが気づきませんでした。義経はどこにでもいるのでやっかいです。
北海道のアイヌにはいろいろと伝説が残っているようです。
不思議な人物ですね。
色んな説があるのですね。日本史に疎い私は知らない事ばかり。^^;
最後のお地蔵さんの小屋、仰る通り優しさが溢れていて良いですね。
恰も 永井路子「北条政子」を読み始めましたヨ
時代とともに
ドラマチックに語られたのでしょ~か? (^_-)~☆
この地にも来たかもしれません。
蝦夷地に渡る場所ということから、やはり、彼の地へ渡った可能性がありますね。
立派な地蔵堂です。
あそこは、北山崎と言うリアス式海岸を眺める事が出来る素晴らしい景色があります。
松茸の宝庫でもあり、深い渓谷には、橋がかけられ、三陸鉄道の駅には、宮沢賢治に因む駅名が付けられています。
ちょっと内陸に入ると龍泉洞という鍾乳洞があり、今度行きたいと思っています。
とてもいいとこですよ、私は何度も行きましたので、今度はカミさん連れて行きたいと思っています。
龍馬は嘘でしょうけど風が無くべた凪だったら十分舟で渡れます。
モンゴルはわかりませんが、以前記事にした北方アイヌの交易をかんがえると容易に渡れたことでしょう。私の推測ですがね。
北条政子ですか~
私のイメージでは、かなりのやりてですね。その辺の歴史も勉強したいですね。
本当はどんな人物だったのか知りたいところです。
あーさんへのコメントにも書きましたが、それに痕跡があまりにも多いです。
半分を嘘だとしても、有り得る話しです。
兄から攻められ、それだけのことで自刃しないと思います。もうちょっと面白い話しを探しますかね。