■関東大震災101年
防災の日の話題とともに。実は技術的問題からこの記事は防災の日に近い先週に掲載する予定の記事が遅延となったという事情があります。
防災の日、この日を忘れていたわけではないのですが、政府防災訓練も台風10号接近により中止されるというさなかにあって、関東大震災から101年目という節目の日にも若干その存在感の軽さを感じていいたところです、が災害のリスクというものは認識していまして、いや実感している。
関東大震災から101年、そして、現実として例えば首都圏巨大地震を題材にした映画"地震列島"では冒頭に"東京にはこの50年間巨大地震は来ていない"として、次の地震が切迫しているという警鐘を鳴らした映画でしたが、あの映画"地震列島"がもう1980年の、つまり40年以上前の映画だ。
地震列島、映画では主人公に地震学者を据えて、次の地震が切迫している、と政府に警鐘を鳴らしながら、自信でも得ない自動車の研究をするなど、切迫していたとしてその自動車を普及させるのに何年かかるのだよ、とちょっとシナリオの限界を超えていたような気もしましたが、いい作品でした。
防災の日に併せて二条城の話題を、と考えていたのですが実際、この二条城では耐震工事が長年行われていました、2005年頃にこの二条城の大名屋敷が震度五強で倒壊の恐れ、という、姉歯物件問題により耐震強度偽装が全国的に問題となった際、姉歯さんと無関係でも調査した結果わかったリスクのひとつ。
二条城、無事耐震修理が一段落したとのことで、本丸御殿の一般公開が再開されました。耐震工事といいますと、がちがちのH鋼で周りを固めるとか、外見が悪い意味で一新してしまう中にありまして、さすがに現存する唯一の大名屋敷を備えた二条城はまともな、耐震工事となっていました。
耐震工事、防災の日という現実を再認識しなければならない機会とともに、改めて考えますとわかっているようでわからないことばかり。能登半島地震など今年もすでに、といいますか元日から、災害に見舞われている我が国ですので、そのあり方というものを考えずにはいられない。
酷暑、そう、考えてみると三週間前までは日本の災害というものは異常気象のほうに意識が向いていまして、二週間前に台風迷走がたい変と書きましたそのあと一週間前は伊勢湾台風や第2室戸台風の再来といわれていましたが、そう、このあたりになりますと、地震、関東大震災を思い出さねば。
関東大震災、日本列島が大陸外縁弧状列島であるかぎり、この国土は火山性地形故にうまれたものなのですが、どうじにその特性から地震とは不可分の地形でもあります。花折断層が京都市の真下には走っているわけですが、逆断層地震のように活断層に沿って起こる地震も、正断層地震のように活断層を生む地震も。
古都の防災、と書きますと伝統家屋の多い京都は人口密集地域であると同時に耐震性に限界のある建物が多いこともその特色となっています、そして過去の地震と比較して耐火性は向上しても電化が進んだことで火災への震災時における脆弱性は高まってしまっているのですから、被害を考えると憂鬱に。
寺社仏閣、文化財の耐震化は進められているというけれども、京都の真下は岩盤ではなく帯水層であるため、揺れの特性も帯水層の軟弱地形として、増幅される懸念がある。過去の歴史地震では洛中では液状化被害の記録がないことは幸いなのですけれども。市域全体の防災の重要性を感じてしまう。
復旧復興、もう一つ考えるのは都市の景観というものを留意し、そのときが来てしまい、それなりに大きな被害が出たときの復興を、どのように震災前の水準に戻すのかという事前計画が絶望的に立てにくい、ということが。復興住宅として中層アパートを大量建築してしまうと、都市の景観が変わってしまう。
復興について、これは京都だけにかかわらないのですが、大規模半壊と全壊建築物について、倒壊した建物を戻すことは難しい、ということならば理解するのですが、全壊したが倒壊していない建物の復旧を建て替え以外に安価に実現させる工法を、これから我が国では検討してゆかねば、と思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
