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前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

映画 『プロメテウス 3D』 (リドリー・スコット監督)

2012-08-26 19:02:20 | 舞台・映画など
六本木ヒルズの「TOHOシネマズ」で映画『プロメテウス 3D』を観てきました。

実は3Dの映画を観るのは今回が初めてです。
(映像としても「つくば科学万博」以来!)

3Dにもいろいろな方式があるようですが、TOHOシネマズの『プロメテウス』は
「RealD(リアルディー)」という方式でした。
といっても他の方式と"観え方"がどう違うのか比較はできないのですが。

正直「え?こんなもん?」という感じです。
こちら側(客席側)に飛んでくる物体を、思わずよけようとして身体を捩る、
といったこともなく、途中からすっかり忘れてました。


で、肝心の作品、『プロメテウス』ですが(これ以降、若干ネタバレを含みます)、
テレビでの宣伝文句「人類の起源」云々は、ちょっと的外れかも。

同じくリドリー・スコットが監督した「エイリアン」の前日譚
という部分はまあ合ってますので、そっちメインに宣伝すべきでは・・・と。
でないと、少々肩透かしを喰いますので。


1979年に公開された「エイリアン」の世界よりも前の時代なわけですが、
どうしても作品内の「テクノロジー」に"逆転現象"が起きてしまいます。
(つまり「エイリアン」世界よりもテクノロジーが遥かに進んでる感じ)

現実世界の現時点での最新テクノロジーから未来のテクノロジーを"予想"するので
致し方ないのですが・・・。

でも「エイリアン エピソードZERO」としては、まあまあ面白かったです。
124分ですが飽きずに観られました。


ところで「エイリアン」シリーズでは、
ご存知のとおり、圧倒的にリドリー・スコットの第一作の評価が高いのですが、
エイリアン関連?の作品として、実は私が大好きなのが
「エイリアン VS プレデター」です。

  余命幾許もない大富豪が大金を投じて調査隊を編成
  人類の文明全ての元となる遺跡を発見
  
という始まり方というか設定も、ちょっと似てるんじゃないの?


制作費でいえば「エイリアン VS プレデター」は『プロメテウス』の約半分ですが、
監督・脚本は「バイオハザード」シリーズのポール・W・S・アンダーソン
(ミラ・ジョヴォヴィッチの旦那さん)ですので、
決してB級映画という訳ではないのですが・・・(でも微妙なパチモン感が)。

まあ、多分に「パラレルワールド化」していますが、超大作『プロメテウス』を観て、
「エイリアン VS プレデター」の面白さを再確認・・・ということになりました。


「エイリアン VS プレデター」オススメです!




しかし何度も観ていると、だんだん子供のエイリアン(幼生?)とか
可愛く見えてくるんですよね。

↑は、プレデターと大人のエイリアンです。二頭身は何でも可愛くなる!

『薔薇の名前』 (ジャン=ジャック・アノー監督)

2012-05-19 19:13:37 | 舞台・映画など
小説『薔薇の名前』は、1986年にジャン=ジャック・アノー監督によって
映画化されています。

見習修道士"アドソ"をクリスチャン・スレーターが、
師である"バスカヴィルのウィリアム"をショーン・コネリーが演じています。


小説が映画化されることは別に普通のことですが、
「原作」と「加工されたもの」(映画化、舞台化されたもの)は本来全くの別物です。
比較して"ああだ、こうだ"言うべきではないですし、
そもそも「原作」を超えることなんて不可能でしょうから。

どちらも同時に手に取ることができる状態にあれば、やはりまず「原作」に目を通します。
映像化されたものを観て、変な先入観を持たないように。


ですが今回、『薔薇の名前』は映画を先に観ました。結果それがよかったです。
建物(修道院)や特徴的な登場人物などがある程度イメージできたおかげで、
この物語はずっと読みやすくなったと思います。

もともと翻訳物は苦手で(名前が覚えられない、風景がイメージできない等々)、
その上、中世キリスト教世界ともなれば、普通に読んだらまず"玉砕"でした。


個人的には、原作のミステリー的な部分を強調したように感じました。
もっとも、記号的側面、「書物のための書物」といった側面は、
文字通り書物だからこそできるわけで、それを映像化するのは困難でしょうが。


それにしても、この映像!(映像美とはいいません)
建造物からセットから、登場人物達の"異様"な姿まで!
これだけでも観る価値、観た甲斐があります。

異端審問官ベルナール・ギー役のF・マーレー・エイブラハムは
『アマデウス』でサリエリを演じた方です。
原作とは違い、異端審問官ギーは最後に自身が"裁き"を受けますが、
これは映画的なカタルシスとなっています。


そんな中、"バスカヴィルのウィリアム"役のショーン・コネリーだけが
宗派の違いというだけでなく、どこか"現代の人"のような違和感を受けます。
でもその違和感も当然のこと、意図したことなのかもしれません。

