☆あまちゃんの毎日ガハハハ日記☆

三男児+夫との生活、代表を務める会http://shirouiryo.com/のこと、自分の日常を綴る日日是好日

続・事故のハナシ

2007-01-24 14:25:37 | GYOGYO
昨日に続きます。

私が小学1年の時に2トントラックにはねられた事故のハナシです。昨日より少し詳しく。はねられた時に私は少し大きめのボールを持っていました。それがクッションになり、何度も大きくバウンドしながら飛ばされたそうです。ボールを持っていなければ間違いなく死んでいたとたくさんの人に言われました。そして頭も強く打ったのですが、ほんの数ミリずれていたら植物状態だったと母は当時の医師に言われたそうです。2日間意識はありませんでした。両親の心配はいかばかりだったか、と親になった今思います。ちなみに、いちお、頭の方は、後遺症はない・・・と思います。(ものすごく忘れっぽいというのはそれかも?)

骨折したのは右足大腿骨ですが、バウンドしたせいでいろんなところを複雑に打ったようで歩けるようにはならない、と医師からは言われたそうです。でも退院し、車椅子で数ヶ月、そして松葉杖で数ヶ月、して歩けるようになりました。車椅子と松葉杖の期間がそれぞれ何ヶ月だったか記憶にないのですが、トータルで半年かかったことは覚えています。

後遺症、というと大げさですが、出産するまでずっと『足が痛くない日』というのはまったくありませんでした。季節の変わり目や雨の前の日は激痛ですが、それ以外の日も痛いのが当たり前、という日々でした。接骨院や整形外科、整体など等関東近郊はあちこち行きました。有名なところにも行って、何時間も待って受診したり、でもそれでもよくはなりませんでした。現在は10年位同じ先生にお世話になっています。その先生が妊娠したとき、『これはチャンスだヨ!』と喜ぶのです。何事かと思うと、いったん出産で全部壊れるからその後しっかり元の位置に戻すことができれば、足の痛みがきっとよくなる、というのです。で、結果ですが、その通りでした!!!なんと今では、足が痛い日、というのは月に何日か数えられる程度にまで減りました。そしてその痛み自体も、今までの激痛とはまったく違うじんわりな痛みです。足の痛みに長いこと悩まされていた私。ヘレヌイ、ありがとうって本当に思いました。

あれれ、まだまだ本題にいってないのですが・・・
どうも、このハナシになると、長くなります。
そうです。そうです。担任の先生と校長先生、同級生のノブくんのハナシ。
なのですが、よく考えたらもう担任の先生のことは1年以上前に既出。あはは。
そして校長先生ですが、この校長先生、何度も何度も何度も病院に訪ねてきてくださったのです。そして担任の先生同様、私を笑わせて帰ってくださいました。よく来てくださる校長先生ね~と看護婦さんにも言われていましたが、明るくていい校長先生でした。

それからこちらが本日の本題!クラスメイトのノブくん。
当時私の通っていた小学校、1年3組の教室は、校庭に室内から出られるようになっていたのですが、その出口から出ると階段を3つ下りなければいけないのです。階段というか石段のような感じで、松葉杖をつき始めた私にとっては、たった3段ですが幅も狭くそこを下りるのが非常に難しかったのを覚えています。
ある日、確か、三者面談か何かで母が学校に来たときのこと。担任の先生が、こうおっしゃったのです。GYOGYOちゃんが校庭へ出るとき、それから教室に戻ってくるとき、必ず後ろから踏み外さないかどうか、ノブくんが見守ってくれていると。それまで自分が踏み外さないようにすることで精一杯で、私はそんなことにちっとも気づきませんでした。でもとても嬉しかったのを覚えています。先生はノブくんには内緒よ、と私と母に言いましたので、私も最後まで気づかぬフリをしていましたが、本当にいつも私が出てからノブくんは校庭に行くし、帰りも私が入ってから教室に入っていました。小学1年生だったことを思うと、休み時間には真っ先に校庭に出たい気持ちもあったろうに、本当に優しい男の子だったなあと思います。1日や2日のことではなく、何ヶ月にもわたってですからね。

ちなみにその後バレンタインがありましたが、私は大ちゃんにチョコをあげました。今思えば、ノブくんにもあげればよかった・・・当時の私はまだまだ見てくれに惹かれる子でした

どこかで会えたらいいなあ。そのときにはちゃんとあの時言えなかったありがとうを言いたいなあと思います。