馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話22.05.01

2022-05-01 22:45:39 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【菰野町】三重県三重郡
こものちょう
三重県の北部、北伊勢と呼ばれる地域、
鈴鹿山脈で我が近江国と隣り合わせの位置にある。
湯の山温泉、御在所岳は有名なハイキングスポットで、たくさんの登山者が訪れます。
秋の紅葉は絶景ですよ。
この冬、我が輩は城跡巡りで何度も菰野町を訪問しました。
関ヶ原経由、永源寺の峠越え、どちらからも国道が整備されていて行きやすい。
いくつかある城跡のなかでも八風街道沿いにある「田光城」は秀逸でした。
て、田光は難読地名。
たみつ?たひかり?たこう?
「たびか」と読む
多比鹿神社の裏山が城跡
由来は諸説あり、
☆この地に鹿が多く住んでいた、
☆この地を治めていた豪族の名前、田光隼則によるもの、
☆僧与阿が田の中に光る黄金仏を見つけた、
などなど…。
太陽の光で田んぼが光ったのか?稲穂に当たった光を見たのかな?
それはともかくとして、
菰野町の由来、
菰野町ホームページによると
菰野は「こもの」と読みます。
 「その昔、マコモ(真菰・真薦=イネ科の大形多年草)やクサヨモギなどが生い茂る原野が広がっていたそうです。そこを切り開いて村づくりがはじめられたことから、この地を「こもの」と命名し、これが町名になりました。「こもの」の字はこれまで、薦野、古茂野、菰野が使われています。」
とある。
マコモは食用になるが、むしろ、筵の材料が有名かな?
古代は葦田鄕と呼ばれ伊勢神宮の神領となり、ヨシやマコモを提供する地だったようで、
田光とともにイネに関係のある地名だったようですな。
現在は「こものマコモ」として地域おこしになってます
江戸時代には菰野藩がありました。
その領地の殆んどは近江国内にあったのですが…
城主は土方(ひじかた)氏。
有名な土方歳三とは無関係のようですが…。
戦国時代に信長に従って菰野の地に領地を得たのちに種々変転があって結局、菰野の地に落ち着いた小さな領主です。
この土方氏のルーツは、
大和国土方村らしい。
しかるに、土方村というのがあったのかどうか存在が不明。
現在、土方という在所名は残ってない。
一方、土方村としては遠江国土方鄕が存在し、現在は掛川市の一部となってる。
土方歳三はこの土方氏の流れだとか?
掛川の土方氏も菰野の土方氏もともに清和源氏、多田源氏、つまり源頼朝の系譜に繋がるというので、
元々は同じかもね?
ま、大名の系譜は改竄されたことが多いのであまり当てにならないが…
ところで、菰野町の観光PRとしてのキャラクターがいます。
その名前は
「コモシカ」
説明しなくてもだいたい想像つくと思うけど、
御在所岳に棲息する国の特別天然記念物のカモシカと菰野のコモを合わせた名前。
ゴールデンウィーク、どこへ行こうかと考えてるあなた、
家にコモってないで、菰野町に行コモシカないぞ!
コモン、いやカモン!
と、コモシカが言ってます…
ちなみに
観光教会のホムペの解説によると、
カモシカは鹿じゃなくて牛の仲間なんですって!
おー、モーれつ!
明後日に続く~
□■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)Φ
某マガで349号 水戸~柴田町と記載されてた。
水戸城、マイカーで東へ向かった最東端でした。
駐車場は堀跡だったような…
遠い過去のことで記憶が薄らいでる
柴田町といえば、船岡城跡。
山本周五郎氏の樅ノ木は残ったで有名な城跡公園。スロープカーに乗りましたよ。
また行きたいな!
いやそれより、つい最近までマガの号数と国道の号数が連動してるのを気づかなかった
我ながら情けない…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
5月になりました。
さつきです。
我が家のサツキは冬の豪雪で全滅したが、ツツジは無事に生き残り今満開に!




この時期はいろんな花が咲き乱れホントにいい季節になったものだと思います。
ゴールデンウィーク前半は日替わりで雨になってるが、明日からの後半戦は毎日上天気になるとか?
我が国は陽気になって浮かれてるが、海外ではこの陽気を甘受できない地域も多い
なんとかならないものかね…
NHK大河ドラマ「鎌倉殿…」も
毎回毎回、身内の抗争による痛ましい惨劇が描かれる
歴史的事実なので致し方ないが、見るのがつらくなる
今夜も○○ロスで、SNSの世界が賑わってる
う~ん…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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