馬ひでの助

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【旧東海道歩き56】『栗東市伊勢落~石部宿』湖南市

2019-08-28 23:43:33 | 東海道歩き『近江路』

2017年5月28日(日)、
14時41分、

長生寺から東へ向かうと町並みが途切れる
伊勢落集落は栗東市の東端だ。
左手に伊勢落の千本松があるようになってるが、探しても見つからずあきらめた。

上は名神高速道路。
街道はこの手前で2つに分かれる。
ふりかえってみる

真っ直ぐが下道、右折し山の中を越えるのが上道。
上道は膳所藩が造った新道で遠回りになる。しかも山の中を通る。
我が輩は下道を行く。
昔の人も上道は通りたくなかったそうですわ。


これより湖南市。
湖南市は甲賀郡石部町と甲西町が合併して誕生した。
同じ甲賀郡だが、
京阪神に近いということで両町は発展し、平成の合併では甲賀市には加わらなかった。

石部町のマンホール
画像では楕円形になってるが、当然ながら本物は真ん丸です。
町の花「サツキ」と「東海道石部宿歴史民俗資料館」がデザインされてます。

JR草津線沿いを進む

会社の名前が「こなん」
湖南市だけでなく野洲市、草津市、大津市なども湖南地域です

「栗東水口道路」の下を通る

国道1号線の慢性的な大渋滞を緩和するために栗東市から野洲川を横断して野洲川右岸を通るバイパスが造られた。
通勤時、この付近の渋滞はホントに半端ないですよ。

15時00分、
「宮川橋」

宿場らしい橋になってますね


次に「五軒茶屋橋」

ここで上道と下道が合流する。

解説によると、
1682年の大洪水で、東海道が消滅。
翌年、膳所藩の本多氏が南側に新道を造った。
この橋から南の山の中に五軒茶屋があった。
新道は山の中を通るため、「五軒の茶屋が石部宿から移転することになった」
↑この説明の意味がわからない。
五軒茶屋はこの橋のある下道に移ったということかな?
と、最初思ったが、
そうじゃなくて、石部宿にあった茶屋が山の中の上道に五軒揃って一緒に移ったということ。
一軒だけだと心細いので五軒が申し合わせて移ったようですな。
結局、明治時代に新道は廃止、本来の旧道が東海道の本道として復活したそうです。

江戸時代、下道はあくまでもバイパスだったようです。
いつか機会があれば、江戸時代の本道というべき上道を歩いてみるつもりです…

石灰岩の山

しばらく進んで、

橋を渡る

橋を渡った時に筋を間違えて県道118号を進んだため
西縄手跡を見逃した



で、ここで右折

『西の見附跡』

ここから石部宿となる。



すぐ横が、石部西交差点

少し進んで、

この左手の消火栓の手前に一里塚跡の看板があるはずだが、こちらも見逃した。

ボォっと歩いてんじゃねぇよ!
と言われそう。


旧東海道の矢印看板の所で右折


曲がった左手に



『鉤の手道』解説板
宿場ではよく見かける折れ曲がりです。
街道歩きにとっては嬉しいけどややこしくもある

道は突き当たる
さっきは右折したが、今度は

左へ曲がれという表示

このT字路右手角に
『田楽茶屋』


栗東市岡に三軒の田楽茶屋跡があったが、ここに目川の茶屋が再現された。

商い中なので、うどん食べたかったが、今回はパスした。


その57に続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
胃がん検診でバリウム飲んだ。
下剤をもらって、下痢した。
以来、お腹の調子が悪い。
もう二度とバリウム飲みたくない😰
馬《●▲●》助ヒヒーン♪


コメント
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