2018年9月26日、前日、札幌と小樽の境界にある「オタナイ発祥の地碑」を探したが、入る道が閉鎖されていたので、断念したが、夕暮れになり、手稲のホテルに宿泊し、翌朝、「オタナイ発祥の地碑」に再チャレンジし発見、その後小樽に向かった。小樽は何度か来ているので、今回は祝津方面が目的地。
その一つが
松浦武四郎著「西蝦夷日誌」にも地名が記録されている「色内」。
彼の記述には要約すると磯谷方面から小樽内への道へ進み・・・
『西を眺めばシャコタン岳・ビクニ岳・古平岳・フルウだけ連なりて波濤の如く・・・是よりヲタルナイの方へ行くは本道を直に下がる。・・・高島より山越にてここに出る故(山越)となづく。ここに道標(右タカシマ(高島)、左ヲショロ(忍路)を立たるにも内地の様有。過ぎてテムヤ(手宮)人家つづき茶屋、はたご立つづき繁昌のこと筆紙に着き難し・・・イロナイ(色内)川有、本名エリモナイ也。譯て鼠澤の義。其故事如何なることかしらず。』と安政の探検家は記録した。
色内は明治13年に日本で3番目の鉄道として開通していた。
今や、その旧手宮線は観光地として訪れる人が多い。旧色内駅舎やホームが保存されているので見学。
旧色内駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/03/cecaf41587e2c2ff928e40180ecf7a87.jpg)
ホームが残されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/42/8251f6cfe96eda4e8145187d708c40f9.jpg)
説明紙によると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/96/47212d1d2a840b808afab6e007540fd9.jpg)
「小樽市の旧国鉄手宮線活用計画に基づきかつての「色内駅」をモチーフとした休憩施設として平成22年に設置された。
旧色内駅は大正3年に色内停車場として開設。その後閉鎖や再開を経て昭和18年5月には「色内駅」に昇格した。・・・その経緯が説明されている。
線路にカメラを向けていると観光客の方が「写真撮ってあげましょうか・・・」と記念に私を入れてパチリ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/55/18d21a821d683e6bcab532a51164dbde.jpg)
その一つが
松浦武四郎著「西蝦夷日誌」にも地名が記録されている「色内」。
彼の記述には要約すると磯谷方面から小樽内への道へ進み・・・
『西を眺めばシャコタン岳・ビクニ岳・古平岳・フルウだけ連なりて波濤の如く・・・是よりヲタルナイの方へ行くは本道を直に下がる。・・・高島より山越にてここに出る故(山越)となづく。ここに道標(右タカシマ(高島)、左ヲショロ(忍路)を立たるにも内地の様有。過ぎてテムヤ(手宮)人家つづき茶屋、はたご立つづき繁昌のこと筆紙に着き難し・・・イロナイ(色内)川有、本名エリモナイ也。譯て鼠澤の義。其故事如何なることかしらず。』と安政の探検家は記録した。
色内は明治13年に日本で3番目の鉄道として開通していた。
今や、その旧手宮線は観光地として訪れる人が多い。旧色内駅舎やホームが保存されているので見学。
旧色内駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/03/cecaf41587e2c2ff928e40180ecf7a87.jpg)
ホームが残されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/42/8251f6cfe96eda4e8145187d708c40f9.jpg)
説明紙によると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/96/47212d1d2a840b808afab6e007540fd9.jpg)
「小樽市の旧国鉄手宮線活用計画に基づきかつての「色内駅」をモチーフとした休憩施設として平成22年に設置された。
旧色内駅は大正3年に色内停車場として開設。その後閉鎖や再開を経て昭和18年5月には「色内駅」に昇格した。・・・その経緯が説明されている。
線路にカメラを向けていると観光客の方が「写真撮ってあげましょうか・・・」と記念に私を入れてパチリ・・・。
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