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その1:羽生選手の(2016年の)新ショート Princeの「Let's go crazy!」の歌詞の真意を聖書から読み解く その1

2022-11-17 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

2022年11月17日:プロローグ横浜公演で、羽生結弦が自ら進んで滑った意味、込めて来た想いはこのページにありますので再UPいたします。

2016年の9月に初掲載したこのページを、再UPしておきます。羽生選手は、「レッツゴー・クレイジー!」の衣装を、「紫」に変えさせました。きちんと明確な理由があって、変えたのです!そもそもプリンスさんが「紫」にこだわった理由は、それがイエス=キリストを意味しているものだからです。それを勝手に逆恨みしてプログラム破壊を仕掛け、妨害を仕掛けてきた人たちに御注意下さい。

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真の神が誰なのかを真摯に求める人たち、真理を本気で追求する人たち、真の神様に従う心を持つ人たちには、神様の方から、手を差し伸べて下さいますし、その想いを無駄にはなさいません。

羽生選手がメッセージの日付をあえて「4月21日」にしていたのは、このプログラムと関係があります。新ショート「Let Me Entertain You」も、同じ趣旨の歌です。悪魔を喜ぶこととは正反対のメッセージが込められていることを、改めてご確認下さい。

聖書は明確に、悪魔という霊的な存在の実在を認めて、人間に警告しています。悪魔の最大の戦略は、「悪魔なんて(霊的な存在は)いないよ」という騙しと、神ではない霊的な存在やただの物質を、神と同列において拝ませること。 それに成功すると、簡単に意のままに人間がなっていくからです。

羽生選手のやっていることは、この頃から、ずっと一貫しております! 

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2016年9月25日 初掲載

羽生選手が、今シーズンのショートの曲として選んだ、 Prince さんの「Let's go crazy!」は、テンポも速くてノリノリの明るい曲ですが、本当の意味は、そんなにクレイジーではなくて、むしろ非常にキリスト教的な、驚くほど信仰の深い歌になっています。

歌詞全体はこちらを参考に。http://www.songfacts.com/detail.php?lyrics=9605

英語が読める方たちは、「Let’go crazy」 で検索して、英語のウィキペディアのページを、ご覧ください。→ https://en.wikipedia.org/wiki/Let%27s_Go_Crazy

上のウィキペディアの英語版で解説されているように、英語圏では、キリスト教精神への強力な奨励になっている歌だと解釈されていて、実際に、かなり強烈な聖書からのメッセージ、特に、終末論(=この世の終わり)を強く意識した内容になっていると思います。

プリンスさんはこの歌を作っていた当時は、キリスト教プロテスタントの信者でした。 特に世界の終末が近づいてきた世の中において、イエス=キリストの「再臨」と「携挙」と呼ばれる内容について、とても意識して、歌っている内容になっています。

ここでは、誰でも訳せる部分は置いておいて、特に、日本では聖書も知られておらず、キリスト教が全然理解されていないがゆえに誤解されていると思われる部分を中心に、本当はプリンスさんが訴えたかったと思われる真意と、これがアメリカで大ヒットして彼の代表作になっている理由、その聖書的根拠について、詳しく説明してみたいと思います。 

(もちろん、私はプリンスさん本人ではないので絶対に正しいとは言えませんが、出来るだけ聖書に忠実に解釈したいと思います。聖書を無視した読み方も出来ますが、そういう人たちをもあえて狙って、プリンスさんは歌詞でメッセージを送りたかったとわかりますので、後から説明していきます。 その辺が、奇才・天才と呼ばれたゆえんだろうと思うのですが…)

 

まず、こちらに、英語での解説を見つけました。英語が読める方はどうぞご確認を。
http://www.songfacts.com/detail.php?id=9605

The lyrics are about getting through life and the battle against evil, Satan being the de-elevator. We are encouraged to not allow the devil to break us down and instead to turn to God to help us by going crazy and punching a higher floor (God).

