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前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ミヨーの音楽は"妙"だ

2011-02-02 21:55:31 | クラシック音楽
引き続きミヨーのCDを聴いています。

かなり強烈で妙ですね。


例えば
バレエ音楽「屋根の上の牡牛」。

バレエ音楽ですから他の絶対音楽とはもともと違いますが、
真っ先に頭に浮かんだのが、"サーカス"や"ちんどん屋"という単語です。
バカ騒ぎとちょっと悲しげな旋律が繰り返される感じ・・・。

あと、チャップリンの映画『モダン・タイムス』に出てくる曲を思い出しました。
レストランで即興の歌詞で歌う、ブンチャ、ブンチャっていうリズムの。

ネットでこの曲を調べていたらなんと、
最初はチャップリンの無声映画のために作られたとか・・・。
う~ん、納得。


繰り返し出てくる旋律は12の調性に移調されているらしいです。
その辺りも「妙な感じ」の原因でしょうか。


それから
打楽器と小管弦楽のための協奏曲(作品109)。

音楽史上初の音階を有しない楽器を中心とした協奏曲、だそうですが、
曲の冒頭、弦楽器を中心に奏でられる歯切れの良い旋律が
これまたなんとも「妙」です。

一度聴いたら忘れられない音楽です。


ヴィオラ協奏曲(っていうのも凄いけどね)も、
ちょっとストラヴィンスキーの新古典風だったり、
どの曲も個性的で(同じ作曲家とは思えない)一筋縄ではいきません。


面白いです。

ミヨーを聴いてみよー

2011-01-28 22:58:12 | クラシック音楽
20世紀フランスの作曲家、ダリウス・ミヨーのCDを買ってきました。


初めて聴く作曲家ですが、実はかなり前、
学生時代から密か?に気になる存在でした。

交響曲12曲、弦楽四重奏曲18曲、そのほか協奏曲、器楽曲、
歌劇、カンタータから、舞台音楽、映画音楽と膨大な作品を残しています。


何故「気になる存在」だったかというと、
弦楽四重奏曲第14番と第15番に惹かれたからです。

この二曲、同時に演奏すると弦楽八重奏曲になるというものです。

二つの異なる曲を同時に演奏して違う曲になる、という発想は、
一度は思いついても実際に作曲する人はいないでしょう。
(少なくともプロ?の作曲家は)


「絶対聴きたい」と時折CDを探したりしましたが、未だに出逢えていません。
というか、そもそもミヨーのCD自体が少ないですから。


今回買ったのは、
  ◆プラハのための音楽
  ◆交響曲第10番

  ◆室内交響曲(第1番~第6番)
   他、協奏曲等(2枚組)
です。


今、室内交響曲を第1番から聴いていたら第6番で声楽が出てきました。
男女四声(独唱)ですが、歌詞はなく「アーアー」というヴォカリーズです。
ちょっとびっくりしました。

決して難解ではありませんが、まあフランスっぽいというか・・・。

Wikipediaで調べると、独特の和声法(複調性、多調性)が特徴だそうですが、
この辺りは詳しい解説付きでないとよくわかりません。


ところで中古CDショップでミヨーのCDを探すのは結構苦労します。
当然、ハイドン先生やバッハ大先生のように、
「ここからハイドン先生です」という仕切り板もないので
CDの背の部分の作曲者名で探すのですが、

  MILHAUD

で「ミヨー」ですから・・・


ほんとに「ミヨー」でいいの?

ショルティ&シカゴ響の美学 その2

2010-11-17 08:42:24 | クラシック音楽
遊歩道さんにブログ(a one-minute coffee break)のコメントで
御賛同?頂けたので、調子に乗って第2弾です。


例えば2時間の映画があって
一般的にはほとんど見所のない駄作だったとしても、
一箇所でも自分の琴線に触れる科白やカットがあれば、
私にとっては何度も見返す"名作"になります。

500頁の中で1行でも、
自分が考えもしないような"思想"や
目を開かせてくれるような"価値観"が書いてあれば、
他の部分が凡庸であってもその本は"名著"になります。