修道僧として神に仕える身でありながら、彼(バスカヴィルのウィリアム)は
別の「神」、知識という名の神に仕えている・・・そう見えますので。

『 KOYAANISQATSI 』 (コヤニスカッティ)

2012-02-16 00:10:17 | 舞台・映画など
『KOYAANISQATSI』(コヤニスカッティ)というドキュメンタリー映画を初めて観たのは
随分前のことです。

昔、確かフジテレビだったと思いますが、途中CMを挟まず映画をノーカットで
放送する深夜番組がありました。
そこでは今でも印象に残る(後にDVDを購入した)作品が何本かありましたが
その一つが『KOYAANISQATSI』でした。

映像と音楽だけで90分弱、1982年製作の作品です。
最近では、自然ドキュメンタリー系で同様の作品は結構ありますが、
それらの先駆けでもあり、また一線を画するものでもあります。

男声の超低音で「コヤニスカッティ」と歌われる、極めて印象的なオープニング。
高速度または微速度で撮影された、自然、人工物、交通、人々の動き・・・。
それらがミニマルミュージックの創始者の1人、フィリップ・グラスの音楽に乗せて
展開していきます。


「コヤニスカッティ」とは、アメリカ先住民族ホピ族の言葉で次のような意味があります。

 1.常軌を逸した人生
 2.混乱した社会
 3.平衡を失った社会
 4.崩壊する社会
 5.他の生き方を脅かす生き方

本作品を観た方ならお分かりになると思いますが、
これらの意味と合わせて、「21世紀映像黙示録」と呼ばれる本編映像から
「文明社会への警鐘」「環境破壊への批判」といった"メッセージ"を受け取ることは容易です。

でも、優れた"テキスト"は、それが本来意図したこと以上のものを語るといいます。
この作品に台詞もナレーションも付けなかった(必要としなかった)意義は、
そこにこそあるのだと思います。


先住民族の壁画らしきものが現れた後の最初のシーン。
ロケットが発射される様子が映し出されます。

エンジンが火を噴き、機体に付いていた氷が剥がれ落ちる中ストッパーが外され、
重力の呪縛を振り解き、宇宙へ向かって上り始めるロケットは「文明の象徴」でしょうか。


荒涼とした大地、砂漠の風紋、雲海、流れ落ちる瀑布、砂漠に伸びる送電線、
ハイウエイを走る無数の車、ゴーストタウンと化した街、爆破解体されるビル、
夜の闇の中、光の筋となった高速道路網、機械機械機械・・・人人人・・・
それらが独創的な撮影手法で切り取られていきます。


そして最後にもう一度ロケットが現れます。
宇宙を目指して進む中、大爆発を起こしバラバラに砕け散る機体。画面を覆い尽くす爆煙。
カメラは燃えながら落ちていく、エンジンの一部と思しき破片を捉えます。
スローモーションでゆっくりと回転しながら落ちていく「文明の象徴」。
これほどまでに"悲しい"映像は他にあるでしょうか。


かつては自分もこの映像を観て、文明の脅威と脆さ、人類の叡智と驕り、自然破壊、
そんなことを感じたのかもしれません。

しかし、時代も社会も人々の価値観も変わった今、環境破壊への警鐘やエコロジーが叫ばれる今、
胸に去来するものは全く違います。

文明や人類といった大仰なものではなく、もっともっと小さな、個人的なもの。
密かな自信や価値観、希望や夢・・・自分だけの大切なものが無残に破壊されていく。
そんな悲しみを、落ちていくロケットの残骸に重ね合わせます。


公開から30年が経ち、大きく時代が変わった今でも、新たな意味を持って迫り来る。
それこそ『KOYAANISQATSI』が、(少なくとも自分にとって)優れた"テキスト"である証です。


監督:ゴッドフリー・レジオ
製作:フランシス・フォード・コッポラ
音楽:フィリップ・グラス


<追記>
DVD本編中では「KOYAANISQATSI」は「コヤニスカッティ」と訳されていますが、
ジャケットの表記は「コヤニスカッツィ」となっています。
発音表記では「カッツィ」の方が近いと思いますが、ここでは「カッティ」で統一しました。

なお『KOYAANISQATSI』は、その後に公開された『POWAQQATSI(ポワカッティ)』(1988年)、
『NAQOYQATSI(ナコイカッティ)』(2002年)と併せて『カッティ三部作』と呼ばれています。

ストラヴィンスキー 『春の祭典』 (マリインスキー・バレエ)

2011-03-09 08:51:28 | 舞台・映画など
マリインスキー劇場バレエ団およびマリインスキー歌劇場管弦楽団による
ストラヴィンスキー『春の祭典』です。  

『火の鳥』に比べて、ニジンスキー振付の復刻版『春の祭典』は何度観ても面白い。


例えば第1部<大地礼賛>の後半・・・

「賢者の行進」は、2台のテューバが重々しい旋律を奏でますが、
舞台上では、両脇を若者に抱えられて長老と思しき人がゆっくりと姿を現します。

そのあと「大地礼賛」という極めて短いパートがあります。
時間にして20秒ほど、数小節のシーンです。

音楽だけを聴いていたときは「何だろう?」と思いましたが、
舞台では先ほどの長老が跪き、大地に口づけをしています。
大地の恵みへの感謝でしょうか?短いけれど非常に厳かな場面で音楽の意味がわかります。