この歌詞は、人生を生き抜くことや、悪との闘いについて歌われていて、悪魔(サタン)が「de-elevator」と表現されている。
私たちは、自分たちの精神を壊し、引き下げることを悪魔(=引き下げエレベーターと表現される)に許したりせず、代わりに、神様が私たちを助けてくれるように、必死になって(夢中になって)上の階(神様のほう)へと突き進み、神様と共に生きるようにと奨励されている。

※ 本当の歌詞に出てくる、「de-elevator」 という造語を、the elevator と間違って表記しているものが多数広まってしまっているようですが、(それでも通じますけど)、それだと本来の意味がやや伝わりにくくなります。(上のリンクの歌詞表記も、the になってしまっていて、間違った表記ですね。)

プリンスさんが最後にお亡くなりになったのが、エレベーターの中だったとのことで、心痛めているファンが多いと聞きます。その意味でも、これがde-なのか、theなのかで、その亡くなり方をお許しになった神様の、そこへの意味さえも変わってくるだろうと私には思えますので、ここでは正確に、de-elevator であることを強調して、見ていきます。

よく解釈すれば、神様は、プリンスさんのこの最期を通して、「彼のこの歌にまた注目してほしい」 という世界へのメッセージの意図があったと考えることができるかもしれません… 現在の世界情勢を考慮しても、羽生選手がこれをやることになったことも含めて、大きな意味があるかと思います。 

 

聖書では、神様は、「神=無条件の愛」と表現されており、「人間の想像をはるかに超えた、深い深い愛のお方」であり、その愛の深さは、多くの人間の想いや考えをずっと超えていて、想像を絶するほどの大きな愛だと言います。

人間の表面などではなく、その人の心の奥底の隠された深い部分はもちろん、その人にまつわる事情の全てをも、良く解って下さるお方、まだ同時に、完全に聖く正義を実行されるお方、それが聖書で言うところの「神様」の姿ですから、羽生ファンはもちろん、まだ深い悲しみにあるプリンス・ファンの方も、あまり気落ちしないで、プリンスさんが真剣に求めてやまなかった神様のことを、少しでも知るつもりで、この解釈と説明を読んでもらえたら、と思います。

さて、日本のネット上にある翻訳もので、正しく解釈出来ているものがほとんどないように思えるのは、聖書の基本的な知識がないと絶対にわからない点が多々あり、信仰の状態に応じて変化して読めるよう伏線が張られている、なかなか巧妙な歌だからです。

逆に言えば、信仰や知識があれば、疑いようもなく露骨にわかる部分もかなりあります。

crazy は、「狂っている」という意味もありますけど、アメリカだと結構気楽な明るいノリで、「夢中になる、熱中する、熱狂する、大騒ぎ」という感じで使われている言葉ですし、私から見るとこの歌は、イエス=キリストの再臨について歌っている、「神 対 悪魔の狭間で苦労する現代人への応援歌」であり、日本の一部でとらえられているような、エロ系や卑猥系の意味の曲ではないのです。


歌のメインテーマを表現すると、

「愛するみんな! 今の時代、生きるのは大変だけどさ、神との勝負で、最終的に負けが既に決まっているような悪魔なんかに、絶対にやられちまうなよ!神様に必死で近づいて、夢中になって頑張れよ、レッツ・ゴー! 目指せ天国!」

という意味で、かなりノリノリな感じです。

この曲では特に、「de- elevator」=引き下げエレベーター、という言葉の解釈がカギになります。
上の英語のぺージでは、「悪魔」の暗喩だと説明されていますが、そのような説明がなくても、聖書の知識があればすぐに、「悪魔の引き下げエレベーター」という意味だとわかりますし、それで歌全体が、完璧に意味が通るようになっています。

接頭詞の「de」は一般に「下げる」「減らす」などを表しますが、この歌では、「Devil 」=悪魔の「De」でもあるわけですね。

(注:聖書では、悪魔は一般にSatan(サタン)=(神に敵対する者、の意味)で表現されますが、これは聖書の原本に忠実な正確な訳であり、英語圏では「Devil」もほぼ同じ意味で使われています。(教会でも使われます。主に未信者向けですが。) 

なぜ「エレベーター」という単語を使うのかというと、「自分の力によらず、恵みによって上へと一気に引っ張ってくれる 神の力」、という意味ももちろんありますが、聖書で、「この世の終わりごろに起こると預言されている内容」と関係があるのです。

聖書には、ある日ある時突然に、「復活して天にいらっしゃるイエス=キリストが、再び地上に戻ってきた時に、この世の信者を、瞬時に空中に引き上げて、天国に連れていく」ことが預言されているのですが、そのイメージが、まさに「エレベーター」で天に連れていかれるかのごとく、ほんの一瞬で起こる描写になっているのです。

(=ここを羽生選手は4回転ループで表現しています。) 

それは「神様の力」なわけですが、「それを阻み、引き下げようとする勢力=悪魔」ですから、この「de- elevator」(=引き下げエレベーター)は、すぐに悪魔のことだな、と、知識のある人には分かるようになっています。

