おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

コウモリ派?

2006年09月26日 02時07分20秒 | Weblog
コウモリは、鳥の仲間になろうと、鳥の輪に入れば、獣と言われ、

獣の仲間になろうと、獣の輪に入れば、鳥と言われるという。

平和党は、右の人たちには左と言われ、左の人たちには右と言われる。

タカ派でもなくハト派でもないから、コウモリ派にすればいいのだろうが、

鷹さんにも鳩さんにも、オマエは鳥ではないと言われるから、的確な表現ではなかろう。

中道であるということなのかもしれないが、既成政党の中道と言えば公明党と言われているが、かなりしっくりこない。公明党は、時の政権に擦り寄る傾向があり、確たる信念はありそうで実はないからだ。

まず平和党は、軍事の拡大・縮小いずれにも平和の道はなく、全く別の観点から

提案しているから、どちらにも属しない事になっていることが要因と思われる。


いずれにしても、偏りのある思想は、いいことはない。

仏教は中道が調和へ導くとしている。

両端に偏ったものは、破壊・破滅・侵略を行う。

自然界の仕組みもそのとおりになっている。

水素Hも酸素Oも爆発性があり、殺傷能力があるが、中和すれば水H2Oになり、命のめぐみとなる。

ナトリウムNaも塩素Clも人を殺せるが、中和すれば塩NaClになり、命のめぐみとなる。


だが、自分の考えだけが存在すれば良いという、自己中心的になってくると偏りをみせる。

小沢一郎氏の自由党はどんどん人々が離党していき、純粋化されたが窮地に追い込まれ、

結局、民主党に吸収される事でなんとか生き残った。

武村正義氏の新党さきがけは、そのほとんどが民主党にいってしまい、純粋化されたが消滅した。

とくに、思想、宗教、政治というものには、人はとかく、心をゆさぶられ、自分を失う傾向がある。

思想は心を毒し、宗教は偏狭者をつくり、政治に熱中すると目的と手段が不明になり、人びとを不幸にしてしまう。当初は世のため人のためと考えていたのに、いつのまにか思想に固執することが目的化してしまい、独善的に陥るのである。

ことに思想は、宗教、政治を動かすエネルギーとなり、これに心が奪われると正邪の区別すらつかなくなり、諸々の執着をつくり出すことになる。 自分が正しくて相手が間違っているとは誰もが考える事である。次第に盲目になっていくのである。

思想は因習、伝統、民族の体質、その時々の学問などが相互に組み合わされて生まれ、そうしてその時代を動かしてゆく。

宗教や政治はこうした思想を土台として強く動き、その考え方が一致しないと、理想と現実が遊離してしまい、争いの原因をつくっていく。

目的を平和としながら、手段が争いであるケースはいくつでもある。

争いが生まれるのは、相手の気持ちをわかってやらないことにある。

最近の低レベルなる、左右両派の罵り合いについてきわめて残念に思うのである。




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