指揮者ショルティの日本での評価は、決して高くはありません。
特に宇野功芳氏およびその流れをくむ「批評者」方は、
"憎悪"に近い感情をお持ちのようです。

しかし、障害があるほど恋人達の愛の炎は燃え上がるように、
私のショルティへの想いも増すばかりです。


マーラーの交響曲第6番「悲劇的」と並んで、
同じくマーラーの交響曲第9番にも
私の琴線に触れる「ショルティ&シカゴ響の美学」があります。

第1楽章冒頭から3分ほど経った辺りです。

「悲劇的」と同様、
オーケストラの音量が増していくにつれ徐々にテンポを落としていき、
緊張感が頂点に達した瞬間、全てが消えるように"平穏"が訪れます。


もちろん、そのように楽譜が書かれているのですが、
ショルティの表現は、他とは明らかに異なります。


例えるなら

 声を限りに何かを叫ぼうとした瞬間、
 その言葉を「ん」と飲み込んだような・・・
 その想いが「ふっ」と消えてしまったような・・・

あるいは

 永らく失われていた「情熱」が湧き上がってきたけれど、
 しかしそれは、若き日のように何かを形作ることなく、
 (消える直前の炎の揺らめきだったのか・・・)
 諦観にも似た心の静けさが訪れるような・・・

そう、まるで打ち寄せた大波が消えるかの如く・・・


いろいろな演奏を聴きましたが、やはりこの感覚だけは
ショルティ&シカゴ響でしか味わえない独特の表現です。


第6番第1楽章(アレグロ・エネルジコ)の勇壮さと
第9番第1楽章(アンダンテ・コモド)の穏やかさ。
正反対の音楽ですが、ショルティが表現しようとする美意識は同じです。


マーラーの交響曲第9番には多くの名演・名盤があります。
バルビローリ、カラヤン、バーンスタイン・・・
どれもいい演奏だと思います。
今では「伝説」となっている、
バーンスタイン&イスラエル・フィルの演奏も生で聴いています。

しかし、80分を超えるこの長大な曲の「あの瞬間」。
第1楽章のあの一瞬があるが故に、
ショルティ&シカゴ響の演奏は私にとって「絶対」なのです。


前回も書きましたが、宇野氏をはじめとする「批評者」が
ショルティを毛嫌いする理由の"ある一部分"は
わからないではありません。

私も正直、
ショルティのブルックナーを好んで聴くことはありません。


でも、"その人たち"にはわからない「美」を私は知っているのです。
それは、大袈裟かもしれませんが、
自分だけが、まだ誰も知らない宇宙の真理を発見したような、
「優越感」なのです。

R・シュトラウス『ばらの騎士』を観てみる

2010-11-01 08:43:54 | クラシック音楽
オペラはほとんど聴いたこと(観たこと)がありません。

歌曲自体があまり好きではないというか。
声楽つきの作品は決して嫌いではありませんが。

マーラーの交響曲第2番『復活』
オルフの『カルミナ・ブラーナ』
バッハ大先生の『マタイ受難曲』

どれもとても好きです。


オペラでいずれは聴いてみたいと思っていたのは、
ワーグナー作品、特に『ニーベルングの指環』です。

クラシック音楽ファンとしては、
やはり「避けては通れない」作品でしょう。
いや、クラシック音楽云々ではなく、
「人類が到達した芸術の頂点」の一つとして。


もう一つ、前々から興味があったのが
R・シュトラウスの『ばらの騎士』です。

カルロス・クライバーの指揮姿を観て
その美しい姿に魅了されてから、
彼が得意としていた演目である『ばらの騎士』を
観てみたいと思っていました。


今回観た演奏は、前に録画しておいた
 カルロス・クライバー指揮
 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
 (1979年)

それと、解説書付の本「魅惑のオペラ」の
 ゲオルグ・ショルティ指揮
 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
 (1985年)

の2種類です。


全3幕3時間という長丁場ですが、
1幕約1時間で区切りがつけやすく、
意外と観やすかったです。

もともとモーツァルトの『フィガロの結婚』を
お手本?にして作られたあたりも
わかりやすい理由かもしれません。
科白も多いらしいですね。

ところで『ばらの騎士』が初演されたのが1911年。
ハイドン先生が亡くなって100年以上経ってますが、
物語の舞台はまさにハイドン先生が活躍した、
18世紀半ばというのもちょっと面白いです。