 ですから、エレベーターそのものが悪魔の象徴ではなくて、「引き下げ」エレベーターこそが、悪魔の象徴になっているだけだ、ということを、動揺しているプリンス・ファンは、理解すべきだと思います。 そこを知るだけでも、見方が変わるでしょう。

 

曲全体を簡単に要約してみると、

「愛するみんな! もうすぐ新しい世界が待っているぜ! 今のこの終末の近づいた世は、悪魔が大暴れしていて生きるのがすごく大変だが、悪魔の引き下げエレベーターなんかに乗っかって、あいつらに簡単につれていかれちまうなよ! 
そんなものは、自分が本気で夢中になれるものを見つけて(必死で神を求めて)、神の力で拒否して、上のフロアへ打破してしまえ! 
何があっても絶望せず、悪魔が誘惑する、死を招く危険なものに騙されず、手を出さず、救い主を求めて、人生で夢中になれるものに没頭して(=使命を果たして)、今を真剣に生き、信念をもって頑張ろうぜ! レッツ・ゴー!
イエス=キリストはもうすぐ地上に戻ってくるぜ! 俺たちの天国はすぐそこ! 」

さて、以下、その詳細を見ていきたいと思います。

 

まず、歌の一番最初に出てくる一連の言葉は、キリスト教と聖書を連想させる内容です。

Dearly beloved
We are gathered here today
To get through this thing called life

Electric word life
It means forever and that's a mighty long time
But I'm here to tell you
There's something else
The after world

A world of never ending happiness
You can always see the sun, day or night

冒頭の「Dearly Beloved」。これは「愛する皆さん」という、呼びかける挨拶の言葉ですが、実はこの Dearly Beloved  は、聖書の一部に何度も繰り返し出てくる、大変有名な表現なのです。

聖書の翻訳バージョンによっては、ただの「Beloved 」だけが使われていることも多いですが、日本語の聖書(新共同訳)だと、「愛する人たち、」との訳になっています

ですから、これだけで、聖書的世界観の始まりだと、わかります。

 

※ 以下、参考聖書箇所 

(以下、日本のカトリックとプロテスタントが共通で使う、「新共同訳」で書きます。)

ヨハネの手紙第一 4章1,2 (新共同訳)

愛する人たち、(=Dearly Beloved,もしくは ただのBeloved,)   どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出てきているからです。 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。」

 

ペトロの手紙第一 4章12節 (新共同訳)

愛する人たち、(=Dearly Beloved)  あなたがたを試みるために身に降りかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。」

 

ペトロの手紙第一 3章8~10節 (新共同訳)

愛する人たち、(=Dearly Beloved)  このことだけは忘れないでほしい。主の(=神様の)もとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。(=この地上のような時間の概念はないということ。)  ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。(→イエス・キリストの再臨のこと)

そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は(=イエスが再び地上に戻って来られる日は) 盗人のようにやってきます。

その日、天は激しい音をたてながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に融けつくし…  (以下略)」

 

このように、この「Dearly Beloved (またはBeloved)=愛する人たち」、で始まる言葉の多い、「ヨハネの手紙」(第一ヨハネ、第二ヨハネとも書かれる)と、「ペテロの手紙」(第一ペテロ、第二ペテロとの表記もある)と呼ばれる箇所は特に、

「悪(悪魔)との闘いについて」や、「この世界が終わる頃(終末の世)」に関する内容、「偽りの霊と真実の霊について」、等が沢山書かれている箇所 なのです。 

(注: ヨハネの手紙第一(第一ヨハネ)等は、「ヨハネによる福音書」とはまた別の箇所です。)

また、歌の冒頭の言葉に出てくる、After world (この世の次の世界)の描写もまた、聖書に出てくる天国、または終末後の新天新地と呼ばれる世界そのものズバリの表現です。 

A world of never ending happiness
You can always see the sun, day or night

「幸せが決して尽きることがない世界」であり、「昼も夜も、いつも太陽を見続けることのできる世界」と表現されているこれは、聖書で、天国、または、今のこの世が滅びた後にくると預言されている、新天新地の世界を表現しています。

ここに出てくる「昼も夜も照らし続ける太陽」とは、天国や、終末の世の後の「新天新地」における「イエス=キリストのこと」を指していて、これは、「ヨハネの黙示録」を中心に、聖書の中に何度も出てくる、天国描写でとても有名な表現です。 

北米だと、これは普通の教養レベルですから、ここまでで、聖書の終末的世界観、あるいは天国を意識した内容の歌だと、すぐに解るようになっています。

 

 * 参考聖書箇所:(この世が滅びた後の、新天新地の世界または天国の描写 )

