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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(23)機甲師団戦力一端示す訓練展示は突破で状況終了(2011-10-09)

2022-12-18 20:02:53 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■前進よーい!前へッ!
 戦車の全力の突進と云うのはなかなか本州の駐屯地ではこの広さが無い為に限られた式典会場では見られないところですが、北海道では毎回のように機械化部隊の威力を見直すものです。

 第7師団の訓練展示、いよいよ90式戦車が一斉に突入し当面の敵を撃破するべく進んでゆきます、考えてみればこの当時の自衛隊は防衛大綱の戦車定数が600両、冷戦時代の1200両からはそうとう減ったという印象ながら、こうした分りやすい防衛力を整備していた。

 防衛力を再編する、これも財政再建と共に様々な分野へ防衛力整備が求められる時代には必要性は理解できるのですが、将来の予算効率化の為には思い切った投資が必要となります。ただ、投資を認められない事で効率化を進められない、こうした状況が有る様おもう。

 現代の師団は担当範囲が広い、自由自在に動くことでこの範囲で優位を握るという。デジタル重師団の発想は一種いきすぐ多発想、認識先行なのかという疑義は2003年のイラク戦争において第3歩兵師団、名称は歩兵師団ですが重師団編成、20年近く前の話ですが。

 第3歩兵師団のイラク戦争、この威力で考えを改めさせられました。いや、NATOはこの転換に素早く追随する、1990年代にNATOの多くの国々は師団編成を旅団編成へコンパクト化させたのですが、これでは対応できないとして大型師団への転換を開始するのですね。

 旅団の時代、こう思われていたのですがイラク戦争で大型師団の威力が確認された、すると2010年代にNATOは複数の旅団を隷下に持つ数万の人員を有する師団へ改編している。NATOで評価すべきは冷戦時代に装甲戦闘車のような装備を冷戦後に増やした事です。

 マルダーとウォリアー、イギリスが1980年代中期に導入しましたが、1960年代から装備を進めたドイツ連邦軍を例外として、概ねM-113装甲車のような機動力も火力も想定していない箱型の装甲車で妥協していた点です、あのような箱型の装甲車も有用なのですが。

 フランスのAMX-10Pはどうかと反論があるのかもしれませんがあれは機動力の面からも装甲戦闘車ではなく装甲車に小口径機関砲を載せたといういわばM-113に機関砲を載せたAIFVに近いもの、マルダー装甲戦闘車のような戦車に随伴できるものは例外的といえた。

 これが冷戦後、一気にスウェーデン製CV-90装甲戦闘車やスペインオーストリア共同開発のASCODウラン/ピサロ、イタリアはダルドとフレシア、フランスはVBCIと一気に装甲戦闘車の流れが進んだのですね。人命第一という訳なのでしょうが、強力な装備という。

 装輪装甲車も従来は装甲トラックの延長線上のような扱いから、大口径機関砲にさえ耐える重い車両に転換していまして、ドイツのボクサー装輪装甲車は720hp、フランスのVBCIも550hpという、まあM-113装甲車の300hpとは比較にならぬエンジンを搭載している。

 機動力の概念が一段進んだ、ということなのでしょうね。これは過去の歴史、そう戦艦の歴史と名に遭重なるようなものを感じるのです、海軍休日のあとの戦艦の歴史に似ている、減らしたのは冷戦後の平和の配当かワシントン海軍軍縮条約かという違いはあるのですが。

 冷戦後とワシントン海軍軍縮条約五、戦車が減った点と戦艦が減った後、いわゆる高速戦艦以外の戦艦はポストワシントン条約時代には列国、つまり条約対象国ではぼぼ消えました、例外は戦艦ニューヨークくらいでしょうか、30.5cm砲を搭載していた古い戦艦です。

