前日の宿泊地北村温泉を出発してから、石川啄木の歌碑や晩生内、浦臼郷土資料館で松浦武四郎の足跡に出会い、国道12号線に出て奈井江町から、赤平市を通過し芦別に向かう。芦別の郷土資料館を訪ねたら、武四郎のスケッチした「空知大滝」のことを教えていただけるのではないかという期待があった。(武四郎のスケッチと現実の今の空知大滝の違いなどが気になっていたので・・・)
2010年の9月に一度空知大滝を見ているが・・・滝の様子がなんとも武四郎の見ただろう滝とは似てもいない様子だったのです。(武四郎の探検したころから150数年を経ているわけですから・・・違いがあるのは当然かな?とは思うが・・・)
早速、星の降る里百年記念館の受付に来館目的を話したら、館長の長谷山隆博氏が来られて、展示室の鍵がかかっているコーナーを開けて、貴重な武四郎の「石狩日誌」原本からカマソウ(空知大滝)のスケッチを見せてくださり、色々と説明をいただいた。本物を見るのは初めてなので、感動と感謝で嬉しい思い。その後、パソコンを持ってきて、滝の上にダムが作られたので、水量が調整されているとのこと。放流状態の激流を見せていただいた。多分、武四郎が見た空知大滝は流れが激しいものだったのでは・・・とパソコンのビデオ画像で満足した。また、丸山道子訳のスケッチも見せていただいた。
鍵のかかっている貴重な資料展示コーナー写真
長谷山館長の説明を聞く![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/06/b0ff98d0449894082466e2d8b6f1c824.jpg)
(※説明場面写真と名前使用はご本人の了解をいただいているものです)
丸山道子訳「石狩日誌」(山中の宿泊図)
空知大滝![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/6c/6ea4ed6849a0f69a0bfbc2d2217ffbf3.jpg)
星の降る里百年記念館(郷土資料館)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/72/bb8aab2b2267f953e41ba783e7a8608a.jpg)
次に向かった野花南は2010年9月にも訪れている。その時は、芦別から富良野に向かう途中の野花南大橋を渡ると左側の道に武四郎の探検来宿記念の碑があるはず・・・であるが、橋から左折するような道路は無い。カーナビには交差する道路がある。迷ったかな?と思ったりしたが、迷うような所ではない。少し戻って通りかかりの年配の方に道を聞いた。「あ~あの道は崩落個所があって廃道になっているよ。」ということだった。再びあるはずの道の所に来て、ガードレールで塞がれている奥を覗いた。旧道らしき雑草に覆われた平地が見えた。そこを進んでいくと数メートルも歩かないうちに、目的の足跡碑に出会えたので嬉しく思い、当時の思いを追加、書き込む。(野花南の写真は2010年の撮影のもの)
その木の柱には『松浦武四郎探検家来宿 百二十年を記念して 昭和五十二年十月十日之を建てる
芦別郷土史研究会』と
それから再び、空知大滝をダム公園のほうから撮影した。
そらち川看板の奥に碑あり![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a3/1fa90134e2fdb1ec6c283d9b3ada33e5.jpg)
野花南の碑![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0e/5827be45f3cdc3b78e1db231551812a1.jpg)
野花南について松浦武四郎著秋葉實解読「丁巳東西蝦夷山川取調日誌」の上「第八巻再篙石狩日誌(六)」に『アシベツ と云う大川一条落来る。此川巾三十余間、本川は五十間位、共に瀬浅くして急流なり。また岩石蛾々と突出したり。・・・ノカナン 右の方中川にして、フト(河口)の幅八間にして、滝に成り落来る也』と記してある。
芦別から富良野へ向かった。
2010年の9月に一度空知大滝を見ているが・・・滝の様子がなんとも武四郎の見ただろう滝とは似てもいない様子だったのです。(武四郎の探検したころから150数年を経ているわけですから・・・違いがあるのは当然かな?とは思うが・・・)
早速、星の降る里百年記念館の受付に来館目的を話したら、館長の長谷山隆博氏が来られて、展示室の鍵がかかっているコーナーを開けて、貴重な武四郎の「石狩日誌」原本からカマソウ(空知大滝)のスケッチを見せてくださり、色々と説明をいただいた。本物を見るのは初めてなので、感動と感謝で嬉しい思い。その後、パソコンを持ってきて、滝の上にダムが作られたので、水量が調整されているとのこと。放流状態の激流を見せていただいた。多分、武四郎が見た空知大滝は流れが激しいものだったのでは・・・とパソコンのビデオ画像で満足した。また、丸山道子訳のスケッチも見せていただいた。
鍵のかかっている貴重な資料展示コーナー写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ee/01911377789a65a414d0b046bb564111.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/06/b0ff98d0449894082466e2d8b6f1c824.jpg)
(※説明場面写真と名前使用はご本人の了解をいただいているものです)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/04/09aa7c8e2300924e81a9c13a836d020c.jpg)
丸山道子訳「石狩日誌」(山中の宿泊図)
空知大滝
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/6c/6ea4ed6849a0f69a0bfbc2d2217ffbf3.jpg)
星の降る里百年記念館(郷土資料館)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/72/bb8aab2b2267f953e41ba783e7a8608a.jpg)
次に向かった野花南は2010年9月にも訪れている。その時は、芦別から富良野に向かう途中の野花南大橋を渡ると左側の道に武四郎の探検来宿記念の碑があるはず・・・であるが、橋から左折するような道路は無い。カーナビには交差する道路がある。迷ったかな?と思ったりしたが、迷うような所ではない。少し戻って通りかかりの年配の方に道を聞いた。「あ~あの道は崩落個所があって廃道になっているよ。」ということだった。再びあるはずの道の所に来て、ガードレールで塞がれている奥を覗いた。旧道らしき雑草に覆われた平地が見えた。そこを進んでいくと数メートルも歩かないうちに、目的の足跡碑に出会えたので嬉しく思い、当時の思いを追加、書き込む。(野花南の写真は2010年の撮影のもの)
その木の柱には『松浦武四郎探検家来宿 百二十年を記念して 昭和五十二年十月十日之を建てる
芦別郷土史研究会』と
それから再び、空知大滝をダム公園のほうから撮影した。
そらち川看板の奥に碑あり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a3/1fa90134e2fdb1ec6c283d9b3ada33e5.jpg)
野花南の碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0e/5827be45f3cdc3b78e1db231551812a1.jpg)
野花南について松浦武四郎著秋葉實解読「丁巳東西蝦夷山川取調日誌」の上「第八巻再篙石狩日誌(六)」に『アシベツ と云う大川一条落来る。此川巾三十余間、本川は五十間位、共に瀬浅くして急流なり。また岩石蛾々と突出したり。・・・ノカナン 右の方中川にして、フト(河口)の幅八間にして、滝に成り落来る也』と記してある。
芦別から富良野へ向かった。
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