この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊(=イエス・キリストのこと)が都の明かりだからである。 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中閉ざされない。そこには夜がないからである。 人々は、諸国の民の栄光と誉とを携えて都に来る。

しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊(=イエス・キリスト)の命の書 に名が書いてある者だけが入れる。」 

  (ヨハネの黙示録 21章23~27節  新約聖書 新共同訳より)

 

「もはや、呪われるものは何一つない。 神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。

彼らの額には、神の名が記されている。 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。 

神である主が 僕(しもべ)たちを照らし、彼らは世よ限りなく統治するからである。」 

  (ヨハネの黙示録 22章5節  新約聖書 新共同訳より)

 

さて、今度は、日本では全然理解されているように見えない、歌の最後を見てみます。

He's coming
He's coming
Coming
Take me away!

この曲の一番最後から2番目に出てくる、誤訳の多い「He's coming」ですが、

この「He」というのもまた、神様、すなわち、救い主イエス=キリストのことを指していて、この世の終わり(滅び)の直前、あるいは近づいた頃に、イエス=キリストが再び地上に戻ってきて、神に従う者たちを天に連れていく、という、聖書での専門用語で「再臨」と、「携挙」(携挙はこの世の終わりよりも先に来ます)と呼ばれるもののことを明確に表している表現です。(※この詳細説明は今回は省略。)

クリスチャンが「He's coming! 」と言ったら、「Jesus (イエス様)is coming !」、すなわち、「(もうすぐ)イエス様がやってくる!」の意味で、これはほぼ常識なのです。ゴスペル、讃美歌などでも良く使われている言葉です。

プリンスさんは当時から、特に「イエス様の再臨」(もしくは携挙)を強く待ち望んでいたことが知られていますし、同時期の他の曲を見ても、それがとてもよくわかります。 (* 後に説明します。)

歌の最後の、「Take me away!」は 「俺を連れて行ってくれ!」
という意味ですけど、これは間違いなく、イエス様が戻ってきた「再臨」か「携挙」の時に、置いて行かれる側にならないように、

「俺を天国に連れて行って!」と神様にお願いしている言葉である、とわかります。

これにより、歌の冒頭の一連の言葉と、ラストとが、これで完全に美しく対応した形での、完璧な終わり方になるのです。

 

聖書というのは、「預言の書」=(神の言葉を預かる、の意味)と言われますが、そのかなり多くが、書かれた当時から見ると、未来についての内容になっています。そのうちのかなりの部分が、既に成就していて、今の時代を生きる私たちは、それらを確認することが出来るのですが、また実現していない、「これからの未来」を指している内容も、まだそれなりに残っているのです。

主に、今のこの世界の終わり(終末の世)に関する、預言部分です。

世界中に散らされたユダヤ人による、イスラエルの再建国 の預言が既に20世紀のうちに成就しているため、この「終末」に関する内容が起こるのは時間の問題で、21世紀の今、既にカウントダウンに入っているだろう、と世界中から注視されています。

プリンスさんがこの歌を歌った1980年代は、イスラエルの再建も済み、その一方で、東西の冷戦の緊張が高まっていた時期で、アメリカ人は、核兵器による脅威をかなり感じていた頃でもありますし、エイズも大流行し始めた時期と重なります。 終末を意識する人が増えたのも、当然の流れです。

2016年である現在は、なおさら、終末に近づいていると言え、今現在も、まさに聖書の預言通りに進んでいる出来事が、中東を中心に、リアルタイムで進行中なのです。旧約聖書に、世界が今、固唾を呑んで注視している、有名な聖書箇所が複数あり、その預言の成就の舞台が、整いつつあると言われます。

私たちは歴史上、大変な時代に生き、生かされています。

 

また、それと同時に、聖書にはもう一つ、新約聖書に度々出てくる、終末に起こるとされる一連の重大預言があります。

そのうちの一つが、この歌で歌われている、「再臨」とか「携挙」と呼ばれるもので、復活して天に引き上げられている イエス様が、ある日突然、何の前触れもなく、この世界に戻ってこられると、聖書は預言しています。
「再臨」とか「携挙」、この二つは厳密には全然違い、起こるタイミングも、対象となる人たちも違うのですが、そのどちらも、ある日突然、イエス様が戻ってきて、人々の魂と霊の状態を厳格に見抜いて、神様に認められた者だけがそのまま天に引き上げるという内容を指していて、連れ去られる先は、いわゆる天国です。

(2020年5月17日追記: この時の「引き上げられ方」は、まさに一瞬で空中に真上に引き上げられると考えられており、羽生選手は演技の冒頭の部分で、史上初となった「4回転ループ」を跳ぶ瞬間は、そういったことをプリンスさんが歌で(言葉で)表現している箇所にあたるのです。

