前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

社会主義と芸術について思うこと

2009-10-28 12:23:51 | クラシック音楽
ちょっと大仰なタイトルですが、
中身は大したことありません。

ハイドン先生を離れて、久々に
ショスタコーヴィチ、プロコフィエフという
ロシア(ソビエト?)の大作曲家の作品を聴いたので。


プロコフィエフは
一度出国し長い間海外で活動した後に、
わざわざ(芸術活動にとっては)不自由なソビエトに
再び戻るという、不可思議な動きをします。

一方ショスタコーヴィチは
ソビエトで活動を続けました。


二人が活動した時代の社会主義体制のソビエトでは
単に表現の自由がないというだけでなく、
党が推し進める方針(「社会主義リアリズム」)
にそぐわない作品を作ることは「死」を意味しました。
(「芸術家としての死」ではなく、
文字通り命を落とすということ)


ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、
当局から批判を受け「収容所送りも覚悟した」
という作曲家が「名誉回復」をかけて
送り出した作品です。

それゆえこの曲には「強制された歓喜」や
作曲者の本意ではない(当局に)迎合した作品、
といった側面も指摘されます。
もっともショスタコーヴィチの作品は全て
多かれ少なかれ、表面と裏面があるようですが・・・。


しかし、その様な背景から生まれた曲ですが、
結果として多くの人々に愛される曲となりました。
間違いなく、20世紀に作られた交響曲の中で
最も演奏されている作品だと思います。


「自由」(あるいは「不自由」)というものが
芸術に与える影響について
考えさせられてしまいます。


長くなりそうなので続きはまた後日。