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本心と言葉の不一致が人徳と出世の条件

2021年08月01日 | 世間一般

3歳の孫の最近の口癖は

ジージー嫌い

です

時々

大好きくない

とも言います。

3歳の孫にここまで嫌われる

一体私はどんな酷い事をしたんでしょうかね?

実はこれが言葉の面白い所で

これを理解すると

人間が全く違って見える事があります。

まず孫が私に投げかけるその言葉

実は孫の心の中はその言葉とは全く逆です。

私の事が好きでたまらないのです。

ん?

それは妄想?

まぁそう思われても仕方がありませんね

ブログでは文章しか書けませんから

伝えるには限界がありますからね。

ただ

私はその孫が私に嫌いと言う言葉を投げかける

その現場にいる訳ですから

はっきり孫の心理も読み取れるのです。

例えば

先日も

ボクじーじーが嫌いだよ分かった?

って念を押してきましたので

うん分かったよ

って答えました

膝に乗ってるその孫を強く抱きかかえながら

つまり

孫が私にその言葉を投げかける時には

必ず私の膝に座ったり

あるいはその膝を枕にして寝転がったりしてるのです。

私がその頭をどけて

自分の部屋でネットをしに行くと

必ず慌てて付いてきます。

そして私がパソコンをいじってる間は

私のベッドで寝転がってゴロゴロしています。

私がパソコンの作業を終わって

リビングに戻ろうとすると

抱き着いて来て

階段が恐いからだっこ

って言ってきます。

抱っこして階段を降りる時にまた言う訳です

じ~じ~嫌い

 

まぁこれが3歳児だから特別

なんて思ったら大間違いです。

むしろ逆です

自分の本心と逆の言葉を発すのは

成長すればするほど多くなります。

大人になれば

もう言葉と内心が一致するのはわずかです。

ほとんどが

内心とは無関係に言葉が出てくるようになります。

例えば

ゴルフ仲間が体調を崩して

しばらくゴルフを中断した後

また参加する事が良くあります。

で久しぶりに会う仲間は

みんな心配してたんだよ

って言います。

しかしその心配は相手の体調より

仲間が少なくなる事によって

メンバーが集まらなくなる

これの心配の方が大きかったりします。

そんな感じで

私たちは自分の気持ちを語る時には

本心はある意味ないがしろにされます。

ではこれが悪い事かと言うと

実は人間社会では

本心と一致しない言葉を操る

これができなければ

社会生活が上手く行きません。

大体人格者と呼ばれる人たちは

この不一致がしっかり身について

自然に言葉が出るし

その言葉に自分も疑問を持たなくようになった人たちです。

神父さんが分かり易いですよね。

信者に

神は皆さんを愛しています

とか

永遠の命とか

聖書から導き出して語りますが

見た事のない神とか永遠の命

これを本当に自分自身が信じてる訳ではありません。

ですから

大変有難い牧師さんの説教も

実際には本人も信者も

本心との不一致が気にならないから出来るのです。

私は日ごとからそんな事ばかり考えてますから

とても聖職者は務まりません。

ちょっとフライング気味で言えば

自分の心を偽る事に長けてるから聖職者は務まるのです。

まぁだから聖職者が悪いと言う訳ではありませんよ

逆に心を偽るのが苦手な人がこの世にはたくさんいますが

そんな人は人生が上手くいかない事が多いのです。

空気が読めないとか礼儀を知らないとか

そんなレッテルを貼られて社会からは排除されて行きます。

そんな事を書いてますが

私自身ここまで会社経営を続けられて来たって事は

この本心と自分の言葉の不一致

これを受け入れてきたからです。

若い頃はあまり気になりませんでしたが

しかし還暦を過ぎてから

これが本当に苦痛になってきましたね。

心と言葉の不一致が一番ひどいのが政治家ですが

最近はもうその言葉を聞くたびに不快です。

ですから自分自身は

もうあまり本心とかけ離れた言葉は発しないようになってきました。

社員に対しても

あまり卑屈になってまで営業成績を求めなくても良い

そう言っています。

お世辞は要らないから

しっかり仕事で評価してもらえ

これが最近の口癖です。

お世辞で顧客を良い気分にさせて仕事をまとめる

なんてのは

もう卒業で良いかな

って思っています。

 

コメント
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