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【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【11】訓練展示状況終了(2010-10-17)

2021-07-11 20:11:23 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■中部方面隊攻撃前進
 富士総合火力演習を挟み長くなりましたが模擬戦がいよいよ切迫した状況へ。

 重機関銃搭載の軽装甲機動車も前進し戦闘加入しました。この頃の第36普通科連隊は乗車戦闘というものを相応に重視しているように見えます、当面の敵を撃破するその最終段階までは乗車戦闘によりそのまま前進してゆきます、乗車戦闘の利点は速度で主導権を握る。

 105mm戦車砲の空包射撃、まさか、最後の最後に射撃するとは思わなかった。発砲焔は写りませんでしたが、背景の観覧席で耳を塞いて衝撃に驚く皆さんの表情を見ますと、戦車射撃は空包でも物凄いものだ、理解できるでしょうか。発砲焔が写らなかったのは残念だ。

 軽装甲機動車が更なる前進へ。仮設敵は陣地に立てこもって最後まで抵抗を試みますが、我が方の戦車が掩護しつつ軽装甲機動車が扉を盾として展開させつつ前進してゆきます、群衆と共に進む状況の様子が記念祭の臨場感を醸し出しています、場所取りに失敗したが。

 軽装甲機動車が密集陣形で敵陣地へ向かってゆく、銃身や弾薬の大きさからも12.7mm重機関銃弾と5.56mm小銃弾の大きさの違いが分かるところでしょうか。1990年代までの軽装甲車は7.62mm徹甲弾までの防御が基本であり、12.7mmならば装甲車も撃破し得る。

 撮影位置、いや、実はこの中部方面隊記念行事は中々騒音に配慮して訓練展示を実施しない年度が続いた為に、脚立なども持っていませんので、こうぐっと手を高く空へつきだして、CANONのEOS-50D連写性能にものをいわせて撮影したもの、こうして状況終了へ。

 状況終了。仮設敵は撃破されました。上空をのんびりとUH-1J多用途ヘリコプターが飛行してゆきます。牧歌的な情景ですが訓練展示の時間は10分ほど、いや9分か11分か、というほど。周辺住宅街に騒音を響かせないように電撃戦というか、電光石火の展開でした。

 伊丹空港を離陸したボーイング777-300ER、伊丹空港の航空管制の影響が大きい。しかし同じ空港近傍の東千歳駐屯地第7師団祭などは千歳空港航空管制影響を受けないのですよね、部隊階梯では方面総監部である伊丹の方が上なのに。この当たりは、関西、なのかな。

 FH-70榴弾砲勢揃い、知立とある。おそらく新安城や東岡崎に国府と豊川稲荷という火砲もあるのでしょうか、知立というのは名鉄名古屋本線の特急停車駅で駅ホームに弘法様が鎮座し、この2010年までは駅のホームに飲み屋街、駅前で無く、がある不思議な駅です。

 第10特科連隊のFH-70榴弾砲が射撃準備を、第二の仮設敵に備えて訓練展示模擬選後篇が、と期待されるかもしれませんが、あれは前篇でも前段演習でも無くこれは後段演習でもない、音楽演奏の準備です。音楽演奏、特科火砲にて、チャイコフスキーの1812年だ。

 FH-70榴弾砲4門での1812年、いやこの曲はティンパニーの代わりに火砲の空包を用いる事は多いのですが、通常は105mm榴弾砲の空包を用います、各国では75mm砲等も多い、しかし自衛隊には野砲は既に105mm砲で統一されているため、いっそこれで、という。

 発砲焔。空包射撃とはいえ空包の燃焼ガスが砲口を大気と接した瞬間に弾ける音響が振動と衝撃波となって空に抜け、そして高温のガスはそのまま一閃を轟かせる、その瞬間を切り取ったのが発砲焔という。紅蓮の焔が吹き上がる一瞬は自衛隊行事を象徴する一幕です。

 チャイコフスキーの1812年は演奏を聴く機会もCDなどでも馴染まれている交響曲である為に、155mm砲が空包射撃を行う瞬間というものは曲調で思い出すもの。しかし中央音楽隊などは第1特科隊で礼砲として用いられる105mm砲を使っているのですが、こちらは。

 中部方面音楽隊の1812年、ティンパニーの代わりに155mm榴弾砲を用いていますが、やはり楽器に比べてFH-70の迫力は凄いですね、音楽隊も負けていない、と言いたいところですが155mm榴弾砲の空包はもっと凄い、そんな迫力と共に、音楽演奏は終了しました。

 モータープールの軽装甲機動車。考えてみれば自衛隊のイラク復興人道任務派遣は2003年から2009年まで、つまりこの2010年の中部方面隊創設50周年記念行事の前年まで継続していたのでした。イラク派遣は自衛隊装備に関する考え方に現場主義が加わったという。

 軽装甲機動車と高機動車は、平成時代一杯を通じて最も成功した国産装備であったと思う。なによりここまで普及した装備は73式大型トラックや74式戦車以来といえるものでして、しかしこうなりますと将来的にこれらの後継車両が必要となった際、どうするのだろうか。

 12.7mm重機関銃、改めてみてみると防盾はMINIMI用のものを用いているのではないのですね、形状は似ているがボルトの位置が違う。74式戦車や90式戦車に機銃の防盾はありませんが、60式装甲車のものと似ている、ボルトの位置と数が一致、まさか流用なのかな。

 快晴もあって青空とともに白い地面が露光過剰となりつつあり絞りで補正しますので、あたかもここは伊丹駐屯地ではなく中東やアフリカの宿営地だ、と錯覚してしまいそうな情景です。もっともPKO用防盾は一部が手製の訓練用が混じっているようですけれどもね。

 12.7mm重機関銃を搭載した軽装甲機動車、下車戦闘を基本とする軽装甲機動車には、まあ、戦車大隊等では担いで射撃訓練もやっているようですが、12.7mmは大きい。しかし、乗車戦闘が基本の普通科連隊の情報小隊や偵察隊の軽装甲機動車には標準装備で良いと思うが。

 軽装甲機動車の列線、撮影していいのかな、きになりましたが、聞いてみたらば動いている車両に近寄らなければ秘密のものではないので撮影するのは大丈夫です、という。しかし、何度観ましても中東やアフリカの第一線と錯覚するような雰囲気有る情景と思うのだ。

 乗車戦闘が基本で当初計画では小銃班に3両配備し、全て機銃を搭載し車内に対戦車火器を搭載し、一個中隊で27両という多数を集中させ、集合分散を迅速に行う、という発想の設計でした。多数を集中する為に装甲戦闘車よりも優先的に量産されたという背景がある。

 普通科部隊の高機動車配備開始が1992年、間もなく30年を迎えるのですが、オーストラリア軍が自動車化歩兵にブッシュマスター輸送防護車を配備したように、トヨタ自動車ならば高機動車と同程度の機動力を持つ、多少大型でも、安価な車両は開発できないものかともおもう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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