☆あまちゃんの毎日ガハハハ日記☆

三男児+夫との生活、代表を務める会http://shirouiryo.com/のこと、自分の日常を綴る日日是好日

ひと息。

2007-01-23 00:52:08 | GYOGYO
ここ数日、いや、あらら、気がつけばもう一週間位になりますが、税務処理に明け暮れていました。例年、確定申告の期日ギリギリで重~い腰をあげるワタクシですが、昨年度分あれやこれやと漏れがあり訂正申告をしたらこれまた後々非常に面倒だったもので、18年度分はよいしょと重い腰をちょっぴり早々にあげてみました。
あげたらあげたで、今度は没頭する性分。子の寝てる時間を費やして、費やして、ほぼぱーふぇくと。たぶんたぶん・・・

というわけでひと息。です。

何だかいろいろあった一週間でした。あったかい思いもいっぱいしたり、凹んだり。そんな日々でした。

今日は区の助産師さんがお宅訪問?赤ちゃん訪問かな、で来てくださいました。下の子のお布団が重いこと(気づかなかった~!)や出産時頭がすごく大きかったこと(これまた気づかなかった~)、その他成長のことなど聞けてよかったです。

その後はヘレヌイを歯医者さんに。近所のきーちゃん一家にマタイを預けて行ってきました。ご一家、毎度いろいろ多謝です!
ヘレヌイは初めて一人で椅子に座りました。前は嫌がっていたのですがクリア。それからフッ素を塗っていただいたので、かなり長い時間口をあけるよう言われ、それもクリア。たくさん先生に誉められ、なんだか私まで嬉しくなりました。

マタイが産まれてから、ヘレヌイにとっては今までほとんど経験のなかったママの『ちょっと待ってね』がやたら多くなったと思います。我慢したり、いろいろしんどいところもあると思う。できるだけ今までどおりにしたい、と常々思いつつ、どうしても、授乳に時間をとられ、待ってね、待ってね、となってしまう。でも気持ちは酌んであげたい。姉もいて弟もいる私だから、どっちの気持ちもわかるんだから、尚更。

そんなときにいつも思いだすこと。自分の小1の交通事故のこと。大腿骨が折れ、長い入院生活となった。まあ、2トントラックにぶつかり、100m以上飛ばされたんだ。生きているのが奇跡、という事故だったよう。『絶対に歩けるようにはならない』と言われたのに、サクサク歩いている、走っている。辛抱強くリハビリしてくださった先生方のお陰です。感謝です。季節の変わり目や雨の前の日は足が特に痛むけれど、事故現場の近くに住む今(20年以上離れていて戻ってきました)、ここからここまで飛ばされたと聞くと、本当によく助かったなと思う。オーラ信者(オーラの泉、の番組のことです)の私にとっては、いろんな方が守ってくださったんだな、とホント思います。
じゃなくて!本題からだいぶそれた。その入院中、ダイスキなおばがずっと付き添ってくれました。古い友人たちはみんな知ってるよっちゃん!そのよっちゃんが、はるばる群馬からやってきてくれて、ずっと簡易ベッドに寝泊りし、一日も欠かさず付き添ってくれた。よっちゃんには頭があがらないのです。当時30過ぎのよっちゃん、自分の日々の生活も諸々あっただろうに、簡易ベッドじゃ不満の1つも言いたかっただろうに、なんのグチもこぼさず、付き添ってくれた。ありがとうありがとう。当時付き合っていた彼も、一度群馬からお見舞いに来てくれたっけ。
ってまたまた本題からそれた~!6歳の私、それでも一日でもいいから母が泊まってくれないかなぁと思っていた。言えなかったけどね。まだ3歳の弟がいたから。
よっちゃんは大好きだし。

兄弟のことを考えるとき、そのときのことを思い出す。6歳の私が、あれだけ母と二人でいることを切望した。ほんと一日だけでも泊まってくれたらなあって思ってた。まだヘレヌイは3歳だもん。ちょっと状況は違うけどね。

病院から父母姉弟が帰っていくときだけは、毎晩のようによっちゃんと泣いたよ。
病院の先生方に、抜糸の時すごぉぉく痛くて泣いたっていいんだよ、リハビリの時にも、痛いときは痛いって言ったっていいんだよ、って言われても、絶対泣かなかったし、痛いなんて言わなかったけど。

でもすごいのはやっぱりよっちゃんだよね。毎晩のように泣かれて、それでも励ましていつも笑って付き添ってくれた。その愛情に言葉が出ない。泣けるゼ、よっちゃん。あの時付き合っていた彼と別れてしまった原因が私じゃないといいけど・・・

なんだか随分古い話を長々としました。そんな夜もあるさ~。
ああ、交通事故のハナシ、第二弾がしたいよ。第二弾の登場人物は、担任の先生と校長先生、それから同級生のノブくん、です。明日載せます。よかったらまた寄ってくださいね