山の頂から

やさしい風

骨を拾う

2009-07-25 23:08:31 | Weblog
  棺の蓋が閉じられ、いよいよ火葬場へと向かう。
宇都宮は近年、新しい火葬場を建設した。
郊外のひと山に新設されたそこは、驚くほどに広大な敷地。
シンとした建物は光が十分に取り入れられ、
全てがコンピューター制御されている。
スタッフは皆、インカムを着け無駄のない仕草で我々を向かい入れた。
清潔で広々とした内部は、16の焼却室と控室があった。
読経の後、焼却室の扉が閉められ、
最早、叔母さんの安らかな表情は脳裏に刻まれるのみとなった。

 大きな窓ガラスの向こうは緑豊かな林が続き、
身内が死者を偲ぶには、まことにもって良い環境と感じた。

 約二時間程してお骨となった叔母さんを前にして、
あまりに小さな塊に唖然となった。

 昨年の父のことが、まざまざと思い出され一瞬眩暈がした。
栃木市の火葬場は、依然として旧式であるので、
あの窯の扉のしまる音が、どれほど身に堪えたであろう。
そして骨となった父をみた時のショック。
私には忘れる事の出来ない光景である。

 本当に少ない身内で拾った叔母さんの骨。
老女の骨のスカスカなのには一同声もなかった。
しかし、日本特有の箸と箸で骨をつまむ行為は、
言葉に尽くせない深い悲しみと厳かな気持ちが入り混じり、
思わず【南無阿弥陀仏】と心でと唱えた。
骨壺に、施主が喉仏を納め、そのきょうだいが頭がい骨を素手でかぶせ、
火葬場での儀式は終了した。

 浄土真宗の【南無阿弥陀仏】は遺族が送る応援歌と、僧侶が仰ったが、
なるほど、死者の供養に容易く口を衝いて出ると改めて感心した。
帰路の空に心なしか錦を見たように感じたのだが・・・
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。