2016-11-07 05:00:00
一部省略
勝又壽良の経済時評
週刊東洋経済元編集長の勝又壽良
家産官僚の典型例か
人間不信の落とし穴
韓国で、前代未聞の話しが持ち上がった。政府の国家機密文書が民間人の手に渡っていたのだ。当初は、現職大統領が関与していた。
その後は、大統領側近が大統領友人とのパイプ役になった。この友人は政府の事業企画に関与するほか。自らの財団設立に朴大統領とのコネを利用したという。
さらに、この友人の娘が韓国代表の馬術選手に選抜されるべく、種々の「下工作」した話しまで暴露されている。
むろん、「朴大統領」とのコネを臭わせた結果だ。ここまでくると、完全に週刊誌の飛びつくテーマになる。
この問題は、韓国の政治と経済に深刻な影響を与えている。
韓国経済は世論調査によれば、9割の人が「経済危機」と認識している。
本来、経済危機を防ぐには政治が機能しなければならない。
肝心の政治は、「大統領の犯罪」で身動きならぬ状況に陥っている。
ただ、韓国憲法では、在任中の大統領に検察の捜査権が及ばないという特権が保障されている。朴大統領は18年2月まで検察の捜査対象になることはない。
世論調査では1桁にまで支持率が落ち込んでいる。
韓国政治の危機であり、同時に韓国経済が危険ゾーンに入り込んだことを意味する。
家産官僚の典型例か
『朝鮮日報』(10月30日付)は、コラム「先進国になれない韓国、本当に憲法のせいなのか」を掲載した。筆者は、同紙論説委員の鮮干鉦(ソンウ・ジョン)氏である。
この記事は、韓国メディアを代表する朝鮮日報論説委員が、血を吐く思いで自国の不甲斐なさを嘆くコラムである。
私はかねてから、韓国の歴代大統領が退任後、必ずといって良いほど「収賄」事件が起こっている理由は何かと思いを巡らしていた。
一つは、儒教社会が人縁社会であることだ。
一族から成功者が出ると、その宗族はこぞってその成功者の下で利益を受ける。
それが、一種の美風とされてきた。中国では今でも一族から成績優秀者が出ると、共同で学費を出し合い成功させる。
その暁に、利益配分を受けるという扶助組織のような形態を維持している。ここでは当然、贈賄・収賄が起こって不思議はない。
もう一つの理由は、「家産官僚制度」の問題である。
この言葉は、マックス・ヴェーバーの命名によるが、「近代官僚制度」の対極にある概念である。
家産官僚制とは、国王もしくは君主の世襲的財産の維持・拡大に当たる官僚制組織である。
近代国家成立以前は、官僚は国王に忠誠を誓い、人民の方を向いてはいなかった。
著しい特色は、官僚が「恣意的」基準によって行政を行うことである。ここでは、行政を都合良く解釈させるべき、贈賄・収賄が発生する余地を残している。
一方、「近代官僚制」では、国民に対して忠誠を誓うもので、いわゆる「公僕」概念が成立する。
ここでは、「恣意的」行政は許されない。一律のルールに基づく行政が執行される。
先進国の行政は、すべて「近代的官僚制」によって維持されている。ルールは曲げられないから原則、贈賄・収賄は起こりえないシステムである。
以上の、家産官僚制と近代官僚制の区別を頭に入れると、
韓国政府は、国政の機密情報を正式の官僚ルートに基づかず、
非公式ルートで流した背景がはっきりする。
これは、韓国の官僚制が、家産官僚制という封建時代の遺物を今に引きずっている結果である。
この韓国が、「反日」で日本批判を重ねてきた。自らの官僚制度の欠陥を棚上げして、より進んでいる日本へ石を投げ続けていたのだ。
(1)「李元鐘(イ・ウォンジョン)韓国大統領秘書室長の発言が物笑いの種になった。
先の国政監査で、朴槿恵(パク・クネ)大統領友人の崔順実(チェ・スンシル)氏が大統領の演説文を手直しすることは可能かと問われ、
『封建時代にもあり得ないこと』と答弁したせいだ。本当なら、李室長は『封建時代ならあり得ること』と答えるべきだった」。
なんとも、締まらない話しだ。一国元首の演説原文を、民間人が手直しする。