防災の日の話題とともに。実は技術的問題からこの記事は防災の日に近い先週に掲載する予定の記事が遅延となったという事情があります。
防災の日、この日を忘れていたわけではないのですが、政府防災訓練も台風10号接近により中止されるというさなかにあって、関東大震災から101年目という節目の日にも若干その存在感の軽さを感じていいたところです、が災害のリスクというものは認識していまして、いや実感している。
関東大震災から101年、そして、現実として例えば首都圏巨大地震を題材にした映画"地震列島"では冒頭に"東京にはこの50年間巨大地震は来ていない"として、次の地震が切迫しているという警鐘を鳴らした映画でしたが、あの映画"地震列島"がもう1980年の、つまり40年以上前の映画だ。
地震列島、映画では主人公に地震学者を据えて、次の地震が切迫している、と政府に警鐘を鳴らしながら、自信でも得ない自動車の研究をするなど、切迫していたとしてその自動車を普及させるのに何年かかるのだよ、とちょっとシナリオの限界を超えていたような気もしましたが、いい作品でした。
防災の日に併せて二条城の話題を、と考えていたのですが実際、この二条城では耐震工事が長年行われていました、2005年頃にこの二条城の大名屋敷が震度五強で倒壊の恐れ、という、姉歯物件問題により耐震強度偽装が全国的に問題となった際、姉歯さんと無関係でも調査した結果わかったリスクのひとつ。
二条城、無事耐震修理が一段落したとのことで、本丸御殿の一般公開が再開されました。耐震工事といいますと、がちがちのH鋼で周りを固めるとか、外見が悪い意味で一新してしまう中にありまして、さすがに現存する唯一の大名屋敷を備えた二条城はまともな、耐震工事となっていました。
耐震工事、防災の日という現実を再認識しなければならない機会とともに、改めて考えますとわかっているようでわからないことばかり。能登半島地震など今年もすでに、といいますか元日から、災害に見舞われている我が国ですので、そのあり方というものを考えずにはいられない。
酷暑、そう、考えてみると三週間前までは日本の災害というものは異常気象のほうに意識が向いていまして、二週間前に台風迷走がたい変と書きましたそのあと一週間前は伊勢湾台風や第2室戸台風の再来といわれていましたが、そう、このあたりになりますと、地震、関東大震災を思い出さねば。
関東大震災、日本列島が大陸外縁弧状列島であるかぎり、この国土は火山性地形故にうまれたものなのですが、どうじにその特性から地震とは不可分の地形でもあります。花折断層が京都市の真下には走っているわけですが、逆断層地震のように活断層に沿って起こる地震も、正断層地震のように活断層を生む地震も。
古都の防災、と書きますと伝統家屋の多い京都は人口密集地域であると同時に耐震性に限界のある建物が多いこともその特色となっています、そして過去の地震と比較して耐火性は向上しても電化が進んだことで火災への震災時における脆弱性は高まってしまっているのですから、被害を考えると憂鬱に。
寺社仏閣、文化財の耐震化は進められているというけれども、京都の真下は岩盤ではなく帯水層であるため、揺れの特性も帯水層の軟弱地形として、増幅される懸念がある。過去の歴史地震では洛中では液状化被害の記録がないことは幸いなのですけれども。市域全体の防災の重要性を感じてしまう。
復旧復興、もう一つ考えるのは都市の景観というものを留意し、そのときが来てしまい、それなりに大きな被害が出たときの復興を、どのように震災前の水準に戻すのかという事前計画が絶望的に立てにくい、ということが。復興住宅として中層アパートを大量建築してしまうと、都市の景観が変わってしまう。
復興について、これは京都だけにかかわらないのですが、大規模半壊と全壊建築物について、倒壊した建物を戻すことは難しい、ということならば理解するのですが、全壊したが倒壊していない建物の復旧を建て替え以外に安価に実現させる工法を、これから我が国では検討してゆかねば、と思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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