馬ひでの助

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【旧東海道歩き49】『岡村城跡』栗東市岡

2019-07-22 06:35:12 | 近江の史跡
"2018年9月8日(土)、

旧東海道歩き、ちょこっと寄り道

11時20分
岡交差点で右折

金勝川を越える
左前方の田んぼの中に小山が現れる

さて、城跡か古墳か?

というか、
田んぼの左は刈り取る前、右は刈り取り後。

昔は9月初旬に稲刈りなんて、ありえなかった。

畦道を進む
『地山古墳』ぢやまこふん

帆立貝形の前方後円墳。
墳丘から形象埴輪が出土。
墳丘部は未調査。
築造時期は5世紀前半。

後円部東側
草深いので、登るのはやめた…
北側へ向かった

この後、前方部の隅の痕跡を確認したかったがよくわからない
あきらめました

11時37分、
道の左手に

『岡村城阯』
宇野筑後守屋敷跡

解説によると、

江戸時代以前の東海道に面し通行を監視した。
小槻大社お旅所、若宮神社西側の高台にあった。
初代城主は、田上の関ノ津城宇野源太郎の子で弥三郎家永と言った。
家永は室町幕府初代将軍足利尊氏に属して戦功をあげて岡の地を与えられた
1340年頃に築城されたようです。
子孫は代々小槻大社の榊本衆を務めている

小槻大社は南のほうにあります。
以前、JRハイキングで訪問したことあるので次回アップする予定です。
城跡屋敷跡は遺構なし、現在は田んぼ。

さらに東へ

キョーラクという会社が見えてきました

こんもりとした場所がある

『古代栗太郡衙跡 岡遺跡』

昭和61年の圃場整備にともなう発掘調査で発見された。
溝と大規模な建物群が発見された。

奈良から平安時代の遺跡

この田んぼの下に遺跡が保存されてるのかな?

田んぼのそばにも解説板

三上山方向を見る


隣に神木がある。

小槻大社関連の社跡かな?


反対側のキョーラク会社の敷地に看板あり

『佐々木高頼の塚跡』

高頼は近江守護佐々木氏第22代目当主。
いわゆる六角高頼です。
室町幕府九代将軍義尚と対立し攻められた。
近江守護京極氏との抗争にも耐え、六角氏の全盛期としたため英君と称される
晩年は青地城主として隠居し、この地に埋葬された。
高頼塚は昭和初期の開墾で無くなった。
だから、地元の有志の方がこの塚碑を建てられたようですな。

こうしてみると、岡地区は交通上も歴史上も重要な地域だったことがわかりますね。

帰りにもう一度、古墳を見る

約30分の寄り道、

街道に戻りました

その50へ


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

年寄りが投票に行かないのはやむを得ないが、若い人が政治に無関心なのはいけない。
自分の将来に関わることなのに、日本がどうなってもいいのだろうか?

う~ん…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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