 条約前には最高速力が15ノット前後の戦艦も多数あったのですが、逆に20ノット以上を発揮する高速戦艦が新戦艦の時代にあっては低速戦艦に区分されるようになっています、また、主流であった12インチ主砲の戦艦も一気に淘汰され、新時代を迎えたという構図だ。

 これからみると日本の装甲車は当時海防戦艦などを運用していた時代のものを見返るような、そんな構図に近い、こうした認識が必要なのかもしれません。99式自走榴弾砲の話に戻しますと、装甲戦闘車から重い自走榴弾砲を開発するよりは逆の発想で装備が必要だ。

 戦車に随伴できる自走榴弾砲を先に開発し、その巨大な155mm砲塔を50mm機関砲塔に、いや40mmでも35mmでもいいのですが置き換える、車体構造が自走榴弾砲と装甲戦闘車の共通性を認識した設計ですので、こうした逆転の手法が必要でないか、とおもう。

 戦車に随伴できる自走砲を装甲戦闘車に転用するならば戦車を凌駕する機動力を発揮できる。ただ、予算的に難しいならばフランスのVBCIのように、もう不整地をあきらめる、諦めるとはいかないまでも不整地で随伴できない距離は装輪装甲車として運用を工夫する。

 装輪装甲車は不整地で随伴できなくとも路上で高速を発揮する、戦車と一時的に離隔が生じるのは致し方ないが追いつけないよりはましだろう、こう妥協するところでしょうか。三菱の機動装甲車は性能面でなんとかVBCIの水準にあります、そしてこれ興味深い点が。

 装甲機動砲から装甲車を生むという点で、イタリアのチェンタウロ戦車駆逐車と共通点を見いだすことができるかもしれません、105mm砲を搭載した装輪戦車と当時呼ばれたものですが、1992年ソマリアPKOでは武装勢力がT-55戦車などを装備していた際注目された。

 イタリア軍がチェンタウロを派遣した、そしてあの105mm砲は喧嘩を売ってはいけない感じを醸せたことで、逆に比較的軽装に見えたアメリカ軍が喧嘩を売られることとなった。これはアメリカ軍の威光が通じなかったことで有名ですが、イタリアは別の位置にあった。

 ソマリア、なにしろ当時に国連の政治局にいらした方のお話を聞きますと、ソマリアでは国連の威光もなにもなく、国連が壴率とかいう理念ではなく逆に国際連合を知らない、UNマーク中心に近い方に当てた方が勝ちと逆に国連マークをみると発砲する馬鹿がいたほど。

 軍人でも自衛官でもないのに戦闘をかいくぐった経験をお聞かせ頂いたことがあります、そんな凄い人を教授にしていたあの大学は凄いや。閑話休題、チェンタウロはその車体設計から後部を兵員輸送室に転用できるとしてフレシア装甲戦闘車が開発されているのです。

 もっとも、フレシアの試作車が手狭であるとして車体を一部拡張しまして、この大きい車体ならば120mm砲が搭載できるぞと、チェンタウロ2が開発されているのですが。予算がないのならば数をそろえることを第一に機動装甲車に機関砲を搭載したもので代用する。

 パトリアAMVが次期装甲車として採用されましたがそれでもそうとう予算が必要で覚悟は必要だが、覚悟できないならば自衛隊の人数を増やすしかない、消防団のように善意とやりがいの強制を突きつける選択肢も考える必要があるが、これはもう近代国家ではない。

 99式自走榴弾砲の後継車両から89式装甲戦闘車の後継車両を開発することができれば、特科火砲定数と必要な装甲戦闘車の数を考えれば1000両程度の量産が可能となります、量産効果と整備補給の共通化、という部分も可能でしょう。そしてもう一つ、別の装備も要る。

 砲側弾薬車は現在73式牽引車の派生型としていますが、これも機動力が低い、やはりこちらも車体を車体の取得費用が高くなるのは受け入れて、共通車体を考えるべきだとは思う、現実をみれば後継となります共通装軌車両は、防御をかなり抑えている、費用とともにね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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