■龍安寺石庭散策紀行
アクセス解析によれば、90000アクセスを本日0100時ころ、突破したようなのでこの場を借りてご覧の皆様にお礼を申し上げたい。
さてさて、時間配分の関係で生まれた一瞬の余暇、こうした時間を喫茶店で珈琲とともに過ごすのも良いが、零細時間は活用すべきもの、そんなわけで先週、59系統バスに飛び乗り、龍安寺へ向かった。
光料不足の一言に尽きた冬季は過ぎ、新緑が陽光に照らされ燦燦と輝く季節となった。桜花の散逸とともに訪れる透き通る青葉が織り成す若葉色の情景は、このときだけの彩りだ。
龍安寺は、徳大寺家の別荘であったものを1450年に管領細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天玄承を開山として、寺院としたのが龍安寺である。
京都の多くの寺院がそうであるように、龍安寺も応仁の乱で被災したものの、1499年に勝元の子である政元の手により復興したが、1797年火災の憂き目に遭っている。
方丈、仏殿、開山堂などがこの火災で焼失し、現在のこれらの建物は、西源院から移築されたものとのことだ。この方丈に、有名な石庭が広がっている。
冒頭に挙げた新緑の階段を歩み、寺務所のところより、石庭に至る庫裡へ入る。ここまでの石階段の両輪を飾るのは椛で、秋には紅葉の彩りを来訪者に示す。
龍安寺の石庭。龍安寺の代名詞といっても過言ではない知名度を有する。この石群の解釈はその人の哲学や思想、価値観により多様な解し方が為されている。
石庭を前に何を想うか、太陽の傾きでも情景は換わるのだろう、人々はここで自由なときを過ごす。平日の午後ということで、様々な国からの観光客が魅入っていた。
仏殿に至る渡り廊下。この先は一般には非公開であるが、磨き上げられた床に新緑と柔らかな木漏れ日が照り返している。
方丈の裏手。ここには戸の上に寄進者の名札が多く残されているものの、時の流れと共に文字が風化し読み取れない、それだけに寺の歴史の深さを感じさせる。
修学旅行生が多数やってきたので、小生は喧騒を避けるべく足を進める。写真は西源院の入り口である。ここでは湯豆腐が名物だが時間がなく断念。
鏡容池、またの名前を鴛鴦池。その向こうに写るのは衣笠山である。歴史が移ろおうとも山河はその面影を残し、京都の街並を見守り続けた山々である。
龍安寺は朝0800時より門扉を開く。拝観料は500円であり、早朝は朝露とともにまた異なる情景を見せるのだろう。妙心寺、仁和寺、金閣寺、等持院に程近く、古都の寺院を身近に感じる最適な情景を堪能することが出来る、そんな新緑の古都の情景をお伝えした次第だ。
HARUNA
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