考えられない事態である。韓国大統領府は、烏合の衆の集まりなのか。という皮肉の一つでも言ってみたい気持ちに駆られる。
韓国は、大学受験の過酷さが日本以上である。ソウル大学の入試では、ほとんど満点でなければ入学できないといわれる。
それだけ、記憶力競争(創造力競争ではない)を勝ち抜いてきた官僚が、大統領の演説草稿を直せないとは噴飯物である。
大統領府秘書団は、朴大統領から、馬鹿にされていたのも同然の発言を聞かされたのだ。
(2)「封建時代は国王、領主、家臣が主従関係を結んで分権していた中世を指す。
だが、これは制度的な表現にすぎず、封建時代の本質は近代と比較して初めて明確になる。
近代は国民主体の国民国家と産業化を中心に法治、合理、科学、自由という価値が具現されていく時代を指す。
私たちが生きる今を『現代』と呼ぶが、実際はほとんどの人が近代に形成された価値を常識として共有している。封建時代とは要するに、今の常識が常識ではなかった時代といえる」。
このパラグラフは、先に私が指摘した「家産官僚制」に該当する。
一般的に、近代国家(国民国家)と対比するのは封建国家である。
世界史において、この封建国家を経験したのは、欧州と日本だけである。
中国も韓国も含むすべての国家は、封建制以前の専制体制にあった。
封建制は、国王の下に諸侯が控え、これが人民を統治した。
国王は、人民に対して間接統治である。
韓国や中国は封建以前の専制であり、国王が人民を直接統治している。この封建と専制の違いが、その後の近代国家発展において雲泥の差をもたらしている。
封建国家を経験した欧州や日本は、民主政治や市場経済に対して馴染みやすかった。
専制国家から直接に形式的な近代国家へ移行した国々は、封建国家の経験がないために、
賄賂が横行し、政治の私物化が日常化しているのだ。中国や韓国はその筆頭に挙げられる。
(3)「崔順実氏のパソコンから大統領府の文書が見つかり、李室長の発言は虚言となった。
それだけが問題ではないようだ。大統領府は24日夜の最初の報道から翌日の大統領による謝罪までのほぼ19時間、沈黙していた。
国民を無視していた、あるいは難局を切り抜けるための浅知恵をめぐらせていたわけではないと思う。
これまでそうだったように、参謀たちも大統領の意中が分からなかったのだろう。
おそらく、今も分からないはずだ。李室長の言葉を借りれば、近代官僚制の専門家ではなく封建時代の家臣なのだから」。
韓国大統領府の官僚は、ルールに従って行動することがなく、大統領の意向を聞く、ないし忖度して行動する。
典型的な「家産官僚」だ。
先に、産経新聞ソウル支局長は、朴大統領の名誉毀損の罪で起訴された。
名誉毀損は本来、当人が訴える問題だが、韓国検察は朴大統領の意向を忖度して起訴。結果は敗訴となった。韓国大統領は期限付きの「王家」である。
このパラグラフでは、「韓国は近代官僚制の専門家でなく、封建時代の家臣だ」としている。
先の私のコメントに従えば、専制時代の家臣団である。
封建時代と専制時代は、誤解されるが、質的に異なることを繰り返し指摘したい。
毛沢東は、中国史を改ざんさせた。
専制時代の名称を封建時代と改めさせ、共産主義が封建時代の「後裔」として位置づけさせた。
毛沢東は、中国の共産主義政治が歴史的に「未熟児」であることを認識していた。歴史への定着に自信を欠いていたのであろう。
(4)「朴大統領は10月24日の国会演説で、
『韓国は先進国の門の前に立っているが、その敷居をまたぐことができず足踏みをしている差し迫った状況にある』と述べた。
『一部政策の変化、またはいくつかの改革だけでは(先進国入りは)難しいということを痛感した』とも語った。
その上で、憲法を改正する意向を示した。崔順実氏に関する疑惑のいくつかが事実と判明し、この言葉を自分なりに考えてみた。なぜ私たちは先進国への敷居をまたげずにいるのか。本当に、憲法のせいなのだろうか」。