ここは、「ジャンプで表現」しようと思ったら、まさに全てのジャンプの中でも、真上に旋回しながら跳ぶ形になる「ループ」が一番イメージにふさわしく、最もよく表現できるジャンプとなります。トウループやサルコウ、ルッツなどでは、このイメージとはかなり違うものになってしまうのです。

しかし、もし失敗したら、逆に正反対の意味になってしまうため、技術的なリスクだけでなく、その意味でも非常に高いリスクを負う構成でした。しかし、振付師のバトルさんは羽生選手がここで4回転ループを跳ぶことに自信満々でしたし、羽生選手も全く恐れずに喜んでやり続けました。

ですから、ここで史上初となる「4回転ループ」を跳ぶことに決めた羽生選手の決断は、皆様が想像している以上に、ものすごく深く、非常に重要な意味があり、なおかつ、普通なら相当な勇気がいるものだったのです…!)

この、「携挙」や「再臨」が起こるタイミングについて、議論や諸説があるのですが、今回はそういったことには触れずに、聖書に書いてある言葉だけを紹介して載せてみます。

 *参考 聖書箇所 イエス=キリストの言葉

「その日、その時は、だれも知らない。 天使たちも子も知らない。 ただ、父(=天地創造の神)だけがご存知である。人の子が来る(=イエス・キリストが戻ってくる)のは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲ってきて一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。

人の子が来る(=イエス・キリストが戻ってくる)場合も、このようである。 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 

だから、目を覚ましていなさい。 いつの日、自分の主が(=神様であるイエス・キリストが)帰って来られるのか、あなたがたにはわからないからである。 このことをわきまえていなさい。 家の主人(=あなたのこと)は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 

だから、あなたがたも用意していなさい。 人の子(=イエス・キリスト)は思いがけない時に来るからである。」

( マタイによる福音書  24章36節~44節  新約聖書 新共同訳より )

 

「それから、太陽と月と星に徴が現れる。 地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 

人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。 天体が揺り動かされるからである。 

そのとき、人の子(=イエス・キリストのこと)が大いなる力を栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

( イエス=キリストの言葉 : ルカによる福音書 21章25~28節  新約聖書 新共同訳より)


他にも沢山あるのですが、一応、代表的なものとして、今は上の二つだけをご紹介。

さて、再び歌の前半に戻って、冒頭の「次の世界」と呼ばれる天国描写の後の、続きを見てみます。

 So when you call up that shrink in Beverly Hills
You know the one, Dr. Everything'll Be Alright
Instead of asking him how much of your time is left
Ask him how much of your mind, baby 

この歌の途中で出てくる、このビバリーヒルズにいる精神科医だという、Dr. Everything'll Be Alright  というのは、全て大文字で表記されていますので、これ全体が、ドクターの名前の、固有名詞としての表現だと解ります。

この「何もかも大丈夫さ」先生という名前のドクター(医者)は、一見、神様と悪魔の二つの可能性がありそうに見えますが、歌の最後まで見れば、悪魔のことだと確定します。

後半に再び出てくる同じ名前のDr. Everything'll Be Alright が、小文字になっているのはミスで、どうやら全部大文字表記が正しいようなので、それを前提に解釈します。 

ここで「神ではない」と判断できるポイントとなるのは、ビバリーヒルズにいる精神科医、と表現されている点です。 

何も知らなければ、これは一見、「何もかもうまくいくよ」先生、という名前の、神様のような素晴らしい存在にも見えてしまいますが、しかし、ここにこそ、悪魔特有の、大きな惑わしがわざわざ表現されていると思います。

キリスト教で言うところの神様というのは、全知全能の天地創造主であり、人の罪を赦し救う「救い主」でもあり、どこにでも自由自在におられ、人間の自由意志を非常に尊重し、また、どこにでも神様の側から、望む人間の側にわざわざ下って来てくださる、という謙りと愛 の特徴があり、どこかの場所に鎮座していたり、まして、ビバリーヒルズなんかに限定されたりしません。 

悪魔や人間のように、有限の存在ではないのです。

また、人間の生死を司っていて、最終決定権限を持つのは、神様(創造主)のほうであり、悪魔ではありません。

(人間の側で神様を拒否することもでき、その場合は、悪魔の意のままではありますが…)

