毎週日曜日に女流作家のパーソナリティがひとつの文学作品についてうんちくを言う番組をやっている。
仕事中はラジオをつけっ放しにしているので、特に意識せずとも色んな情報が耳に残る。
この時はヘンミ何とかという人の「くらう人々」か「くらう人」についての話で
その中で外国の猫の缶詰工場で働く少女に著者がインタビューをして、後悔をしたというエピソードが語られていた。
人間の食べるものもままならない国で、日本向けに猫が食べる餌の缶詰を作っていることについてどう思っているか、と質問してそこで働いている人には作った物がどうなるのかを想像しないでよいという権利があるのだ。というくだりや、
我々日本人のほうが逆にその缶詰が何処で作られたか考えるべきだ。という言葉に何か共感するものを感じた。
自分も物づくりというか、住まいという人間の基本的な部分に携わっているが、
果たして使い手は誰がどういう状況で作ったなどということを、どの程度考えるのだろうか。こういうブログを見て、そんなにお手軽に物は作られていないということを少しでも意識して欲しいし、自分自身も身の回りのことにもう少し目を向けたいと思った。
仕事中はラジオをつけっ放しにしているので、特に意識せずとも色んな情報が耳に残る。
この時はヘンミ何とかという人の「くらう人々」か「くらう人」についての話で
その中で外国の猫の缶詰工場で働く少女に著者がインタビューをして、後悔をしたというエピソードが語られていた。
人間の食べるものもままならない国で、日本向けに猫が食べる餌の缶詰を作っていることについてどう思っているか、と質問してそこで働いている人には作った物がどうなるのかを想像しないでよいという権利があるのだ。というくだりや、
我々日本人のほうが逆にその缶詰が何処で作られたか考えるべきだ。という言葉に何か共感するものを感じた。
自分も物づくりというか、住まいという人間の基本的な部分に携わっているが、
果たして使い手は誰がどういう状況で作ったなどということを、どの程度考えるのだろうか。こういうブログを見て、そんなにお手軽に物は作られていないということを少しでも意識して欲しいし、自分自身も身の回りのことにもう少し目を向けたいと思った。
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