朴大統領の憲法改正提案は、現行の大統領1期5年限定では短すぎるとした。
2期8年を限度とする案を出したもの。
ほかに、大統領の職務を外交・安保に限定し、内政は首相に任せるとしている。
現行の1期5年では、最後の5年目が大統領選と重なり事実上、レームダック化して職務遂行が不可能になっている。
これを改善するには「4年重任」(2期8年限度)が必要としている。
この憲法改正提案は、その後の秘密文章の漏洩事件で宙に浮いた形である。
ここで議論すべきは、この大統領任期の変更だけによって、韓国が先進国へ浮上できるはずもない。
与野党の不毛の対立を乗り越えない限り、いかなる憲法改正も効果を上げられまい。
要するに、制度の問題でなく、韓国人の民主主義=多数決を受け入れるか否かの精神構造にある。
自己に不利でも、多数決ならばそれに従う度量が試されているのだ。韓国人にはそれが、欠如している。余りにも唯我独尊過ぎるのだ
(5)「先進国と後進国を分ける重要な基準は、近代的価値の実現だ。
朝鮮王朝末期から大韓帝国までの旧韓末と呼ばれた時代、知識人たちが封建の打破を根気強く訴えたのは、それが近代化・進歩の前提だったためだ。
巫女の儀式で国の未来を決め、王室やその一族のために税金を自分勝手に使い、彼らのために多くの規則をことごとく否定する。そんな封建的なやり方のせいで国が傾いたと、当時の知識人たちは信じていた」。
大韓帝国(1897年に李朝を改称、1910年日韓併合で消滅)が、近代国家に転換できなかった最大の理由は、洋式文化=普遍的価値=近代的価値の受入を拒否した結果だ。
大韓帝国内部では、清国派・ロシア派・日本派と3派に分裂した。
日本派は、明治維新同様に西洋文明の受容を主張したが排斥、殺害されるという迫害を受けた。
清国派やロシア派は、言わずと知れた旧勢力である。
儒教の「復古主義」がもたらした弊害は極めて大きい。
日本派を迫害したのは、この「復古主義」派である。韓国は、いざという時に国論が分裂してまとまらないという弱点を抱えている。
(6)「現政権が発足したとき、私は近代の完成を期待した。
法治、合理、科学、自由が常識になる時代だ。
それこそが、朴大統領があれほどまでに仲間入りしたがっている先進国だと考えている。
だが大統領は、自身の封建的な痕跡さえも消すことができなかった。
それがなぜそれほど難しかったのか、そしてなぜ国をこれほど困難な状況にしたのか、その真相は後になって分かることだろう」。
朴大統領は、なぜ親友の崔順実氏一人にのめり込んでしまったのか。
これこそ、「家産官僚制」の弊害そのものである。
朴大統領が、統一的な行政システムを採用する「近代官僚制」に背を向けて、
人縁にすがる「家産官僚制」を利用したのは、朴氏自身が家産官僚的な気質を持っているからだ。
また、朴氏自身が韓国の復古主義の環境下で育ってきた人間であることも影響している。この問題について、さらに考察を深めたい。
人間不信の落とし穴
『朝鮮日報』(10月28日付)は、コラムの「韓国、1979年・1997年・2016年の深刻なリーダーシップ空白」を掲載した。筆者は、同紙の姜京希(カン・ギョンヒ)論説委員である。
この記事では、朴大統領の過去の日記などを紹介しながら、「朴槿恵」個人の性格分析を試みて興味深い。
両親の非業の死によって、側近への著しい不信の念が語られている。
政治と関係ある人間は必ず、ある「計略」をもって接近してくるという拭いがたい嫌悪感に苛まされてきた様子が分かる。
そこで、政治と無縁な友人・崔順実氏に全幅の信頼を寄せ、自らが受けた精神的な傷を癒したという事情も分かるのだ。
その唯一と思えた親友が、「影の人物」として政治に介入していたとされている。
朴氏の狭い交友関係のなかで、他人を警戒し過ぎて招いた「過信」による落とし穴にはまったと言えるのだ。