そして、この歌でドクターについて先に使われている表現 You know the one,「ほら、あいつ、知っているだろ?ビバリーヒルズにいるあいつに電話する時にはーー」というニュアンスで始まる、極めて軽い表現や、shrink (精神科医の俗語、決して敬意は込められていない)という表現の仕方を見れば、この存在は、有名ではあっても、決して神様のように尊敬される存在ではないであろうことがうかがえるのです。

shrinkは俗語で、= headshrinker の略だと言われますが、この言葉は、降霊術や魔術を行い、人の首を狩ることで有名な「首狩り族」をも意味します。また、正式の精神科医は、psychiatrist と呼ばれます。

そして、この歌の最後の方に再び出てくる、ドクターについての表現を読めば、

人の精神の弱みに付け込んで、様々な有害なものさえをも、「いやいや、何をやっても大丈夫さ」と説得し誘い込む存在ですから、これは聖書の視点から読み解けば、明らかに悪魔なのです。 
では、なぜこのドクターがいるのが、「ビバリーヒルズ」と表現されているのかといえば、異常なお金持ちが非常に多い場所、すなわち、「お金の神」=「悪魔」を崇める場所=悪魔の拠点となりうるような場所、という意味だと思いますし、実際にそういう場所がきっとあったはずです。(こういう場所は、世界に何か所もあります。ビバリーヒルズ全体がそういう場所、という意味ではありませんのでご注意。)

決して、お金持ちがイコール悪魔なのではありませんが、お金を、神として崇めてしまうこと、何よりもお金を第一とすること、そのことは、悪魔に従うことと同じだと、聖書は警告しています。
 

参考 聖書箇所 :

「誰も、二人の主人に仕えることはできない。 一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。 あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

(マタイによる福音書 6章24節  新約聖書 新共同訳より) 

ここでいう「富」とは、『マネー』の語源「マモン」という言葉で表現されており、この「マモン」は、「お金の神」とされる霊的な存在を意味します。このマモンは本物の神に対抗し、決して同時に仕えることのできないものだと聖書は語るので、つまり、悪魔と同義として表現されています。

聖書では、この世の全てのものは神から預かったものなので、お金もその一つで、それを適切に使うかどうかが、人間は試されていると語っています。

金持ちほどラッキーなのではなく、金持ちほど、より厳しい基準で、神様から「金の使い方の是非」を判定されるのです。

 

「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 富は、天に積みなさい。(中略) あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

(マタイによる福音書 6章19節~21節 新約聖書 新共同訳より )

 

イエスはその人に言われた。(中略) 『 どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。』

それからイエスはたとえを話された。 『 ある金持ちの畑が豊作だった。  金持ちは、「どうしよう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。「こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。”さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ”と。」

しかし神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。 お前が用意したものは、いったいだれのものになるのか」と言われた。 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。 』

(ルカによる福音書 12章14節~21節  新約聖書 新共同訳より )

 

「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。 善を行い、善い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くように、と。」

(テモテへの手紙 第一 6章17~18節  新約聖書 新共同訳より )

 

この悪魔と思われる、ドクターの名前は、「ビバリーヒルズにいれば」、すなわち、「金さえあれば」、「何もかも上手くいくさ」という意味も、込められているように思いますが、そのような考え(拝金主義)は、まさに悪魔の罠でしかないという警告です。

 また、聖書でいう終末の世において、イエスが再び戻ってくる直前は、悪魔は、「自分に残されている時間はもう少ない」と悟っていて、世界で大暴れすることが書かれているのですが、その描写から、この時代が、この世で生き抜くのが最も大変な時代になると考えられます。

 

この歌の後半で、再びこの精神科医のドクター「何もかも大丈夫さ」先生、が出てくるところを見てみます。

Dr. Everything'll Be Alright
Will make everything go wrong

「この”何もかも大丈夫さ 先生”は、(本当は)すべてを間違ったほうへと持っていっちゃうんだ」、と警告的に歌われています。

 

その続きで、

Pills and thrills and daffodils will kill
Hang tough children

「クスリやスリルや、見た目は美しい毒草」は、問題なさそうに見えて、本当はむしろ君たちを殺すんだよ、(気を付けて)」と説明して、子供たちに警告しているので、
「これらを使っても全然大丈夫さ」などと誘惑する、精神科医を装うドクター(先生)とは、悪魔のことだと、ここで完全に確定します。

 

pills (=クスリ、薬物中毒、麻痺させる何か)

thrills (=スリル、危険なこと、それへの誘惑全般) 

daffodils(=ラッパ水仙=見た目はキレイだが毒になる代表、ギリシャ神話で[「うぬぼれ」の象徴、またはギリシャ神話で「死者の国の花」の意味から、死へつながる、見た目が美しいものの誘惑全般、を指すと思われる)

これら3つはそれぞれ、 kill (殺す)につながる, と指摘して、悪魔の罠や誘惑の代表を、並べてあります。

これらを使って精神への処方をしようというのが、このドクターだというのです。

この「クスリやスリルや…」の箇所は、英語でエル二つ「 ll 」の語尾で韻を踏んでいるから選ばれた単語ではありますが、「実際に、悪魔が、人間を堕落させるために誘因として使う、典型的なもの3つ」と、きちんと対応してあるところが、また凄いですね!

