芭屋框組(はなや かまちぐみ)

残しておきたい情報や、知っておきたい事

2020 明けましておめでとうございます

2020-01-01 09:32:21 | 心に残った話、出来事


2020年明けましておめでとうございます。

昨年の全国削ろう会信州伊那大会では大変お世話になりました。お陰様で皆様に喜んで頂けた良い大会になったのではないかと思います。

組合役員や常会の組長など役が重なり、なかなかブログ更新の機会を逃していましたがぼちぼち再開していく予定です。

タイムリーでない話題も出てくるかと思いますが、今に始まった事では無いとしてお見逃し下さい。




口コミ情報に踊らされる私

2014-06-08 17:10:17 | 心に残った話、出来事
インターネットが普及し道具関連の情報も15年程前に比べて飛躍的に進歩した様に思える。

例えば、千代鶴是秀のような超有名人でも会った人はおろか作品を使った人が何人いたのだろうか?

刃物の切れ味という曖昧な事にどうしてこうも振り回されるのか? こんなにも情報化が進んでいても結局の所、口コミ情報しか無かった時代と本質は変わっていない気もする。


それはさておき、この人それぞれに感じ方が違うはずの要素に、科学的データや物語を付けて自分の選択に理由を付けてる様な気がしてきた。

或いはテレビ番組でも言っていた、ペンギンが仲間がいる方へ近づく習性があり、人間も行列がある方に信頼性や安心感を感じる為か

又は以前外国人から指摘された様に日本人がモノカルチャーの為か(つまり旅行に行っても皆同じホテルに泊り、同じメニューを注文するみたいな事。彼らにとってはかなり異様な事に感じるらしい)

そしてこれらの習性が合体した時、今流行りの○○とか注目の△△とかを買っちゃたり、気になって仕様がなかったりしている。

当然、売り手側がこういった事を見逃すはずも無く、気付けば何処の店頭にも右へならえの品物が並んでいる。


最近の傾向で気になるのは、アクセス数の多いブログで取り上げられた物をそっくりそのまま売れ筋商品に仕立て上げている業者が多い事だ。

値段を吊り上げたり、一通りブームが収まった頃に、今迄見向きもしなかった物を急に売り出したりして来るのも気になる。

では、金井 東郷レイ号 犬首鋼 青紙2分寸 片嶋圭三 山本健介 貞時 中惣 長光

では、家紋清久 錦清水 高昇 常弘 正繁 

その他 天水ナイフ等々が最近の注目品といったところか


殆ど京都のあの方や兵庫のあの方、三重のあの方など道具好きなら大体見ているブログで紹介された物ばかりで、研ぎ関連では、北海道のあの方が紹介した830pやサンヨー6000番 大阪や愛媛のあの人達が使っているキングハイパー等が挙げられる。

私も予算の許す限り気になったものは試す様に心掛けているが、結果的に言える事は他人には最高でも、自分にはあまりしっくり来ない物も多い。

仕事で使われいる方はさておき、研ぎも仕込みもしない人達の、ただの噂話に振り回され無い様な心眼を身に付けられるのは何時になるやら。

皆さんも 受け売りの話を鵜呑みにせずに必ず実行しましょう!


余談だが、今オークションを見ると人気の片嶋鉋が手頃な値段で出品されているが、前述のペンギンの法則か入札者ゼロがかえって警戒心を産んでいるのか珍しく売れ残ってしまいそうだ。



 




ビフォーアフター海外編を見て

2014-01-26 18:42:19 | 心に残った話、出来事
テレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」にてフランスで築153年の

