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前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

無伴奏「シャコンヌ」

2010-08-04 17:09:45 | 舞台・映画など
無伴奏「シャコンヌ」とは、映画のタイトルです。

1994年、フランス・ベルギー・ドイツ合作の作品です。



バッハ大先生の作品について話をしていたとき、
偶然この映画の話題になりました。
あまりメジャーとはいえない作品なので
お互いかなり驚きました。

いい作品です。 いえ、素晴らしい作品です。


このエントリーをご覧になって、万に一人でも
観ようと思う方がいらっしゃるかもしれませんので、
内容については一切触れないでおきます。
(レビューや解説を読まずに観ることをお勧めします)


 残念ながら、現時点でDVDになっていませんので、
 レンタルビデオで探さないと観られませんが・・・。
 (私はレーザーディスクが出たときに買っていて、
 後にDVDにダビングしたものを観ています)


作曲家が主人公の映画や、
音楽作品がテーマとなった映画は色々ありますが、
この作品は「特別」です。

唯一にして究極の作品だと思います。



映画館で観たときは涙が止まりませんでした。

パラドックス定数 『元気で行こう絶望するな、では失敬。』

2010-07-04 16:14:53 | 舞台・映画など
劇団「パラドックス定数」の公演、
『元気で行こう絶望するな、では失敬。』を観てきました。

お芝居を観るのは久しぶりです。

大変面白かったです。


出演者20人は全員男性で、
舞台は高校3年第1学期の学校と18年後の同窓会。
一見仲の良いクラスメート達、でもそこに厳然と存在する「力関係」。

ここで詳しいストーリーを紹介する意味はないと思いますが、
何かとても懐かしいような、ちょっと心苦しいような
「思い出」が蘇ってきました。


音楽、効果音が一切使われなかったこともよかったと思います。
もし、感情を煽るような音楽が流れていたら、
きっと陳腐な「青春物語」になってしまったでしょう。
その代わりに、出演者達が奏でる「三三七拍子」が
観る者の涙腺を刺激します。



出演者の中に、岸田研二さんがいらっしゃいます。
かつて岸田さんが組んでいた『惑星』というバンドのファンでした。

バンドは残念ながら2007年に解散し、
岸田さんはバンド以前にやっていた舞台俳優に復帰。
出演される舞台はなるべく観にいくようにしています。

何かを表現するということでは、音楽でも舞台でも
(あるいは文章や絵でも)
同じだと思いますし、今は全力で舞台に取り組んでいらっしゃいます。


でも、いずれは「彼自身」の表現を、
「彼にしか見えていない世界」を見せて欲しい、と思っています。
私にとってそう思わせてくれる数少ないアーティストですから。

『シャネル&ストラヴィンスキー』

2010-02-04 09:09:28 | 舞台・映画など
映画 『シャネル&ストラヴィンスキー』を観ました。

「普通の映画」?として観れば面白かったです。


物語の中心は1920年。
『春の祭典』再演に向けて苦闘するストラヴィンスキー。
香水「シャネル№5」の開発に燃えるシャネル。

時代はまさに、アール・デコ。
セットや小道具、衣装だけでも観る価値あり?です。


私としてはもっと『春の祭典』中心かな、と期待してたので、
そういう意味ではちょっと物足りないです。

ただ、物語冒頭の『春の祭典』初演の様子(の再現)は
見応えがありました。


クラシック音楽の解説書等では必ずといっていいほど紹介される、
初演時のエピソード。
当時の聴衆の理解を遥かに超えた音楽と踊りだったため、
劇場は罵声と賞賛の声で大騒ぎとなりました。
興業主ディアギレフは話題作りのため、
わざと客席のライトを点滅させて、混乱を煽ったといわれます。


客席の怒号でオーケストラの音が聴き取れないダンサーに
振付のニジンスキーは、舞台袖から拍子を叫んだらしいですが、
そのシーンも出てきました。

ある程度わかっていても、興奮しました。
でもその後は、2人の「恋物語」(真実かどうかは不明)が
中心なので・・・。


ストラヴィンスキーの『春の祭典』は
管弦楽曲の中でもとりわけ好きな曲です。
近々聴く機会がるあので、そちらにつづく・・・・。

H・アール・カオス 『ボレロ』

2010-02-01 19:02:13 | 舞台・映画など
H・アール・カオス公演の続きです。


ラヴェルの『ボレロ』を観るのは2度目です。


赤い岩のようなセットが半円形状に置かれ、
それに沿うように4人のダンサーがいます。
そして舞台中央の、赤い花(花びら?)でできたサークルの中で
メインの白河直子さんが踊ります。

途中、踊りながら赤い紙吹雪を撒き散らし、
舞台全体が赤で染まっていきます。
それはまるで灼熱の溶岩を噴出する噴火口のように見えました。


フルートソロの小さな音から始まり
オーケストラの総奏へと音量を増していくのに合わせて
激しくなっていく5人の踊りは、
今まで眠っていた休火山が活動を再開し、
地球内部に蓄えていたエネルギーを放出するかのよう・・・・

