芭屋框組(はなや かまちぐみ)

残しておきたい情報や、知っておきたい事

ゴミ問題について

2010-12-22 13:47:54 | 建具屋のかあちゃん
うちは生活クラブという生協に加入していますが、

その生協が定期的に出している冊子の中にある

記事を見て、ビックリしました。

世界のゴミ焼却場の2/3が日本にある!

ゴミを焼却するということは、ダイオキシン、その他有害物質を

バラまくということ、信じられない思いです。

他の国ではどのようにしているのかと気になって調べてみると

アメリカでは国土が広大であるため、焼却せずに埋め立てている場合

が多いので焼却炉が少なくて済んでいる。

又、焼却場建設に反対する住民運動もあって、なかなか増えないで

いるそうです。

日本の国土は狭いからゴミ問題は深刻です。

私も改めて考えさせられました。

地元ではゴミの分別を徹底しています。

紙のゴミは資源として、私も個人情報の載っている紙以外全てティーバック

の紙袋まで、チラシ類の紙の中に混ぜて資源ごみとして出しています。

以前は生ゴミも土に埋めていたけど、ネズミが出て近所に迷惑がかかるので、

やむなく燃えるゴミとして出しています。

私の知り合いの農場の方に生ゴミの処理方法をお聞きした所、

ニワトリに全てあげているとか。魚の骨まで食べちゃうそうです。

住宅地ではニワトリは飼えないので、うらやましい限りです。

市販のゴミ処理機は、ランニングコストがかかるし、コンポストは

虫や匂いが気になる。

何かいい処理方法はないでしょうか。


参考写真

タンザニアの彫刻

2010-12-12 17:46:41 | 心に残った話、出来事



10年程前に、父がタンザニアの方と知り合いになり、そのご縁で

タンザニアに招待された。

タンザニアといえば、セレンゲティ国立公園やキリマンジャロで

有名だが、一般の人が聞いても、いったい何処の国なのか

分からない方の方が多いと思う。

ライオン等のいるサバンナのイメージが強いが、首都のダレサラムでは

ビルが立ち並び10年前でも携帯電話を持っている人が多く見受けられた。

さておき、土産物屋でよく売られていた木彫品について、今回は紹介したい。

現地の人によるとマコンダあるいはマコンデと呼ばれる部族の伝統工芸品

とのこと。

素材は黒檀やローズウッドなのだが、造形の美しさもさることながら、

これらの彫刻は大体カンカン照りの太陽の下、野ざらしに置かれているにも

拘らず、ひび割れなどは一切無いのに常識を覆される。





学生時代、動物のデッサンをしたことがあるが、なかなか特徴を捉えるのは

難しく漫画チックになりがちであった。





彫刻となればなおさらきちっとした造形力がないと形にならない。

そうして見るとこれらの彫刻は特徴をよく捉えていて、なおかつ程よくデフォルメ

され、かなりハイレベルなセンスを感じる。

こういった芸術があまり世の中に知られていないのは、不思議でしょうがない。







別の土産物屋で、マコンデの職人が作業の様子と使っている道具を見せてくれた。



「優れた彫刻は粗末な鑿でつくられる」ということわざを何かの本で見た事が

あるが、まさしくそのことわざ通りだった。



便利な道具が簡単に手に入り、職人の腕が落ちたとよく聞くが、こういう物を

見ると強く実感する。


読みと感覚

2010-12-04 17:03:28 | 心に残った話、出来事
囲碁棋士、張栩(ちょうう)著「勝利は10%から積み上げる」より




「読み」と「感覚」について:

「読み」とは時間があれば答えが出る部分。数学の問題のように

トレーニングを積めば正解に近づける場面。

一方「感覚」とはいくら時間をかけても答えが無限にある部分

理屈や論理に裏打ちされた、ヒラメキと直感。

日常生活の色々な場面でこの2つを使いこなさなければならない局面

に遭遇する。



刃物研ぎのような作業においても教科書どおりの決まった法則の

「読み」の部分と刃先が今どうなっているか?等の経験や体験に

基づくイメージ=「感覚」が無いと変化に対応出来ない。

削る材や環境が違えばそれなりに調整し直さなければ、

安定した結果はついてこない。

少し話が変わるが、デザイナーの友人と話していた際にコンピューター

が当たり前になった今の世代の仕事の進め方について

「PCが一寸使えればそれらしい作品が素人でもすぐ出来るけど、

わりと考え無しにやっている事が多いからダメ出しをすると

いきなりゼロに戻ってまいよんねん」

「きちっと理論立てて考えていると、部分的に後戻りしてやり直し

作業も早い。手で書かんといきなりコンピューターで考え始めたら

あんななんのかなぁ」とぼやいていた。

CADで書いた納まりのいい加減な図面もこれに相当する。

経験や理論に基づかない感覚は単なる当てずっぽうで、結果がうまく

いかなかった場合に原因分析もしなければ永久に出来ないままで

終わってしまう。

ところで工藤さんの話を聞いていつも感じるのは一つ一つの動作に

きちっとした裏づけやイメージがあって曖昧な部分が少ないという事。

まだ会った事は無いが、愛媛の山本さんも会報に紹介されている

感じからするとこの読みと感覚がきちっと体現できていると強く

感じられる。