マンションリフォーム工事を2週に渡り紹介している。


この番組は、設計士の事を何故か「匠=たくみ」と呼んでいる所や、天井、壁を

大袈裟に壊しぃ~の最後に施主が感激して泣くという演出、番組を観た一般の方に

変な誤解を招かすような気がしてならないので、普段は見ない様にしている。


が、しかし外国の職人技や施工法はめったに見れない事もあり、

ついつい見入ってしまった。

一番意外だったのが、柱、梁などの躯体は木造だった事。床下地の根太の固定法も

大丈夫かいなと思えるものだった。


その大丈夫かいな?の築153年にもなる古いアパートが、5階建てでしかも

各部屋に風呂トイレは勿論のこと、暖炉用に屋上まで煙突がつながっている。

これにより、集合住宅でも普通に薪ストーブが使える憧れの部屋が実現される。

日本ではまだ江戸時代だった事を思えば、かなり驚きだ。


考えてみれば、容易に外観をいじれない石造建築では伝統的にリフォーム技術や

内装の装飾センスが、磨かれて来たんだなぁと改めて考えさせられた。

番組途中に出てきたボートハウスでは、住人自身がセンスの良いリフォームを

実践されており、お洒落な暮らしぶりが展開されまくりだった。


DIY=アメリカと勝手に印象づけていたので、日本のホームセンターよりも

遥かに充実した品揃えと広い店舗が、パリのど真ん中にあるのは全く予想外だったし、

店構えも古い集合住宅の1階~地階にあり、周りの街並みを何も損なっていないのにも

見習うべき点が多い。


ところで、フランスの職人の様子は和気あいあいとして、あまり悪い印象は無かったが、

街中の入り組んだ現場に資材の搬入出している大変さは、見ているだけで

ぞっとしてしまった。(昼飯に皆パンしかを食べていなくて、力仕事の割には質素な

食事の感じがした)

番組は、更に何週か海外編を続けるようである。











あけまして、おめでとうございます

2014-01-01 16:24:29 | 心に残った話、出来事
あけまして、おめでとうございます。

毎年の事ながら、ぐずぐずしている内に年が明けてしまいました。

今年も宜しくお付き合いの程お願い致します。






少し時間は遡りますが、ドラマ「心がときめく片付け術」仲間 由起恵:主演を見て

何年も使わずにいた、道具達と片を付ける=片付ける、お別れした方が良い気にさせられ

ました。

この方法によると、一品づつ手に取るなり身に付けるなりして、心がときめかない物は、

お別れする。そうして残った品物1個づつに居場所、帰る所を決めてあげて、

使いおわったら必ずその居場所へ戻してやる。(その他細々ありましたが、省略)

そういう事で毎月10品、合計30品ほどをオークションで売却。

その後、お約束通り別の道具を5~6品購入。あふれている道具の居場所を作るべく

目下思案中~仕事で中断。

元の状況に戻らない事を祈りつつ、もう少し整理を続けます。


2013松本研修会つづきのつづきからの~

2013-09-29 20:17:44 | 心に残った話、出来事
さて忘れてはならないのが、清水大会で優勝された金沢の武田さん。

ここ何年か松本にも足を運んで下さり、すっかりお馴染みの顔となられている。


テレビ出演効果もあってか、その一挙手一投足が注目の的だ。

ご本人は、いたって普段通り相変わらず安定した削りをされており、

清水大会で優勝出来たのは、計測所のすぐ近くで削っていたので

計測に来た人がいない時を見計らって、削ってすぐの鉋くずを計測してもらえたから

良かったと仰っていた。並んでいる内に乾燥して厚くなってしまうとの事だ。

記録を出すには、そんな事も勝負の分かれ目になってしまうようだ。


最近の情報化により皆さんの砥ぎのレベルは、格段に進歩している様に思う。

武藤さんもこう仰っていた。

「最近の連中は、スコープを覗いてるから5ミクロン削れる砥ぎは出来ている。

でも台がだめだ!台直しも荒しこ、中しこ、仕上げの3丁使い、

下端に段差が無い様に綺麗に仕上がってないとだな」と。


ふと気付くと武田さんの砥ぎの実演に人だかりが出来ていた。

詳しくはブログNGなので書けないが、国本さんが究極の砥ぎを発表される前の

砥ぎをされていた。


そして注意されていたのは、とにかく自分でやってみる事。

その上で自分の方法を見つけるしかない!という事。

それからこんな事も、「普段こんな騒がしい所で、絶対に砥がない。

静かな部屋で、研いでいる音も聞き逃さない様でないと、こんな繊細な

砥ぎは出来ません。」


成る程やはりそうだろう。その後皆さんもご存知の通り、国本さんが究極の砥ぎの

全てをブログで発表され、遂にパンドラの箱が開かれてしまった。


このブログ公開により皆さんが、究極の削りを手に入れたかというと?

