気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

松浦武四郎の足跡(上川エリア)-2 場所を探すのに苦労した リイチャニ

2011-11-19 18:18:10 | 日記
士別のサッテクベツを後に、私たちは次の場所に移動したが、地図上ではポイントに来ているのだが、どこにもそれらしき標識は見当たらない。丁度郵便局の職員さんが通ったので「松浦武四郎の看板はこの辺だと思うのですが見たことありませんか?」と訪ねたが、見たことがないという返事だった。2~3軒の家を訪ねた。玄関に若いご主人が出てこられたが、やはり見たことがないという。「父さん、聞いたことあるかい?」「うん、家の横の緑のあぜ道を真直ぐ行くと、土手がある。そこにあるよ!」と若いご主人のお父さんが教えてくださった。感謝をして、その道へまっしぐら。土手は伸びきった雑草で赤い鉄製の水量調整の堰のようなものが目に入った。この土手は、この家を訪ねる前に歩いた道の延長上と私は思っている。先ほどは500~700m逆の方向に歩いていたようだ。
雑草の中を分け入り、案内版を発見。背丈ほどの雑草を払い、写真に収めた。

ようやく辿りついた土手の様子

リイチャニ案内板には
「天之穂日誌」によると、松浦武四郎は1857年(安政4年)旧暦6月19日にここリイチャニのニシパコロの家に宿泊している。「その家は誰も住んでおらず、屋根も腐れていたので、そのそばに野宿したが蚊が多くて食事もできない始末。しかたなく家に入り火をも燃やして泊まったが、明け方前に雨が降り出し 滝のような雨漏りにどうしょうもなく、づぶ濡れになってしまった。」とある。武四郎は次の日、剣淵川を50町余り上がって、大体の地形を見て、合流点へ引き返してる・・・と書かれている。


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