・・・といった「解釈」は、本当は全く不要です。
ただただ舞台上の美しい姿を観ていればいいだけです。


『ボレロ』といえばモーリス・ベジャール振付の踊りを
真っ先に思い浮かべると思います。

元々は女性ダンサーのために振付したようですが、
やはりジョルジュ・ドンの印象が強いですね。


  バレエの振付にも「著作権」みたいなものがあるようで、
  振付家が許可した人しか踊ることができないみたいです。
  確か東京バレエ団のプリンシパルがその一人で
  一度生で観たことがあります。


それだけに『ボレロ』に新しい振付をすること、
そしてそれを踊ることは、
かなりの「挑戦」ではないでしょうか?
誰でも「比べて」しまいますので。

かといって、全く別のアプローチ(群舞とか)をしても
(言い方は悪いですが)
「逃げ」のような気もしますし・・・。


初めてH・アール・カオスの『ボレロ』を観た時は、
「真っ向勝負」という感じと、
どこかベジャール(とジョルジュ・ドン)への「オマージュ」
というような印象を受けました。


それは、ある種の不思議な「共通点」のようなものを
感じたからかもしれません。


  伝説的なダンサー・ニジンスキーと興行主ディアギレフ
  ジョルジュ・ドンと振付家モーリス・ベジャール
  どちらも「特別」な関係性、親密さを暗示させます。
  (実際どうだったかということとは一切関係なく、です)


特にコンテンポラリー・ダンスの場合、衣装がシンプルなため、
男性でも女性でも、極限まで無駄が排除された身体は、
「性」を超越した「中性」的な雰囲気と「両性具有」的な妖しさを
醸し出します。


H・アール・カオスのメンバーは全て女性です。
振付家とダンサーの関係が、
過去の天才ダンサー達の姿に重なるような気がしました。
(実際どうこう、という意味ではないので誤解のないよう)


どちらも、稀代の天才ダンサーが稀代の名曲の中で
「最も美しく妖しく輝く姿を追求した結果」だからでしょうか・・・。



余談ですが、
生オーケストラの演奏でダンスを観るのはとても贅沢なのですが、
ラヴェルの『ボレロ』に関しては楽器のソロが難しい箇所など
クラシックファンとしては「音を外さないか」心配になり、
特に前半は100%舞台に集中できないんですよね。
本当に「贅沢」な悩みなのですが・・・。

H・アール・カオス 『中国の不思議な役人』

2010-01-31 16:24:37 | 舞台・映画など
H・アール・カオスの公演を観てきました。

大友直人指揮、東京シティ・フィル演奏との
コラボレーション企画です。


  H・アール・カオスは1989年に
  演出・振付家の大島早紀子とダンサーの白河直子によって
  設立されました。
  海外でも高い評価を受けているダンス・カンパニーです。


演目は
 バルトーク 『中国の不思議な役人』
 サン=サーンス 『瀕死の白鳥』
 ラヴェル 『ボレロ』
の3曲です。

H・アール・カオスの舞台を観るのは3回目です。
過去2回とも素晴らしかったので今回も期待していましたが、
その期待を裏切らない公演でした。


『中国の不思議な役人』は幕が上がると
高い天井から2名のダンサーが逆さ吊りにされており、
冒頭から一気にH・アール・カオスの世界に引き込まれます。

わずか数十メートル先に展開する空間はもはや異次元です。
手を伸ばしても触れることはできず、
決して足を踏み入れることも叶わない世界です。

演出や踊りだけでなく、
どの公演も舞台美術、空間美術が本当に素晴らしい。
まさに唯一無二の「H・アール・カオス」という総合舞台芸術です。


天井からのロープなどで宙吊りになって踊るのは
彼女等の舞台でよく出てきます。


私は「踊り」の究極の目標の一つは、
「重力からの身体の開放」だと思っています。
あたかも重力を感じていないかの如く
跳躍し、回転し、静止する。

バネの付いたロープで繋がれた身体は、
月面をジャンプしながら進むアームストロング船長のように
一見、重力から開放されたかのように見えます。

しかし重力から開放された身体では、
地上のように自由に「踊る」ことはできないのです。


重力によって「踊る」ことが可能になり、
その「踊り」で重力からの脱却を目指す。
何というアンビバレンス!!

だからこそ、その「奇跡」をなしえたダンサーに、
それを可能にした空間に魅了されるのでしょう。


演出・振付の大島早紀子さんは「現代社会」を強く意識しており、
作品にもそのメッセージや哲学が反映しています。

しかし、舞台はそれら全てを「美」へと昇華させています。
我々は何らかの「意味」を読み取ろうとする必要はなく、
目の前に現れた異空間を観て、感じればいいのです。


素晴らしい完成度に到達した「芸術」だと思います。