気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

2009年9月 松浦武四郎の足跡(上川エリア)-1 士別市 ナイタイベ~

2011-11-19 10:39:03 | 旅行

『ナイタイベ』この旅の大きな目的は、「北海道命名の地」である音威子府を訪ねることで、松浦武四郎の足跡を少しでも多く知りたいという望みがあったからです。それは北海道に長く住んでいながら、命名者が松浦武四郎であったことを知らなかったということにあります。
丁度、高速料金1000円乗り放題の恩恵も活用、ETC搭載し、2009年9月道央自動車道士別剣淵を降り、R61号線を滝の上町方面へ向かい、上士別総合病院を経て、中士別郵便局を通過し、松浦武四郎天塩川探検地」ナイタイベの木碑に到達した。
記載されている文章は難しい漢字もあり、また薄くなって判読できない個所もあるが、その木碑には
「天塩日誌」によると、幕末の探検家・松浦武四郎は安政4年(1857年)旧暦六月、十二日、アイヌの案内で「ナイタイベ」に至った。
 アイヌから昔、間宮某がここまで上がったと聞き、戯れて岸壁に次の詩を記したとされている。
(漢詩)・・・「風起峰・・・たかく(私は難しくて読めないが)宿霧開雲端見比・・・
    そびえ・・・」雲間から此の素晴らしい岩山が仰ぎ見えました。
    山の神霊はいまだ先に訪れた・・・知人(間宮林蔵)をお忘れでないでしょう。
      また、一人私が訪ねてまいりました。」
この後、武四郎は、とナイダイベから、パンケヌカナンブ(朝日)まで行き、二十四日にサッテクベツ(士別)へ戻り、さらに探検を続けた。とあります。
            ナイタイベ木碑            
 
『サッテクベツ』武四郎野営地
ナイタイベを見てから、R61号線をドライブし、「境橋」付近に木碑を発見した。 
 その木碑の文書には
「天之穂日誌」によると、松浦武四郎は1857年(安政4年)旧暦6月20日に、ここサッテクベツのルヒサンケの家に宿泊している。当時は、アリエテシカ、トセツ、ルヒサンケの3軒、10人のがここにあるとされる。ほとんどが留守であったが、武四郎が来ていると聞き、皆帰ってきて、賑やかにもてなした」とある。また、帰りにも泊り、酒宴をしている。
サッテクベツは痩せている川の意で、夏になると水の涸れる川のことで、当時はこのあたりで天塩川と合流していたと思われる。」と記載されていた。
    村長ニシパコロの居住跡・サッテクベツなど
             
もう一つの「旭川開発建設部名寄河川事務所」による案内版には「天塩川歴史紀行」と題して、当時40歳の武四郎が蝦夷地(現在の北海道)に渡り、アイヌ4名と2艘の丸木舟で天塩川探査を行い、「天塩日誌」として記録しています。
 武四郎はこの地でアイヌの人の暖かい心に触れました・・・とある。その板には松浦武四郎記念館写真提供の「オヒョウの樹皮をはぐ人たち」や「さまざまな形のイナウ」や「舞を興じる人たち」があります。この舞は「パンケヌカナンを過ぎて、昼頃にサッテクベツに着くと大勢のアイヌたちが集まって私をもてなしてくれた。この前に仕込んでおいた酒をこしたり、イナウを削ったりしてそれを山や海の神、祖先の神々に供えた。さらにメノコ(女性)たちがムックリという口琴を鳴らし、男たち一同は胸を打ち、足ふみをして舞い始めた。何とも古風で仰々しく見事であった・・・とある。
   その案内版
        

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