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【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(2)(2014-06-28)

2024-05-19 20:20:36 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■90式戦車MLRS機動展示
 第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭の行事紹介第二回とともにマルチドメイン戦略の話題を絡めて見る第二回の試み。

 北千歳駐屯地祭、観閲行進準備の号令とともに90式戦車とMLRSと203mm自走榴弾砲に88式地対艦誘導弾が式典会場にやってきました、いわゆる“ゴジラ対策四点セット”というべき装備たちなのですが、別にこれが観閲行進というわけでは、ありません。

 観閲行進準備には時間がかかりまして、特にここは第1特科団に加えて精鋭第71戦車連隊、あの第7戦車大隊が拡大改編されて誕生した精鋭戦車連隊も駐屯していますので準備に時間がかかるのです、だからその幕間劇というわけではないのですが、機動展示を行う。

 富士学校祭のように観閲行進車輛の一部というか全部をこの会場に並べてくれれば、式典も物凄く派手になるのになあ、とは思ったものなんですが、それを考えたのは式典が始まるまでというものでして、式典であれだけ中隊旗が並んでくれますと、もう、ねえ。

 中隊旗があれだけならんでいるということは観閲行進にはあの中隊旗のぶんだけ行進するという訳ですので、それはもうここには入りきらないよなあ、と。入れるとなると北千歳駐屯地というよりも東千歳駐屯地のむかしの滑走路のような長さが必要になってしまう。

 ゴジラ対策四点セット、なんていう、昔の平成ゴジラシリーズではMLRSのかわりに75式自走ロケット発射器か、それと203mm自走榴弾砲が並んで、そして奥の合成された怪獣とか未来人のタイムマシンとかに向かってゆく描写が、まあ一種の定番だったわけですが。

 北海道の行事を見ていますと、これはわたしだけなのでしょうか、本州の、特に京阪神あたりの、重装備が揃っていない地域から見に行きますと、これは勝てそうだ、と思ってしまうのですね。この当たりでさて“反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える”続き。

 自衛隊の編成は国家防衛戦略の画定により大きな変革を強いられるところですが、果たしてその組織改革を間に合わせるだけの予算などのリソースの意義を政治は理解しているのか、という視点です。現在進む各種装備の再編と反撃能力などは現実の難しさを示す。

 マルチメインタスクフォース化、昨今アメリカ陸軍などが大車輪で進める変革であり、実のところその編成はアメリカ自身が各国の軍隊の編成がアメリカのマルチドメインタスクフォース化の影響を受けていると評していますが、実際にはその逆ではないか、と。

 島嶼部防衛における自衛隊の改編、この南西諸島などで進む一連の部隊改編は2000年代初頭に西部方面普通科連隊新編の頃より検証されていた日本型の島嶼部防衛の在り方研究、その先の一つの到達点として具現化しているものなのですが、逆に先進的でありました。

 アメリカ陸軍はフィリピン軍やヴェトナム軍の改編のうち一部がマルチドメインタスクフォースと類似点があるとしていますが、逆に日本の視座、南西防衛に関する様々な研究、試行錯誤に実改編を伴う猶予がないほどに切迫した改編、こちらの影響を感じます。

 南西諸島の島嶼部防衛モデルをそのまま当てはめたのが結局のところアメリカ軍のマルチドメインタスクフォースではないか、という率直な印象があるのですね、地対艦ミサイル部隊と防空部隊に警備の歩兵大隊、先島諸島や奄美大島、沖縄本島の自衛隊部隊だ。

 電子戦部隊や無人機部隊とともにサイバー戦部隊を含む、これがアメリカのマルチドメインタスクフォースの概要ですからサイバー戦部隊が自衛隊の第一線部隊に欠けていると反論されるかもしれませんが、まあそれは日本の場合、戦域内に中央直轄部隊ああるゆえ。

 接近拒否領域阻止、マルチドメインタスクフォースという概念が想定されたのは、アメリカは今までエアランドバトルを冷戦時代に構想し、M-1戦車やM-2装甲戦闘車にAH-64戦闘ヘリコプターとして具現化した、その先にエアシーバトルという概念を冷戦後進めた。

 エアランドバトルはソ連軍戦車部隊の津波のような複数の梯団からなる侵攻に際して、直接防衛戦で受け止めるのではなく機動防衛、機動防衛というのは何が機動するのかは長いNATOでの結論のでない議論、これを加えて受け流し、その先に策源地をたたく概念です。

 エアランドバトルにおいてはM-1戦車がガスタービンエンジンという以上に燃費の悪い戦車を導入した背景に機動力重視があり、そしてAH-1に比較して遙かに航続距離の大きなAH-64は策源地、前線の遙か後方の段列地域を叩き潰すことを念頭に設計された。

 ブッシュ政権時代の1990年湾岸戦争は、砂漠のまっただ中にのべ550機のC-130H輸送機を動員してヘリコプター部隊の拠点を構築し、そこからクウェートを占領するイラク軍の策源地をたたくとともにM-1戦車はおおきく迂回、機動線を展開して勝利をつかんだ。

 湾岸戦争では有志連合、当時の名称は多国籍軍、これも国連軍を編成すべきとの国連の要求に対して、国連軍事参謀委員会は朝鮮戦争以来開かれておらず、アメリカ軍を指揮できる能力がないとして拒否した先なのですが、アメリカ軍へ随伴は容易ではなかった。