どうもそうでも無い様に思われる。


自分よりも遥かに上手な方々が、それほど簡単に2や3ミクロンの削りが出来ない

ようであるから。

自分の場合、砥面を平らにする所ですでにつまずいている始末、

全くお話にならない。もう一つ致命的な事は、指先の触感が鈍ってきたのか

刃返りが触っても解らなくなって来た事。

まぁこんな事を、ひとつひとつクリアして行くしかない。


それと最近気になるのが石定盤。愛媛の山本さんが約一年前に紹介されているのだが

いまいち全貌が解らない。最初はてっきりラップ砥ぎの定盤だと思っていたが

どうも台下端をみる定規のようだ。その内誰かが発表するのを待つ事にしよう。






2013松本研修会つづき

2013-09-29 16:08:23 | 心に残った話、出来事
今年の研修会は、なぜか普段よくお見かけする事はあっても恐れ多くて

話した事が無い様な方々とお話出来た。

先ずは、直井棟梁。自分が持っていた玄翁に目を止めて下さり

「あんた道具好きなんやったら、これ見したるわ」

とカバンから何やら桐箱を出されてきた。

長谷川幸三郎 古代木目玄翁!!

「これって、本で見た事あるやつやん!」と思わず心の中で叫んでしまった。

そうこうしている内に、鑿鍛冶の田斎さん親子がやって来られ一緒に鑑賞する事に。

「はぁ~きれいな仕事だぁ~。さすが幸三郎さんだ!!」とまるで拝む様に

感心されている姿は、とても印象的だった。

息子さんは、櫃の側面を見て「あ~やっぱりこうなるんだぁ。この木目鍛えに

穴あけんのは、ちょっと嫌ですねぇ~」と、さすがに鍛冶屋さんならではの

目の付け所だ。



その他「直」銘の切り出し、「千三代」銘の延国鉋(これもほんとの初期型)を

見せて頂いた。

細かい点は良く解らないが、う一の銘の切り方やヤスリの掛け方が繊細で

丁寧に手仕事された物が発するオーラというか、風格が出まくっていた。

この鉋刃が納められている桐箱の表書きが、削ろう会のはっぴやTシャツで

お馴染みの是秀直筆「鉋」

「ちょっと貸してあげたら、コピー取られちゃってなぁ~エライ事だった」

と、笑っておられた。


その他箱書きの話から、桐の板は紙と違い筆が滑らないので、非常に書きづらく

普段字の上手な人でも子供が書いた字になってしまう事や、

碓氷健吾さんの奥さんも大変字が上手な方だが、箱書きの字をけなされて

書かなくなった話、先出の木目鍛え玄翁の箱書きは幸三郎さんの娘さんが

なさった事などを伺えた。


そんな訳で貴重な品を前に、とても写真を撮れる雰囲気では無かったので

残念ながら画像はありません。気になる方は「千代鶴是秀 写真集②」の

47ページを参照して欲しい。(※見せて貰ったのは100匁で、本に載っている物では

ありませんでしたが、見た目は近い)


その後、直井棟梁の人を寄せ付けるオーラにあやかれたのか小川三夫さんに

サインを頂けたり、





また鉋削りをしていると、何故か田斎さんが

「悪いけど、どうゆう風にやるか教えてくれんかな。削った事ないから解らんのだよ」

って嘘でしょ!?しかも何で俺ん所に、他に上手い人一杯いるでしょうが!

と思いつつもこれも何かのご縁、あつかましくも一緒に削る事になった。

更に「孫にもやらしてやってくれんかなぁ」と、こうなりゃままよ!