 

注意: 悪魔が精神科医で表現されているのは、聖書で悪魔は、人間の心や頭脳に働きかける霊的な存在であるということと、人間の心が弱った時に頼りやすいものに、悪魔の罠となるものが沢山存在しているからこそ使われた表現です。

本当の精神科医や、医者や薬が全て悪魔的だ、などという意味では決してありません。 神様に従っている精神科医も沢山います。

心の問題で苦しんだ時に、神に頼るのではなく、悪魔的なものだとわかりつつ、そういったものに頼ってしまう人たち、あるいは、全く知らずに、悪魔の罠の潜んだものに、間違って救いや助けを求めていってしまう人が、現実に大勢いるからこそ、使われている表現です。

医者や薬全般を否定したり、非難しているわけではありません。 

 

また、「shrink」という単語は、精神科医の俗語ですが、同時に、「縮み上がる」、という意味もあります。

終末が近づくと、自分たちに残された時間が短いのを知っている悪魔と悪霊たちは、イエスの再臨を恐れて本当は縮み上がっている、という、悪魔に関する、聖書的真実を表した表現を、あえて使っていると思われます。

また、悪魔は、イエスの十字架による、罪からの救いと解放の意味を、一人でも多くの人間に知られてしまうことを最も恐れている ので、その意味も兼ねてあるだろうと、私には思われます。

素晴らしい精神科医かのようなふりして、人の弱みに付け込み、多くの人をだましているけど、本当は神の再臨を恐れてビクビクしているやつ、それが悪魔の正体だよ、の意味で、わざと、あの縮み上がっているヤツ(精神科医(のフリしたやつ))= that  shrink (縮み上がる)、というニュアンスも込めてある表現だろう、と私は思います。

 

So when you call up that shrink in Beverly Hills
You know the one, Dr. Everything'll Be Alright
Instead of asking him how much of your time is left
Ask him how much of your mind, baby


さて、前半に戻って、ドクターが最初に登場する、「何もかも大丈夫さ」先生、に電話をかけるこの質問部分は、

あなたが、まだ神様を信じていない人だったり、このドクターの正体が、まさか悪魔だとは知らない人の場合は、自然に解釈すると、次のような訳になります。

だから、もし君がビバリーヒルズにいるあの精神科医に電話をするときは、

 そう、あいつだよ、「何もかも大丈夫さ」先生のことだけど、

「自分の人生はあとどのくらい残されていますか?」なんて聞く代わりに、

「自分の精神(意識)はどのくらい正常ですか?」って、聞いてみるといいさ、ベイビー(愛する皆)

 

しかし、聖書を知っていたり、神様を既に信じているがゆえに、この精神科医の正体が悪魔だと明確に判ってしまう人たちから見ると、

悪魔側に自分の精神状態を聞くなんてことは、極めて愚かな行為でしかなく、むしろ嘘をつかれて騙されるだけだから、絶対にやってはいけないことになるのです。 

このドクターの正体は、この前後の表現を見ても、その存在への敬意が全く感じられないだけでなく、後半で悪魔であることがハッキリするので、なおさらです。

 

従って、既にイエス様を信じている立場の人間から見ると、天国への希望が歌われた後に登場する、ここの部分は、

この質問文内容の前後に、 ”  ?” が 本当はついている言葉なのだと考えれば 悪魔に向けて挑戦状をたたきつけた電話 という解釈が成立し、次のように表記でき、この歌を音だけで聞いた場合は、問題なく最初からこのように解釈できるのです。 

So when you call up that shrink in Beverly Hills
You know the one, Dr. Everything'll Be Alright
Instead of asking him, ”How much of your time is left?”
Ask him, ”How much of your mind?”,  baby

 

だから、ビバリーヒルズにいる、本当は(神を恐れて)縮み上がっている精神科医に電話をするなら、

ほら、君も知っているだろ、あいつーーー「何もかも大丈夫さ」先生(=悪魔)のことさ

(悪魔である)あいつには、「お前に残された時間はあとどのくらいかな?」って聞くより、

「(お前の終わりの時はもうすぐだけど、)悪魔よ、お前の精神は大丈夫かい?」と(逆に)聞いてやるといいのさ、ベイビー!(愛する皆!)