それにしても、R・シュトラウスの音楽は、
父親が有名なホルン奏者だったせいもあり、
ホルンが印象的な旋律を奏でる所が多いですが、
この『ばらの騎士』もホルンがとんでもなく
難しそうですね。

交響詩などを聴いていても、
いつも「理不尽な旋律」などと感じてしまいます。


これをきっかけに、
次は『ばらの騎士』よりもっと前衛的な、
『エレクトラ』あたりに挑戦してみようかと思います。
時間は『ばらの騎士』よりも短いようですし。

マーラーを「観る」

2010-09-23 15:43:04 | クラシック音楽
クラシック音楽に限らずどんな音楽でも
CDで聴くより生演奏の方がいいに決まっています。

加えて生演奏の場合、聴くだけでなく「観る楽しみ」もあります。
それが最も大きいのがマーラーの交響曲ではないでしょうか。

もしかしたら、観る(観せる)楽しみを初めて意識したのが
マーラーではなかったか、とも思います。


例えば・・・

●交響曲第1番ニ長調「巨人」
皆さん御存知かもしれませんが、第4楽章のコーダで
ホルン奏者に立ち上がって吹くように指示されています。
こんなこと指示した作曲家、いますか?

ただ、何度か生演奏を聴いていますが、実際に立ち上がって
演奏しているのはまだ観たことがありません。
(TVで一回だけ観ました)
ちゃんと指示通りやってもらいたいものです。

もしかしたら・・・

 『とあるリハーサル風景』
 指揮者「さてと、ホルン諸君、例のところどうします?立ちますか?」
 ホルン「いやいや、勘弁して下さい。恥かしいっすよ」
 指揮者「でも、楽譜に指示されてるしねえ・・・」
 ホルン「そんなことしたら、緊張して、音外しますよ!」
 指揮者「じゃあ、いつも通り座ったままで」

なんて会話がされているのかもしれません。


●交響曲第2番ハ短調「復活」
見所?は、第5楽章で合唱団が立ち上がるところです。
まさにここしかない!というタイミングで起立します。
ですから合唱団の皆さんは「如何にカッコよく立つか」
という練習をしてほしいと思います。
端から順番に波がたつように、とか・・・。


●交響曲第3番ニ短調
まだ生演奏を観た(聴いた)ことがないので省略。


●交響曲第4番ト長調
小編成なので見所は少ないのですが、第1楽章展開部、
4本のフルートがユニゾンで吹く場面はめったに観られない姿です。
ですからフルート奏者は楽器の色を統一させるなどに
気を配ってほしいです。一人だけ金色のフルートとかならないように。
あとは楽器配置でもフルートが目立つよう配慮してほしいです。


●交響曲第5番嬰ハ短調
これは冒頭のトランペットソロを、指揮者、演奏者同様、
観客も緊張しながら固唾を呑んで見守りましょう。


●交響曲第6番イ短調「悲劇的」
なんといっても第4楽章のハンマーですね。
打楽器奏者がゆっくりと立ち上がり、ハンマーを手に取る辺りから、
ワクワク、ドキドキの緊張感が漂います。
そしてハンマーを振り上げて叩きつける姿!
およそクラシック音楽の演奏会とは思えない光景です。


●交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
この曲にはあまりこだわりが・・・。変な曲ですけどね。
オーケストラにとっては異質なギターとマンドリンが含まれてますが、
他の楽器に比べて音量が小さいのが難点なので、
観せる工夫の前に、音を聴かせる工夫が必要ですね。
PAとか使わずに。


●交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
これはもう、演奏者の人数が全てでしょう。
初演時のように千人が舞台に上がることはさすがにないですが、
それでも300人位が舞台上に並ぶ姿はそれだけで壮観です。
少年合唱団の子供達が途中で寝てしまわないか
「親目線」で見る楽しみもあります。


●交響曲第9番ニ長調
さすがにこの曲だけは「ただ聴くのみ」ですね。


あ~マーラーが観たくなってきました。