が案の定、黙って見ておれん大御所の皆様にあっという間にバトンタッチ。

やれやれ、おかげで良い経験をさせて頂いた。


その後、貞時鉋の樺沢さんがはな取りをしてくれたり、武藤さんが私の鉋の刃先を

スコープで見て「これだったら、5ミクロンいけるよ」と言って下さった事など

嬉しい事満載だった。



                                     つづく






同世代への旅 -1967年とその周辺-

2012-01-04 15:26:57 | 心に残った話、出来事


昨年暮から始めたこのシリーズ

くずくずしている間に案の定、年をまたいでしまった。

今回、1967年(昭和42年)は私の生まれた年。

意識していた同世代と言えば、清原、桑田、三浦カズ等

20代の頃はあまりにも世界が違いすぎて遥か雲の上の存在で

その頃の自分の置かれていた立場を考えると自己嫌悪に陥らされていた。

40歳を過ぎた今となれば、気負いが無くなったのか、みんながんばっているなあと

素直に感じられる。

ところで、4.5年前の同窓会に行って、俳優の佐々木蔵之介が同級生だった事を初めて知った。



それ以前から気になる俳優だったが、まさか自分の同級生とは思いもよらなかった。

最近、話題のドラマや映画でも主役や重要な役どころが多いので

自分の事の様にうれしい限りである。


同世代への旅 -1937年とその周辺-

2011-12-18 17:23:18 | 心に残った話、出来事
1937年(昭和12年)は私の父の生まれた年。

前回、前々回の祖父、曽祖父の時代は殆ど歴史上の人物が多く

100年以上前の話なので、すでに亡くなっている方がほぼ大半を占めていたが、

今回はまだ74年前の話なので、まだまだ現役で活躍されている方が多い。

私の幼少の頃の記憶と合わせて、この世代の人たちがどのような時代を

生きてこられたのか、少し振り返りたい。

1950年頃から、1973年のオイルショックまで続いた高度経済成長にど真ん中で

恩恵を受けていたのではないだろうか。当時の池田内閣が打ち出した

所得倍増計画で、本当に10年間で国民の平均月給が2.3倍になってしまい、

「東洋の奇跡」と世界を驚かせたのもこの頃である。

家庭を省みずモーレツに働くのが美徳とされていた。

一流学校を卒業して、大企業に入社するか医者、弁護士、銀行マンになることが

幸せな生活を送れると誰もが思っていた時代からか、未だにこの世代の人に

職人仕事に対する偏見が強いように感じる。

同年生まれの人物としては長島茂雄や美空ひばりといったスーパースターを

始め、阿久悠、コシノヒロコ、浅井慎平、桐島洋子、養老孟司、緒方拳、等々

そうそうたるメンバーだ。

1936年(昭和11年)生まれと1938年(昭和13年)生まれの人々はこんな感じ。




同世代への旅 -1907年とその周辺-

2011-12-11 16:30:49 | 心に残った話、出来事






1907年(明治40年)これは私の祖父が生まれた年。

同じ年にどんな人がいるかまたまた調べてみた。

湯川秀樹(物理学者)

中原中也(詩人)

ローレンス・オリビエ(映画俳優)

レイチェル・カーソン(生物学者)

服部良一(作曲家)

東野英治郎(俳優)

淡谷のり子(歌手)

人生幸朗(漫才師)等

1908年(明治41年)生まれでは、

東山魁夷(日本画家)

西岡常一(宮大工)

吉村順三(建築家)

沢村貞子(女優、エッセイスト)

1909年(明治42年)生まれでは

松本清張(作家)

太宰治(作家)等

こうしてみると意外な人も中には混ざっており、なかなか面白い。


同世代への旅 -1879年とその周辺-

2011-12-11 14:42:14 | 心に残った話、出来事


1879年(明治12年)は、前回話した私の曾爺さんが生まれた年である。

同じ年にどんな人がいるか調べてみた。

大正天皇、滝廉太郎、永井荷風等

近い世代では、斉藤茂吉(明治15年生まれ)、石川啄木(明治19年生まれ)、

谷崎潤一郎(明治19年生まれ)

坂本龍馬が1836年~1867年、勝海舟が1823年~1899年なので龍馬が生きていれば

43歳、勝が56歳の年である。