 

つまり、わざわざ電話して、精神科医のフリしてご活躍中の悪魔に向けて、逆にイエス=キリストの十字架の勝利の信仰に立った、勝利宣言をするんだぞ! 

と、信者の立場から、悪魔に挑戦状を叩きつけるように勝利宣言することを奨励していると解釈でき、そのほうが自然に思えます。

なぜなら、聖書の真理からすれば、悪魔に自分の精神状態を聞くなんていうのは、かえって悪魔にやられて罠にかかるだけですので、終末が近づき、もう自分に残された時間がないことを悟り、本当は縮み上がっているはずの悪魔には、イエス=キリストの十字架の救いの信仰に立って、完全勝利宣言していくことのほうが、キリスト教としては正しいからです。

 

つまりここで、ビバリーヒルズにいる(=極度の金持ちの上に君臨している)インチキ精神科医(=悪魔)の正体を暴き、

「終末が近い今、悪魔に残された時間はもうないから、悪魔は本当はビクビクしているんだよ」と説明したうえで、

「だからこそ神への信頼に立って、強気で行こう!恐れるな!」と、

一人一人が悪魔の誘惑や嘘、惑わしに負けないよう、「愛するみんな」(Baby)へ、呼びかけている言葉になるだろうと思います。

 

理由は、この歌の続きにあるように、

'Cause in this life
Things are much harder than in the after world
In this life
You're on your own

この世界は「次の世界」よりもずっと困難が多くて、一人一人の態度こそが問われていて、

一人一人の責任で、その人の人生が決まっていくからです。

 

一人一人が、恐れないことーーー 神により頼むことで、悪魔を「恐れない」態度こそが、とても大事になるのです。

(神に頼らず、「生身の人間 対 悪魔」で勝負してしまうと、悪魔が勝ってしまうと、聖書は告げています。)

 

聖書には、恐れるな」という言葉が 最も多く出てくると言います。

この「恐れない」態度こそがすなわち、次に続く、「De-elevator(=悪魔の引き下げエレベーター) 」に、うっかり乗っていたと気がついたら、それに乗って引き下げられるのを拒否して、上のフロアに向かって(=神の世界へ)夢中でパンチして、状況を突破していく、ということの具体的な内容になりますし、この姿勢は、悪魔との闘いにおいて、理解しておくべき聖書の真理だからです。

 

'Cause in this life
Things are much harder than in the after world
In this life
You're on your own

And if the(→de の間違い)de-elevator tries to bring you down
Go crazy, punch a higher floor

「なぜなら、この人生では、物事は全て、次の世界よりもずっと大変だからさ

この人生では、君たちは全て自分自身で責任をもたなくちゃいけないんだ 

だからもし、悪魔の引き下げエレベーターが君を引き下げようとし始めたら、

無我夢中になって、上の階へ(神様のほうへ)と、そこを打破していくんだ!」


 

そして、最後の方の、Hang tough children 子供たち、固く信念をつらぬけ!(=神への信仰を持ち続けろ!)

という言葉につながる、応援歌でもあり、神の側の子供たちの、「勝利」宣言でもある、ノリノリ調の曲となるのです。

 

参考 聖書箇所:

「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げていきます。 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。」

(ヤコブの手紙 第4章7,8節  新約聖書 新共同訳より )

 

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。

(中略) 体は殺しても、魂を殺すことのできない者ども(=悪魔)を恐れるな。 むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(=真の神)を恐れなさい。 」 

(マタイによる福音書 10章26~28節  新約聖書 新共同訳より )

 

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。

たじろぐな、わたしがあなたの神。

勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。」  

イザヤ書 41章10節  旧約聖書 新共同訳より)

 

さて、長くなるので、まだ途中ですが、今日はここまで。

この続きの後半「その2」では、この歌のハイライトである、「パープル・バナナ(紫のバナナ)」の意味と、その聖書的根拠、その前後の歌詞の意味と、この歌全体に込められた、Prince さんの意図と思いを、同時期の他の歌をも参考に、聖書の視点から、読み解いてみたいと思います。

 

羽生選手! お身体をお大事に、着々と頑張れ~!Hang Tough, YUZURU !

続きの「その2」はこちら です→ http://blog.goo.ne.jp/hananinarouyo/e/f17584600a8a8fa755f7379ec3cf781c



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