 フランスの第6軽機甲師団が自慢のAMX-10RC装甲偵察車など多数をもってアメリカ軍にごする機動力を発揮していますが、逆に言えば装輪装甲車であるAMX-10RCでなければガスタービンエンジンで延々と機動するM-1戦車の攻撃軸に同調できなかったわけです。

 国連軍を仮に編成した場合、実際、カフジの戦いなどでサウジアラビア軍も地上戦に参加していますので、文字通り有志連合がくまれたのでしょうけれども、国連にエアランドバトルの前進軸に沿った調整ができたのかは、非常に疑問でもある。

 100時間戦争とも呼ばれたように、最近は呼ばないが地上戦が100時間で終わったので第三次中東戦争を六日間戦争と呼んでいた名残なのかもしれない、100時間で地上戦にカタをつけるような戦いはおそらく国連には想定できず、長期戦となっただろう。

 冷戦時代に構築したエアランドバトルについてはこうして一定の成果を具現化することはできました。すると冷戦時代に自衛隊もエアランドバトルを目指していたのかと問われると、74式戦車にはそうした発想は、というよりもその前の時代の設計という。

 侵攻宗教、自衛隊はこう揶揄されることがあったというのですが、ソ連の保有船舶、徴用する民間船も当然含めて、そして地形から太平洋の日本周辺において実施できる両用作戦と補給線の概算をもとに想定する侵攻を、全国津々浦々に想定していました、いや。

 想定しつづけているというところでしょうか、現在も。詳細は敢えて聞かないのですが、若狭湾侵攻や丹後半島限定侵攻に本州最狭部空挺侵攻などまで想定して、それに応じた防衛計画があるという。アメリカ軍の増援まで維持できる能力は少なくとも。

 クリントン政権時代、これも急にエアランドバトルの話題に戻すのですが、冷戦時代のエアランドバトルは湾岸戦争を最後に、数千の戦車による侵攻という事態は考えられなくなった、イラク軍は1990年の時点で4200両もの戦車を保有、これが過去のものに。

 エアシーバトルという概念がブッシュジュニア政権時代から模索されオバマ政権時代に完成していますが、その前のクリントン政権時代にフロムザシー、という概念が提唱された、リットラルエリアにおける戦いともいい、沿岸部の戦闘や海の利用など。

 フロムザシーというのは冷戦後の地域紛争増大、米ソの圧力が消えて飽和状態となった民族問題や国境問題が一気に噴出した、この地域紛争増大に対応するための概念でした。なにしろ数が多かった、冷戦時代に小康状態であった紛争の激化もかなりの数にのぼる。

 ロングピースという、逆に冷戦時代の方が大戦争を抑止するもしくは大規模戦争の長期化を調停する構造が世界政治の枠組みに存在したのだという概説が試みられるほどに、冷戦構造の終結は、核戦争以外のリスクはすべて増大させていましたが。

 リットラルエリア、沿海域地域、地域紛争がそのまま大規模戦争に拡大することを警戒したのが冷戦後の一つの国際秩序維持の試みでした、アメリカがこうした概念を提唱するとともに、実はこの流れは別の部分で欧州とも同じアプローチが醸成されていて。

 マーストリヒト条約によりEC欧州共同体からEU欧州連合と発展した1993年にその役割を拡大させたEUは共通安全保障政策、なにしろ当時は2000年までにEUがNATOの後継になると考えらた、ボスニア紛争のでEUの緩い枠組みの限界を突きつけられるまでは。

 EU共通安全保障政策では、当時はいまのような誰でも移民難民受け入れというわけではなく、欧州の壁といわれたようなEU加盟国と非加盟国とのあいだでの移動の不自由があった、このなかで、地域紛争が拡大し制御不能となり欧州に影響が及ぶことを警戒していた。

 反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える、についてはこのくらいにしましていよいよ観閲行進の始まりです、先頭を往くのは第2地対艦ミサイル連隊、この部隊はと云えば非常に思い出深い部隊でもあるのです、この写真は2014年撮影ですが思い出は2011年で。

 東日本大震災が発災し日本がたいへんなことになりましたのが2011年、個人的にも非常に大変な事になってしまったのですが、この少し後に、つまり個人的にも状況がやや落ち着いた頃か、自衛隊で最初に行事を再開したのが、第2地対艦ミサイル連隊だったのです。

 美唄駐屯地に朝早く行きまして、そうするともうすでに同好の志が一人開門待ちで並ばれていましたので、こんにちは、どちらから来られました、と聞きますとなんとお隣は滋賀県の大津市からという。警衛の方にも笑われてしまいましたが、そんな思い出の部隊、と。

 北千歳駐屯地の観閲行進開始、さてさて、まあ、なんといいますか、お気づきでしょうか。北千歳、ものすごく観閲行進の撮影が難しいのですよね、更新というからには一枚に大量の装備を揃えた構図としまして、どうだ日本を攻められまいという写真としたいのだ。

 圧縮効果で撮影するにはある程度見通しの利く撮影位置が欲しいのですが、起伏や僅かな曲がり角からでも撮影出来る一方、この式典会場はどこをどう見渡してもそういう角度がないのです、しかも圧縮効果ですとスピーカーとかいろいろ入ってしまうようなかんじ。

 カメラを構えたからにはどうにか工夫して迫力ある構図を仕上げてみよう、とはおもうのですが、さあこの場所での撮影はその通り大丈夫な選択だったのか他に最適解が在ったのか、カメラの設定は大丈夫だったのか、と考えつつ、観閲行進はどんどんすすんでゆくのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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