また第2部<生け贄の儀式>の冒頭・・・

第1部終わりの激しさから一転、非常に静かでゆっくりとした音楽が続きます。
「乙女たちの神秘的な集い」という場面です。
ここも音楽だけですとあまり情景が思い浮かばず、ちょっと退屈なのですが・・・。

乙女たちが輪になって踊っていますが、途中で突然一人の乙女が輪から弾かれます。
その乙女はすぐに踊りの輪に戻りますが、またも輪から外れ、中央に押し出されます。
"生け贄"となる者(The Chosen One)が選ばれた瞬間です。

この振付は、失われたニジンスキーの振付を、
残された資料や当時の関係者からの聞き取り調査をもとに復刻させたものですから、
100%当時のまま(ニジンスキーのオリジナル)ではありません。

しかしこの、生け贄となる乙女が選ばれるシーン(の振付)は、
例えオリジナルと違っていたとしても素晴らしい描写だと思います。


『春の祭典』という作品は、ニジンスキーの振付もストラヴィンスキーの音楽も、
当時の常識を遥かに超えた"前衛的"なものだった、というものです。
確かに当時の常識にはない作品であることは間違いありません。

しかしこの舞台を観ていると、同時に、踊りも音楽も極めて"写実的"という印象を受けます。
簡単な粗筋と各場面のタイトルを教えれば、子供でも楽しめるのではと感じます。


生け贄に選ばれた乙女は、そのあと輪の中央に佇んだまま踊りません。
そしてクライマックス「生け贄の踊り」で何かに"とり憑かれた"ように踊りだします。

この踊り、身体の軸(体幹)を横にしたまま垂直に飛び上がる、という感じで
ダンサーの身体に非常に負担をかけるらしいです。
(だから"選ばれし乙女"はこの場面まで休んでいるのでしょう。それでもきつそうですが)



初演当時の振付のスケッチも残っているみたいなので、
紛れもなくニジンスキーの振付なんだと思いますが、まさしく"天才の閃き"でしょうか。
「生け贄」にされる乙女の苦痛と恍惚をダンサー自らが体現する・・・。


当舞台では、アレクサンドラ・イオシフィディという方が"選ばれし乙女"を踊りましたが、
正直最後はちょっと息切れ気味です。

私が兵庫県立芸術文化センターで観た「復刻版・日本初演」の舞台では、
名古屋出身のコンテンポラリー・ダンサー、平山素子さんが"選ばれし乙女"を演じました。

生で観た(その上かなり前)のとTVで観たのとでは、比較するのに無理がありますが、
私は平山素子さんの方がよかったと思います。


ところで、このニジンスキー復刻版振付による『春の祭典』、
小学生くらいの子供たちが踊ったら面白いのでは・・・ふと、そんなことを思いました。

もともと音楽を理解して、音に合わせて踊るのが不可能な作品です。
反復練習で身体で覚えるのは、子供の方が得意ですから。

飛んだり跳ねたり走り回ったりする振付が中心ですし、
体重が軽くて柔軟性がある子供の方が、"生け贄の踊り"にもあってそうです。


どこかの小学校で挑戦してくれないですかね。絶対面白いと思うのですが・・・。

ストラヴィンスキー 『火の鳥』 (マリインスキー・バレエ)

2011-03-08 21:40:10 | 舞台・映画など
マリインスキー劇場バレエ団および
マリインスキー歌劇場管弦楽団(指揮:ワレリー・ゲルギエフ)による
ストラヴィンスキー『火の鳥』と『春の祭典』のBDを買いました。  

この舞台のことは以前にも書きましたが
NHKでも放送された、2008年「サンクトペテルブルク白夜祭」の映像です。


『火の鳥』は、音楽史の中での位置づけは大変重要なようですが、
音楽作品としては聴くのはあまり好きではありません。
正直、退屈なんです。

聴きどころと言えば、終盤の「カスチェイ一党の凶悪な踊り」くらい。
組曲版ならともかく、原典版をコンサートで全部聴くのは辛いです。
これは純粋に「バレエ音楽」だなあ、と感じます。
かといってバレエ版もあまり観たいとは思わないのですが、それはそれとして・・・


私はクラシック・バレエの舞台は数えるほどしか観ていないので、
バレエダンサーの踊りが(技術的に)上手いか下手か、など全くわからないのですが、
主役の「火の鳥」を演じているエカテリーナ・コンダウーロワがとにかく美しい!
まあ、これだけでも観る価値あり、かな・・・。



まさに火の鳥!



チュートリアル・徳井さん曰く「カクテル・グラス」みたい・・・


ニジンスキー振付の復刻版『春の祭典』は後日。