訪ねたのは2016年5月22日、中山峠を過ぎて、国道230号線の途中から左折して「旧黒岩家住宅」に着いた。
目印は、櫓と井戸。
黒岩家は「みすまい通行屋として明治5年~17年、黒岩家として明治18年~昭和57年まで使われていたようです。
道路を挟んで、「みすまい通行屋緑地公園」と彫られた大きな石が玄関の手前にある。
緑地公園の石と家屋写真
建物の西半分は、明治4年10月完成の本願寺街道の開削に伴い、開拓使や旅人の宿泊、休憩の便宜を図るため、札幌と定山渓間に宿泊所が必要と考え、翌5年1月みすまい通行屋(屋森:黒岩清五郎)として建てられ、17年に廃止されるまで利用された。その後、19年、新道(現旧道)が完成されるとともに、翌20年頃現在地に移築し、東半分を農家として増築し、黒岩家が農業の傍ら、大正7年定山渓鉄道が開通するまで宿舎として利用。それ以後は昭和57年に新宅に映るまで住宅として利用された。・・・当時、平岸以西、定山渓までは黒岩家一戸のみであった・・・と由来に説明されている。
由来版
井戸
櫓
通行屋内部は資料館にもなっており、玄関には当時のかまどなどがある。
目印は、櫓と井戸。
黒岩家は「みすまい通行屋として明治5年~17年、黒岩家として明治18年~昭和57年まで使われていたようです。
道路を挟んで、「みすまい通行屋緑地公園」と彫られた大きな石が玄関の手前にある。
緑地公園の石と家屋写真
建物の西半分は、明治4年10月完成の本願寺街道の開削に伴い、開拓使や旅人の宿泊、休憩の便宜を図るため、札幌と定山渓間に宿泊所が必要と考え、翌5年1月みすまい通行屋(屋森:黒岩清五郎)として建てられ、17年に廃止されるまで利用された。その後、19年、新道(現旧道)が完成されるとともに、翌20年頃現在地に移築し、東半分を農家として増築し、黒岩家が農業の傍ら、大正7年定山渓鉄道が開通するまで宿舎として利用。それ以後は昭和57年に新宅に映るまで住宅として利用された。・・・当時、平岸以西、定山渓までは黒岩家一戸のみであった・・・と由来に説明されている。
由来版
井戸
櫓
通行屋内部は資料館にもなっており、玄関には当時のかまどなどがある。
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