これを未然に防ぐには、普遍的な価値尺度である公式ルール=近代的官僚制を活用すべきであるが、取り巻き連中もすべて家産官僚的人物であったという悲劇的な結末になった。
要するに、韓国的な政治風土と人縁社会が醸し出したクモの糸に、朴氏は手足を縛られたと言える。
韓国歴代大統領が、この「クモの糸」に手足を取られて「傷」を受けているのだ。
問われるべきは、韓国独特の非合理的=前近代的な社会風土が、原因のすべてと言えよう。
儒教という復古主義が今なお幅を効かせている点で現在は、旧李朝末期と何ら変わらないのだ。
(6)「この40年の間、韓国はおよそ20年置きに深刻なリーダーシップの空白に見舞われた。
朴槿恵大統領ほど、国家的な危機の局面と人生の軌跡が一致している人物も珍しい。
79年に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が死去した後、27歳で世間から切り離され、長い蟄居(ちっきょ)に入った。
彼女を政治の舞台に引き出したのは、18年後の97年に起きたアジア通貨危機だった。
『ドル不渡り』で未曽有の経済危機に直面した韓国のために奉仕したいと政治に入門し、大統領の椅子にまで上った彼女が、19年後の今、『統治力不渡り』を起こして国の危機を深めている」。
朴大統領は、常人と全く異なる人生経験をしている。
27歳で父・大統領の非業の死が、朴氏に過酷な運命を強いてきた。
身近な人々が背を向け、人間不信に陥った。それを励ましたのが友人の崔順実氏である。
二人が深い絆で結ばれたのは想像に難くない。
崔氏は、この関係を後に「悪用」したとされるが、儒教の人縁社会からすれば当然とも言えるのだろう。
つまり、この両人の間には、「大統領と友人」という関係以前に、27歳当時の朴氏と崔氏の関係の延長に過ぎなかった。それが問題を引き起こしたのだ。人縁社会の持つ宿命的な弱点であろう。
(7)「朴大統領は、『優雅で、質素で、約束は守る』というイメージを支持層の心に刻んでいた。
父親が残してくれた政治的遺産に加え、長い歳月じっと耐え忍んで守ってきた節制と品位のおかげで、保守層から支持されて今の地位に上った。
老練な国政運営はできなくとも、反則が横行する韓国社会に最小限の原則を打ち立てる改革くらいは推進するだろうという期待があった。
ところが、兄弟姉妹まで遠ざけて守ってきた『原則の政治家』という政治的資産は、『反則大魔王』の側近に依存し、振り回されるという状況があらわになる中で空中分解してしまった」。
このパラグラフの中で、今回の事件のすべてが語られていると思う。
「優雅で、質素で、約束は守る」、「兄弟姉妹まで遠ざけて守ってきた『原則の政治家』」。
この朴氏が落ち込んだ今回の穴は、儒教という人縁社会が産み落としたものだ。
朴大統領の側近官僚たちが、朴氏へ忠義だてのために崔氏へ過剰なサービスを行った。
それが、官僚たちの忠誠心の証と考えたのでないか。
先に、産経新聞社の前ソウル支局長の起訴問題を指摘した。
その際、朴氏の気持ちを忖度しての起訴であったと記した。
これと、同様の「間違った忠誠心競争」が引き起こした事件が、今回の国家秘密漏洩事件の真相ではないか。
(8)「朴大統領が父親の死去後に書いた日記に、こんな一文が登場する。
『今は優しくて親切な人が、実はすさまじく利にさとい人でないと、誰が断言できるだろうか……無情な人間関係』(81年3月2日)。
『水の深さは測れても、測り難きは人の心という言葉がある。何度か会っただけでその人となりが分かるのが人だが、何年会っていてもその本当の姿が分からないのもまた人だ。おめでたいふりをしつつ内心では別の考えを持ち、背後で陰謀を張り巡らした陰険な人物を覚えている』(89年1月13日)」。
この日記を読むと、朴氏の寒々とした心境が伝わってくる。
他人に騙されまい。そういう一念が、逆に崔氏への信頼へと傾斜して、結果として裏切られた。何か、自伝小説でも読むような気持ちになる。それ以上、語る言葉がない。
(2016年11月7日)